あとがきの冒険 第10回
あったこと・ないくせに・なんとかなる
竹井紫乙『白百合亭日常』のあとがき
柳本々々
あったこと・ないくせに・なんとかなる
竹井紫乙『白百合亭日常』のあとがき
柳本々々
今回はとつぜん竹井紫乙さんの句集『白百合亭日常』の「あとがき」を引用することからはじめてみよう。
つまり、こういうことだ。すべての川柳は、「あったこと」をはらまざるを得ない。どれだけ「あったこと」を隠し、抑圧し、消却しようとしても「あったこと」はさまざまなかたちをとって〈川柳〉の形式のなかにかえってくるのだ。
「あったこと」は消えない。この決定的な不可逆観は句集のなかにもあらわれている。たとえばこんな句。
美しい鍵だ使えば戻れない 竹井紫乙
この句集において「鍵」の〈鍵性〉は〈なにかを開ける〉ということにあるのではない。〈開くか・どうか〉それは大した問題ではない。むしろ〈開けた〉あとに、それが「あったこと」として「戻れない」ことが決定的な問題なのだ。ひとは「美しい鍵」を「使えば戻れない」。なぜ、戻れないのか。「あったこと」になってしまうからだ。
だからこの句集は、覚悟を要請してくる。
ついてきたおちるかくごもないくせに 竹井紫乙
語り手はこう問いかけている。「ついて」くるのは、いい。しかし「ついて」くることは「あったこと」にすることだ。その「かくご」がありますか、と。わたしは、どうだろう。わたしは「かくご」もないのに「ついて」いくことがあるかもしれない。いや、わたしの話はいい。
「ついて」いくことは〈移動〉することであるように、この句集には〈移動〉する句が満ちあふれている。移動することのひとつひとつの「かくご」を問うかのように。
夕方が突然やって来て帰る 竹井紫乙
火と水を噴いて大阪歩きます 〃
あてのない旅が始まっているベッド 〃
これもやはり「あとがき」に書かれていることだが、紫乙さんは「社交的な人間ではないのであまりあちこちの句会に顔を」出さないが、「川柳・北田辺」への参加をきっかけに〈川柳〉についてもう一度考え直し始めたという。とくに、
わたしはかつてこの句集は〈ゆれている〉ことがコンセプトだと書いたことがある(拙稿「ゆらゆらの王国-あとがきは、ない。-」『白百合亭日常』)。この句集の〈もうひとつ〉の「あとがき」としてこの句集にそう書いたのだ。でも、訂正しないといけないかもしれない。むしろ「かくご」がこの句集を貫いているコンセプトかもしれないから。
しかし、そうではないのだとも、今、あらためてこの句集を読み返してわたしは思う。この句集とともに「ゆれ」ていくことを選び取ったこともわたしのひとつの「かくご」だったように思うから。
水仙が咲いた何とかなるだろう 竹井紫乙
そう。どのような状況であっても、「何とかなるだろう」と《思う》こともひとつの「かくご」にほかならない。この句集が、今、そう、教えてくれている。
(竹井紫乙「あとがき」『白百合亭日常』あざみエージェント、2015年 所収)
川柳は無かった事をあった事にしてしまうことは出来るけれど、あったことを無かったことにするのは難しいのかもしれません。ここには竹井紫乙さんのひとつの決定的な川柳観が打ち出されているように思う。「無かった事をあった事にしてしまう」ことは出来るけれど、「あったことを無かったことにする」ことの不可能性。
つまり、こういうことだ。すべての川柳は、「あったこと」をはらまざるを得ない。どれだけ「あったこと」を隠し、抑圧し、消却しようとしても「あったこと」はさまざまなかたちをとって〈川柳〉の形式のなかにかえってくるのだ。
「あったこと」は消えない。この決定的な不可逆観は句集のなかにもあらわれている。たとえばこんな句。
美しい鍵だ使えば戻れない 竹井紫乙
この句集において「鍵」の〈鍵性〉は〈なにかを開ける〉ということにあるのではない。〈開くか・どうか〉それは大した問題ではない。むしろ〈開けた〉あとに、それが「あったこと」として「戻れない」ことが決定的な問題なのだ。ひとは「美しい鍵」を「使えば戻れない」。なぜ、戻れないのか。「あったこと」になってしまうからだ。
だからこの句集は、覚悟を要請してくる。
ついてきたおちるかくごもないくせに 竹井紫乙
語り手はこう問いかけている。「ついて」くるのは、いい。しかし「ついて」くることは「あったこと」にすることだ。その「かくご」がありますか、と。わたしは、どうだろう。わたしは「かくご」もないのに「ついて」いくことがあるかもしれない。いや、わたしの話はいい。
「ついて」いくことは〈移動〉することであるように、この句集には〈移動〉する句が満ちあふれている。移動することのひとつひとつの「かくご」を問うかのように。
夕方が突然やって来て帰る 竹井紫乙
火と水を噴いて大阪歩きます 〃
あてのない旅が始まっているベッド 〃
これもやはり「あとがき」に書かれていることだが、紫乙さんは「社交的な人間ではないのであまりあちこちの句会に顔を」出さないが、「川柳・北田辺」への参加をきっかけに〈川柳〉についてもう一度考え直し始めたという。とくに、
そこで出会ったきゅういちさんの『ほぼむほん』という句集が、二冊目の句集を作ろうという気持ちが湧いたきっかけなのです。きゅういちさんの川柳は、私の川柳とは思考も書き方も正反対です。そこがとても面白いと思いました。句集っていいな、と素直に感じて、ちょっとやる気が出たというわけです。と書いている。つまり、紫乙さん自身が〈移動〉することによって、川柳・北田辺と、きゅういちさんと出会い、川柳に対してひとつの「かくご」を持ったことからこの句集は生まれた。
わたしはかつてこの句集は〈ゆれている〉ことがコンセプトだと書いたことがある(拙稿「ゆらゆらの王国-あとがきは、ない。-」『白百合亭日常』)。この句集の〈もうひとつ〉の「あとがき」としてこの句集にそう書いたのだ。でも、訂正しないといけないかもしれない。むしろ「かくご」がこの句集を貫いているコンセプトかもしれないから。
しかし、そうではないのだとも、今、あらためてこの句集を読み返してわたしは思う。この句集とともに「ゆれ」ていくことを選び取ったこともわたしのひとつの「かくご」だったように思うから。
水仙が咲いた何とかなるだろう 竹井紫乙
そう。どのような状況であっても、「何とかなるだろう」と《思う》こともひとつの「かくご」にほかならない。この句集が、今、そう、教えてくれている。
(竹井紫乙「あとがき」『白百合亭日常』あざみエージェント、2015年 所収)
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