ラベル 牛の歳時記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 牛の歳時記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013-02-03

牛の歳時記 第14回 雪 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記
第14回 


鈴木牛後




雪の村こゑもなく牛売られ去る  大串章

この句の眼目は「こゑもなく」というところだろう。この句の舞台はおそらく戦後まもないころの寒村。牛は貴重な働き手だった。そこで牛が売られてゆくというのはどういう光景だったのだろうか。

子牛が売られることはよくあったのだろうが、ここでは働き手としての牛が売られていったのではないかと思う。牛が売られてゆくということは、牛を飼っている農民に何かがあったということ。食えなくなって離村するのか、病気か怪我で働けなくなったのか。どちらにしても、重苦しい状況であることは間違いない。

「こゑもなく」去っていったのは牛だけではない。牛を手放さざるを得なかった農民も、曳かれてゆく牛を見送る村人も、みな「こゑもなく」佇んでいたのだ。


雪は冬の季語の代表的なものであり、なかんずく当地のような雪国では格好の句材だ。にもかかわらず、たぶんこの連載に「雪」のことを書くことはないだろうと思っていた。我が家では冬になると牛は牛舎の中に入れっぱなしになり、牛と雪との接点はまったくなくなってしまうからだ。

しかし先日、思いがけないところにそれが現れてしまった。「しまった」というのは、できれば見たくない光景だったからだ。

うちで一番の高齢牛が足を痛めて立てなくなった。獣医さんに見てもらったら、人間でいえばアキレス腱にあたる部分が切れてしまったらしい。人間なら手術をして治すところだが、牛は立てなくなったらもう終わりだ。ただちに安楽死処分となった。牛を安楽死させることは特に珍しいことではなく、我が家でも毎年のようにある。何度も見ているうちに私もその光景にすっかり慣れてしまい、それほどの感慨は抱かなくなってしまっている。

死んだ牛は専門の業者が引き取りに来る。来るのはたいてい午後なので、午前中に外に出しておけばいいと思っていたら、午前中のかなり早い時間にやって来た。まだ出してないよ、というと、今日は忙しいからまた明日来ると言って帰ってしまった。翌日の仕事のこともあって牛はその日に外に出し、仕方なく雪の上に一晩横たえておくことになった。

翌日業者が来て、牛はユニック車(クレーン付きのトラック)で吊られて荷台に乗せられていった。そこまではいつものことなのだが、私がはっとしたのは、牛がいたところの雪が牛の形に融けて凹んでいたことだった。死んだ牛はもちろん体温は下がってゆくのだが、急に下がるわけではなく、しばらくは雪を融かすには十分な熱を帯びているのだ。牛は大きな胃の中に草を分解する微生物をたくさん飼っているのだから、他の動物よりなおのこと冷えにくいのかもしれない。

私は、大きく無残な物体となった牛がつい先ほどまで生きていたという、当たり前の事実にすこしたじろいだ。

牛が立てなくなり、安楽死処分となる。死んだ牛を外に引きずり出し、ユニック車が運び去ってゆく。その一連の流れは、私の意識に大きな波風を立てはしない。すでにそれは日常の一部だからだ。しかし、そこにいつもと違う事象が少しでも割り込んだとき、それを契機として生と死が生身のものとして立ち現れてくるのだろう。

もちろん死んだのは経済動物としての牛なのだから、それほど感傷的になったというわけではなく、ユニック車の音が聞こえなくなり、牛舎の入口のシャッターを閉めればまた日常に戻るだけである。

牛の死に雪は真白を増しゆけり  牛後


2012-12-09

牛の歳時記 第13回 初雪 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記
第13回 初雪


鈴木牛後 




初雪 その冬、初めて降る雪のこと。賞美する意の籠る語である。(角川俳句大歳時記)
当地(北海道北部)の今年の初雪は11月15日。平年は10月20日頃だからとても遅かった。観測史上もっとも遅い記録だったそうだ。

雪は遅いにこしたことはないのだが、あまり遅いとこの冬の天候が心配になってくる。大雪になるのではないか、厳冬が来るのではないか、と。季節はいつも通り巡ってくるのがいちばん安心する。

先日、読売新聞に相子智恵さんのコラムが載っていた。札幌のエッセイスト、北大路公子さんの、「【悲しいお知らせ】初雪です」というツイートを読んで、「「初雪は喜ぶべきもの」という価値観は、俳人特有の見方に過ぎないと気づき、ハッと」したというのである。

私は不勉強のため、初雪の本意が「初雪は愛でるもの」であることを知らなかった。確かに、冒頭に挙げた角川俳句大歳時記には、はっきりと「賞美する意」と書いてある。他の歳時記をめくって見ると、講談社日本大歳時記には、

  うしろより初雪降れり夜の町  前田普羅

の鑑賞として、「美しいもの、こころ華やぐものという初雪の観念を破って、肌にふれるきびしい風土感をやさしい情念で包み込んだ作。(飯田龍太)」と記されている。

この句は普羅が新聞記者として富山に赴任した翌年の作ということで、冬を目前にした感慨が込められているのだろう。

初雪への思いは、普羅の住んでいた富山のような雪国とそうでないところでは、かなり違うのは想像に難くない。先の相子さんのコラムには、「私は長野県出身だが、雪の少ない南信州育ちなので、初雪にはワクワクしたほうだ。」とあるが、北海道でも大半の子どもはワクワクしているだろう。実際今年の初雪の日にも、小学生の男の子たちが大きな雪玉を抱えて登校しているのを見た。

