「分からない」俳句
田島健一『ただならぬぽ』を中心に
上田信治
『びいぐる 36号』より改稿転載
隔月刊の詩の雑誌「びいぐる」で、この7月から1年間、俳句時評の連載をすることになった。竹岡一郎さんが『フラワーズ・カンフー』ついて書いたりしていた欄のあとを継いでのことだ。
俳句のことを知らない(という前提の)読者に向けて書くので、時評としては「今さら」の話が多くなるかもしれないけれど、状況の整理と頭のリセットのために、そこをいちいち書くことにする。
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時評だから、ここでは、いわゆる「トピック」を取り上げることになる。
何を「トピック」であるとするかの選択において、書き手の主張は尽きていて、あとは「それがなぜそうなのか」を説明する作業になるけれど、その過程で、何か自分にとっても発見があればいいと思う。
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田島健一の第一句集『ただならぬぽ』が刊行されたのは、今年の一月のことだ。
昨秋の小津夜景『フラワーズ・カンフー』に続くようにして、と書きたくなるのは、二作ともに、描写的ではない非具象的な言語使用という意味で、ここしばらくの俳句の流行から見れば少数派に属する作品であり、にもかかわらず、広く俳句読者の注目を集めたからだ。
抽象表現が俳句において非主流的であるということは、他ジャンルの読者から見て分かりにくいことだと思う。そのことには、あとで触れる。
田島健一『ただならぬぽ』より
翡翠の記録しんじつ詩のながさ
あいさつの雨降りそそぐ枇杷と顔
猫あつまる不思議な婚姻しずかな滝
白鳥定食いつまでも聲かがやくよ
空がこころの妻の口ぶえ花の昼
風船のうちがわに江戸どしゃぶりの
ひらく雛菊だれのお使いか教えて
光るうどんの途中を生きていて涼し
僕らたまたまみんな駒鳥おそろいの
ごちそうと冷たいまくら谷は秋
晴れやみごとな狐にふれてきし祝日
なにもない雪のみなみへつれてゆく
「翡翠の記録」というフィクションを立ち上げるやいなや、「しんじつ」の語を挿入し「詩のながさ」と半歩横へずらして言い終える。「詩のながさ」は必ずしも価値を措定しないが、語調によって価値に類すること、つまり「何かいいことを言った」という感触を残す。
「白鳥定食」の句においてもまた(「翡翠」と同じく)鳥類についてのフィクションが八音で提示される。定型のリズムでこれを読み下すときの言いつづまりが、踏み切り板のように働いて意味の飛躍を助ける。「いつまでも」「かがやくよ」は「白鳥」の「聲」の価値についての言明なのだけれど、そのとき「定食」もかがやいて(ほめられて)しまい、行きがけの駄賃のような抽象性が生まれる。
これらの句には、明らかに、なんらかの感情あるいはトーンが成立しているのだけれど、これらを全く「分からない」句と受け取る向きも、一般的な俳句読者には多いはずだ。
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以下のような言葉を見ると、田島には、「分からない」こと自体を、明確に、自身の本領とする意識がある。
困ったことに見えすぎている。見えすぎていると、ついつい解りすぎてしまう。解りすぎることは日常生活を営むには差し支えないが、何かを書いたり考えたりするには、ちょっと不自由すぎる。解りすぎていることは書けない。意味するマダガスカル変な木へんな虹
必要なのは、何が面白いのかよくわからないものの前で、じっと腕組みしながら、新しい感情が湧きあがるのを忍耐強く待つことだ。
お互いの「謎」について「分かり合う」のではなく、「分かり合うこと」自体が「謎」そのものではないのか。つまり、それは「わからない」ものとも「分かり合える」という「謎」だ。(…)手元に届いたときには、それはすでに「謎」だった、というかたちで、「分かり合う」のだ。
フラワーマンの息子は寝冷えするフラワー
思われるシロナガス弟子たちなりト氏
WEBサイト「スピカ」に連載された田島の短文と句から引いた。
彼の「分かること/分からない」ことに対するスタンスは、ここに率直に述べられている。それは書くことによって未知の何かに出会うという、ごく真っ当な表現論だ。
