タックルのない身体
写実を未来する
タックルのない身体
雨に立つラグビー場のいうれいは 垂水文弥
ラグビーが思わせる、芝と歓声と多くの身体。だからこそ、誰もいない雨のラグビー場の不気味さに、この句は遅れて気づかせる。幽霊にタックルは効かないだろう。身体のぶつかり合いで成り立つ競技から身体が抜け落ちている。
リーグワンで来季から外国出身選手の多くが出場制限のあるカテゴリーに移される。義務教育期間にどこに身体があったかで、ピッチに立つ資格が測られる。「裏切られた」と口にした選手がいた。普及・育成という向日的なナラティブの裏で、外国出身選手への依存を下げる「合理性」が、帰化選手の権利を事後的に切り捨てようとしている。
ザハ・ハディドの幽霊を立たせた岡田利規の夢幻能「挫波」を補助線にすれば、秩父宮と国立競技場の近さは単なる地理ではなくなる。「挫波」が描いたのは、未来と約束を反故にされた者の未練であった。
(読売新聞2026年5月11日)
写実を未来する
未来を想像するとは、どういうことだろう。
YouTubeチャンネル「ゲームさんぽ」のゲーム内の世界を吟行する企画で、関悦史は〈飛ぶ車真夏の影を落としけり〉と詠んだ。現実には、空飛ぶ車はまだ街を行き交ってはない。けれども俳句は、未体験の写実を立てることもできる。地面に動く空飛ぶ車の影は、大きくて気が散るかもしれない。その車の鍵はどんな形なのか(そもそも物理キーではないのかも)。空中ルーレット族がきっと現れる。未来を想像することは、実はこんな細部を想像する力に支えられているのではないか。
四回の連載も今回で最後になる。初回は花売を「ちょっと先の未来を手渡す仕事」と書いた。AIが残す、人間的な時間を書いた。「未来と約束を反故(ほご)にされた者の未練」を書いた。
俳句を手渡し享受することは、過去と現在と、その先の時間を繋ぎ直す営みだと信じている。
(読売新聞2026年5月18日)
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