なぜ句集なのか
現代俳句協会青年部勉強会「シンポシオンⅤ 句集のゆくえ」の後で
関悦史
去る三月二十日に現代俳句協会青年部勉強会「シンポシオンⅤ 句集のゆくえ」が開かれ、山田耕司、中本真人両氏とともに私もパネリストとして出席した。三人とも最近句集を刊行していることから声がかかったものである。会そのものについては、来場していた西原天気氏による要を得たレポートがある。
そのレポートにもあるとおり、私は「ひとりでも奨めてくれる人、自分の句集が読みたいという人がいれば、出すべき」という主旨の発言をした。これについて少し補足すると、一人(または数人程度)であればテキストファイルかプリントをじかに渡せばそれで済むという話になりかねないが、ここで言っているのはやや別のことである。
今回の勉強会がそもそも、句集を出したい人が、既に出した人から、どのように出し、どうなったかを聞いてみるというところから出発したらしいのだが、本として刊行することには本人の意欲や経済力もさることながら、他者との関係の比重が想像以上に大きいのではないかというのが、実際に出すに至ってしまった者の一人としての感想である。
当日話したとおり、私は資金難から句集出版は無縁の話と単純に割り切って済ませていたのだが、周りの人々からの支援に乗せられる形で出すことになった。私の場合は震災後に支援の動きが出てきた中でのことだったので、特殊に過ぎてあまり参考にならないのかもしれないが、最近の例では、ほかに糸大八氏の句集『白桃』も、句集刊行委員会というのを作って事前に基金を集め、基本的には出資者に対してのみ配本されるという形で刊行されている。
つまり制作資金のハードルが高いことは確かだし、自分で用立てられればそれにこしたことはないのだが、そればかりでことが決するわけではない。その人の作品をまとめて読みたい、あるいは本人が存命のうちに句集を出させたい、本人没後の場合は遺句集だけでも刊行してやりたいといった願望が周囲にあれば資金の問題はクリアーできてしまう場合がある。その作者の価値を知り、あるいは決めるのは作者当人ではなく他人なのだ。この「他人」を「社会」と呼んでも「世界」と呼んでも構わないが、いわば、個人の自意識や承認欲求の有無などとは無関係に、世界の側からそういう流れが押し寄せてきた場合は「世界の側を支援せよ」というのが発言の主意だった。
私にしても句集を出させたいと思い、必要ならば基金も出すと言っているのになかなか出さないという相手はいる。
出せるにもかかわらず出さない人の意見も聞いてみたかったという話も、当日出た。
では、もし私が充分な制作資金を初めから持っていた場合、すぐに出しただろうかと考えると、おそらく出さなかったはずなのだ(周りからの圧力がなければ、「句集を持つ」ことよりは暮らしを優先しただろう)。西原氏のレポートにも「遺句集ではだめなのか」「句集のない俳人だって、いいじゃないですか」といった問題提起があった。しかしその西原氏にしても句集は出しており、その動機として挙げられるのが、「大きな部分ではないかもしれない」がと断わりつつも、「死んだとき、誰かが出してくれそうな気がしないし、出してくれたらくれたらで、その人に迷惑がかかる。死んでまで迷惑はかけたくない」ということで、ここでも結局は他者への配慮・協働が一定程度起こっていることがわかる。
「出せる」というより「出すべき」なのに出さない、それもひとつの我の強さなのではないか。そこを正し、流動させるためのサインが、信頼しうる他者からの「出せ」という声なのだ。その声の背後にはまだ出会っていない複数の読者がおそらくいる。
ほとんど倫理的な問題に見えてくるが、ここにじつは、「本」のなかでも「句集」というものが持つ特異性・特徴が見られる気がする。
ベストセラー小説などとは違って商品価値はほとんどないにも関わらず、なぜ句集は本としてある必要があるのか。
それは俳句がそもそも商品経済とは別の次元の、生死をすら跨いだ交流の場としてあり(俳句を始めてから急速に思いもかけない範囲と規模で交流が広がり、呆気にとられたことのある人は少なくないはずだ)、それが実社会との折り合いをつけようとするとき「句集」という「本」の形をとって現われざるを得なかったということであり、売れた結果として読者と繋がるという回路よりも、そもそも刊行に際して他者の欲望が必要とされるという形へと重点がシフトしてきたというのが、「句集」にとっての現在なのではないか。
勉強会とは別な角度から、句集というメディアについて考えさせられたのが何人かの俳人の訃報だった。
八田木枯氏が亡くなり『鏡騒』が最後の句集として残された。
喜田進次氏という未知の物故俳人の遺句集が『進次』としてまとめられた。
その少し前、私が序文を書かせていただいた第一句集『春の距離』が出て間もない中村光三郎氏が六十代の若さ急逝された。
八田木枯氏には『鏡騒』評の拙稿を見ていただけたらしいのだが、お目にかかる機会はないままとなってしまった。
