2026-09-20

〔著者に訊く〕高柳克弘『俳句に学ぶ「生きる力」』

〔著者に訊く〕
高柳克弘『俳句に学ぶ「生きる力」』

聞き手:西原天気

Q●このたび『俳句に学ぶ「生きる力」』を上梓されました高柳克弘さんに、いろいろとお訊きしていこうと思います。まず、初出についてなのですが、巻末の記載によると、『三田文學』2016年秋号から10年の長期にわたる連載がもとになっています。連載の最初から、一定の構想、つまり今回の著作にまとめるという心づもりがおありだったのでしょうか?

高柳●
いえ、当初はとくに、書籍化は予定していませんでした。大学の時に専攻していたドストエフスキーの文学と俳句とでは、死という題材の扱い方が大きく違うなという関心から出発したのが「死季折々」という連載です。その後継企画として、自身の句集『寒林』が重苦しい作風に行き過ぎた反省から、精神を良き方向に導く俳句の力を見直そうと、「融和と慰謝の俳句」を連載しました。「死季折々」と「融和と慰謝の俳句」、合わせて10年ほどの連載期間で、折節に考えたこと、関心のあることを書かせてもらえて幸いでした。

Q●とすると、連載(の集合体)と単行本『俳句に学ぶ「生きる力」』のあいだには、かなりの距離がある、つまり、連載を並べて一冊になったというわけではないと想像します(この本は、いっけん書き下ろしと思うくらいにタイトな構成ということもあって)。例えば、連載の順序(時系列)と本書の章立ての順とは、違っていたりするのですか? 「あとがき」にもそのあとの初出記載にも、そのことは記されていないようですが。

高柳●
おっしゃるとおりで、全面的に書き換えというくらいに手を入れています。「死季折々」は第九章の「いつか死にゆく者として」にぎゅっと詰めたので、この章だけ他に比べて長めになっています。「融和と慰謝の俳句」は第一章から第八章まで、終章の「孤独のよろこび」は書き下ろしといった構成です。「融和と慰謝の俳句」部分も、相当手直しを入れていますね。構成についての質問が来るとは思っていませんでした。天気さんならではの質問で、うれしく思います。

Q●連載から単行本への編纂過程で、かなりの加筆・改稿があったわけですね、そのあたりの腐心やご苦労は?

高柳●
連載当時と考え方が変わったところがあったので、がらりと論を再構築しなければならない部分もあり、そこは大変でした。具体的には、「俳句を読むときに作者の来歴は踏まえるべきか」という問題です。大学で教わったごりごりのテクスト論者の先生の影響で、「たとえ十七音しかなくても作品以外の情報を入れるべきではない」というスタンスでしたが、やがてそこに限界を感じるようになり、第二章「自分を知る」の末尾に「ある程度俗っぽさもなければ、鑑賞というのはニュース・レポートや解剖所見の味気無さと変わりなくなってしまう」とある部分は、これまでの自分への反省も込めて書いています。全体的に、句の鑑賞は、作者の情報を踏まえて厚みを持たせるように、書き直しました。「俳句をどう読むか」については、今後また新たに書きたいテーマとして浮上しています。

Q●序章「車座になって」、第一章「仲間とつながる」に始まり、終章は「孤独のよろこび」。この構成からもわかるように、「座」というもの、俳句にかかわる者同士のつながりが強く意識されています。これは、高柳さんが俳句を始めた当初から変わらぬスタンスなのでしょうか。それとも、何かのきっかけがあっての変化/発展なのでしょうか?

高柳●
大学生の時から「鷹」という結社に入って俳句を始めたので、「座の文学」であることは前提というか、当たり前のことといった感覚でした。以来二十数年、「座」の恩恵を大きく受けてきました。先生と仲間に恵まれて、私は「鷹」という場がなければ俳句を続けてこられなかったと思います。ただ、もともと人の輪の中に入るのが苦手で、「座」になじみにくい心性を持っていたものですから、「座の文学」であることへの違和感があったことも確かです。

Q●そのことは終章「孤独のよろこび」でよく伝わりました。そこからの流れで「あとがき」の冒頭でも。

高柳●
けれども、そういう自分だからこそ、「座」のよろしさと、「孤」であることのよろしさ、両方について語れるんじゃないかと考えたんです。私にとって「座」はやや複雑なニュアンスを持つ言葉です。

「『座』という言葉は、もっと広い意味で使っても良いのではないか」と、あとがきに書いているのは、従来の「座の文学」観への、ささやかな抵抗です。同じくあとがきで、「『ひとり』とはもっとも小さく、そして油断ならぬ力を持った『座』であることが見えてきた。」とも書きました。みんながみんな、俳句をするのにグループに入らなくてはいけないわけではないし、入っていても、自分の一番大切な部分はぶれないようにしよう、ひとりでやっていたって多角的に考えるということを忘れないかぎり独善的になることはないよね、ということです。

Q●そのあたりの機微が、この本に、単にポジティヴに俳句(活動)を称揚する手引書とは、ちょっと違う味わいをまとわせているのだと思います。書名と著者名に惹かれてこの本を読む人が、どんな読後感を味わうのか、もちろんわかりませんが、多様な読者体験をもたらすかもしれないと、いま思っています。最後に、読者に向かって、なにか伝えたいこと、この本にはないことでもかまいません、あれば、お願いします。

高柳●
俳句では起承転結をつけないとか、「理屈をできるだけ避けるように」と言われますよね。この理由についてはずっと考えていて、今回の本の第六章「世界に向き合う勇気」でいちおう自分なりの答えを出しているので、この章はぜひ読んでもらいたいなあと。

俳句にかかわることで、生きることの苦しさや悩みが、劇的に改善する、というわけではありません。でも、納豆を食べ続けるとか、一日一万歩歩くみたいなもので、コツコツ長くつきあっていると、心身にきっと良い影響が出てくると思います。この本をきっかけに、気軽な気持ちで俳句を作ってみたり、興味を持った俳人について調べてみたりしてもらえたら嬉しいですね。

あとひとつ、加えさせてください。私と同年代や下の世代の、力ある作者の句をできるだけ多く入れるように意識しました。連載原稿では、どうしてもふだんから親しんでいる古俳諧の例句が多かったのですが、若い世代にも俳句の面白さを伝えるためには、それだけではだめだろうと。田中裕明賞の選考委員を担当していたので、そこで出会った句も積極的に入れました。その過程で、若い俳人たちが面白い作品を作っていることをあらためて知ることが出来て、俳句の世界の未来に希望が持てました。


高柳克弘『俳句に学ぶ「生きる力」』2026年10月/慶應義塾大学出版会

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