2024-11-17

瀬戸正洋【週俳9月10月の俳句を読む】サングラスと珈琲Ⅵ

【週俳9月10月の俳句を読む】
サングラスと珈琲Ⅵ

瀬戸正洋


星飛んでうすき傷ある銀の匙  村上瑠璃甫

誰もが傷ついている。傷には思い出がある。思い出には濃淡がある。見あげるとながれ星。銀の匙を見つめる。

朝顔に猫の尾ちよつと触れてゆく  村上瑠璃甫

「ちよつと」に魅かれた。軽い気持ちで行われるさまとあった。たいした生き方はしていない。猫の尾が朝顔に触れるのである。ちよつと触れるのである。そんな暮しにあこがれている。

いますこしままこのしりぬぐひをみる  村上瑠璃甫

いま少し見るのである。継子の尻拭いを見るのである。何故見るのかは知らない。生きるとは、ままこのしりぬぐひをみることなのかも知れない。

なにかもの言ひだしさうな真葛原  村上瑠璃甫

余計なことをいうのではないかと怯えている。何かのはずみでいわなくてもいいことをいってしまう。葛の葉が眼に沁みる。

蜻蛉の風に凭れてゐたりけり  村上瑠璃甫

蜻蛉の風に凭れている。蜻蛉の風がどんな風なのかは知らない。蜻蛉の風に凭れたいと思ったりもしている。

イーゼルの脚の展がり野分晴  村上瑠璃甫

珈琲店である。扉のまえにはイーゼルが置かれている。イーゼルにはメニューが書かれている。野分の去ったあと珈琲の香が漂っている。

秋繭のたゆたふほどの恋であり  村上瑠璃甫

恋とはたゆたうものなのかも知れない。ゆらゆらとゆれ動くから恋なのかも知れない。

腥き辞書の匂ひも無月かな  村上瑠璃甫

辞書とは腥いものである。辞書とは俗なものである。辞書には打算や利害がうず巻いている。辞書からは悪臭がする。無月である。

大学に忘れものして草虱  村上瑠璃甫

そんな気がしているだけのことである。忘れものが何であるのかは理解していない。忘れものとは草虱のことなのかも知れない。気付かずに生きていければそれにこしたことはない。

しん/\と菊人形の肩に水  村上瑠璃甫

菊人形の肩である。肩に水だからしん/\となのである。江戸川乱歩、横溝正史の作品を思い出したりしている。

火焔土器に蛍が一つ付いた  マブソン青眼

一匹でもない。一頭でもない。一つである。蛍とは螢のことである。火焔土器とは火焔土器のことである。蛍が一つ付いたのである。蛍が決めたことなのである。

此岸彼岸半狼半蛍(はんろうはんけい)火焔  マブソン青眼

此岸彼岸なので半狼半蛍(はんろうはんけい)である。火焔はひとつである。どちらにもなければならないものなのである。

陽が射せば鵠(くぐい)の影ぞ狼  マブソン青眼

霊魂のことを影という。ひかりを遮って反対側にできる黒い像のことを影という。鵠(くぐい)の影である。陽が射さなければ何ごともはじまらない。真昼の狼である。

飛び立てば火焔型なり鵠  マブソン青眼

飛び立っている。燃えさかっている。鵠は古代人を見ている。鵠は現代人を見ている。

火焔土器の鶏冠(とり)啼き魚(うお)は泪  マブソン青眼

芭蕉は変(現代的)な俳句を作った。時代はさかのぼる。古代にも別れはある。生きるとは耐えることなのである。

魔物死んで天使も死んで焚火  マブソン青眼

魔物は死んだのである。天使は死ななければならない。焚火は癒してくれる。魔物と天使とはおなじものである。

焚火跡踏めば浅間のけむり  マブソン青眼

焚火とは浅間山のことである。踏むとは生きることである。浅間山は白い噴煙をあげている。

不死鳥を踊らせて土器吹雪く  マブソン青眼

炎に飛び込むのである。よみがえるのである。永遠を生きるのである。土器とは煮炊きをするためのものである。雪が降っている。強い風が吹いている。

残酷なほど輝くや氷柱  マブソン青眼

生きるとは残酷なことである。たまに理性が現れる。微妙なバランスである。それでいいのだと思っている。ある日そんな暮らしを思い出すのである。氷柱は雫となり流れはじめる。

逆さなる火焔(どき)に凍土と死児と  マブソン青眼

死の順番が逆である。児のかたわらに火焔(どき)を置く。火焔(どき)を置いたことは偶然である。まいねん、凍土を見るたびにその児のことを思い出す。

ワッフルに足すシロップと秋日差  月野ぽぽな

足りないのである。足すのである。申し訳なさそうに足すのである。足すものはシロップと秋日差である。ワッフルとはワッフルのことなのである。

人声の途絶えて秋の薔薇匂う  月野ぽぽな

途絶えるのである。途絶えるのはひとの声である。気付いたのである。気付いたものは秋の薔薇の匂いである。聴覚から臭覚へと動いている。

鶏頭花ざわめく鋏入れるとき  月野ぽぽな

鋏を入れる。何もかもがざわめく。鋏を入れるとはおだやかな表現である。ことばとは現実をオブラートにつつむようなものなのかも知れない。

白菊の白に屈めば街消える  月野ぽぽな

ちょつとしたことで、ものごとは大きく変わる。異なったものが見えてくる。街を消し去ってしまうのである。屈むとはからだを低くすることである。白菊が咲いている。白菊の白さが気になっている。

遥かなるものに従い鳥渡る  月野ぽぽな

遥かなるものだから従うのである。決めたことに従うのはしかたがないと思う。眼の前にあることを決めるのは難しい。先延ばしにしたくなる。

流れゆく釣瓶落しの人くるま  月野ぽぽな

人生は流れていくものである。流れると決めたのは釣瓶落しである。流れることは疲れる。流れにのることはさらに疲れる。

長き夜の高きを灯し機体ゆく  月野ぽぽな

夜の長さが身にしみる。搭乗中である。身も心も不安定である。理解するために灯すのである。理解してもらうために灯すのである。

月あかりシナゴーグにもモスクにも  月野ぽぽな

こころが歪むと判断も歪む。ひとは幸福でなければならない。影にも限界がある。月あかりにも限界がある。それでも、月あかりを頼らなくてはならない。

てのひらが脈打っている銀河かな  月野ぽぽな

手の甲が脈打っている。てのひらが脈打っている。てのひらは天空にひろがる。銀河とはながれる血液のことである。

秋気澄むピアノのピアノピアニシモ  月野ぽぽな

ビアニシモということば(記号)には魅かれる。強いものは必ず滅びる。なるべくなら弱く流れていきたい。冷ややかに澄んでいる。秋である。


村上瑠璃甫 ままこのしりぬぐひ 10句 ≫読む 第907号 2024年9月8日

マブソン青眼   火焔土器に蛍(五七三)10句 ≫読む 第909号 2024年9月22日
月野ぽぽな ピアニシモ 10句 ≫読む 第911号 2024年10月6日

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