【週俳3月の俳句を読む】
二つの想像力
月野ぽぽな
子を産んで子を預けたる野火のころ 依光正樹
出産後その子を人に預ける。ここには自分の手では育てられない事情があるのだろう。一時的に預けるだけかもしれないが、もしかしたらもう二度とその子と会わない覚悟なのかもしれない。吾が子を手放さねばならぬ心境とは如何なるものであろうか。下五の「野火のころ」の「野火」が、上五中七の、この心情、ひいては人の性(さが)や定めというものを照らし出して印象的だ。時は早春。これから次第に深まりゆく春の季節感が自分と離れて育つその子の成長への願いと重なり、更に「子を〜子を〜」のリフレインにも見られる韻律の良さも手伝って一層奥深い情緒を一句に与えている。
木を守る人に木の添ふ彼岸かな 下坂速穂
「木の添ふ」から、木を植え悪天候や害虫から守りながら育てる人に応えるようにすくすく育ってゆく木の様子が見える。「彼岸」と出会うことで、この木とこの人という今ここだけの営みでなく、人というものと木というものが存在するとてつもなく長い時間を一句が包み込んだ。
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〔クンツァイト新人6人集から一人一句〕
麦蒔の吾を夕日の中に描け 中谷みのり
内容と命令形の力強さがミレーの絵を思わせる。生業への矜持。
秋の夜の子の歯を磨く手が替はり 神山朝衣
ふとした仕草に見る命の愛おしさ。
星のとれし木の傍らのチューリップ 導月亜希
想像力の翼。チューリップのカップに溜まる星。
烏瓜まひるの中に夜を籠めて 岬 光世
烏瓜感を捉えた感覚の冴え。
箸置きの木にも年輪春炬燵 みわ・さかい
日常に凝らす観察の目。
缶からにいつものめんこ野蒜踏む 岸由美子
童心を呼び起こす俳句の力。
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春昼のとなりに深い耳の穴 松井康子
春の昼、隣にいた人の耳の穴がふと見えた。それも奥深さが見える程だから相当近い距離。もしかすると恋の営みの後、横たわり並んでいるのかもしれない。それとも「春昼のとなり」の措辞が生み出す一種独特な世界に身を委ねて、うさぎの穴に落ちたアリスさながらに、春昼という大いなるものの隣にあるその耳の穴の中に入り込み、ふさふさくねくねじめじめ彷徨ってみるのも面白いかもしれない。実景に着地させる想像力と虚の景を紡ぐ想像力。掲句はどちらの想像力も刺激する鋭さと、どちらも許してくれる柔軟さを持っていそうだ。読み手はそれぞれ違った景を味わえるだろう。そんなことを言っているうちに、この一句全体が春昼という不思議な時空の喩のように思えて来た。
春愁やサッカーボールに白と黒 横山尚弘
一見、春愁とは関係なさそうなサッカーボール。まずその出会いに軽い驚きを感じるが、もう一読すると、「サッカーボールに白と黒」があることを見ている仕草、たとえば手にとってボール上の白と黒の五角形をひとつひとつ辿っているその人の姿が浮かび、物思いの姿と自然に重なってくる。もう少し深読みをすればボールには「白黒」があるけれど人生の万事は「白黒」というわけにはいかないな、などとその人は思っているかもしれない、とも。そう、春の物憂さはこんなところにも潜んでいるのだ。
立春のサラダボールのしづくかな 涼野海音
立春のころの瑞々しさを伝える一シーンをうまく掴み取っている。洗い立ての野菜がサラダボウルの中に。ボウルには野菜の水滴が付いて。ボウルは硝子がいい。そのボウルは早春の陽を浴びて光る。眩しい。
第254号 2012年3月4日
クンツァイト丸ごとプロデュース号
■依光正樹 独 行 10句 ≫読む
■下坂速穂 樹 間 10句 ≫読む
■クンツァイト新人6人集
中谷みのり 光彩 5句 ≫読む
神山朝衣 指の光 5句 ≫読む
岬光世 日月 5句 ≫読む
導月亜希 未然 5句 ≫読む
みわ・さかい エンゲージリング 5句 ≫読む
岸由美子 変身 5句 ≫読む
第255号 2012年3月11日
■松井康子 春 よ 10句 ≫読む
■横山尚弘 少年時代 10句 ≫読む
第256号 2012年3月18日
■涼野海音 春キャベツ 10句 ≫読む
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