2007-05-20

『俳句研究』2007年6月号を読む 佐山哲郎

『俳句研究』2007年6月号を読む ……佐山哲郎


私は雑誌を読むのに適さない人間である。雑誌を読むとは、たとえば、表紙目次などをざっと見て、書き手のラインナップから対象読者の一定の基準を判断したり、それから本文記事を精読し、とにかく面白いところを探し出して、ああでもない、こうでもないと解説したり批評したりするのが、まあ、筋であろうと思われる。

私の場合はまったく違う。まず表紙(表1)を見る。読むのではなく見るのである。

概ね4色のカラー構成で作られたタイトル・デザインを眺める。それから裏表紙(表4)を見る。大抵は広告ページになっているが、その広告スポンサーを見る。俳句研究6月号の表4は「全国共通おこめ券」のADである。「贈るんだったら、おこめ券」というキャッチ・コピー。朱と黒のヴィジュアル。下に小さく全米販とある。全米販、ふーむ全国米穀販売事業協同協会とかの略か。デザインの良否はともかく、ま、品はいい。俳句総合雑誌にはなかなかふさわしいCMであるなあ「ふむふむ」などと頷く。

ここで突然、疑問が湧いた。ところで「おこめ券」とは何だろう、という疑問である。知っている人は知っているのだろうが、寡聞にして私は知らない。写真を見ると単位は1kgとある。この券をお米屋さんに持っていけば米1kgと換えてくれるのだろうが、米の値段は変動するのではなかったか。あるいは魚沼産コシヒカリの新米と、どこだかブランドの古古米とは同じ1kgでも価格が全然違うのではあるまいか。うむむ、「おこめ券」の謎。

ま、それはそれとして、次に奥付を見る。第74巻第7号とある。私が現在、編集している月刊誌は第73巻である。「巻」とはその雑誌の創刊以来の年数を指す。おお、これは戦前からの雑誌ではないか、と思う。私のところは昭和10年創刊時に第3種郵便物認可を取っている。だから『俳句研究』の場合は昭和9年創刊なのであろう。

しかし表4の公示を見ると第3種認可は戦後の昭和24年8月となっている。この第3種はなかなかの難物で、必ず毎月、一定部数が発行されるといった条件が必要なのである(これを獲得すると郵便で送る場合の料金が格安になる)。

さて、ということは戦前戦中戦後、時折、休刊(戦中戦後は紙不足の時代があった。戦前は官憲、戦後はGHQによる検閲もあった)になったりしたのであろうな、などと激動苦闘の歴史時間を推測しつつ、ひとり頷くのである。

次に本文の広告などを見る。表2には甲府酒折の連歌賞の広告。これは告知広告であるからレギュラーにはなりえないなあ、などと思う。目次袖は『ふらんす堂』などの版元の句集書籍広告。芭蕉翁献詠俳句募集の告知などで埋めてある。よく頑張って広告を取っている印象である。出版社広告部はイレコウ、ダシコウの二つに分かれ、ペコペコして這いつくばって広告をもらうのがイレコウ、ふんぞり返って威張って出してやるのがダシコウと決まっている。広告を貰うのはほんとうに大変なのである。

本文中には「縦3」と呼ばれる1/3広告と、「燐寸箱」などと呼ばれる1/9広告が沢山入っている。ほとんどが俳句結社の名刺広告である。俳句雑誌なのだから当たり前ともいえるが、この雑誌が全国の俳句結社によって支えられていることなどがよくわかる。

このあたりで、雑誌の発行部数が見えてくる。発行部数というのはさっきのイレコウ担当が作る「媒体資料」というやつに記載される数字で、この数字はほとんど眉唾モノである。実数の3倍から10倍まであたりの数字が記載されている。

印刷部数は、と問われれば「ううむ、ここだけの話だけど」といった程度には漏らせるけれど、じゃ実売部数は、と問われれば「部外秘」としかいいようがない。さて、私には私なりの推定実売部数が浮んだが、ここでは明らかにすることを避けたい。武士の情というものである。

総ページ数を見る。本文最終ページに288とある。これは厚いではないか、素晴しい。編集後記(隆)を読むと今号は「飯田龍太追悼号」。この特集に92頁。定価据置のうえ普通号より16頁増頁した、とある。偉い。16頁とは一折。増頁するなら一折増やさないと紙に無駄が出るので仕方ない。そんなわけで、ある程度の部数を越す雑誌のページ数は、16の倍数と決まっているのである。

さて本文である。カラーグラビア「今月の顔」に廣瀬直人。捲った見開きは山の上ホテルの一室、廣瀬直人、宇多喜代子、一番右の阪神タイガースの赤星に似ている人は長谷川櫂。次に「今月の俳人」井上康明。この4ページでカラーが突然終り(このあたりは雑誌制作費に関わる由々しき問題なのであろう)、井上氏のダンディーな姿はモノクログラビアへと不意に移行する。

続く見開きは「haikenじゃーなる」今年の1月2月の俳壇ニュース、グラビア最後の右ページ「一枚の写真から」は札幌アカシヤ600号記念大会の集合写真、これはかなりの露光過剰、我々がいうところのオーバーというヤツで、顔など真っ白白、ちょっと辛い。

ところでグラビアなどと勝手に書いたが、目次では口絵となっている。現在の印刷はすべてコンピュータ制御。グラビアだのオフセットだの活版だのと言っている私はとっくに取り残された人間なのである。

しかし、めげずに活版本文ページへ。本文扉は格調高い。
  法灯を継ぐといふこと風薫る  大峯あきら
  雲のぼる六月宙の深山蝉    飯田龍太
 など、六月の代表句が並ぶ。

捲ると、見開き「わたしと俳句研究」。ここではじめてノンブルが打たれている。ページ18である。ふむふむ、雑誌的ノンブルを用いているのだなあ、と思う。つまり、表表紙(表1)を1ページとして、数え始めるのである。目次袖も折り込んだ両側を数える。そうやって口絵までいくとなんとちょうど一折分みたいに16ページ。本文紙の片起し扉が17ページとなる。このような数え方は雑誌特有のもので、決して嘘でもインチキでもないのだが、結果的に、ページ数が多いように見えるのである、ふふふ。

ふと82ページ目を開く。私はここではじめて文字に出会った人間のように、雷鳴に打たれることになる。なんと、この6月号はあの大俳人、飯田龍太の追悼特集号なのである。既に文中にさらっと書いたかもしれないが、それは読んでいたのではなく見ていただけなのである。いま、ただの記号が文字へと文字化けしたのである。嗚呼なんということか。今年の2月25日、私の日記にも「飯田龍太逝去、86歳」と、記したではないか。その号を読む、というのに何とくだらないことを書き連ねてきたのか、嗚呼。


(この稿、次号に続く)