2007-05-27

船旅という詩的空間 小野裕三

俳句ツーリズム 第3回
東京湾フェリー篇 
船旅という詩的空間
 ……小野裕三


船旅は面白い。

と言って、船旅をするような機会がそんなにあるわけでもないので、半ば憧れ半分の船旅好きである。多分、自分の人生の中で一番長い船旅はシンガポールからインドネシアに渡ったときの船旅だろう(正確には、シンガポールからインドネシア領内の小島にいったん移動し、そこからあらためてジャカルタに船で向かった)。

大学時代のことなのでもうかなり以前のことだが、記憶ではほぼまる二日くらいの時間をかけながら赤道を越えて北半球から南半球へと向かった。九州の瀬戸内沿岸の生まれなので、海は昔から親しんでいたものの、どこまでも広がる水平線といったものには接したことがなかった。赤道を越えていく船は、どこまでも青く広がる海と空に包まれていた。暑い太陽が甲板に照りつけ、水平線はただただまっすぐに伸びていた。

その時は学生時代のバックパックを背負った気侭な旅であった。行きずりの日本人旅行者三人と一緒になり、どういう理由でだったか、廊下みたいなところに段ボール箱を潰したものを下に敷いて、そこでごろごろと時間を過ごしていた記憶がある。廊下伝いに何か強烈な匂いが漂ってきて、なんだろうと思ったら、これはドリアンの匂いだと教えられた。それが、ドリアンという果物の存在を知った最初だった。

船旅への憧れは、その時がひとつの頂点だったかも知れない。初めて一泊以上の時間を過ごす船旅。初めて越える赤道。初めて見る水平線。何もかもが初めての経験だった。それが仮に段ボール箱のベッドだろうが、それはどうでもいいことだった。

  銀漢を扉少なきフェリー行く

これは実際に(ただし日本で、だが)船旅の最中に作った句である。船への個人的な憧れはあるにしても、そもそもが船というのは詩的な空間であると僕は思う。

バシュラールに『空間の詩学』という名著があってご存知の方も多いと思うが、その美しい一冊の本を読みながら、日本にとって、あるいは日本の文芸にとって、あるいは自分自身にとって、詩を生み出す空間とはどんな空間だろう、と考えてみたことがある。その時に、想像力のリストの中に真っ先に上がってきたもののひとつが船旅もしくは船だった。

詩的な空間にはみなひとつの共通点があって、それは何かを繋ぐ空間である、ということだ。船は出港地と目的地を繋ぎ、海と陸を繋ぎ、空と海を繋ぎ、場合によっては昼と夜を繋ぐ。それが船をきわめて詩的な空間にしている理由である。

    

ということで、今回は船旅の話。

とは言え、船旅はそれほど手軽に行けないのが難点ではあり、逆にそこが船旅の魅力の源泉でもある。というところで、実はお勧めなのが、今回触れる「東京湾フェリー」。東京からは比較的簡単に行ける上、時間も料金も大したことはない。であるにも関わらず、意外とちゃんとした「船旅気分」が満喫できる。実際にはたかだか一時間にも足りない程度の乗船時間だが、そこには「出かけるぞ」という気分が充満しているのだ。

東京湾フェリーは、文字通り東京湾を横断するフェリーである。神奈川県の久里浜と千葉県の金谷を結ぶ。神奈川県在住の僕としては、千葉方面に旅行に出かける場合にたまに利用している。

東京から千葉に出かける際に利用するのもそれはそれで面白い。真っ青な空が広がる朝の海に、ゆっくりと舳先を進めるのもなかなかロマンチック。だが、個人的には帰りの便で利用するのが好きだ。千葉で行楽を楽しんだグループや家族客が、その行楽気分もそのまま船に詰め込んで、東京方面へと戻っていく。次第に暮れていく空などがなんとも言えない旅情を醸し出し、不思議と気分は盛り上がる。

実はさきほど掲げた句も、この東京湾フェリーでの作。と書いてしまうとなんだかネタ明かしみたいになってしまうが、擬似的ではあるが本格的な船旅気分が味わえるという意味では貴重な存在である。