私は、と思い返してみると、初雪に心躍らせた記憶はまったくないが、おそらく子どもの頃は、今のこどもたちよりもずっと初雪にはしゃいでいたのではないかと思う。それが、成長してからの、雪にうんざりさせられた記憶ですっかり上書きされてしまったのだろう。

現在の私は初雪にどんな感慨を持っているのだろうか。たとえてみれば、とても厳しくてみなに怖れられている体育の先生の授業の前の予鈴。その予鈴は、いつ鳴るか、そして何回鳴るかわからない。1回目の予鈴で生徒たちはかなり緊張し、2度、3度と鳴るにつれて、いつ先生が来てもいいように隊列を整えて待つようになる。そんな感じか。

北国の生活に欠かせないのは冬支度。一般の家庭でも、庭木の冬囲いをしたり、落雪で割れる怖れのある窓に板を張り付けたり、自動車のタイヤやワイパーを冬用に取り替えたりする。酪農家である我が家では、牛の糞や尿を牧草地に散布して貯留施設を空にし、また、牧柵が雪で切れないようにすべて地面に下ろすというような仕事をする。放牧地に出しっぱなしにしている育成牛を牛舎に戻すのもこの頃である。

これらの仕事は根雪になったらもうできないので、初雪から根雪の間の天候を見ながら少しずつ進めてゆく。初雪は、「さあ、もうすぐ冬だよ。急いで冬支度をしなさいよ」という天からの知らせなのである。

それとともに、初雪を愛でる気持ちももちろんある。末枯の世界を一夜にして塗り替える初雪。その清らかさ愛おしいのだ。北国の人間はおそらく誰でも、初雪にそのような矛盾した心性を抱いているように思う。

牛の背に初雪消ゆる黒さかな  牛後

2012-10-21

牛の歳時記 第12回 秋澄む 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記
第12回 秋澄む


鈴木牛後 



秋澄む 秋になると(中略)空気が澄むと言われている。気温が低くなることも関わっていよう。眼に入るものすべてが、くっきりとして、鮮やかに見える。同時に、耳に入るものすべてがはっきりと聞こえるようにもなる。(角川俳句大歳時記)
今回は、牛飼いの日常をちょっと離れて美術の話(牛に関係はありますが)。

9月の記録的な残暑とはうって変わって、10月はすっかり雨の毎日である。そんな中、10月8日は雨の間にぽっかりと浮かんだような好天となった。この日は、牛版画家の冨田美穂さんの「牛の温度展」を見に深川市まで出かけてきた。

高速道路を使えばいくぶん早いのだが、秋の澄んだ空気の中を走りたくて峠を二つ越える道を選んで行った。稲刈りを終えた田んぼには人影はほとんどなく、あちこちで籾殻を焼く煙が上がっていた。2時間ほどで深川市のアートホール東洲館という美術館に着き、階段を上がると、冨田さんの懐かしい笑顔と、正面にほぼ等身大の牛の版画が迎えてくれた。

実は冨田さんとは主にネットを通じて数年来の付き合いがあり、実際に版画を見せてもらうのも二度目なのだが、こうやってたくさんの作品をじっくり見るのは初めてだった。見て最初に思ったのは、「本物の牛よりも牛らしい」ということだった。牛のからだの肉付きはもちろん、体表の凹凸による光の反射の具合や、毛の一本一本の流れ方までつぶさに観察して再現している。それはもう感嘆の声を上げずにはいられないほどだ。

でも、帰ってから我が家の牛を見てみると、「あれ?違う。」と思った。版画は版画でとても牛らしいのだが、やっぱり本物とは違うのだ。でも、そのことによって冨田さんの版画に対する感動が薄れるわけではまったくない。それはどうしてなのだろう、と少し考えてみた。私には美術の知識はまったくないので、素人考えであることを前もってお断りしておかなくてはいけないが。

冨田さんの版画の牛は、彫刻刀で毛をひたすら彫り続けることによってできている。そう、牛は実は毛でできていると言ってもいいかもしれない。版画は彫刻刀の幅より細かい表現はできないので、実物と比べてみるとその毛はかなり大まかだと言えるかもしれない。それが、実物の牛を改めてみたときに、「違う」と感じた原因であろう。しかし、作品を思い起こしてみると、そんなことは実にとるに足らないことのように思える。

それは、版画の限界をふまえた上で最大の表現をなし得ているからではないかと思う。彫刻刀によって、睫毛や耳の毛や、牛の背や腹の毛の流れなどをシャープに描き出すことで、毛の集合体である牛の全体を牛らしく見せているのだと思う。ふだん人々は牛を「かたち」として理解しているのだが、冨田さんの版画に触れることで、大きな牛の「全体」も「細部」の積み重ねでできているということを一瞬にして了解させられてしまう。正直言って、牛飼いの私でさえ冨田さんほどは牛を観察したことはなかったと思う。だからこそ、その細部のリアリティに、「牛より牛らしい」と感じさせられてしまったのだろう。

ここから俳句の話に持って行くのは俳人の悪い癖かもしれないが、俳句も版画と同じではないかとふと思った。十七文字という限界と季語を入れるという制約があるからこそ、そこに書かれた些末とも思える事実から、それを包んでいる大きな世界を読者に想像させることができるのではないか。少なくとも名句というのはそういうものなのだろう、と。

そして夜には家に戻り、また牛舎へ。牛の毛の生え方などいつも見ないようなところまで見たりして、冨田さんの版画のような俳句とはどのようなものだろうかなどと、答えの出そうにないことを考えながら、この日の仕事を終えたのだった。

刷られたる牛の墨色秋澄めり  牛後


2012-09-02

牛の歳時記 第11回 干草 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第11回 干草 鈴木牛後 草を干す夜空に高くうしかい座  安田豆作

