【週俳3月の俳句を読む】
思弁にいたる
上田信治
第254号
麦蒔の吾を夕日の中に描け 中谷みのり (「クンツァイト新人6人集」より)
ゴッホの絵をイメージしたと思われる主情的な句です。金色の夕日に溶け込む農夫のように、(日々の営みのうちに?)永遠を生きることへの祈りでしょうか。震災の影響を、ここに見ることも可能でしょう。
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葉牡丹の家に家族の増えにけり 神山朝衣 (同)
「葉牡丹の家」はその家を「外」から見ている言い方で、隣の家かもしれませんが、にしては内情に聡い。ということは、つまり、ご実家でしょう(違ってたらごめんなさい)。コウノトリ、あるいはキャベツから赤ん坊という定番も響いて。
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寒明の夜は華やか靴選む 導月亜希 (同)
「寒明」は華やかでしょうか。作者は、華やかと断じます。寒と明がぶつかって、明が勝つのだから、華やかなのかもしれません。靴も華やかなドレスシューズだとしたら、夜にキラキラと寒さの名残が散って、それが華やかなのかもしれません。
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草餅にならぬ蓬を束にして 岬 光世 (同)
それを「草餅にならぬ蓬」と呼ぶことは、ヨモギから、草餅の蓬という実質(形相、背景、中味、なんでもいいんですが)を抜き取って、手の中の草の束そのものへとヨモギを投げ返してしてしまうことです。〈甘き実の満ちたる熊の眠りかな〉童話的な官能。
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早春や耳に手を当てをんなのこ みわ・さかい(同)
ウラもオモテもなく、可愛い!
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手袋手袋帽子より手袋 岸由美子(同)
このふしぎなことばは、言ってる人には分かってるんだろうけど、聞いてる人には意味が通るような通らないような片言で、人の心のなかでつぶやかれている言葉を、そーっと繊細な手つきでとりだしたように聞こえる。〈芋の芽や同級生の妻がゐて〉は、可笑しい。
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囀を光と聴きしその夜かな 依光正樹
人入れて庭を造れる雲雀かな
映像的な描写がされているわけではないのに、景色が見えたような気がする。「クンツァイト」の集団としての作風は、経験から思弁に至るあたりにあるのかなと思いました。
どんな帽子この子に春を呼びたるは 同
この子はいる、春は来ている。しかし帽子は目の前にない、春を呼んで消えてしまった帽子とは???
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一声もあげずに人や涅槃寺 下坂速穂
寺に入ってきた拝観客が、そのままぞろぞろと入寂していくようで、まじめで静かなようで、おかしな句。
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255号
春の夢かぞえておればダムに出る 松井康子
「ダムに出る」は、素晴らしいフレーズで、春の夢を、しかも数えるという、夢の夢といったメタレベルにいる人が、下五で、いきなり具体につきあたる。このダム、無音の大量の水ととるか、放水の轟音をひびかせているととるかかで、味わいが変わります。
エイプリル・フール二階の窓から飛んでみる 横山尚弘
あぶないです。ていうか、それ自体ウソなわけですよね。俳句がウソなのは当たり前とも言えますが、エイプリルフールの日にウソをつくことは本当レベルの行為ですから、作者は発話によって、ウソをつくという本当を、ウソっこで演じているわけです。くすぐったいおもしろさ。
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256号
立春のサラダボールのしづくかな 涼野海音
サラダボールの雫は、たぶん、作った人が、手を拭くこともそこそこに、ボールを食卓にはこんだから。家庭の朝の食卓の風景ととりたい。サラダの葉野菜をあつかうこつは、てってい的に洗った水を切ることだそうです。葉野菜はそれじたい水ですからね。文字通りみずみずしい一句。
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第254号 2012年3月4日
クンツァイト丸ごとプロデュース号
■依光正樹 独 行 10句 ≫読む
■下坂速穂 樹 間 10句 ≫読む
■クンツァイト新人6人集
中谷みのり 光彩 5句 ≫読む
神山朝衣 指の光 5句 ≫読む
岬光世 日月 5句 ≫読む
導月亜希 未然 5句 ≫読む
みわ・さかい エンゲージリング 5句 ≫読む
岸由美子 変身 5句 ≫読む
第255号 2012年3月11日
■松井康子 春 よ 10句 ≫読む
■横山尚弘 少年時代 10句 ≫読む
第256号 2012年3月18日
■涼野海音 春キャベツ 10句 ≫読む
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