【句集を読む】
季題「春日傘」の纏うもの
牛田修嗣句集『白帆』の一句
小沢麻結
春日傘美しければ追ひ越さず 牛田修嗣
季題は「春日傘」で春。平成二十五年作。春も日差しが強くなってくると日よけのため女性は日傘を用いる。猛暑が当たり前の昨今、夏日を避ける日傘は男性も用いるが、春の日傘はやはり女性のものだろう。まだ真夏ほど日差しが強くないから、春日傘には使う人のおしゃれの意識と、心のゆとりが感じられるのだ。日差しを避けようという自身への心がけに惹かれもする。
夏に用いる日傘が、燃えるような日差しを避けるのが第一目的なら、春の日傘には、どこかあそび心がある。これから初夏を迎える気持ちの明るさに心も軽くなる。そんな日中を作者は歩いている。取り立てて急ぎのようがあるわけではないのだろう。作者の少し先には日傘を差し歩いている女性がいる。日傘自体、素材のレースや刺繍が日を受けながら美しかったのだろうが、日傘を差して歩いている女性の後姿に心惹かれるものがあったのだ。その日傘はくたびれがちに肩に掛けられたりしていない。歩き方も姿勢にも乱れたところはないがほんの少し隙がある。それが美しさなのではないだろうか。
「春日傘」だと気づいた時から、作者の眼は前を行く人を追っていた。これは俳人の眼だ。俳句に携わり、季題に通じているからこそ春日傘に気づく。この時、季題の纏うニュアンスも同時に受け取っている。俳句をしている日常のありがたさを想うのだ。季題を知ることで、季節の移り変りに敏感になり、数段心豊かに暮らせるのではないか。自由に外出できない日々にも、季題が想像の翼を広げさせてくれる。
男性ならではの句と思わせる所以が、掲句の下五だ。女性ならば春日傘を差している同性に対し、この表現は難しい。綺麗な人だなと思っても追い越せるのに追い越さないというのは現実的ではない。作者の心にも気持ちのゆとりと遊び心があるのだろう。理想的な春日傘と出合った幸運を今しばらく味わっているのかもしれない。だからこそ、掲句にあふれるまばゆい明るさとおおらかさが読み手に伝わり、心地よい風を受けたような読後感を得る。
牛田修嗣句集『白帆』平成三十年(2018年)/ふらんす堂
0 件のコメント:
コメントを投稿