干草 牛馬の飼料にするため、夏の花が咲く頃、草を刈って乾草させること。…刈り取った草は、地面いっぱいに広げて干し、夕方集めて積み上げる。夏の太陽を受けた干草からは、なつかしい強い臭いがする。(角川俳句大歳時記)
掲句は、先々週日曜日の北海道新聞「日曜文芸」欄に掲載されていたものだ。一読して掲句の持つ豊かなイメージの広がりに魅せられてしまった。 「うしかい座」という星座は北斗七星のすぐ近くにあり、夏の空高くにかかっているらしい。私は実は天文にはあまり詳しくなく、この句を目にしてから慌てて調べて知った。しかし、「うしかい座」という名前の星座が一面の干草の上にかかっている、という景を想像しただけでとても豊かな気持ちになる。 草を干すという作業、それは季節のある地域で牛が飼われるようになってから数千年、毎年世界のいたるところで行われてきた。そのような歴史の積み重ねの1ページとして我が家の周りでも草が干されている。今よりもっと星を大切にしてきた長い時代、「うしかい座」の下で、現在と全く同じようにかさかさと静かな音を立てながら草が乾いていったのだ。 ところで、歳時記の解説には「夕方集めて積み上げる」とあるが、牛の仕事に携わって20年、積み上げられている干草を見たことはない。この歳時記はもっとも新しい部類に属するのだから、もうちょっと考証をきちんとしてほしいという気がするのは欲張りすぎだろうか。 草を積み上げることを「ニオ積み」というが、いつ頃まで行われていたのかは私にはよくわからない(豆は現在でも積まれて乾かされている)。現在は、干草(一般には「乾草=かんそう」)は機械でロール状に梱包されている。この記事のトップの写真にあるのがそれだ。北海道の風景写真などで馴染みだ思う。 フォークによるニオ積みから、大型機械による牧草ロールへ。作業の様子は変わっても、変わらないものがある。それは乾いてゆく牧草の色と匂いだ。 刈った直後は言うまでもなく草そのものの色で、匂いはいわゆる「草いきれ」。私などはもうすっかり慣れているが、嗅いだことのない人はちょっと驚くかもしれない。晴れていれば次の日には、草は淡いさみどりとなり、ほのかに甘い匂いとなる。そして3日目。ごく淡い緑色の乾草に仕上がり、心地良い香りがあたりに広がっていく。この匂いをアロマオイルにしたら大人気になるのではないかと思うほどだ。 この2日目の夜、あくる日の好天を約束している星空。もちろん「うしかい座」も澄んだ空に存在感を主張している。家の中にまで乾草の匂いが入ってくるわけではないのだが、気分的には干草に包まれているような感覚になったりもする。だがそれも一瞬のこと。昼間の作業の疲れもあって早々に眠りに落ちてゆくのである。 人送るあひだに草の干されゐる  牛後 最後に宣伝を。俳句集団【itak】の第3回イベントが、今月8日に行われます。どなたでも参加できます。詳細はこちら(↓) をご覧下さい。 http://itakhaiku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_21.html

2012-08-05

牛の歳時記 第10回 牛冷す 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第10回 牛冷す 鈴木牛後 夏は牧草収穫など本業が忙しく、なかなか文章が書けない。加えて、少しは暇があっても、俳句集団【itak】 や結社誌の原稿書きなどもあって、こちらのことなど危うく忘れてしまうところだった。 でも、この最近の猛暑。北海道で猛暑といっても、本州以南の方には鼻で笑われるかもしれないが、それでも、札幌では7月末は6日連続の真夏日だったらしい。当地はそれほどではないにしても、それでもこの6日の間に28度以上の日が4日。猛暑と呼ぶのに十分な暑さだった。 そんなとき思い出したのが「牛冷す」という季語。どこかで例句を見たというわけではないのだが、ふと頭に浮かんだ。夏真っ盛りを表現するこの季語。今、ここに書かなくてどうするのかという感じだ。 加えて、直接に牛を題材にしている、ほぼ唯一と言っていい季語である(他に牛角力が辛うじて歳時記に載っているが)。「牛の歳時記」では、最重要季語と言ってもいいかもしれない。うかうかと見過ごすわけにはいかないではないか。 草原に日と月とあり牛冷す  錫樹智

牛冷す(牛馬冷す) 夏になると農耕用の牛馬を夕暮れ時の川や湖沼に連れて行き、身体に水をかけ藁で丹念に洗ったものである。(中略)昨今、農耕用の牛馬を飼うことはなくなった。そのためこの光景も見られなくなってしまった。(角川俳句大歳時記)
掲句は、「俳句マガジンいつき組」(当時の名称)の雑詠欄で数年前に「天」を取った句だ。正直この句を見て、「牛のことをよく知らないで空想で作った句なんじゃないか」と少し苦々しく思ったことを覚えている。実際空想なのだろうが、今ではこの句は私の愛唱句となっている。句の持つ雰囲気が抜群にいいのだ。 「草原」とは北海道の牧野かもしれないが、おそらくはアフリカあたりの草原のことではないかと思う。沈み掛けている太陽と、上がったばかりの月と、ほんの少し涼しさを感じる草原。それに、背が高く弓矢を持ったアフリカの牧夫。この組み合わせは最強だ。 でも実際は、今の日本から見ればこの句は極めてファンタジックに感じる。でもそれでいいのだと思う。「牛冷す」というような古い季語をファンタジーとして楽しむ、それも俳句の楽しみ方のひとつなのだから。 さて、歳時記の解説にもある通り、今では「牛冷す」という光景は稀だ。数十頭も飼っている牛を川や湖沼に連れて行くことはできない。現在の暑熱対策は、牛舎ごと冷すというものである。大型の換気扇を取り付けたり、屋根に散水したりしている。牛舎内に細かい霧を発生させるという装置もあるらしい。季語にするとすれば「牛舎冷す」だが、もはや「牛冷す」の時代のように牛を飼うことはどこでも見られる風景ではない。歳時記に載ることは決してないだろう。 時代が変わったと言えばそれまでだが、牛を引いて川へ行き、牛とともに水浴びをする光景にほのかな憧れを抱きながら、私は今日も換気扇の音が響く牛舎で働いている。 生家にいまだ牛冷すほどの水  牛後

