2007-04-29

「漢字」の偏愛的宇宙 小野裕三

不定期連載 俳句ツーリズム 第1回
北京篇 その1 
「漢字」の偏愛的宇宙
 ……小野裕三

「俳句ツーリズム」というのはもちろん、僕の造語である。なので特別な定義があるわけでもないが、とりあえずこのタイトルを掲げてつらつらとエッセイとも旅行記とも俳論ともつかない文章を書き連ねていきたいと思っている。頭の中にあるのは「俳句」と「旅」の掛け合わせということだ。

僕にとっての俳句とは、ある土地であり、あるいはそこにある植物であり動物であり、あるいはその土地に繋がる言葉であり、といったものの持っている「力」を貰うことである、という考えがどこかにある。それは地霊とか精霊とか言霊とか言ってもよいものなのかも知れないが、特に僕にとって土地の力、つまり地霊とは俳句創作上の大きな比重を占めている。なので、「俳句×旅」の組み合わせというよりは、「俳句×地霊」と言ったほうがより正確かも知れない。それが「俳句ツーリズム」の意図するところである。

もちろん、「俳句×旅」ということで言えば、「吟行」という使い慣れた言葉が既にあるのだが、その言葉自体があまりに一般化しすぎていることもあって、むしろ「吟行」という既存の言葉では拾い切れないような何かを拾ってみたいという思いもある。ともあれ、そんなことを念頭に置きながらもまずは気楽にゆるゆると書き始めたいと思う。

    

北京へは日本から四時間程のフライトで着く。ここ数年、縁があって北京には何度も足を運んでいるが、その都度、うまく時間を見つけて街や名跡を見て廻るようにしている。北京は面白い。古都としての文化的蓄積と、タイやインドなどにも共通するようないかにもアジア的な雑多性、そしてオリンピックを控えて躍進する国家の近代的首都、という三つの側面がよいバランスで混交している。歩き回って飽きない街である。

俳句との相性も結構よい。海外詠というのは一般的に言うと結構難易度が高く、なかなか作者の意図どおりには行かないことが多い。第一の理由は、これは吟行一般にありがちなことだが、作者自身が現地で実物に触れて感動したほどには読者はなかなか感動できないという、伝達の温度差の問題がある。これは海外でも国内でも事情は同じだ。

だが、海外詠の場合はもう一つの理由があって、文化的枠組の違いをなかなか言葉の核心部分で乗り越えることができないということも大きい。端的に言えば、俳句がその対象としてきた文物が大きく違う、風土も雰囲気も大きく違う、という中で、俳句の言葉がどうしても上滑りしてしまいがちになるのだ。成功する海外詠がないわけではないが、それが成功できるのは土地の風土の核心部分みたいな抽象性をうまくすぱっと掴んできた場合だけではないかという気もする。いずにせよ、海外詠というのはなかなか俳句の言葉がしっくり行かずに作者の思いほどには伝達力を持ち得ないという場合が多いのである。

ところが、中国はやや事情が違う。なんとなれば、我々の俳句はそもそもが漢字、つまりChinese characterをその文字の一系列として使っている。さまざまな文物も、日本と似ているものが多い。そして、文字だけでなく言葉もそして文化も、実は中国から拝借しているものも結構多い。実際、歳時記を見てみれば中国由来の季語を探すことはそれほど困難ではないことに気づくだろう。

  高きに登る具体的には犬

これは拙句だが、北京の故宮で作ったものだ。そして、この「高きに登る」という季語自体もまた、中国から来ていることは周知の事実だろう。言ってみれば、この時この季語は里帰りを果たしたというわけだ。こういう季語の場合、日本で俳句を作るよりもむしろどこかしっくり来るような気がするのは、あながち思い込みだけでもあるまい。

また、歳時記をあらためて注意して見てみれば「中国原産」との説明が付された植物の数がかなり多いことにも気づく。あるいは、「霾る」「柳絮飛ぶ」といった季語も、日本というよりはどちらかと言えば中国という地の方が相応しく思える季語だ。実際、黄砂も柳絮も、春の北京の名物詩みたいなものでもある。

ところでその故宮だが(写真・上)、よく言われるように確かに一日掛けて見て歩いてもまだ足りない。単純に広いということもあるが、それだけでなく中の構造も些か迷路めいているし、また中にある建物などが、見ていてなかなか見飽きない。ちなみに、子供の頃、「故宮を見るには一日では足りない」という話を聞いた時、僕の頭の中では一日掛けて歩いても端まで辿り着けないような広大な敷地のことを勝手に連想したのだが、もちろんそんなわけではない。敷地の一辺の長さだけであれば、しばらく歩けば容易に辿り着く。問題は、その四辺に囲まれた敷地内の中身が濃いということだ。故宮には九九九九の部屋があるとも言われている。一万に一つ足りないのは、皇帝の力も天の力には及ばないという意味なのだとか。

