2012-01-15

成分表48 晴れ着 上田信治

成分表48
晴 着

上田信治

「里」2011年1月号より転載


お正月は、世界が三日間だけ多幸症的ナンセンスの支配する場所になる。日常は、意味不明のオブジェや挨拶に取って代わられ、何より、朝からお笑い番組ばかりやっている。子供の頃から大好きだった。

伊丹十三は『フランス料理を私と』という本の中で、成長期が食糧難だった自分たち世代は、生涯「食」に執着することになるだろう、それは、同世代の誰もが、多かれ少なかれ、母親の苦労の結晶であるような食事を、濃厚な愛情がらみで供された経験をもっているからだ、というようなことを言っていた。

それは、あのころ伊丹十三が凝っていた精神分析の方法そのもので、後ろから人の肩を叩いて振り向かせ、あなたを決定づけているものはあれですよ、と過去の一点を指さすというようなやり口は、あやしいと言えばかなりあやしい。

しかし、母の作った食事と今の自分との間を結ぶ線を引いて、それを人生の物語とすることは、正当なことだ。人にはそういうことをする権利がある。

自分は、そのことを「人は「最高にもてなされた経験」によって、人生を決定づけられる」と読み換えて、記憶していた。

多くの人が、それぞれの子供時代に「最高にもてなされた」エピソードを発見するだろう。それは「世界による承認」についての経験である。

過去の泣くほど嬉しかったり誇らしかったりしたエピソードから、演繹して、現在の自分が人生の何に執着すべきかを理解する、ということだってありうる。

自分と同世代の、特に男性は、日本の子供向け娯楽の興隆期に幼年時代を過ごし、そこで決定的なもてなしを受けてしまったという気がする。自分の場合「コント55号」「ゲバゲバ九〇分」「がきデカ」などに、ひいひい言うほど笑わされたことを、楽園的体験として心に刻んでいる。

それは、自分史の起点として仮構された、My神話である。

つまり、正月は、国中がナンセンスとお笑い草に明け暮れる、建国記念日にも似たMy祝日である。

自分の父は、伊丹十三と同年輩で、みょうに正月に執着する人だった。酒は飲まず、来客もない。ただ、家で、いい着物を着て、自分で、正月を喜んでいるだけなのだが。

こんど実家に電話をしたら、何か正月にまつわる思い出でもあるか、父に聞いてみよう。

  雪だるま笑福亭の門前に  高野素十
  

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