2012-05-27

牛の歳時記 第9回 牧開き 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第9回 牧開き 鈴木牛後 牧開き四方の山々退けて  片山由美子 掲句、牧開きの明るさを余すところなく表現している。昼なお薄暗い牛舎から、陽の光溢れる牧場へ牛馬が出てゆく。その開放感たるや、経験したものでないとわからないだろう。 春になり、牧草がだんだん青くなってくる。牛はそれだけでは外に行きたいという気持ちにはならないようだ。だが、ほのかに青草の匂いが漂うと、にわかに本能が目覚めてくる。 今は放牧地に肥料は撒かなくなったのだが、 数年前まではトラクターで肥料を散布していた。トラクターのエンジンを止めると、牛舎の方が何やらひどく騒がしい。何事が起こったのかと思って急いで牛舎に行くが、何事もない。ただ牛の咆吼が牛舎に満ちているだけだった。 おそらく、トラクターが青草を踏みつぶしたことで、その匂いが放牧草の味を牛に思い出させたのだろう。それくらい、牛にとって青草は魅力的なものなのだ。 匂いだけではなく、人間が放牧の準備をしているときも、牛はそわそわし始める。いつでも外に出られるように、気持ちを昂ぶらせているようにも見える。そして当日。牛を誘導するためのロープを張ったり、出入り口に置いてあるものを片づけたりしているうちに、牛の興奮は最高潮に達するのだ。 牛をつないでいる鎖を外そうとしても、気持ちはすでに放牧地に向いていて、鎖は切れんばかりに張っていてなかなか外せない。そして、やっと外したら牛たちは一目散に放牧地に向かっていく。 そうは言っても、冬の間じゅう牛は極度の運動不足なので、足を滑らせて転ぶ牛も続出し、たいへんな騒ぎになる。何とか外に出て行ったと思ったら、今度は必ず牛舎に向かって走って帰ってくる。どうして帰ってくるのかはよくわからないが、たぶん牛も興奮しすぎて何がなんだかよくわからなくなっているのだと思う。そうやって出入りを繰り返し、やがて落ち着いて草を食べ始める。 こんな興奮も初日だけ。2日目からは、まるで去年の秋の続きのように落ち着きをとりもどし、人間にも牛にも平穏な日々が訪れるのだが。 牧開きは、人間にとっても牛にとっても一大イベントだが、こんな風景もだんだん少なくなっている。効率優先の酪農経営にとって、放牧は計算しずらい技術だからだ。それでも放牧には、人間にとって原初の感情を呼び覚ます何かがある。だからこそ、無意識の領域と繋がっている俳句とはとても相性がよく、すばらしい句がたくさん作られてきたし、これからも作られていくに違いないと思う。 牛の尾の雲を連れゆく牧開き  牛後 リンク 俳句集団【itak】http://itakhaiku.blogspot.jp/ のブログに拙句が掲載されています。合わせてご覧頂ければ幸いです。

2012-04-29

牛の歳時記 第8回 春光 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第8回 春光 鈴木牛後 春光に生れたての牛立ち上がる  土川照恵

春光 春の景色、春の様子である。春の日光でなく春の風光であるが、ふつう陽光のかがやかしさの意をこめて用いる。(講談社日本大歳時記)
生まれたばかりの子牛が立ち上がるという明るさ、それはまさに春光に相応しい。春光のイメージはまさにそんな感じだろう。 北海道の地にもようやく春らしい春がやってきた。ニュースでもたびたび報道されたように、今年は近年まれに見る豪雪だった。おまけに3月の寒さで雪融けも遅く、うちの牧草地もやっと4分の1くらい地面が見えているくらいだ。(この原稿を書いた4月21日時点。あれから暖かい日が続いて、今はほとんど雪はなくなりました) だが、春の光という点では、この融雪直前が一番輝かしい。春分もとうに過ぎて太陽の力がかなり増している上に、雪の照り返しが強烈だからだ。「雪焼け」という言葉があるように、ちょっと外に出ているだけでかなり灼けてしまう。 ちなみに、「雪焼」は冬の季語となっているが、北海道の感覚では明らかに春である。冬の陽光は弱くて、なかなか雪焼けはしない。それに比べて春の日差しの強いこと。 ところで、以前から疑問に思っていることがある。このような雪の照り返しを表す季語はあるのだろうか、ということだ。ちょっと前まで「雪解光」というのがそれに当たると思っていた。「雪解光」は「雪解」の傍題で、私の持っている歳時記には解説が載っていないのだが、Weblio辞書には「雪解水のため、光が異常屈折をおこしておこる蜃気楼のこと」とある。こんな蜃気楼は見たことはないが、少なくとも私がイメージしていたものとは明らかに違うようだ。 読者の方で詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。 さて、本題の牛の話。長い冬の間、当然ながら牛舎はほとんど閉め切っている。たまに暖かい日があっても窓は凍り付いていて、簡単には開けられない。窓は光が入るからまだいいが、出入り口のシャッターは光も入らず、暗く閉ざされている。 そして、春。4月になればシャッターを開けっ放しで搾乳できるようになる。私にとって春はこの瞬間のことだと言ってもいいかもしれない。うちの牛舎は東西方向に長いので、端のシャッターを開けるとちょうど夕方の搾乳時間に強い西日が射してくる。 牛には表情がほとんどないので、牛の感情表現は、もっぱら目、舌、耳、そして尻尾で行われる。尻尾は落ち着いている時にはゆっくりと、興奮しているときには激しく振られる。激しい尻尾は顔を叩かれたりするので歓迎しないが、搾乳が終わってリラックスしているときに、西日を透かして静かに揺れる尻尾はいかにも牛らしいと思う。 春光は弾かれ牛の尾から尾へ  牛後 最後に宣伝です。 拙句集「根雪と記す」が発行されました。「100年俳句計画」2012年4月号付録です(マルコボ・コム )。もし機会がありましたらご覧になって頂ければと思います。 また、このたび、俳句集団【itak】 が発足しました。北海道で、新しい俳句の文芸運動を展開出来ないかと、結社や経歴を超えて集まった集団です。旗揚げイベントはこちら です。北海道在住の方はぜひご参加下さい。初心者大歓迎です。

