【週俳6月の俳句を読む】
立ち止まるからこそ
木村オサム
新型コロナのせいで、世の中の大半の人たちは立ち止まることを余儀なくされた。俳人も同様だ。立ち止まるからこそ、今まで見えていなかったことが立ち現れたり、同じものでもよく見ることによって、別な面が見えたりするようになった。それはひいては自分自身を見つめ直すことでもある。
◆「ひるの金魚 安田中彦」を読む
立ち眩みして水無月の青の中 安田中彦
熱中症?ふらふらして立ち止まった瞬間、ふっと水の無い海で溺れているような気分になったのだろうか。また、別な読みも可能だ。緑色なのに青信号というように、日本では古来、緑色に対しても青という表現をしてきた。掲句ももしかしたら六月ごろの深緑の森での心地よい立ち眩みの情景なのかもしれない。
万緑やわが身一つを隠匿す 同
四方八方の緑の中で立ち止まっていると、自分ひとりぐらいなら、今すぐ世俗を断ち切り、ポツンと一軒家のような所で暮らし始めてもなんとか生きてゆけるし、誰も困らないような感覚になる。隠遁願望の句。
教科書を踏まれてひるの金魚かな 同
自宅で自粛中のこどもが寝転んで教科書を開いて勉強していたら、親だか兄弟だか猫だかに教科書を踏んでゆかれてしまった。そうなると何となく勉強をやる気も失せて、あとは昼間の金魚のようにぼうっと過ごしているのだ。
◆「画面内の 樋野菜々子」を読む
3月頃からの自粛で、学生生活も立ち止まらざるを得なくなった。
オンライン授業は春の夢までも 樋野菜々子
花の雨期限の切れた定期券 同
君の待つURL夏来る 同
三日ほど干しっぱなしの半ズボン 同
金魚鉢私も画面内の人 同
新たに始まったオンライン授業も最初の内は緊張していたが、慣れて来るとついつい居眠り。新学期になっても休校なので定期券を買いに行く必要もない。顔を見て話したいので、パソコンに接続するためのURLを教えてほしいと言われているのだが、教えてあげなかったりもする。外出しないからついつい洗濯物も干しっぱなし。
パソコンの中の分割画面に映し出される自分の表情は、一見にこにこしているが、どこか金魚鉢の金魚のように息苦しそうにも見える。まさに、『A DAY IN THE LIFE (OF CORONA)』が描かれた後半の五句だ。
◆「いへ 千野千佳」を読む
特に用事もない夏の日の散歩。好きな所で好きな時に立ち止まれる。今までは立ち寄ることもなかった近所の公園で時間をつぶすこともある。
夏きざすベンチに鳩の座りをり 千野千佳
立てばすぐ席とられたる薄暑かな 同
鳩にしてみたら、公園に人が増えるのはいい迷惑なのかもしれない。
白南風や店員の私語たのしさう 同
海水浴場に来てみたが、今年の人出は少なく、露店の店員さんも暇そうだ。それでも梅雨明けの爽やかな風は頬をかすめてゆく。
平泳ぎしながら時計さがしをり 同
ここ数カ月の茫洋とした時間はいったい何だったのだろう。みんなそれまで使っていたこころの時計を失ってしまった。そこで、なんとなく平泳ぎで水平線に向かいながら、ゆっくりと自分にぴったりの時を刻んでくれる新たな時計のことを考えてみるのだ。
■安田中彦 ひるの金魚 10句 ≫読む
■千野千佳 いへ 10句 ≫読む
0 comments:
コメントを投稿