対中いずみ
「ゆう」6号には、「桜の花」という田中裕明の小文が載っている。
『ホトトギス雑詠選集』を開くと花の句、桜の句が多いことに驚かされます。花の句だけで百三十句、ほかに「花の山」十一句、「花見」二十八句、「花衣」八句、「花人」十一句。これ以外にまだまだ花の茶屋、花の宿、花の幕、花篝、花疲、花吹雪など通常の歳時記ならば花の傍題となるような季語も独立した題として取上げられています。6号の裕明句は以下の通り。太字は句集収録句。
高濱虚子が、俳句という詩にとって花という季語をどれくらい大切に考えていたかを示す証左とも言えます。俳諧で花と月がどれほどかなめの言葉とされていたか、虚子はそれを肌で感じとっていたようです。
わたしはときどき昔の人になる、とは山本夏彦さんの名セリフですが、昔の人になって桜の花を眺めてみれば、今人の見る花とずいぶん色合いや肌ざわりの違うものであるような気がしてなりません。
つちふる
よそながら波郷をおもふ春の雪
苗札やこころききたる酒肴
蓮如忌や山坂にして童女ゐる
俳誌「澤」創刊
大河となる澤こそよけれ草おぼろ
先生はみな支那の人つちふれり
つちふるや師とよぶべきは一人にて
似て非なるもの噴煙とよなぐもり
灌佛會細くするどき鳥のこゑ
釈迦牟尼の肩淋しかり灌ぎけり
ゆれてゐる空のつめたき竹の秋
よそながら波郷をおもふ春の雪
苗札やこころききたる酒肴
蓮如忌や山坂にして童女ゐる
俳誌「澤」創刊
大河となる澤こそよけれ草おぼろ
先生はみな支那の人つちふれり
つちふるや師とよぶべきは一人にて
似て非なるもの噴煙とよなぐもり
灌佛會細くするどき鳥のこゑ
釈迦牟尼の肩淋しかり灌ぎけり
ゆれてゐる空のつめたき竹の秋
≫田中裕明 ゆうの言葉
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