2012-03-25

牛の歳時記 第7回 春寒 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第7回 春寒


鈴木牛後 春寒く乳房地に垂る獣かな  久米正雄
春寒 古くから用いられている春寒料峭というあの感じである。料峭は春風(東風)の肌にうすら寒く感じさせるさま。つまり余寒と同じ内容であるが、同じ寒さでも、春の一語にこころ寄せたところがある。(講談社日本大歳時記)
掲句の獣とは乳牛だろう。乳牛以外に、乳房が地に垂れている動物などいないからだ。ではなぜ、「牛」と言わず「獣」と言ったのか。音数の問題もあるかもしれないが、それより、「獣」という言葉の、心理的に突き放された感覚を重視したものだと思う。「牛」が人に近く暖かいイメージであるのに対し、「獣」にはどちらかといえば冷たさを感じる。そこが、季語「春寒」に通じているのだ。 もう3月も下旬となり、本州では桜の便りも聞かれる頃となった。今更「春寒」でもない、という気もするが、当地では3月でも夜は氷点下となるということもあって、「春寒」はいまだ実感である。 これから書く話は、今月初旬のことで、まさに「春寒」の頃のこと。私はときどきではあるが、札幌の句会に参加している。 今月も参加することに決めて、ヘルパーさんも頼んで準備万端だった。 ヘルパーさんのことは以前も書いたが、酪農家が休日を取るときに、代わりに搾乳などの仕事をしてくれる人のことだ。 そんな句会の前々日のこと。突然1頭の牛が立てなくなった。乳牛は身体が重く、運動不足の上、過重な労働(乳を出すこと)をしていることもあって、立てなくなるなどのアクシデントはそれほど珍しいことではない。それでも、この牛についてはちょっと予想外だった。 早速獣医さんを呼んで診てもらったのだが、はっきりした原因はわからず、一般的な注射と点滴をしてもらうことになった。その日はけっこう寒い日で、仕事をしている分にはそれほど感じない寒さも、牛の傍らでじっとしているとだんだんと身体に沁みてくる。 牛の点滴は人間よりはずっと早く入れられるのだが、それでも15分や20分はかかる。その間、牛の生気を失った眼を見ながら、私も身体の力が抜けていくのを感じていた。おそらくは回復しないであろう牛に対する哀れみ、1頭の牛を失うことの経済的な損失、それに、楽しみにしていた句会に出られない悔しさ、そんなことが混ざり合って、余計に寒さに対して無防備に晒されていったように思う。 このような話を書くと、まるで私が大切なペットを失ったように悲しみに浸っているように感じるかもしれない。しかし、実際にはそれほどの感慨はない。 牛の生死は、季節の移り変わりのように私の目の前を通り過ぎてゆく。そうでなければ、牛飼いなどはやっていられないからだ。あれから何頭かの子牛が生まれ、1頭の老牛が肉用として市場へと売られていった。そして、雪を照らす日差しは、一日ごとに強くなってきているのである。 春寒や膝より低く牛のこゑ  牛後

2012-02-26

牛の歳時記 第6回 春眠 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第6回 春眠 鈴木牛後 足投げだし両手を捨てて春眠す  金子兜太

