評論で探る新しい俳句のかたち(4)
それ、作り手の論理で俳句を語っていません?
藤田哲史
「近代俳句と現代俳句の違いは構造により詩性を表す意図があるか否か」にある、と書いた前回記事。このあたり、もう少し書き足してみようと思う。
先週の記事で、「取り合わせ」という用語を使ったのだけれど、決して私は「取り合わせ」という技法で近代俳句と現代俳句を区分したいわけではない。この「取り合わせ」は、近代俳句以前、少なくとも芭蕉までさかのぼることもできる作り方だ。そんな古っぽい技法の有無で俳句の近代/現代を区分できるとは考えてはいない。
むしろ、この連載は、そういった方法論に極力触れずに、結果として存在する作品から表現を語る、という目標をもって書いている。俳句はつまるところ言葉でしかない。特定の人にしか伝わらない文脈はありうるし、俳句を作った方がわかりよくなる、というのはありうる。けれど、俳句を言葉以上の何かが律することなどあってはならない。
表現全体を的確に捉えるため、方法論でなく、語彙、文体、構造といった点から表現を捉えていこう―——というのが、この連載の要なのだ。
先週の「週刊俳句」の記事で、正岡子規・高浜虚子・山口誓子などの作品を並記して、全て同じ構造をしていると主張したところ、その「週刊俳句」後記で福田若之さんから、金子兜太の「造型俳句六章」をふまえると、映画におけるエイゼンシュテインの衝突法のモンタージュを俳句の構成に関連付けた誓子は「現代俳句」の側の作家ではないか、との指摘があった。
ただ、ここでの山口誓子の「構成」も結果としての作品の構造ではなく、方法論の一つだろう。繰り返しになるけれど、この連載は方法論で表現を語ることはしない。だからこそ、この文章では、ことさら作家別に区分けをすることもしない。同じ作家のものであっても、ある作品はAで、もう一つの作品はBらしい、といった判断もありうる。
ちなみに、この指摘のよりどころとなった「造形俳句六章」は、昭和36年発表の金子兜太による俳句評論なのだけれど、この評論の目的の1つに、正岡子規以降の俳句表現方法論の最新版として「造型」があることを示すことがあった。
私はこの評論が現在も有効と思わない。正岡子規が新聞「日本」掲載の「俳諧大要」で俳句の文学宣言をしたのが明治28年(1895年)。金子兜太が雑誌「俳句」に「造型俳句六章」を書いたのが昭和36年(1961年)で、この66年後だ。今は、2016年。その「造型俳句六章」から55年目にあたる。「造型俳句六章」執筆当時の金子兜太は、この55年間の俳句表現の歩みを全く知らない。
と、ここで掘り下げていきたいのは、この連載の肝となる俳句の構造と呼ぶものの正体だ。次回以降、さしあたって、「前衛俳句」の作家たちの作品と鑑賞文から俳句の構造について探っていってみたい。
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