2013-03-03

【週俳2月の俳句を読む】何處ゆく風 堀本裕樹

【週俳2月の俳句を読む】
何處ゆく風

堀本裕樹



誰よりも大きな石の冷たかり  宮本佳世乃

「誰よりも」の措辞から考えられる解釈の多義性に面白さを感じた。たとえば、人間の誰よりも「大きな石」のほうが冷たいという解釈。「大きな石」を慈しむような心持ちが感じられて、この解釈が妥当かもしれない。もう一つは、「大きな石」の擬人化であるとする解釈。「他の石よりも=誰よりも」という擬人化である。神道的に考えれば、「大きな石」には神性が発生するので人間の崇める対象として、道に転がっている石よりも強い存在感がある。熊野の神倉神社の大岩などを思い浮かべるとよい。よって、「誰よりも」の擬人化が活きてくるのである。他にも読み手によって異なった解釈があると思うが、俳句の多義性を興趣として感じられる一句であった。「大きな石」の古代的な肌合いに惹かれる。


ひたすらにも飽き何處ゆく風二月
  中原道夫

一句目に「におの海蘆荻に水も溫むころ」があることからも、一連の十二句に早春の琵琶湖の景が浮かんできた。掲句の「風」には、余寒の冷たい風を想像できるが、眼目は「何處ゆく風」の措辞であろう。成句の「何所吹く風」をもじって、「何處ゆく風」と表現することで、何ものにも捕らわれず知らぬふりをする風の「顔」が見えてくるのである。ひたすら吹いていることに飽きた風なのだろう。「何處ゆく風」には、風のように飄々として湖畔をそぞろ歩く作者自身の「顔」も重ねられているようで、同時に二月の寂寥も感じられた。また、「立錐の餘地春雨の傘立に」の句にも、成句の「立錐の余地もない」をもじった「立錐の餘地」の措辞が使われている。そのもじりにより、「春雨の傘立」に機知と俳味が生まれた。


兄弟の間を通る春の蠅  岩田由美

「春の蠅」の句が四句あったが、掲句と「手の甲に止まりし春の蠅を見す」が面白かった。まず掲句の光景、絵画的に構図といってもいいが、そこに惹かれる。兄と弟の間をつうと飛んでゆく春の蠅。そこに生まれる「間合い」に、兄弟の蠅を追う二つの視線が加わることによって、そこはかとない滑稽味が感じられるのである。蠅の小さな羽音もおそらくこの兄弟は同時に聴き取っているのだろう。どこか張り詰めた空気もある。蠅がどこに行くのか、お互い目で追っている。しかし、蠅の行きつく先は一句のなかでは省略されている。壁に止まったのか、それとも見失ったか。掲句の後に、「手の甲に止まりし春の蠅を見す」の一句があるが、今度は蠅を皮膚感覚を通して読み手にも見せている。随分人なつっこい蠅である。「ほら、ここ見て」、そんな作者のちょっと自慢げな(妙な自慢だが)様子も見えてくる。この句も蠅を汚い生き物としてではなく、春の生命力として開放的に捉えているところに共感した。



第302号 2013年2月3日
竹岡一郎 神人合一論 10句 ≫読む
宮本佳世乃 咲きながら 10句 ≫読む
第303号 2013年2月10日
照屋眞理子 雪の弾 10句 ≫読む
第304号 2013年2月17日
皆川 燈 千年のち 10句 ≫読む
第305号 2013年2月24日 
中原道夫 西下 12句 ≫読む 
岩田由美 中ジョッキ 10句 ≫読む

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