このような抽象表現が例外的とみなされるのは、俳句というジャンルの特殊事情である。
(ここで「抽象」は「日常意識で把握される『この現実』に根拠を置くことがより少ない」くらいの定義で使う)
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「俳句は具体性を離れては成立しにくい」ということが、俳人の間では、広く信じられている。
高浜虚子の「客観写生」とは観念性を排除して描写に徹すれば、より広い世界が立ちあらわれるという方法だ。また、戦前の新興俳句の流れをくむ俳人・秋元不死男は「俳句もの説」において、「事」ではなく「もの」に執着する詩であることが、俳句の固有性であると論じた。金子兜太も、自らのイメージの即物性と事実性を繰り返し語っている。
これらは、俳句の言葉はそれを指し示す物理的対象を持っているべきだという方法的限定であり、いわゆるノウハウである。
ところが、俳句においては、思想と経験則が区別なく同等に語られるという傾向があって、これら俳句のマイスター達が「こう書くとうまくいく」というノウハウを語ると、それこそが作品のあるべき姿であるという「べき」論に横滑りする、ということが起こるのだ。
それは俳句が、言語芸術であると同時に、社会的にはコミュニケーションの具として存在しているために起こる現象で、いわゆる「座の文学」という話なのだけれど、伝統詩形に淵源を持つ俳句・短歌という表現は、特定の価値尺度を共有する限定された集団によって創作されるという性格が強い。
そのため、あるノウハウが結社のような集団によって共有されると、容易にそれが集団の理念であると錯覚される。たとえば、それが「写生」であるかないか、「季語」を中心に書かれているかどうかによって、作品の価値が問われる。
そのことは、たしかに、集団の生産性を高めるだろうけれど、ノウハウに適うこと自体を価値とするのは、方法に対するフェティシズムというものだ。
この十年ほどの俳句の世界では、ともすれば了解性すなわち「分かること」が、価値としてまた規範として扱われる傾向があった。
俳壇のオピニオンリーダーの一人が(たしか片山由美子だったと思うのだけれど)「名句と呼ばれる句は、全てよく「分かる」句だ」という意味のことを書いていて、それ自体、反論しにくい内容ではあるけれど、その言説は容易に「俳句は分かるものでなければいけない」「俳句は分かるように書かれるべきだ」へと横滑りしうるものなので、危惧と言っては大げさだけれど、ここには注意しなければいけないものがある、という感想を持った。
俳諧俳句の歴史を通じて、共同創作を行う集団が「習いごと」として大衆的に維持されているという(今日では俳句の「カルチャー化」と呼ばれることの多い)事情もあって、俳句表現の価値体系は、常に、入門書レベルで理解できる価値への集約という、下方圧力にさらされている。
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一九六七年生まれの俳人、山田露結が「田島さんの句はロボット的な恣意性を人為的にやっていて、意図して意味をクラッシュをさせてるわけで「いや〜、いいクラッシュしてますなぁ。」とか「ここはもうひとクラッシュ欲しいところですなぁ。」とかいった鑑賞の仕方をするのがいいと思う」とツイートしていた。
また、これもツイッターなのだけれど、御前田あなた(ある川柳作家のツイッターネーム)が田島の句〈光るうどんの途中を生きていて涼し〉について「この句においても「光るうどん」の前・途中・後が構造化されており、それは「涼しい」という〈涼気〉=自然が発端になっている。ただし、ひとは基本的に《うどんに構造を構造化する契機をみいださない》。田島さんの句集は構造化する構造をめぐる不思議な句集だ」と書いている。
この二つのツイートの間に、田島の「分からなさ」は位置している。
〈晴れやみごとな狐にふれてきし祝日〉であれば、今「祝日」をほめている主体の意識に「みごとな」の語をきっかけに「狐にふれてきし」という現実か偽の記憶か分からない近過去がたたみこまれ、結果、あらためて「祝日」という言葉のよさへ向けて、全体が構造化されている。
〈意味するマダガスカル変な木へんな虹〉であれば、「意味するマダガスカル」で、山田の言うクラッシュが起こっていて、「マダガスカル」の語と「変な木へんな虹」の結びつきが、簡単に分かられてしまうことを妨害している。
