【句集を読む】
電話という不思議
皆川燈『朱欒ともして』の一句
西原天気
朧夜の海へ電話をかけている 皆川燈
誰かに向かって、あるいはどこかに向かって、電話はかけるものなのですが、その先が《朧夜の海》となると、電話の存在そのものが大きく揺らいできます。双方向という基本的な性質も、失われますし。
不思議な情景です。
《かけている》ところですから、まだ声は発していない。つながるのを待っているのでしょう(おそらくつながることはない)。耳に受話器をあてがい、無言。
《朧夜の海》の茫洋によって、電話のもつ線的なイメージも覆されます。
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インターネットの衝撃など、電話の発明・普及に比べたら微々たるものだ、と思い、それを言ったりもするのですが、電話の始まりを知っている/経験しているわけではない。当然ながら。
ちょっと調べてみると、アレクサンダー・グラハム・ベルの特許取得が1875年。今から145年前。日本でのサービス開始が1890年、125年前。ずいぶん古くからある機械なのですが、驚いたのは、 太平洋横断の海底ケーブルが1906年すでに敷設されていること。114年も前のことなのです。
電話のまつわるこんなよもやま話をしたからといって、掲句が海底ケーブルとか国際通話を詠んでいるというのでもありません(そう解釈できないことはないが、ちょっと無理筋。詩的感興も損なわれる)。
そうではなく、電話というのは、発明・普及の当初は、存外不思議なものだったのではないか、ということを思ったのです。今でこそこんなにカジュアルに日常生活に馴染んでいますが、遠くに(tele)にいる人の声が耳元に聞こえるというのは、糸電話の延長・拡張とはいえ、やはり人類にとっては、かつてない体験だったろうと思います。
失われた不思議が、ことばによって再現・再来する。これもまた俳句の働きの一つだろうと思うわけです。
皆川燈『朱欒ともして』2020年1月/七月堂
燈さんの句、
返信削除砂浜が次郎次郎と呼ばれけり 阿部青鞋
をちょっと思い出したりもします。