春眠 「春眠暁を覚えず…」と唐の孟浩然の詩にあり、春の夜、曙の眠り心地のよさは格別のものである。(講談社日本大歳時記)
春眠と牛の取り合わせの句は見つけることができなかった。牛の鷹揚な雰囲気は春眠と相性がいいように思うが、近すぎることを嫌ったためだろうか。代わりと言ってはなんだが、掲句を挙げさせてもらった。 よほど気持ちのよい春眠なのだろう。今の言葉で言えば「爆睡」といったところか。冬は寒さに蒲団にしがみつくようにして眠らなければならないが、暖かくなって思う存分手足を伸ばしているのだ。大仰な表現が鼻につかず、むしろ気持ちが良い。 さて、実は牛はあまり眠らない。 牛には、何となくのんびりしたイメージがあるが、家畜としての牛とて、元来は被捕食者であった草食動物なのだ。常に肉食動物に狙われていたころの記憶は深く遺伝子に刻まれているのだろう。ある研究によれば、牛の睡眠時間は1日に3、4時間とのこと。しかもそのうち、深い眠りであるノンレム睡眠は20分程度であるらしい。 牛のノンレム睡眠は、人間がいない夜中などに起こることが多いらしく、ほとんど観察することができない。眼を瞑っているのを見かけることさえ稀なことだ。半分眼を瞑っていても、人間が近くに行くとすぐに眼を開いてしまう。そんなに緊張しなくても、誰もとって食ったりしないのに。 だが、牛にもやはり個性というものがあって、たまにはよく眠る牛もいる。写真の牛などはそうだ。眼を瞑っている牛を見かけることはあっても、ここまでくつろぐ牛は滅多にいないのではないかと思う。このような姿を見かけると、思わず頬が緩んでしまう。このような牛は野生ではまっさきに虎などに食われてしまうのだろうが…。 ところで、牛のノンレム睡眠の発現時間は、牛のリラックス度と相関関係があるとも言われている。いくら牛が寒さに強いといっても、冬の厳しい寒さの下では、常にある程度のストレスがかかっていただろう。そんな冬が終わり、春の日差しが牛舎に射し込むようになれば、牛もリラックスして春眠を満喫しているに違いない。と言っても、せいぜい一日数十分のことではあるが。 余談だが、写真の牛は赤白斑のホルスタインである。赤白斑は黒白斑に対して遺伝的に劣性であるためかなり珍しい。我が農場でも、60数頭のうち2頭しかいない。このぼんやりした斑紋の色も、まさに春眠に相応しいような気がするがいかがだろうか。 角の無き牛春眠のまろきかな  牛後

2012-01-29

牛の歳時記 第5回 冱つる(凍つ) 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第5回 冱つる(凍つ) 鈴木牛後 凍きびし牛の飼葉に篠まじる  下村槐太

冱つる 寒気にあって凝結することで、凍ると同じ意である。また、頬凍つる・風凍つる・月凍つる・鐘凍つるなど比喩的にも用いる。(講談社『日本大歳時記』)
掲句、牛のエサである草に笹が混じっているというだけの景。干し草は温かそうなイメージがあるが(ハイジがベッドに使っていたっけ)、その中にある笹のシャープな形と、干された白さが、凍てついた身体を刺すかのように思われるのだろう。 今は大寒。一年でもっとも寒い季節を過ごしている。ちなみに、今日(1月27日)の最高気温はマイナス7.9度。最低気温は、マイナス25.2度であった。 最近の歳時記には「真冬日」という季語が載っている。真冬日とは、一日の最高気温が零下の日のこと。真冬日の南限は北関東あたりだろうか? そのような地域では、真冬日になったというだけで一句作れてしまうかもしれない。しかし、当地では真冬日は当たり前で、たまに真冬日にならない日があればそれがトピックスになるくらいである。 そんな日々、常に「凍結」と隣り合わせで生活している。住宅はある程度断熱もなされているのでそれほど心配はないのだが、それ以外のところにはかなり気を使う。 凍結するものはいろいろあるが、今日凍らせてしまったものは、水源地のポンプ。我が家はの水源は湧き水なのだが、その水源は住宅や牛舎より下方にあるので、そこからポンプで揚げている。そのポンプが凍結して動かなくなってしまった。普段、凍結防止のために雪をたっぷりかけて埋めているのだが(雪が断熱材となる)、いつの間にか融けてしまっていたのだ。 凍ってしまったポンプは、ジェットヒーター(強力なストーブのようなもの)を持っていって融かすのだが、融けるまでの間は水が使えず、仕事で冷え切った指先を湯で温めることもできず、惨めなものだ。しばらくして、水が出るようになったときの安堵感は何事にも代えられないくらいである。 牛の糞尿を舎外に搬出する機械であるバーンクリーナーもしばしば凍結する。牛の糞尿が凍ることで鉄板とくっついてしまい、動かなくなるのだ。仕方なく、ほぼ毎朝ツルハシでたたき割ってから動かしている。牛の糞も、凍るとまるで石のように堅くなって、破片がからころと音を立てて転がってゆく。 そんな中でも、牛舎の中はある程度の気温に保たれている。通常は氷点下になることはなく、今朝のような寒い日でも零下3度くらいはある。暖房しているわけではなく、牛の体温のためだ。牛の平熱は、38.5度くらいと人間よりずっと高い。容積100リットルとも言われる胃の中で、微生物が餌を分解する発酵熱がその体温の源泉だ。しかも牛はかなり密度高く飼われているということもある。 うんと寒い日に、牛に触ったり寄りかかったりしていると、牛からじわーっと温かさが伝わってくる。牛も特に嫌がるわけではなく、黙って反芻しているだけだ。そんなときは、身体の大きさとも相俟って、牛の包容力というものを実感する。包容力とは温かさのことなんだな、と。人間もそうありたいものだ。 牛の糞父の拳のごとく凍つ  牛後

