【週俳4月の俳句を読む】
Haiku in Wonderland
小林苑を
テレビをつけたら「Alice Through the Looking Glass」をやっていた。邦題は「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」で「Alice in Wonderland」の第2作。最初のは映画館で観た。珍しく第2作の方が面白い気がした。気がしたってのも、最近とみに記憶力が衰えてきてきているので、前の話がよく思い出せない。
「不思議の国のアリス」を元にした映画は他にも何本か観ている気がする(まただよ)。当然、どれも此処ではない何処かにトリップする話で、此処の私が出会う此処ではないワンダーランドは俳句に似ている、と強引に話をすすめることにする。
涅槃図の諸貝に毛の描かれある 堀下翔
円丈に似たる兎や涅槃図に 同
初っ端から、文字通りワンターランド・涅槃図の句。生真面目に正調で歌われたりすると笑いたくなるのが人間ってもん。だから「描かれある」とか「兎や」って可笑しいでしょ。この二句ほど直球でなくとも「篁に蜂あつまりて濃うなりぬ」、見事に写生ではあるけど「なりぬ」ですよ。この滑稽を逆手にとってるような(若い癖に老成している振りみたいな)節がこの作者にはあって、つまり俳句でしかできなさそうなことやってのける。確かに、円丈って兎に似てる。
蜜蜂の重みに花のしたがへる 瀬名杏香
県庁よりホースの伸ぶる万愚節 同
ワンターランドにどうやって行くかは人それぞれだけど、花に蜂が止まっているだけでもいい。蜜蜂の尻もなんだか可愛くて可笑しい。県庁はさらに滑稽。どこがですか、と引き戻さないで欲しい。ことに四月という晩春は呆けるのによい季節なのだ。
さへづりに遅れピピピと体温計 上川拓真
夜の蒲公英が電灯に集まりぬ 同
「ピピピ」は合図だ。なにかが起こる。電灯に照らされる蒲公英は謀議のために集まって来たのやも知れぬ。ワンターランドに行くのにいるのは想像力だけなので(ときどき記憶力も必要で困るが)、あとは勝手に遊べばいい。
どもれ人間!どおれいんれん!どぉーえにぎぇえ 野名美咲
短夜の湯に浮かべたる洗面器 同
ところで「怪獣のバラード」といえば、あの歌のことなのだろうか。あの歌をなんとなく思い出すと、「どもれ」の句が怪獣の叫びのように思えてくる。学校で合唱曲を歌わされたりしたのか、などと勝手に想像する。すると昼間は大人びた様子で過ごしている女の子が風呂場で洗面器を浮かべたりしているような気がしてくる。お約束として、怪獣は淋しがり屋だ。
台湾にて吾を追ふ髭のゲイの春 関悦史
亜細亜にてマネキン並び黴び始む 同
此処ではない「台湾」にこの作者に連れて行ってもらうことにしよう。連作なので全体の醸し出す雰囲気を楽しんで貰いたいのだけれど、結論から言うと「飛行機に乗つて地球に倦みて春」という、どことなく情けない旅なのだ。俳句は可笑しければいいわけでは勿論、もちろんない。だけれども、情けないというのはやはり滑稽だ。大上段に振りかざす権力的なものの対局にしかワンダーランドなんてあるはずがない。
龍天にのぼるオルガン組み果てつ 小津夜景
利き手ではない手で触るる櫃の花 同
こちらも「ピエロ・デラ・フランチェスカによせて」とある連作。ピエロ・デラ・フランチェスカの絵画を目に浮かべて迷い込むべし。「隠遁の楽師あつまる桑の花」は入口に相応しい一句。場所も時間も飛び越えるのに、龍が天にのぼったり、利き手ではない方の手で触ったりするのはとても有効。そこには体感が、微熱のようなぬるさがあって、此処ではないのに確かにあるということが伝わるのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