2020-02-16

【空へゆく階段】№24 書評 山の人生 前登志夫『吉野日記』 田中裕明

【空へゆく階段】№24
書評 山の人生 前登志夫『吉野日記』

田中裕明
「晨」1984年7月号・掲載

まずこういう一節を引用してみよう。
 すでに十八夜の月であるが、ゆらりと大きく森に出た。めぐりの山の斑雪がぼぅーと明るく浮び出て、どことなく山中がにぎやかになる。庭の斑雪もすっかり凍てついており、ふみしめるとかすかに鳴る。大寒の入りとともに、父は食べなくなった。街にいるとそのしらせをひどく不安に思ったが、こうして月のひかりに照らされる山の斑雪を見ていると、静かな思いになる。かなしまずに、人の終焉のおごそかな美しさを、わたしが見ていなければならないと思う。人間のかえるところをわたしが歌わねばならぬと思う。
また次の一節もあわせて引いてみる。
 一月十六日、午後から雪が降りはじめた。あたたかで雪のない新春だったから向うの山のみるみるうちに白くなるのが、悲壮なシンフォニーを聴くときの感覚であった。急にわたしの胎内時計の針がいそがしく動きはじめたのだろう。
 山に降りしきる雪は、情熱的で美しい。無数のことばが天上からばら撒かれるようだ。みるみるうちに雪景となる山々を眺めていると、わたしは少年のように興奮する。身体のリズムがひときわ高くひびく。真っ白になってゆく風景は、ありありと死の世界をそこにあらわす。雪は日常眼前の風景を、一瞬のうちに他界とする。死の風景が、なぜ美しく、わたしを少年のように興奮させるのか。
好きな文章を書き写すときに感じるあの快さはどこからくるのだろうか。たとえば梶井基次郎の「冬の日」や「檸檬」などはとくに気に入っていてへんに昂った気持をおさえかねるときなど原稿用紙に一字ずつうつしていると不思議に落ちついてくる。よけないことは考えなくてそれがたいへん快い。いま前登志夫さんの「吉野日記」のなかの一節を書き写してみて同じように気持が落ちついてくるのをおぼえた。これはべつに不思議でも何でもなくてわたしたちは琴線にふれる詩句を聞いてはじめて脈が正常に打つのを感じてそれが気持にかなってることは言うまでもない。あるいはそれがことばを精神にひびかせるということであって読んでみて落ちつかない気分にさせるような文章は文章ではない。精神にひびかないような言葉はすでに死んでいる。わたしたちがふつう読む言葉が死んだものであることはしかたのないことであるけれども死んだ言葉だけでは生きてゆくこともできないので「冬の日」を書き写したり「吉野日記」を読んだりする。ここで気をつけなければいけないのは脈が正常に打つのを感じることと少年のように興奮することがべつのものだと考えてしまうことで次のような詩句が頭にひびいて眠られないといった状態が正常でないと考えるのはどうかしている。
母よ まもなく月が出ます
あなたがおやすみになると ぼくは
一人して物と応接しなければならぬ
記憶のない従順な耳で――
いますべてのものは何か仕事をしています
右に引いたのは「吉野日記」の作者の若き日の詩篇の数行であってだから気持も落ちつくし夜どおし頭にひびかせていたくもなる。つまりは言葉なのである。言葉が生きているということのほかに大切なことはない。



エッセイというのはおかしな形式で日本の随筆と同じものだと考えるのは正しくない。もちろん江戸の頃の随筆は現在わたしたちが仮想する随筆と違いエッセイというジャンルとはかけはなれたものだししかもそれがエッセイではないから面白くないというわけでもないから話はややこしい。モチーフがあるからエッセイになるのではなくてだからたとえば日記という衣装をまとう。江戸の随筆には目的とするものがほとんどないけれども現代のエッセイは目的をあいまいにするために日記という衣装が必要になる。目的意識の希薄さを表現する日記ならば日付のないのは当りまえであってその表現形式自体がひとつの鋭いレトリックとなっている。