構造化は「分からない」文脈を分からせる。クラッシュは「分かる」文脈を妨害する。
そこに田島の言う「謎」が生まれるのだけれど、結局はその隘路をとおって、何かが「分かられてしまう」(あるいは手渡される)よろこびに、田島は賭けている。
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ここで、田島とは対照的に、方法として「分かること」に徹底している俳句作者の典型として、津川絵理子の句を引いてみよう。
捨猫の出てくる赤き毛布かな
四五人の雨を見てゐる春火桶
籘椅子の腕は水に浮くごとし
夜通しの嵐のあとの子規忌かな
木犀やバックミラーに人を待つ
おとうとのやうな夫居る草雲雀
秋草に音楽祭の椅子を足す
ひつそり減るタイヤの空気鳥雲に
貼りかへし障子の白さ何度も見る
つばくらや小さき髷の力士たち
二〇一三年に刊行された句集『はじまりの樹』より津川の自選による十句を引いた。
津川は一九六八年生まれ。第一句集『和音』で、俳人協会新人賞を受賞、第二句集では第一回星野立子賞と第四回田中裕明賞を受賞しており、この十年の俳句において、もっとも高く評価された新人だったといえる。
先に名前をあげた片山由美子も「津川さんは、俳句の神が必要とした人なのである」(『俳コレ』二〇一二年)と称賛を惜しまない。
これらの句は「分かる/分からない」で言えば圧倒的によく「分かる」。まさに了解性をその方法の中心に据えていると見える。
けれど、田島の「分からなさ」が、その先で「分かりあうこと」をあらかじめ志向し、そのことに支えられていたのと同様に、津川の「分かること」も、何らかの「分からなさ」に裏打ちされて、成立するのではないか。
そういう予想のもとに、これらの句を見直してみたい。
いくつかの句は、取り合わせと呼ばれる手法で書かれている。
「夜通しの嵐のあと」「ひっそり減るタイヤの空気」「小さき髷の力士たち」が、それぞれ「子規忌」「鳥雲に」「つばくら」という、季語とカップリングされていて、そこにかすかな感覚的な共通性が見出されることが、感興を生んでいる。
しかし、これらの句の価値は「そのカップリングに理由がない」という「分からなさ」を根拠あるいは前提としていて、その「分からなさ」の上になお感覚的了解が生じることにあるのではないか。
それは、俳句の取り合わせという一般化された方法に、あらかじめ含まれているものだ。
「捨猫の」「四五人の」「籘椅子」「貼りかへし」の句は、俳句の写生という方法の範疇にあると言える。
そして、それぞれの句は、可愛さとか季節感といった日常的価値をふくむ形で書かれているのだけれど、その価値が詩の一部となりえているのは、「その景がピックアップされることに理由がない」という写生という方法が根本的にもっている「分からなさ」の衝迫力が、全体を下支えしているからではないか。
つまり「分かる」句は、俳句がすでに形式の一部としている「分からなさ」によって、その詩的価値を支えられている。
たとえば、津川の「おとうとの」のような句は、そこに提示されている日常的価値が俳句形式の謎を圧倒してしまっているために、詩的価値に達していないように、自分には見える。
そう考えると、俳句というもの全体が、俳句の形式に前提としてふくまれている「分からなさ」に支えられているとも言える。そのことは、俳句にとって当たり前すぎて忘れられがちなことだ。
だからこそ「分かること」の価値が強調されすぎた自然な揺り返しとして、鴇田智哉や田島健一のような、初心としての「分からなさ」を離れない作家が、注目されるのかもしれない。
「オルガン10号」には、片山由美子と田島健一の長尺の対談が掲載されるらしい。本稿の〆切りには間に合わなかったけれど、注目したい。
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その後刊行された「オルガン10号」の、田島・片山対談で、片山が示した「分かる/分からない」についてのスタンスには、今さらながら驚かされた。この時評欄で、いずれ触れられたらと思う。
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