喜田進次氏は生前全く縁がなかったが、編集に当たった人が知人であったため、送ってもらえた。
中村光三郎氏は「らん」の同人で、雑誌で毎号その作品は見てきていたのだが、そこから一句単位で紹介しようとするとあまり引っかかっては来ず、第一句集『春の距離』で初めてその真価と全貌が明らかになった。一定量以上をまとめて読まないことにはその営為がわからないタイプの俳人というのは確かにいる。世界観や構成原理そのものが特異である俳人は大概そうだ。
他にもう一人、入手困難のため未読のまま気になっている故人の句集がある。
大森知子『春の虹』である。
大森氏は「小熊座」同人で、東日本大震災の津波で落命された。震災と鎮魂という見地から考えても、被災者の句を読み、できれば受け取ったと知らせることは、震災詠を発表することよりも、ピンポイントに見えようとも、ひとつの確かな道筋ではないかという気がする。
いずれのケースでも、「句集」が残されて本当によかったと思う。散逸しやすい結社誌や同人誌に残されていただけではその作品世界はほとんど窺知できなかった。これらは「句集」が他者や世界と関わり、その力場の中で生成し、意味を持つということの例でもある。句集を編む際には、それを届け、読ませたい誰彼の名が、数百人以内の規模で現われる。現在、俳句が「座の文学」であるということの潜在力は、句会よりもむしろ(遺)句集編纂という局面でその真価を発揮するともいえるだろう。
「句集のゆくえ」と題されながら未来の話にあまり広げられなかった会ではあったのだが、これは句集に限らず、出版全体が電子書籍へ向けての大きな変化の渦中にあるらしく、さして遠くない未来に紙を束ねた冊子型の本がLPレコード並みに生産されなくなっている可能性まである以上、ブレの幅が大きすぎるというのが最大の要因だろう。
そうした中での句集のゆくえを必死に模索しているのは実作者よりもむしろ出版社だろうが、今回はそちらからの出席はあまりなかった。
仮に電子書籍が一般化し、誰でも低予算で「句集」が作れ、それが現在の紙の出版物たる句集と同等に公的なものとして扱われるようになったとする。
その場合どういう変化が起こるのか。
「鬣」第五十二号(二〇一二年二月)に外山一機氏が「プロデュースの時代」という時評を書いており、そこでは、「外向的のようでありながらその実内向的であるような奇妙なループ」の中に置かれたものという若手俳人像が提示されている。
「奇妙なループ」とは、インターネットでの発信が容易になってしまったことで、却って「無名の書き手」としての埋没を免れるためにウェブマガジンを創設したり、賞レースに参加したりといった形でセルフ・プロデュースに務めなければならず、しかもそのネット上での活動はしばしば不特定多数よりは特定のコミュニティ内の誰かに向けて発されてしまうという事態をさす。
ウェブマガジンについては「読む」ことが中心になっているところが多いので、セルフ・プロデュースが主目的かどうかは明確でないが、「句集」出版の資金面のハードルが下がったとき、その「奇妙なループ」がますます細分化され、強化されていくことになる可能性はある。
だがそれは、なまじ資金面の困難がないために承認欲求を満たすことを主目的として出されてしまった多くの紙の句集が現在既にひっそりと直面している問題(つまり出しただけではステイタスにもならず、読まれもしない)が別の形をとって顕在化してくるだけのことかもしれないのだ。
「句集」というのは多くの偶発性をはらむ時空の中での他者との出会いの結節点であり、メディアの進化によって発信が容易になろうが、制作資金の問題が解消されようが、それだけでは不十分だし、資金はじつは中心的な問題ではない。経済格差が句集の有無に繋がってしまう事態が望ましくないのは確かだが、他者からの要請があれば、状況に応じ、さまざまに形を変えて乗り越えることはできる。
「句集」は生死をまたいだ行き逢いの場たりうる(それは例えば「優れた作品だから後世の読者も手に取る」といった出世欲・承認欲求と直結するような単純な回路であっても構わない)。だが、電子書籍句集一般化の先には、そうしたその句集がはらむ他者との関係の質と量が全てがむき出しにされ、審問を受ける場が開けている可能性もあるのだ。
日本の近代化に巻き込まれるようにして一般化していった個人句集という出版形態が、いわゆる近代的自我とも、商業的価値とも、出す側の経済的余力とも無関係になった後になおかつ作られるとしたら、そこで改めて露呈するのは、いつ、何が・誰(たち)が、それを一冊にまとめ赤の他人に読ませたいと意思したのかが、如実に句集の質と方向を規定してしまうという事態である。
そうしてできた句集から事後的に立ち上がる「作者」は、さしあたり、この世での浮沈とは無縁な時空に像を結ぶことになる。
人に句集出版を欲望させる根源には、案外この極楽性への憧れが潜んでいるのかもしれない。
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