「あいだへん」でいく
小津夜景
句集を出したい。とは思っている。
けれど俳句を整理するのがめんどくさい。寝ているあいだに誰かが句稿を分類して、配列してくれて、朝起きたら、きりっと一冊になっている。そういう都合のよいことは起きないものか。
句集をつくるときいつも困るのは、句を選ぶことだ。
良い句がありすぎて、どれを捨てるか決められない。そういう景気のいい話ではない。
句がない。
正確にいうと、少しはある。しかし連作として並べると、足りない。ひとつの連作として見せるのにちょうどいい数まで、どうしても揃わない。
わたしにとって作句は、ほとんど偶然の産物だ。
「なんかこんなのできちゃったけど?」
だいたいそんな感じ。つまり、ひとつのモチーフをつかまえて、それを右から見たり左から見たり、朝にしたり晩にしたりして、十句、二十句と増やしていくような作り方ではない。一句できる。あ、できた、と思う。思うが、それで終わる。終わってしまう。
そんな自分が、こういう句集をつくりたいなあ、とつねづね思っているのが、佐藤りえ『いるか探偵QPQP』。探偵俳句集だ。探偵ものの句集、という時点でもう面白い。
船越英一郎崖はないかと近寄り來 佐藤りえ
「船越英一郎」の豪快な字余りも、「はないかと」の狂句っぽさも、「近寄り來」の定石で綺麗に収めてしまうところもいい。ずいぶん洒落ている。しかも馬鹿馬鹿しい。なにしろ崖が船越英一郎についてまわるのではなく、船越英一郎のほうが崖を探しているのである。長年まとわりついたイメージが、いつのまにか本人の習性になっている。崖を求めて、頭で考えるより先に身体が寄ってゆく。だから「探しけり」ではなく、「近寄り來」なのだ。
この句集、句の形にもずいぶん幅がある。同じ場所にイーゼルを据えっぱなしにしていない。
怪盜の声ソプラノでありぬべし 同
怪盜の声がソプラノであるかどうか、そんなことは知らないし考えたこともない。しかし「でありぬべし」といわれると、そ、そうかもしれないな、と思う。理は全くないが、もったいぶった言い回しの効果で、さもありなんと説得されてしまう。
怪盜。ソプラノ。
並べてみると、たしかに似合う。黒いマントでバリトンでは、ちょっと重い。ソプラノなら屋根から屋根へ飛んでゆけそうな気がする。
踊るやうにも揉み合つて瀧に消ゆ 同
たいへんなことになっている。二人か三人か知らないが揉み合っていて、そのまま瀧に消えてしまった。
ところが「踊るやうにも」ときた。
人が瀧に落ちるところを見て、踊っているみたいだな、とは普通いわない。けれど、いわれると見える。身体がくるっとして、袖なんかもひらっとして、事件なのに滑稽かつ優雅である。
ご遺体は佛か人か雲の峰 同
「佛」という言葉自体は、刑事ものではおなじみだ。ところが「佛か人か」と問われた途端、ありふれたその語がふっと大きな問いになる。人は死んだら佛なのか、それともなお人なのか。答えの出ないまま、雲の峰が立っている。人ひとりが死んでも、夏はでっかくそこにある。その感じが、深々と無常だ。
さらにこの句集、あとがきのかわりに、最後に「小説」までついている。題して『どどめ色の研究』。副題に「いるか探偵QPQP 最初の事件」とあり、シャーロック・ホームズシリーズの最初の作品『緋色の研究』を丁寧にパロっている。どどめ色は打ち身の青あざだとか、血の気の引いた青紫色の唇などを形容するときに使われる色。緋色よりもずっと事件向きだ。
とまあ、物騒なことがいろいろ起きるのに血なまぐさくはならず、形は端正なのに名句っぽく澄ましてもいない。その「あいだへん」がこの句集の魅力だ。わたしもこういう句集をつくりたい。
そういう句が百句でも二百句でもあれば、話は早い。
ないので困っている。
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