【週俳9月10月の俳句を読む】
サングラスと珈琲Ⅵ
瀬戸正洋
星飛んでうすき傷ある銀の匙 村上瑠璃甫
誰もが傷ついている。傷には思い出がある。思い出には濃淡がある。見あげるとながれ星。銀の匙を見つめる。
朝顔に猫の尾ちよつと触れてゆく 村上瑠璃甫
「ちよつと」に魅かれた。軽い気持ちで行われるさまとあった。たいした生き方はしていない。猫の尾が朝顔に触れるのである。ちよつと触れるのである。そんな暮しにあこがれている。
いますこしままこのしりぬぐひをみる 村上瑠璃甫
いま少し見るのである。継子の尻拭いを見るのである。何故見るのかは知らない。生きるとは、ままこのしりぬぐひをみることなのかも知れない。
なにかもの言ひだしさうな真葛原 村上瑠璃甫
余計なことをいうのではないかと怯えている。何かのはずみでいわなくてもいいことをいってしまう。葛の葉が眼に沁みる。
蜻蛉の風に凭れてゐたりけり 村上瑠璃甫
蜻蛉の風に凭れている。蜻蛉の風がどんな風なのかは知らない。蜻蛉の風に凭れたいと思ったりもしている。
イーゼルの脚の展がり野分晴 村上瑠璃甫
珈琲店である。扉のまえにはイーゼルが置かれている。イーゼルにはメニューが書かれている。野分の去ったあと珈琲の香が漂っている。
秋繭のたゆたふほどの恋であり 村上瑠璃甫
恋とはたゆたうものなのかも知れない。ゆらゆらとゆれ動くから恋なのかも知れない。
腥き辞書の匂ひも無月かな 村上瑠璃甫
辞書とは腥いものである。辞書とは俗なものである。辞書には打算や利害がうず巻いている。辞書からは悪臭がする。無月である。
大学に忘れものして草虱 村上瑠璃甫
そんな気がしているだけのことである。忘れものが何であるのかは理解していない。忘れものとは草虱のことなのかも知れない。気付かずに生きていければそれにこしたことはない。
しん/\と菊人形の肩に水 村上瑠璃甫
菊人形の肩である。肩に水だからしん/\となのである。江戸川乱歩、横溝正史の作品を思い出したりしている。
火焔土器に蛍が一つ付いた マブソン青眼
一匹でもない。一頭でもない。一つである。蛍とは螢のことである。火焔土器とは火焔土器のことである。蛍が一つ付いたのである。蛍が決めたことなのである。
此岸彼岸半狼半蛍(はんろうはんけい)火焔 マブソン青眼
此岸彼岸なので半狼半蛍(はんろうはんけい)である。火焔はひとつである。どちらにもなければならないものなのである。
陽が射せば鵠(くぐい)の影ぞ狼 マブソン青眼
霊魂のことを影という。ひかりを遮って反対側にできる黒い像のことを影という。鵠(くぐい)の影である。陽が射さなければ何ごともはじまらない。真昼の狼である。
飛び立てば火焔型なり鵠 マブソン青眼
飛び立っている。燃えさかっている。鵠は古代人を見ている。鵠は現代人を見ている。
火焔土器の鶏冠(とり)啼き魚(うお)は泪 マブソン青眼
芭蕉は変(現代的)な俳句を作った。時代はさかのぼる。古代にも別れはある。生きるとは耐えることなのである。
魔物死んで天使も死んで焚火 マブソン青眼
魔物は死んだのである。天使は死ななければならない。焚火は癒してくれる。魔物と天使とはおなじものである。
焚火跡踏めば浅間のけむり マブソン青眼
焚火とは浅間山のことである。踏むとは生きることである。浅間山は白い噴煙をあげている。
不死鳥を踊らせて土器吹雪く マブソン青眼
炎に飛び込むのである。よみがえるのである。永遠を生きるのである。土器とは煮炊きをするためのものである。雪が降っている。強い風が吹いている。
残酷なほど輝くや氷柱 マブソン青眼
生きるとは残酷なことである。たまに理性が現れる。微妙なバランスである。それでいいのだと思っている。ある日そんな暮らしを思い出すのである。氷柱は雫となり流れはじめる。
逆さなる火焔(どき)に凍土と死児と マブソン青眼
死の順番が逆である。児のかたわらに火焔(どき)を置く。火焔(どき)を置いたことは偶然である。まいねん、凍土を見るたびにその児のことを思い出す。
ワッフルに足すシロップと秋日差 月野ぽぽな
足りないのである。足すのである。申し訳なさそうに足すのである。足すものはシロップと秋日差である。ワッフルとはワッフルのことなのである。
人声の途絶えて秋の薔薇匂う 月野ぽぽな
途絶えるのである。途絶えるのはひとの声である。気付いたのである。気付いたものは秋の薔薇の匂いである。聴覚から臭覚へと動いている。
鶏頭花ざわめく鋏入れるとき 月野ぽぽな
鋏を入れる。何もかもがざわめく。鋏を入れるとはおだやかな表現である。ことばとは現実をオブラートにつつむようなものなのかも知れない。
白菊の白に屈めば街消える 月野ぽぽな
ちょつとしたことで、ものごとは大きく変わる。異なったものが見えてくる。街を消し去ってしまうのである。屈むとはからだを低くすることである。白菊が咲いている。白菊の白さが気になっている。
遥かなるものに従い鳥渡る 月野ぽぽな
遥かなるものだから従うのである。決めたことに従うのはしかたがないと思う。眼の前にあることを決めるのは難しい。先延ばしにしたくなる。
流れゆく釣瓶落しの人くるま 月野ぽぽな
人生は流れていくものである。流れると決めたのは釣瓶落しである。流れることは疲れる。流れにのることはさらに疲れる。
長き夜の高きを灯し機体ゆく 月野ぽぽな
夜の長さが身にしみる。搭乗中である。身も心も不安定である。理解するために灯すのである。理解してもらうために灯すのである。
月あかりシナゴーグにもモスクにも 月野ぽぽな
こころが歪むと判断も歪む。ひとは幸福でなければならない。影にも限界がある。月あかりにも限界がある。それでも、月あかりを頼らなくてはならない。
てのひらが脈打っている銀河かな 月野ぽぽな
手の甲が脈打っている。てのひらが脈打っている。てのひらは天空にひろがる。銀河とはながれる血液のことである。
秋気澄むピアノのピアノピアニシモ 月野ぽぽな
ビアニシモということば(記号)には魅かれる。強いものは必ず滅びる。なるべくなら弱く流れていきたい。冷ややかに澄んでいる。秋である。
■村上瑠璃甫 ままこのしりぬぐひ 10句 ≫読む 第907号 2024年9月8日
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