2012-01-08

牛の歳時記 第4回 元日 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第4回 元日 鈴木牛後 人を恋ふ牛の瞳と合ふお元日  保坂加津夫 掲句、わかるような気がする。特別、牛が元日に人を恋うているわけではないだろうが、人の側の心持ちが違うのだ。世間では、元日はみな休みなのに(最近は、元日営業の店が増えたので、そうは言えなくなってしまったが)、いつもと変わらず牛の世話をしている自分。牛と恋をしているとでも言わなければ落ち着かないではないか、などという気分なのであろう。 牛飼いというと、365日休みなく働いているというイメージがあると思う。実際、それに極めて近いという現実はあるのだが、それでも最近は酪農ヘルパーという制度ができて、たまには休めるようになった。酪農ヘルパーとは、酪農家が休みをとるときに、代わりに来て搾乳をしてくれるサービス業のことだ。私も、たまには酪農ヘルパーをお願いして、家族サービスをしたり、札幌へ句会に出かけたりしている。 私も、実は酪農家の生まれではなく、酪農家として独立するまでは、この酪農ヘルパーをしていた。そんな酪農ヘルパー時代に、当時60代(私の父と同世代だ)だった酪農家に聞いた言葉が忘れられない。 「牛飼いを始めたころは、盆も正月も稼げるなんて、こんないい商売はないと思ったものだよ」 この言葉は、ある意味衝撃だった。週休二日が当たり前の世の中、酪農家の私でも休みがないのを、さすがに「いい商売」だと思ったことはない。 生きていることが、即、稼ぐことだった時代。そこでは、「自分探し」とか「生き甲斐探し」などする必要はなかった。なにも迷うことはなく、ひたすら働いていればよかったのだ。もちろん、そんな世の中を全面的に肯定するわけではないが、少し羨ましく感じるのは私だけではないと思う。 私が俳句を作るのは生きる証し、などと格好いいことを言うつもりはない。まだまだ趣味の域を脱してはいないと思う。かえって、仕事で特別成果を挙げられないことへの、単なる代償行為としての側面が強いかもしれない。それでも、この自分の生活と俳句とが、例えば蔦に表面を覆い尽くされた古い建物のように、一体不可分のものとなることを秘かに望んでいる。 先日のウラハイ に、関悦史氏の句集「六十億本の回転する曲がつた棒」について相子智恵氏が書いていたことが、とても印象に残っている。

なぜならこの句集の「生(なま)感」に、私の中のぐちゃぐちゃの土が戻ってきた気がしたからである。それは作者自身の、いまなお続く被災生活を詠んだ句ばかりではなく、この句集全体から感じとれることだった。虚構性の高い句であっても、なぜか地続きで感じられる「生(なま)の共振」があるのだ。
いいなあ、「生の共振」。この言葉も、意味することも両方。 牛に口牛に尻ある大旦  牛後

2011-12-25

牛の歳時記 第3回 煤払 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第3回 煤払 鈴木牛後 牛はいよいよ黒かれとこそ煤払  正岡子規

煤払 新年を迎えるために、年末に、神棚をはじめ家の内外を掃き清めることを煤掃・煤払という。(講談社日本大歳時記)
「煤払」という言葉はどれくらい一般的なものなのだろうか。大掃除のことを煤払などということはあまりないような気がする。それでも、夏井いつき著「絶滅寸前季語辞典」「絶滅危急季語辞典」に載っていないところをみると、そこそこ使われる言葉なのかもしれない。使うのは俳人だけかもしれないが。 しかし、畜産業界では、この言葉はごく普通に使われている。竹箒(煤竹)を大きく豪快に振り回すさまは、まさに「煤払」という言葉に相応しい。 牛舎(に限らず畜舎)には、これでもかというほど煤が溜まる。季語「煤払」の「煤」は、元来は煤煙のことだったようだが、牛舎で使われるときは、まず、蜘蛛の巣と埃のことである。 我が家のような自然換気式(ただ窓を開けているだけ)の牛舎では、外から、糠蚊や羽蟻がいくらでも入って来る。外は天の川が降ってきそうな暗闇なのに、牛舎だけが煌々と灯りがついているのだから当然といえば当然だ。それらを待ち構えて、蜘蛛もいくらでも増える、というわけである。小さな蜘蛛は小さな巣を、大きな蜘蛛は大きな巣を作る。成長に従って放棄された巣も残されていく。そこに埃がついて、膜のようになっている。 そのため、煤払も年末にだけするというわけではなく、実際には年に何度もする。それでも、年末の煤払は、正月を気持ち良く迎えるために、大事な作業であることに変わりはない。 こんなことを書くと、もしかしたら都会の方々は不快に思うかもしれない。牛舎というのはそんなに不潔なところなのかと。それも、時代の流れとして、ある意味、仕方のないことなのかもしれないとも思う。 以前、ネットでこんな文章を読んだことがある。小学生が、社会科見学の一環として、酪農家を訪問したときの感想である。その感想は、「牛乳がこんなに汚いところで作られているとは知りませんでした。ぼくは一生牛乳は飲みません」というものだった。 社会科見学の対象として選ばれるくらいだから、その牧場は、特別汚いところではなかったと思う。むしろ、衛生管理には気を使っていた方だったのではないか。それでも、このような感想を持たれてしまう。無菌室で育てられたような子どもには仕方のないことなのかもしれないが、私としてはかなり複雑な気持ちだ。 俳句の世界も、美しいもの、叙情的なもの、そういう情景が対象となることが多いが、写生という手法によって、ちょっと目を背けたくなるような光景もたくさん詠まれている。これからも、美しさだけが詩的なものではなく、どんなものにも詩がある、という俳句の世界であってほしいものだ。 まつしろに花のごとくに蛆湧ける  髙柳克弘 髙柳克弘さんのような、いかにもスマートな若手俳人(お会いしたことはないので、イメージだが)が、こんな句を作っているということに、安堵したりしているこの頃である。 牛の背を払ひて了る煤払  牛後

