2012-04-01

林田紀音夫全句集拾読208 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
208



野口 裕



砂浜のたそがれ両の手が空いて

首据わる嬰児山鳩梢に揺れ

昭和五十四年、未発表句。前項の鳳仙花に続く二句だが、無季句、特に砂浜のような句は、前の句と後の句に挟まれると一見連句のように見えてくる。その意味で独立性は薄いが、瞬間を切り取るという俳句の特性は生かされている。

病苦も貧困も社会的な動乱も顕在化しない昭和五十四年の時点で、無季の句を書こうとした場合の一番素直な発想を、砂浜の句は代表している。こうした句を量産すれば紀音夫としての時代表現にはなるだろうが、例えば「秋の淡海かすみ誰にもたよりせず」(森澄男『浮?』昭和四十八年)と比べてどうか。読者ならずとも、紀音夫自身が自覚していたことであろう。

 

眼を閉じて胎内とする虫の闇

昭和五十四年、未発表句。「或闇は蟲の形をして哭けり」(河原枇杷男)からの連想だろう。胎内を持ってくるあたりが思弁的な方向を嫌う紀音夫らしいところで、どこかに甘美さを伴う。

 

莨火が夜の火ひとりの喪にこもる

昭和五十四年、未発表句。八句前に「佛壇に燈の虫の夜深くする」など、有季の佳吟が出てくるが、無季のこちらを取り上げる。

昭和二十年あるいは三十年代なら通じた「ひとりの喪」に対する共感が、この時代ともなると得にくい。たぶんテレビはつけていないのだろうなぐらいの想像力しか、読者の方に働かない。吸えば輝度を増す莨火に、はたして何を託そうとしたのか。

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