追悼 金原まさ子さん
「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」
上田信治
「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」と言っている俳人がいるので、その人について文章を書いていいかという連絡を、北大路翼さんから受けたのが、金原まさ子さんの名を聞いたはじめだった。
句集『遊戯の家』が出た年だ。
編集一同、異論なくOKした。いや「週刊俳句」は持ち込み歓迎で、だいたいOKなのだけれど、なにしろ翼さんの持ってくる話のスジが悪いわけはない。
『遊戯の家』を読んで、あ、これは「事件」になるかもと思った。耽美なんだけど、辛気くさくなく、ひどく楽しげで、今井聖さんのつけた「九十九歳の不良少女」という惹句もあわせて、ポップでキャッチー。この人、サイコーだなと思った。
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句集が出るタイミングで、北大路さんがもろもろ発案されたのかも知れないけれど「一度でいいからインターネットで自分の名前を見たい」は、いかにも金原さんの言いそうなことだ。
百歳の人が、なんて俗っぽくて格好いいんだろう。あの方は、俗っぽくあることを、楽しんでいらしたように思う(毒舌家で、噂好きで、男女関係の話とお金の話が大好き)。
なにかの権利のように、そう振る舞われていた。
いくら俗なことを言われても、ご本人に人間関係についての欲がないから、いわゆる俗物にはなりえない。どころか、ますます超俗的。年の功でもあるでしょうが。
一人遊びの方でしたから。
句やご自身に関心をもたれることは、きっとお好きだったと思うけれど、きっと、それは、その日、気分が華やげば嬉しいということで。
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2012年に、小久保佳世子さんから金原さんのお誕生会にお誘いいただく、というかたちで実現したのが「101歳お誕生日インタビュー」だった。
プレゼントはお花にしようと、朝イチで地元の花屋をまわったけど、思ったようなのがなかったので、新宿で黄色い薔薇を11本買った。花屋の人に「101歳の女性に誕生日プレゼントなんですよ」と言って、驚かれたりほめられたりした。
インタビューは、びっくりするほど上手くいった。
「街」に掲載されたエッセイから、戦前に華やかな青春時代を送られたことは知っていた。「春燈」「草苑」の頃の句集を二冊お借りして読んで、はじめはまだ手堅く、晩年、奔放に素質を開花させた書き手だということは知っていた。
でも、まあ、あんなに、人生が面白くて、思想が面白い人だったとは。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/101.html
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そこから先は、句集『カルナヴァル』(あれ、著者買い取り分はあったけど、自費出版ではないのですよ)、エッセイ集『あら、もう102歳』、「徹子の部屋」出演と、あれよあれよだった。
取材の申し込み等多々あり、金原さんをだいぶ疲れさせてしまったけれど、面白がっていただけたと思う。
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エッセイ集の取材中。
金原さんが美しいと思われる男性についてうかがっていて、あのとき、金原さんは、山中伸弥教授のルックスを絶賛されていたのだけれど、その部分は原稿から削除されてしまった。
「あの神様のような素晴らしい方を、汚すことになりますから」
と。
その言われようも、金原さんらしいなあと。
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金原さんのお葬式でお経をあげていたのは、ごく普通の(ちょっと泥鰌に似た)おじさんのお坊さんだったので、金原さんは、そこだけはご不満だったかなと思った。ご不満ついでに、すごい美僧が集団でなぜか××と××しつつ読経などと、想像して楽しまれるのではないか、と思った。
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針金の輪つかの上の菊の首 『弾語り』
春暁の母たち乳をふるまうよ 『遊戯の家』
朴散るたび金貨いちまい口うつし
薄荷油を塗りあってヨハネ・ルカ・マルコ
猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 『カルナヴァル』
わが足のああ耐えがたき美味われは蛸
雲の峯まっしろ食われセバスチャン
金原さんはほんとうに面白い人だったけれど、たとえばこれらの句は、もう「あの面白い人が書いた」という「あの人」性を超えて、悪趣味の抽象化、バッドテイストの普遍的な美、と呼ぶべき状態に達していると思う。
これらの句を自分は記憶し、語り継ぎたいと思っています。
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