2026-08-02

柴田千晶〔俳句の沃土〕分身 佐藤りえ第一句集『景色』

〔俳句の沃土〕
分身
佐藤りえ第一句集『景色

柴田千晶

『みらいらん』第6号(2020年夏)より転載

みづうみにきれいなはうを置いていく  佐藤りえ

湖に置いてきたものは何か? 人なのか動物なのか物なのか? きれいな方ときたない方があって、置いてきたのは、何故きれいな方だったのか? そもそも湖に置いていったのは誰なのか……この句はとてもミステリアスだ。

置いてゆかれた方と、連れて行かれた方。どちらも心もとなくて、どちらも寂しい。もしかしたら一つのからだ。自分の中に在るきれいな方ときたない方なのかもしれない。

佐藤りえの第一句集『景色』(六花書林)には謎めいた句が並んでいる。一句に仕組まれた謎を解いてゆこうとすると、見知らぬ風景の中にぽんと放り出されて、途方に暮れる。醒めない夢の中をさ迷っているかのような気分になる。

かぎろひに拾ふ人魚の瓦版

風死んで吾の乗るバスを見送りぬ

瓦版は江戸時代、事件の急報に用いたもの。「かぎろひ」は、強い日差しのために物の形がゆらいで見える現象をいう。瓦版に描かれた人魚も、それを拾った手も、時代も、すべてがゆらゆら不確かだ。

「風死す」は、夏の盛りにぴたりと風が止むこと。「吾の乗るバス」は、私が乗るはずだったバスなのか? それとも私が乗っているバスなのか……。後者ならばドッペルゲンガーを見たことになる。

もう一人の私の存在。句に登場するものたちは、佐藤の分身のように思える。

かはほりに歌をおしへる女(め)のありき

道の辺に燃え尽きてゐる雪女郎

「かはほり」は蝙蝠のこと。蝙蝠に歌を教えている女も、道の辺で燃え尽きている雪女郎も異端。この世界に栖を持つことが叶わなかったものたちだ。

佐藤の分身たちは、様々なものに姿を変えて現れる。

船幽霊夜釣りの竿に触れて来し

犬憑きと狐憑きとの舟遊び

幽霊となって夜釣りの客に近づいたり、犬や狐の顔付きで舟に揺られていたり。

やがて分身はこの世界を捨てて、無機質なものに生まれ変わる。

西方のあれは非破壊検査光

夏痩せて肘からのぞくベアリング

冬山に人工知能凍ててをる

無機質なものに「夏痩せて」「凍てて」という肉体を感じさせる季語を取り合わせたところが面白い。「非破壊検査光」「ベアリング」「人工知能」という素材から新鮮な詩情が生まれた。西方には浄土がある。非破壊検査の光は何を照らし、何を調べているのだろう。それもまた謎だ。

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