〔句集を読む〕
おだやかな、のびやかな。
宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』を読む
久留島元
宮本佳世乃さんから句集『鳥飛ぶ仕組み』を送っていただいた。
一読、のびやかで気持ちのいい句集だな、と思った。
と、思ってから、はや数週間。
はやくお礼出さないとな、メールは失礼だし葉書でいいかな、とか思いながら、せっかくだから丁寧に読んでからにしよう、明日読み直して明後日お礼書く、明日になったら、なんて愚図愚図しているうちに、もういっそ返信書くより「週刊俳句」にきちんと感想書かせて貰ったらいいんじゃないかな、と考えついた。ウェブで全世界に公開された「週俳」誌面を私的に利用しようという試み。でも「週俳」なら許してくれます、たぶん。
念のため申し添えますが、返信出すのが遅れたのは全く私の怠慢のせいであり、句集に何の罪もないことは言うまでもありません。
罪がないどころか、句集から受ける印象は、むしろ無邪気、罪がない。
けふもまた町はおだやか遠泳す
春泥に入る六人のいとこたち
はつなつの麒麟は空を授かりぬ
誕生日カリフラワーの茹で上がる
句の景色はいつも「おだやか」で平和。旧かな・ひらがな表記で詠われる世界は、作者にとって、やわらかで親しげなものとして存在している。
遠花火家族のなかの私かな
並んで花火を眺めながら、ふと「家族」のなかの「私」という個に気づく。でもそれは違和感とか、まして拒否感などに結実していくことがない。
「週刊俳句」界隈で名前を見かける機会があるせいでしょうか、どこかしら記憶している句がいくつかあり、ああ宮本さんの句だったのか、となんだか再発見の心地。
すでに記憶に残る句がいくつもあるというのは、作者と俳句定型との相性のよろしさを物語っていると言えます。
若葉風らららバランス飲料水
おとうとの七夕笹の行つたきり
桜餅ひとりにひとつづつ心臓
他にも好きな句をあげていきましょう。
ざりざりと梨のどこかを渡りゆく
「どこか」よくわからないけど、きっと「ざりざり」渡っていけるだろうな。
洗濯を終へて秋めくおばあさん
おばあさんが「秋めく」ってよくわからないけど、きっとすがすがしい。
釣堀のざりがに夜をつくる人
「夜をつくる」ってよくわからないけど、夜中ざりがにを狙うような人はそんな感じ。
野分晴漢字をひとつ拾ひけり
よくわからないけれど、野分のあとなら「漢字」くらい落ちてます。
ふくろふや空がひらいてきて落ちる
空がひらいたら本当は大変ですが、まあ「ふくろふ」が落ちるくらいならいいでしょう。
鍵さして抜いて涼しくなる準備
この句、ドアを開くのか、閉めるのか。
私は前者でとりました。ドアを開いて「涼しくなる準備」、理屈をつければつきそうですが、むしろ気分のうえで季節感へつながったと見たほうがよさそうです。
不思議な句ばかりですが、理屈で考えると、実は何でもないことなのかもしれません。
たとえば、「秋」の衣替えを終えたおばあさんとか。「漢字」の書いたキーホルダーを拾ったとか。「鍵」を開けて冷房利いた部屋に入ったとか。
ただ、句から日常へ、還元してしまうと、きっと全くおもしろくない。
あくせくした日常の輪郭を曖昧に、ぼかしていくことで、ありえない、やわらかく謎めいた、言うなれば佳世乃浄土とでもいうべき平和な別天地が広がっていく。
もっとも時折、無理して楽しげに振る舞っているだけでは、と思わせる句も混じってます。
十六夜やもしもロボットなら笑ふ
土曜日が終はらぬやうに踊りけり
花の昼けふ天皇となつてしまふ
それでもその無理(?)の部分に力むようなところがまったくなくて、句集のトーンは一貫して、おだやか。
もし、この句集に追加注文することが許されるなら、それは「極楽の凡てに飽いてしまった」人が「地獄」見たさで言うような、そんな作者の多様性、かも知れないな、などと。
参考.菊池寛『極楽』
青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card2695.html
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