2012-04-08

成分表50 悪

成分表50


上田信治


「里」2010年3月号より転載


「悪」について考えてみた。

よく「この世に人間ほど怖いものはない」と言う。

しかし、どれほど怖いといって、予想可能な「人間らしさ」の範囲の内に大多数の人が収まっていることで、世の暮しは成り立っているわけで、いわゆるアウトローの人にしても、ヤクザ同士、最低限、予想可能な存在として安心しあっているから、ヤクザの中で暮らしていけるのだろう。

犯罪や暴力は、おおむね「人には都合がある」という話だ。

誰かにとって都合のよいことが、他の誰かに都合が悪い場合、人はずいぶんひどいことをする。ものごとを深刻に取りすぎる人には、気をつけたいものだが、しかしそれは、立場が替われば誰でもするような、むしろ「人間らしい」とさえ言える行為で、「悪」だの「怖い」だの言うようなことではない気がする。

では、人は、いつ「人間らしさ」を越えてしまうのか。

まず一つ、人には「他のグループのメンバーを、同じ人間だと思えない」という性質があって、同じ人間と思えない相手には「人間らしさ」の範囲を越えて、ひどいことをする。ある種の猿は、他グループのオスや子どもを殺して、自分の子孫を残そうとするらしい。ヒトも、きっと、そういう種類の猿なのだろう。

もう一つ、どうも人には「頭の回路が焼き付く」ということがある。

人格とは、記憶の集積であり、思考や行動の習慣の束のことだと思うのだが、なにがあってか、ある極端な記憶や思考が、頭に焼き付き、その思考の「ひっつれ」によって、イレギュラーな人格が出来上がることがある。

いいことが焼き付けば、規格外れに生産的な人や、聖人が生まれるのだろうし、困った何かが焼き付くと、自他双方にとって不幸であり災厄であるような人間性が生まれる。

人間のいわゆる「悪」はこの二つ、「他集団の成員を人間と思えない性質」と「頭の回路が焼き付く不幸」以外には、存在しないのではないか。

という話を人にしたら、性善説だと言われたのだけれど、そうだろうか。

あと、虚子が人を急に嫌いになるあれは、病気だと思う。

 夏帽や我を憎む人憎まぬ人    原石鼎
 世は地獄よし原すゞめほとゝぎす
 

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