ちなみに、せっかく行くのなら千葉の観光地も回りたい。もちろん千葉にはさまざまな観光名所があるのであえてここで絞る必要もないのだが、今回の東京湾フェリーに即して紹介すると、金谷から歩いていける名所がある。鋸山という山があって、麓からロープウェーが出ている。

山の上には、「地獄のぞき」という断崖絶壁の名所や(写真1)、日本寺という寺もあり、ここにはやたらに数多くの石仏が保存されている。絶壁と石仏群ということで、いささか異国めいた風景も味わえる。山頂にあるロープウェーの駅も、なんとも場末の観光地の風情が漂っていて(もちろん、いい意味でだが)、旅行好きにはたまらない。

先日、ここを訪れた際にはあいにく一面の曇り空で、まるで雲に閉ざされた別世界のような雰囲気すらあった。駅の建物は灰色のコンクリート造りの三階建てで、一階がロープウェー乗り場、三階はちょっとした民俗資料の展示室のようになっている。二階が食堂なのだが、ここがまた独特のムード(写真2)。昭和中期の頃の百貨店(でもやっぱり場末)の食堂などはたぶんこんな雰囲気ではなかったかと思う。

先日訪れた際、この食堂でちょっと時間外れの昼食を取った。時間外れだったこともあったが、客は僕だけだった。もう閉店ムードになりかけていた店の女主人に、「まだ大丈夫ですか?」と訊ねると、「何を召しあがりますか?」と簡潔に聞いてくる。とりあえず、と選んだのがカレーライス。しばらくして、調理場の若い子らしき女性が戻ってきて、その女主人が彼女に何やら指示をしている。

それからまたしばらく待つ。カレーライスにしてはやけに時間が掛かるなあ、と思っているところに「おまたせしました」と先ほどの若い女性がお盆を持って現れる。お盆の上には、大きな丼と、中くらいの皿が乗っていた。

「はい、ラーメンとカレーライス……」
 大きな丼がラーメン、中くらいの皿がカレーライス。
「ラーメン? 頼んでませんが……」
「ええー、そうなの?」
 その大きな声を聞きつけて先ほどの女主人が現れる。
「だから言ったじゃないのォ。ラーメンじゃなくて、カレーだって!」

どういう伝言の間違いがそういう曲解に繋がったのか不明だが、女主人はしきりに「だから私は言ったのよ、カレーだって」と繰り返して愚痴を言い、若い子は「間違えちゃった、間違えちゃった」と笑いながら、またラーメンを盆に戻して調理場に帰っていく。カレーライスをラーメンと間違えたのならまだしも、一人しかいない客に両方とも作ってきたのは一体どういう行き違いだったのか。

いずれにせよ、やけに大きな丼に盛られた特大ラーメンは戻っていき、残ったのはやや小ぶりなカレーライス。どうにもアンバランスだ。せっかく作ってもらったのだから、ラーメンもちょっと食べればよかったかな、と少し後悔しつつも、慌しく一階に降りてロープウェーに乗った。ロープウェーを降りれば、フェリー乗り場も歩いてすぐだ。

ところでその東京湾フェリーだが、大人一人の料金が片道六百円。約四十分で東京湾を横断するお手軽船旅だが、船はそれなりに大きい。船室のフロアにはカフェテリア風というかバー風というか、ちょっとしたパーティめいた雰囲気の空間もあって不思議に気分が盛り上がる。

ひとつ上の階は、甲板になっていてそこにもテーブルと椅子が並んでいる。家族連れ、グループ、ととにかくどこに行っても賑やかだ。特に子供たちは元気に走り回り、少女たちはあちらこちらで携帯のカメラを片手に集合写真の撮影に忙しい。しばらく進むと、間近に大きな船が見えてきた。船内アナウンスが入り、その船はパナマ船籍の貨物船とのことだった。ゆっくりとフェリーの前を横切っていく(写真3)。

またしばらくすると灯台がすぐ間近に見えてきたり、と四十分とは思えないくらいの豊富なメニューで船旅気分が満喫できる。やがて、対岸の街が見えてくる。夕焼けが照らす美しい半島に戻っていく情景は(写真4)、いかにも旅情を掻き立てる。

そんなわけでコンパクトながら擬似船旅気分が充分に味わえる東京湾フェリー。機会があればぜひ乗船をお勧めしたい。




写真撮影:小野裕三

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