俳枕14
葛城山と阿波野青畝
広渡敬雄
「青垣」17号より転載
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奈良県と大阪府の境葛城山は、かつては修験道の霊場であったが、現在は二上山から金剛山までのダイヤモンドトレールとして関西のハイカーに親しまれ、五月には一目百万本のつつじの群生で有名。
頂上の展望は西に大阪湾、六甲山地、東に大和三山が広がり、西麓には西行ゆかりの弘川寺、東麓一帯は古代には葛城氏、鴨氏の本拠地であり、山中には名刹不動寺、麓には一言主神社がある。
猶見たし花に明行神の顔(一言主神社)松尾芭蕉
葛城やあやめもわかぬ五月雨 松瀬青々
葛城の神の鏡の春田かな 松本たかし
葛城の山懐に寝釈迦かな 阿波野青畝
阿波野青畝は、明治32年奈良県高取町生まれ、難聴ながらも往復十八キロを通学した畝傍中学時代に俳句を始め、十八歳の時大和郡山で虚子に対面、二年後の虚子の激励書簡を終生の指針として以来師事。
「ホトトギス」課題句選者を経て昭和4年三十歳で「かつらぎ」創刊主宰。秋櫻子、誓子、素十と並んで4Sと称され、昭和6年、虚子の序文の第一句集『萬両』を上梓。後に「現代俳句の古典」と絶賛された。
長く俳人協会関西支部長として、関西俳壇で重きをなし、昭和48年『甲子園』で蛇笏賞。森田峠に主宰を譲った後の平成4年『西湖』で日本詩歌文学館賞。同12月に九十三歳で逝去。
『國原』『紅葉の賀』、遺句集『宇宙』等計十一句集、俳文集『自然譜』等がある。
葛城山の全容が一望出来る高取中央公園には、青畝の代表句とされる「寝釈迦」の句碑があるが、自身の原風景を具現化したものだろう。「俳句表現の見事さをこれほど円満に具えた句はない」(波郷)、「素晴らしい省略法による幻想性豊か」(村松友次)等々の鑑賞がある。
「言葉」と「省略」を作句の旨とし、四十八歳でカトリックの洗礼後、「俳句の道は何れ神を知ることの出来る道」と悟る。
「生来の抒情に練磨の写生力を加えた独歩の句風」(虚子)、「四Sでは句風的に一番軽く、物足りなさを感じるが、ユーモアはおのずから微笑を誘い、生活感情に即した詠歎と観照は、陰影深く一級品」(山本健吉)。「「四S」の中で本当に新しいのは青畝じゃないのか」(高柳重信)等々の評がある。
虫の灯に読み昂りぬ耳しひ児(生家に句碑あり)
さみだれのあまだればかり浮御堂
案山子翁あち見こち見や芋嵐
水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首
端居して濁世なかなかおもしろや
ルノアルの女に毛糸編ませたし
牡丹百二百三百門一つ
山又山山桜又山桜
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