2011-11-27

牛の歳時記 第2回 北窓塞ぐ 鈴木牛後

【不定期連載】 牛の歳時記 第2回 北窓塞ぐ 鈴木牛後 北窓を塞ぎぬ獣通ふらし  石井露月

北窓塞ぐ 涼風をもたらす夏の北窓も、冬になると冷たい風の通り道。目貼りをしたり、戸を閉さねばならない。(…)建築様式の変化にともなって、次第に実感の薄らいでいく季語かもしれない。(講談社日本大歳時記)
この言葉は江戸時代から使われているようだ。ガラスなどがまだない時代、北からの季節風を防ぐには、板などで塞いでしまうしかなかったのだろう。東京あたりでもそうなのだから、開拓時代の北海道などは想像を絶するものがある。 特に当地は、真冬には氷点下30度まで下がる、日本でもっとも寒い地域のひとつだ。内陸なので海辺ほどの風ではないが、それでも吹雪になると恐怖を感じることもある。すべての体温を奪おうとする冷気、あたりを覆い尽くそうとする雪。自然が剥き出しでそこにある。 アルミサッシがまだない時代、北海道では窓にはすべてビニールを外側から貼り、寒気を防いでいた。つい十数年前の私が住んでいた住宅も、そのようにしていた。それでも、常に暖房をしていないと家の中が凍り付き、暖房のできない風呂場ではいつもシャンプーが凍っていたものだ。 しかし、歳時記の記述にある通り、アルミサッシが一般的となって隙間風というものがなくなり、北窓を塞ぐ必要はなくなった。今となっては、心象風景の象徴としてこの季語が使われるにすぎなくなっているのかもしれない。その、現実として使われているこの季語の、数少ない季語の風景のひとつに、古い畜舎がある。 うちの牛舎は大部分にはアルミサッシが入っているのだが、それでも古い建築の部分は、窓に当たる部分には何もなく開放されている。冬が近づいたら、そこにはポリ波板(透明な波板)を貼ることにしている(そこは方角としては北ではないので、正確に言えば北窓ではないが)。 こうやって牛舎を閉め切るのは、牛が寒いからというわけではなく、ひたすら人間側の都合である。作業するときにあまりに寒いのは辛いし、何より水道管が凍って水が出なくなってしまう。時には、氷になるときの膨脹で、水道管が破裂してしまうこともある。農場によっては、水道に凍結防止の措置を施して、牛を真冬でも運動場に出せるようにしているところもある。そういう農場を見ると、どんなに寒い日でも晴れてさえいれば牛は外で寝ている。それだけ牛は寒さには強いのだ。 しかし我が家では開口部に波板を貼り、運動場への出入り口も塞いでしまうので、牛たちにはもはや外はないのと同じだ。牛というのは、環境への適応性に優れていて、それだからこそ家畜として長い間人間に飼われているのだろうが、外に出られなくても、外が見えなくても、特に不満を抱いているようには見えない。餌が与えられ、水を飲むことができればそれで満足してるように思える。 かくして、牛舎の内外は隔絶され、出入りしているのは人間と猫だけ。人間と牛の距離は夏に比べてずっと近くなるが、それでもペットのようにベタベタするわけではなく、畜主と家畜としての距離を保ちつつ、長い冬をともに過ごしているのだ。 北窓を塞げば大き牛の耳  牛後

2011-11-06

牛の歳時記 第1回 牧閉す 鈴木牛後

【不定期連載】牛の歳時記 第1回

牧閉す

鈴木牛後


天気さんから、「牛のこと何か書いてもらえませんか?」というメールをもらって、少し考えた。ここに書くからには、何か俳句と関連づけて書きたいな、だけどそんな文章書けるかな、と。そう考えながらも、タイトルは「牛の歳時記」にすると、頭が勝手に決めていた。やっぱり俳句といえば歳時記。

でも牛には特別に季感というものがないから、牛に直接関係する季語はほとんどない。いくら不定期連載といっても、これではすぐにネタが尽きてしまうに違いないとも思う。それでも、牛飼いは季節とともに生きているのだから、何かしら題材は見つかるだろう、という楽観的見通しのもと書き始めることにする。

どの牛も遠目せり明日牧閉す  大畑善昭 

【牧閉す】 放牧していた馬や牛を持ち主に返して牧場を閉鎖することをいう。今日では馬は少なく肉牛が主体であり、牧場も公的な組合経営が多い。(講談社日本大歳時記)

放牧場といえば、一般的には阿蘇の草千里のようなところがイメージされるであろう。阿蘇以外にも、全国津々浦々に放牧場があり、肉牛や、乳牛の育成が放牧されている。畜主は自分の労働軽減のためと、牛馬が山野を歩き回ることで、頑健になることを期待して放牧するのである。

我が家は乳牛を飼って搾乳をしている。いわゆる酪農家だ。けっこう世間では誤解があるようだが、肉牛を飼う農家を酪農家とは言わない。あくまで搾乳のために乳牛を飼う農家が酪農家なのである。そんな酪農家である我が家の特徴は、搾乳牛を放牧していることだ。2、30年前までは搾乳牛も放牧するのが当たり前だったのだが、酪農が集約産業化した現代では少数派となっている。

北海道はもうすぐ雪の季節。この原稿を書いている時点ではまだ放牧をしているが、あと数日で終牧とする予定だ。掲句は、余所に預けている牛のことを詠んだものだろう。「どの牛も遠目せり」という措辞には、多分に人間の感情が移入されているように思える。牛がどう思っているのかは、牛自身にしかわからない。いや、牛自身にもわからないと言うべきか。 我が家の牛の場合は、もう遠目などはしていない。放牧地には草が乏しくなり、雨風は冷たく、決して牛にとっても居心地の良いところではないらしい。夕方近くになれば牛舎の近くに集まり、いつ牛舎に入れてくれるのかとじっとこちらを見つめている。そして、ゲートを開ければ牛舎めがけて早足で入ってくる。次の朝はまた放牧地へ行って草を食べる。その繰り返し。 そして、とうとう終牧となった日も、牛は何の感情も表に出すことはなく、与えられた餌をもくもくと食べ、ゆっくりと反芻の時間に入るのだ。

牧閉ぢて山を下りしひづめ跡  牛後