【週俳3月の俳句を読む】
幕間について
瀬戸正洋
BARの名は「幕間」の英語標記、数ヶ月ぶりにふらっと入ったら見ず知らずの男がカウンターの中で微笑んだ。「居抜きで買いました」と言った。店内の雰囲気が微妙に違う。この街にこのBARがあるということに僕は安堵感を覚えていた。数十年近く通った。年に一回のこともあったし毎日通ったこともあった。「常連」というのは非常に難しい。微妙なバランスというものがある。マスターは僕らに何も押し付けてこなかったし飄々としていた。スコッチウヰスキーの水割。とても美味しかったので、この水はどこのものかと尋ねると「水道の水を数日間冷蔵庫で寝かしたものだ」と言った。水割は濃かったり薄かったり。薄くて不味いと感じたことはなかった。その日の客の状態を見る勘は確かだったのだろう。ご婦人を連れて入ると決まって濃くする。マスターを見ると笑っていた。カウンターには備前の一輪挿。どこからか盗んできたのか季節の花が投げ込んであった。
恋もせず菜飯を混ぜてゐたりけり 涼野海音
こんなことをしていてもいいのかという焦りの気持ちが感じられる。こんなこととは菜飯を混ぜること。作者は恋と菜飯を混ぜることが違うことだと勘違いしている。恋の方が素敵なことだと思っている。だが、作者も何れは知ることになるのだ。もしかしたら、菜飯を混ぜることの方が大切だったということを。全てのことは同じなのである。人生につまらぬもの無意味なものは何ひとつないのだ。
春の夢かぞえておればダムに出る 松井康子
夢を数えながら山道を歩いていたらダムに出てしまった。どんな夢なのか想像することが僕らの役割。夢といっても春の夢だ。数えるほど夢のある人は幸福なのか不幸なのか。だが、周りが開けたと思ったら「ダム」に出てしまったのだ。湖上には水没した村の怨念が漂っている。作者は、すこし屈折しているのかも知れない。
小さな手は小さな土筆を誇りけり 横山尚弘
小さな手には小さな土筆、大きな手には大きな土筆。少年には少年用のシャツ、青年には青年用のシャツ。少年と青年に同じように少年用のシャツを渡しても、青年はそのシャツを着ることが出来ない。平等ではないのだ。「誇り」という言葉は肯定なのか、それとも否定なのか。もちろん全ての言葉には両方の意味を持つ。俳句とは他者への伝達、つまり、コミュニケーションではない。対話なのである。それも自分自身に対する。
どんな帽子この子に春を呼びたるは 依光正樹
遊んでいる子供を眺めながら、この子にはどんな帽子が似合うのかと考える。この幸福な感情は帽子が決まった瞬間に消え失せてしまうものなのだ。待ち遠しく思っている時間は長い。だが、待ち望んだその時が来ると一瞬にして過ぎ去ってしまう。時計は時を正確に刻んでいるなどと騙されてはいけないのだ。
春の猫身にある愁舐めつくし 下坂速穂
春のひと日、猫が身繕いをしている姿を眺めている。猫ならば愁を舐めつくすことができるのだと思う。愁は愁として静かに抱きしめ、たっぷりと味わうことが人として正しく生きる方法なのかも知れない。
落葉掃皆既月食前の月 中谷みのり
落葉を掃いている。今日の月はいつもの月ではない特別な月なのだ。作者はうすうすと感付いている。自分は月の意志に操られ掃き清めているのだと。今頃、他の人々も自分の意思とは関係なく何かに操られて何かをしているのだろうと。
秋の夜の子の歯を磨く手が替はり 神山朝衣
左の歯を磨く時は右手に持ち、右の歯を磨く時は左手に持つ。子に対する親の眼差し幸福なひとときでもある。だが、幸福ゆえの未来に対する不安も感じ取ることができる。
早春の笹をさはさはさせたる手 導月亜希
笹で手がきれてしまいそうな早春のひと日。「さはさは」させたのは作者の意思。清流のせせらぎも聞こえる。もう少し踏み込めば鮮血も。
草餅にならぬ蓬を束にして 岬光世
蓬を束にする。そんなことを繰り返していたら草餅が食べたくなった。だが、この蓬は草餅を拵えるためのものではない。この差は、人生を象徴しているのだ。作者は悩んでいるのかも知れない。
残業の夫よその手にひなあられ みわ・さかい
ご主人もやさしければ作者もやさしい。強さよりもやさしさ、激しさよりもやさしさなのだ。僕は自分が何を話したかすっかり忘れてしまっていることが多々ある。誰からも言われるのだから本当なのだろう。つまり、軽いのである。真剣に生きてはいないのだ。だが、老妻よ、そんな時こそ僕を非難するよりも僕の手にひなあられをこぼして欲しいのだ。
手袋手袋帽子より手袋 岸由美子
作者は手に関心がある。手に固執している。だから何が何でも帽子より手袋なのである。作者は手を使う仕事をする人なのかも知れない。
僕はマスターの名前を知らない。一度や二度聞いたかもしれないが忘れてしまった。失ってはじめて気付く。そんなことの繰り返しだ。僕らは家庭では良き父、良き夫を演じ、会社では真面目なサラリーマンを演じている。善意を隠し悪意を隠し、決して本心は明かさない。生きていくことは煩わしいことなのだ。人はみな役者であり観客でもある。だから、人生に幕間は必要なのである。僕らが疲れた心を休めたり何か大切なことを考えたり俳句を作るための場所と時間は確かに必要なのである。
第254号 2012年3月4日
クンツァイト丸ごとプロデュース号
■依光正樹 独 行 10句 ≫読む
■下坂速穂 樹 間 10句 ≫読む
■クンツァイト新人6人集
中谷みのり 光彩 5句 ≫読む
神山朝衣 指の光 5句 ≫読む
岬光世 日月 5句 ≫読む
導月亜希 未然 5句 ≫読む
みわ・さかい エンゲージリング 5句 ≫読む
岸由美子 変身 5句 ≫読む
第255号 2012年3月11日
■松井康子 春 よ 10句 ≫読む
■横山尚弘 少年時代 10句 ≫読む
第256号 2012年3月18日
■涼野海音 春キャベツ 10句 ≫読む
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2012-04-15
【週俳3月の俳句を読む】 幕間について 瀬戸正洋
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