あとがきの冒険 第17回
会える・ときに・会える
時実新子『新子流川柳入門』のあとがき
柳本々々
会える・ときに・会える
時実新子『新子流川柳入門』のあとがき
柳本々々
以前、時実新子さんの直筆の葉書をみせていただたいことがあるのだが、そこには「人は会えるときには会えるのです」と書かれてあった。
私は家に帰るとすぐに勇気のノートにその言葉を記した。「人は会えるときには会えるのです」
時実さんが繰り返し述べていたことばに「一句一姿」というものがある。
まず、ことばがあって、姿が決まる。これは「人は会えるときには会えるのです」という先ほどのことば自体もそうである。いい言葉だけれど、なにが〈いい〉のか少し注意深く読んでみよう。まず「会える」が反復されている。「会える」という同じことばが二度反復されることで、〈(わたしの)会える〉が〈(あなたの)会える〉につながっていく。
しかも韻の「る」でも構造的につながっていく。「会える」の「る」はもうひとつの「会える」の「る」とつながりあい、ことばの上で共同体を育んでいく。「会える」という言葉自体が「会える」に出会い、つながりあう構造になっているのだ。
「会えるときには会える」は、まず言葉の構造のなかで〈出会え〉ている。だから、わたしたちは、この言葉を言葉として信じられる。
会えるときには会えるという感情的なメッセージ性を支えているのは実はクールな言葉の構造に裏打ちされているのだ。そしてその両方が揃ってはじめて言説の強度が成立する。
ちょっと時実さんの句を引用してみよう。
目の前に水晶玉がある逢える 時実新子
何だ何だと大きな月が昇りくる 〃
菜の花菜の花子供でも産もうかな 〃
女が女を見ているとさみしいね 〃
ここにあるのはメッセージ性を支える言語構造、韻による補強である。繰り返される「る」・「だ」・「な」・「み」。新子句はメッセージ性《だけ》をとらえられがちだが、それよりもまして、そのメッセージ性を支える《韻の技術》がある。
新子さんの川柳にとって《韻》とはなんだろう。それは一貫性としての意志なのではないかとおもう。葉書の文言もそうだが、反復されることにより、そこにはじめて語り手の主体と意志がたちあらわれる。姿、が。
ことばから姿がたちあがるとはそういうことなのではないかと思う。韻というシスマティックな言語技術によりながらも、しかしそこをふりきれてあるメッセージ性の同時成立。
あとがきを引用して終わる。
私は家に帰るとすぐに勇気のノートにその言葉を記した。「人は会えるときには会えるのです」
時実さんが繰り返し述べていたことばに「一句一姿」というものがある。
川柳はもともと一句一姿(いっし)の立姿です。一句で立ち、すべてを語るものなのです。(時実新子「川柳と生きる」『新子流川柳入門』ネスコ、1995年)「句」に「姿」のすべてが出るのだ、という考え方。もっと言えば、〈ことば〉から〈姿〉が立ち上がってくるということ。
まず、ことばがあって、姿が決まる。これは「人は会えるときには会えるのです」という先ほどのことば自体もそうである。いい言葉だけれど、なにが〈いい〉のか少し注意深く読んでみよう。まず「会える」が反復されている。「会える」という同じことばが二度反復されることで、〈(わたしの)会える〉が〈(あなたの)会える〉につながっていく。
しかも韻の「る」でも構造的につながっていく。「会える」の「る」はもうひとつの「会える」の「る」とつながりあい、ことばの上で共同体を育んでいく。「会える」という言葉自体が「会える」に出会い、つながりあう構造になっているのだ。
「会えるときには会える」は、まず言葉の構造のなかで〈出会え〉ている。だから、わたしたちは、この言葉を言葉として信じられる。
会えるときには会えるという感情的なメッセージ性を支えているのは実はクールな言葉の構造に裏打ちされているのだ。そしてその両方が揃ってはじめて言説の強度が成立する。
ちょっと時実さんの句を引用してみよう。
目の前に水晶玉がある逢える 時実新子
何だ何だと大きな月が昇りくる 〃
菜の花菜の花子供でも産もうかな 〃
女が女を見ているとさみしいね 〃
ここにあるのはメッセージ性を支える言語構造、韻による補強である。繰り返される「る」・「だ」・「な」・「み」。新子句はメッセージ性《だけ》をとらえられがちだが、それよりもまして、そのメッセージ性を支える《韻の技術》がある。
新子さんの川柳にとって《韻》とはなんだろう。それは一貫性としての意志なのではないかとおもう。葉書の文言もそうだが、反復されることにより、そこにはじめて語り手の主体と意志がたちあらわれる。姿、が。
ことばから姿がたちあがるとはそういうことなのではないかと思う。韻というシスマティックな言語技術によりながらも、しかしそこをふりきれてあるメッセージ性の同時成立。
あとがきを引用して終わる。
まず私は、「あなた」に向かって一対一でお話しました。私があなたの目から目を外らさなかったように、あなたも私の目を見て熱心に聞いてくださいました。……それがあなたの川柳です。(時実新子「あとがき」『新子流川柳入門』ネスコ、1995年 所収)
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