2013-03-03

【週俳2月の俳句を読む】存在のせめぎ合い 小野裕三

【週俳2月の俳句を読む】
存在のせめぎ合い
 

小野裕三


憂国の少女かならず雪に溺れ  竹岡一郎

憂国と言えばだいたい男かと思ったら、ここでは少女。男と女では憂国の内実も違うのか、そのあたりは不明だが、愛国ではなく憂国、というあたりもちょっと気になる。なんとなく悲壮な雰囲気も漂う。その憂国少女が、百%の確率で、雪に溺れるのだと言う。本当に例外なく溺れるのだろうか。そして例外がないということは、どうやら憂国少女は複数人存在するのか。いろいろ考えだすと、なにやらサスペンスめいてくる。いわゆる俳句的情緒はどこへやら、しかしこんな具合に、概念の独創性を上手に弄ぶような句も、これはこれで面白い。


かうかうと氷に空がある拝む  宮本佳世乃

氷、そして空。勿論、気持ちいい組み合わせではあるが、特段に新しい組み合わせでもない。氷の白い色、そして空の青い色。その間に充ちる冷たい空気。そんな情景に、その場に居合わせた者は一様に清新な気持ちになるだろう。そして言葉もなく、みんなでその場に立ちつくす――と、その人たちの中から突然一人だけ、その景色を拝み始めた者がいる。少し唖然としながらも、あ、そうか、こういう場合は拝んでもいいんだ、とそんなことに周りの人たちは納得し、少しだけ表情を緩める。そこには、人と自然との間を繋ぐ感情の何かがすっと解けたような気分が漂う。そんな瞬間を体現する句だ。


初夢やゆゑなく泣いて覚めにけり  照屋眞理子

どんな夢を見たのか、内容は覚えていないのにその夢の感触だけは妙に生々しく残っていることがある。この夢もそんな感じなのだろうか。何の夢を見たとも説明していないのは、読者にそれを説明しないというより、作者自身も覚えていないのかも知れない。なんだか理由もなく泣いたという、その事実だけが作者の体感の中に生々しく残っている。だからその夢の内容を知らないという意味では、立っているスタートラインは読者も作者も同じになる。つまり、読者もまるで同じ夢から覚めたばかりのような場所に立たされる。かくして読者は、作者が見た奇妙な夢が残した感覚だけの場所にまんまと引きずり込まれてしまう。


日本水仙ささやくときは首くいと  皆川 燈

ささやくのは水仙なのか。そう思いたい。水仙ならば、確かに囁くかも知れない。いやいや、ね、ワタクシは実は知ってるんですよ……(ひそひそひそ)。水仙は囁くように、自分が知る秘密を話そうとする。その時に、首がくいっと、つまり花が茎のところからくいっと、曲がる。なんとも不穏だ。そんな話に耳を傾けるべきではあるまい。しかし、水仙が首をくいっと曲げたのは、いかにも誘惑的でもある。結局のところ、作者はいそいそと自分の耳を水仙へと差し出す。そこで水仙がいったいどんな秘密を囁いたのか、そんなことはこの句では重要ではない。秘密を囁く時に水仙が首をくいっと曲げた、そのこと自体がもっとも大きなドラマなのだ。


分乘に見る春雨の右左  中原道夫

いや、ま、そりゃそうだよね、と言いたくなるような俳句がある。分かれて車などに乗れば、当然のように違う窓を見る。当然のように景色が違う。当然のように雨も右左で違う。ま、そりゃそうなのである。だが、それを只事と切り捨てるには、何か不思議なものが心に引っかかる。そりゃそうだよね、という当たり前のことに今更ながらはっと気づいた感覚。その作者が感じただろう一瞬を、読者も俳句を読んだ時に一瞬で共有させられる。そこに、なぜか不思議に神経が研ぎ澄まされるような感覚がある。その対象が只事のように見えれば見えるほど、この神経の冴えは増幅される。こういうものをもたらす何かが、ある種の俳句にはある。俳句という文芸の遺伝子が密かに、しかし脈々と持ち続ける、狂気にも似たこの何かは、きっとこの作者だからこそ理解しているものだろう。


奥の間へ低く飛びゆき春の蠅  岩田由美

蠅が、部屋から部屋へと飛んでいく。そのこと自体はなんということのない情景だが、「奥」と「低く」の組み合わせが上手い。外の人も行き来するような空間から、その家の家族しかなかなか行くことのないような空間へと移動していく蠅。特別に家族の秘密のようなものがあるわけでもないだろうが、それでもそれはどこか内奥の空間だ。そのような、その家に住む人々の感情の襞のようなところに向かって、蠅が飛んでいく。蠅はそのことを知っているのか知らないのか、人目を避けるでもなく畳や机とすれ違うように低く飛ぶ。土足で踏み込む、という表現が俗にあるけれども、そんな感じにちょっとだけ似ている。そこでは、人間と蠅との、微妙な存在のせめぎ合いのようなものがある。


第302号 2013年2月3日
竹岡一郎 神人合一論 10句 ≫読む
宮本佳世乃 咲きながら 10句 ≫読む
第303号 2013年2月10日
照屋眞理子 雪の弾 10句 ≫読む
第304号 2013年2月17日
皆川 燈 千年のち 10句 ≫読む
第305号 2013年2月24日 
中原道夫 西下 12句 ≫読む 
岩田由美 中ジョッキ 10句 ≫読む

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