 まだこんなにひ弱な生命が死に絶えることなく、蒼い灯をともしているのを思うと、人並な心の慰藉を感じる。麦の秋のころ、バスを降りて、川沿いの谷間の村を歩いて帰ると、山田の蛙の声とともに蛍がわたしの歩行に連れて戯れるようにしばらくついてくるようなことが再三あった。わたしの帰郷を拒んでいるのか。それとも歓迎してくれるしるしなのであるか。あるいは、わたしの歩みを河だと錯覚しているのか。わたしが河だとすれば、夜の方へ、そして山の頂の方へ逆に流れている時間の河だ。そんな日のわたしの歌がある。二十年前のものだ。
  暗道のわれの歩みにまつはれる螢ありわれはいかなる河か
 二十年たって、「われはいかなる河か」と、ふたたび問うてみる。その日切実だった「村」へかえる暗い夜道での自己への問いは、あまり深化しているとは思えないが、夜更けの杉の梢から湧き出る光芒をしかと見つめている。
  われを他力のなかに見出す道を、この二十年、迷いながら知っただけかもしれない。
文章がたいへんな速度でものの本質にせまると言ってもよいがそれは文章自身がすぐれてリトリカルであるからにちがいない。ロジック的思考とレトリック的思考とのどちらに軍配をあげるわけでもないが表現者はもともとレトリック的思考をそなえているものだ。文章の修辞的な側面にばかり目をやっているとたしかにものの姿を見誤るおそれがあるけれどもレトリックに目をつぶるような読書はつまらない。読書にもロジック的な読み方とレトリック的な読み方があるということだろうか。その両方の読み方を満足させるような文章はすくないと言ってよくて「吉野日記」の文章は偶々そういうものだから非常な速度でものの中心を射抜く。日付のない日記という衣装とさきに述べたけれどもこれをたとえば日本の自然主義小説と比較してみれば「吉野日記」の文章の特異性は明らかになってわたしたちは前登志夫という歌人が主人公であるような小説を想像することはできない。あるいはそのような道具立てでは作家が小説を書けるはずがない。



柳田国男の「山の人生」という本は読んでいると何かとらえどころのないものにつつまれるような気がする。「山の人生」という本そのものが巨大なメタファーであるとも言えてそのメタファーが文章のあちらこちらから顔を出しているような印象がある。「吉野日記」の文章もそれに似たところがある。文章ひとつひとつをとってみても暗喩的なものに感じられるけれども一巻を通読するとそれがまたひとつの巨大なメタファーになっている。ひとことで言えば「山の人生」ということになるだろうか。
  山の樹にしろき花咲きをみなごの生まれに来つる、ほとぞかなしき
 ほぼ十年前のことほぎの即興歌も、いささかの羞恥なくしてはすらりとくちずさめない。愚かな生きざまを眼のあたりにし、平凡で退屈な日常を繰り返しているにすぎないからである。いかなる奇蹟もそこにはおこることがない。だが、人が生まれ人が死ぬという平凡な事実の中に、時として不思議な風がそよぎ光の差すことがある。いわば原初の風がそよぎ、原初の光が差す。それは、天然の中に人間のいのちの見える日だと思う。
 花の咲くのを見て春の到来を知る。あるいは、鳥の声を聞いて季節に出会うということほど平凡なことはないが、近頃のわたしにはひどくおごそかな心のはたらきだと思われる。
 彼岸が過ぎてから霙のふる夜があった。二、三日山を降りて疲れていた。かなり酩酊して帰ると、梅の花や馬酔木の花群に雪がたまっている。わたしは子供のように、花びらと一緒にみぞれの雪を掌でにぎりしめて、指の間からしたたる雫をたのしんだ。


【編註】下線(われ)は原文では傍点。


解題:対中いずみ

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