ともあれそれほど広大かつ豪壮な故宮なのだが、やや逆説めくがその中で僕がもっとも愛するのは「三希堂」という、本当に小さな小さな一室である(写真・中)。ここは、歴代の中国皇帝が愛した小宇宙、とでも言えばいいだろうか。「三希堂」の名前の由来は、ここに皇帝が収集した書の歴史的逸品を三点掲げ、皇帝がそれを鑑賞しつつ風雅を楽しんだ、という事実に基づく。それほどの逸品であるのだが、それを掲げるのに適しそうな豪壮な部屋は他にいくらもあるのに、なぜか皇帝はその三点を小さな一室に掲げて楽しんだ。

この部屋は、この広大かつ豪壮な故宮の中ではいかにも小さくしかも質素だ。単に狭いだけでなく天井も低いし、おまけに他の装飾品すらもどこかみな何かのミニチュアめいた雰囲気を持っている。僕がこの部屋を見た印象は、まるで陶芸家の工房のようだ、というものだった。皇帝は、この工房のような小さな小宇宙に籠もり、自分の時間を楽しんだ。その鑑賞の中心が、絵画や彫刻でなく書だったというのもまた、どこか興味深い事実だ。

文字の国・中国。僕の中国という土地に対する印象はそんなものだ。この国は、文字を偏愛しているような気がする。Chinese characterという、自らが創り出したこの複雑怪奇なる宇宙を。この国ほど、文字というものを芸術化し、それを鑑賞・造形の対象として偏重する国はたぶん他にあるまい。だが、確かに漢字とはそれほどの不思議な魅力を持つひとつの宇宙でもある。

例えば故宮でもそうだが、中国における宮殿などの建物には大概中央の一番高い目立つところに文字を大書した扁額が掲げられている。それだけでなく、宮殿内の両脇の柱にも多くの場合何やらの文字が長々と記してある。また、街中の新しいビルなどでも、そのビルの名前などが不必要なくらいに大きな金属の文字となって外壁に取り付けられていることがある。仮に十階建てのビルがあるとして、その十階から二階くらいまでを貫くように金属の文字が躍っているのである。しかも、それは単なる活字などではなく、誰かが揮毫したと思われる流麗な筆文字なのだ。

そしてもうひとつ、中国には面白い風習がある。それは何と言うのか、いわば「路上書道練習」とでも言うべきものである(写真・下)。バケツの水をたっぷり含ませた筆(というよりほとんど箒くらいの大きさだが)で、石畳の道に文字を書く。当然なかなか達筆なのだが、しかもそれにたくさんの人が集まってきて、その文字に見入っている。その光景を目にする度に、なんとこの国の人は文字を(あるいは漢字を)、愛しているのだろう、と思う。

我々日本人はその漢字という文化を中国人から貰い受けた。その点では、韓国・朝鮮やベトナムなど、他に類似の国がないわけではない。だが、それらの国ではもはや日本ほど漢字を使ってはいないようだ。中国語を使う民族以外でもっとも漢字を使っている民族は日本人である、というのはひとつの間違いない事実のように思える。漢字を欠いた日本文化を想像することはもはや難しい。日本人は自らの持っていた宇宙に、中国人が創り出した宇宙を、より端的に言ってしまえば漢字という文字が中心となって織り成すさまざまな宇宙を、深く接続してしまったのである。

故宮にある「三希堂」というこの不思議な一室は、僕にとってその中国の文字偏愛文化の何か象徴的存在にも思える。そして、故宮という広大な宇宙の中に創り出した、その工房のような小さな小宇宙というあり方が、どこか俳句という小さな短詩型のあり方にすらも似ているような気もする。いや、それは確かにひとつの詩のような空間かも知れない。僕がこの「三希堂」という小さな部屋を愛するのは、そのような理由もひょっとするとあるのだろう。

ちなみにもうひとつ言っておけば、中国という国ほど「文人」を尊重する国もなかなかないように思う。文を巧みに操る人、文字を巧みに操る人、そのような人は社会の中で尊敬され、時に重用される。北京市内のあちこちにそのような文人たちの旧居やそれを記念した博物館などがいくつも点在しているのはそのような文化の表れであろうし、政治家などで詩や文筆をよく嗜んだという人物も数多い。

文字の国・中国。文人の国・中国。文字を偏愛する彼らが創り出した漢字の世界とは、本当にひとつの宇宙のようだ。実際、それはビックバンのように歴史の中で増殖し膨張を続けた。まさしく魑魅魍魎のように複雑怪奇な文字を何万も生み出し(一方でそのような宇宙の膨張は、逆に「文字禍」として近代化の妨げになると見なされることもあったのだが)、そしてその文字宇宙の膨張に並行するように偉大な中国の思想や文化もまた生まれた。そして我々日本人は、そのような中国から漢字という文字体系を受け取った。それは単に技法的な継承に留まらず、膨大な観念および形象から成る宇宙への接続でもあったはずなのだ。

なお、その「三希堂」にあった三点の書の逸品は、今はこの故宮にはない。それは、「蒋介石が台北に持っていってしまったのだ」と、「三希堂」の前で中国人のガイドが白人観光客を相手に早口の英語で捲くし立てていた。


(つづく)


写真撮影:小野裕三

1 コメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
読み応えがある文章でした。
俳句は5・7・5の形の宇宙なのかも・・・と考えてました。
次回を楽しみにしています。