2007-06-24

地名との遭遇 小野裕三

俳句ツーリズム 第4回
南房総篇 
地名との遭遇
 ……小野裕三


平成の大合併とやらで全国のあちこちの自治体が絡み合うように次々と合併したことは知っていたが、南房総市という市ができていたことは現地に到着するまで知らなかった。もとは千葉県白浜町だったが、今では南房総市の一部。ちなみに僕の田舎は九州だが、やはり出身地の市が近隣の町村を次々と吸収して大合併をした。実家に帰ると、「え、あそこも同じ○○市なの?」と思うくらい、市域が隅々にまで広がっている。

地名が消えていくことの弊害は昔からさまざまなことが言われているので、あえてここで非難することは控えるが、ただ単純に文芸という観点から見れば、市町村の大合併はつまり「語彙の減少」を意味するのでいささか淋しい。歴史と風土に基づいた地名という言葉が、季語に代わりうるくらいの力を持っていることは芭蕉も言及していたはずだ。

ちなみに僕は、かなりのバス旅行好きだ。長らくペーパードライバーと化していてしまっているという物理的な理由もあるが、ローカルなバスに長々と乗っている時間はけっこう楽しい。何が楽しいのかと考えてみたら、ひとつの理由として地名の面白さが味わえることがある。バス停の名前になっている地名はまさしく土着的なものばかり。時に奇天烈な地名や、稀には詩的とすら言える地名に遭遇することもあり、そのたびに感心する。

窓を移っていく景色と、次々に現れる地名群。その時間の流れは、下手なドラマなんかを見ているよりよっぽど楽しいし、そのこと自体が土地への想像力を刺激する。客が三人くらいしかいないようなバスに延々乗りながらそのような不思議な地名に遭遇するのは、とてもエキサイティングな体験なのだ。

そのような心に留まるような地名に遭遇した時、僕はその言葉を手帳にメモしておく。最近出合った不思議バス停地名のひとつは「トドメキ」。奇妙な生き物の名前のようだ。ネットで検索してみると、日本にいくつかある地名らしい。昔、「風祭」というバス停に出合ったこともある。そのまま詩集の名前にでもなりそうな言葉だが、本当にそんな地名があったのか、あるいは僕の記憶が勝手に捏造したものかも知れない。

                 ★

ところで、南房総市の話。ここに行ったのは他でもない、僕が関係する俳句の集まりがそこで開催されたので、それに参加するためである。二泊三日の予定で、一泊めは都内のホテルに泊まり、二日目の午後からアクアラインを経由して貸切バスで千葉へと向かう。

無くなってしまった白浜という地名だが、バスガイドさんの解説によれば房総にも伊豆にもそして紀伊にも、それぞれ半島の南端に「白浜」という地名があるとのこと。言われてみれば確かにそうだ。単に地名の類似だけでなく、人や文化的な繋がりもあったのだろうか。「房総」の房の語源である「安房」はもともと四国の「阿波」からきているという話もある。そのように海で繋がっていく土地という視点は、何か不意を突かれたような面白さがある。

泊まったホテルは、なんというかちょっと昔風のリゾートホテルとでも言えばいいのか、それはそれで雰囲気が楽しめた。こういうホテルは、日本人が持っている「パラダイス」の概念をてんこ盛りにしてある。海を眺めるトロピカルなムードのラウンジもあれば、そのすぐ隣には石灯籠の立っている中庭があり、ひとつ階下には純和風の温泉露天風呂がある。増築をしたのだろう、複雑な廊下を辿っていった奥には「娯楽室」なる空間があって、ゲームなどの機械がぎっしりと置かれている。ただし、ほとんどのものには電源が入っておらず、そのうちの数台には故障中の紙も貼られていたが(写真1)。

ホテルのてっぺんには西洋のお城風の尖塔がいくつも立っている。ちょっとしたシンデレラ城のようだが、たぶん塔はダミーで中に何があるわけでもないのだろう。多国籍と言えば多国籍、しかし要するに無国籍的なプチ・パラダイスがそこに出現している。誤解なきように言っておくと、そのような楽天的無国籍性を別に非難しているわけではない。個人的には決して嫌いではないし、それにそもそもそのような雑食性は日本文化の特性のひとつでもある。

ホテルに到着した僕は、荷物を部屋に置くとさっそく探索に出かけた。通常のグループ旅行と俳人たちによるグループ旅行の一番大きな違い、それは後者における個人行動の多さであろう。ホテルを出ると、そこには海がある。そして、海を歩いているとあちらこちらで俳人たちがそれぞれに散策している。あるいは、立ち止まったり、座り込んだり、ぼうっと海を眺めたり、つまりはそれぞれの形で「長考」状態に入っている(写真2)。

つまり、それぞれがそれぞれの詩の世界に没入している。これはどこでもそうだ。林の中のホテルであれば、林の中で、川べりのホテルであれば川べりで、とにかくホテルの周りで俳人たちが必ず一人一人の世界に没入していく。

もちろん、全員が没交渉のまま旅行を終えるということではない。当然のように時間が来ると句会が行われるし、夜は夜で旧交を温め合う宴席が、ホテルのあちらこちらのスペースでゲリラ的に勃発する。年配の人たちは、「昔はよく論争をしたもんだ」と懐かしそうに話をするが、僕の体験では激しい論争になるような宴席は体験したことがない。それが世の中の雰囲気なのか、あるいは世代の差なのか、たしかにこの二、三十年くらいの中で俳句を巡って対立軸が次第に曖昧になってきたことは事実だろう。そのような環境の変化は、ホテルでの夜のゲリラ的宴席のような末端にまで現象として現れる。

翌日、集まりが解散した後も僕は少しばかり居残り、近くにある灯台を見に行くことにする。ホテルから灯台まではやや距離がある。湾の向こうに見えている白い塔の姿が少しずつ近づいてくる。灯台に入っていく道に辿り着くと、案内板がある(写真3)。

一帯はちょっとした岬のようになっていて、小さな公園や神社もあるようだ。入り口の辺りには暑い日差しが落ちるアスファルトの広場に沿って、土産物屋が並んでいる。干物や食事を店先で勧められるがそれをいちいち断りつつ道を進み、神社を抜けて灯台に辿り着く(写真4)。

灯台というのはロマンチックな空間だと思うし、実際にそのような題材としていろんなものに取り上げられているような気がするのだが、不思議に灯台の名句というのがあまり思い浮かばないのは何故なのか。あまりにロマンチックすぎるもの(ある意味ではたやすく陳腐になりかねないもの)は意外に俳句の題材としては難しいのかも知れない。

言うまでもないが、俳句には「灯」を詠った季語は多い。「春灯」「秋灯」「灯下親し」「灯涼し」などなど。俳句にはそのくらいの素朴さがいいのかも知れない。あまりにドラマチックなもの、ロマンチックなもの、そういったものは例えば甘い歌謡曲の題材にはいいかも知れないが、実は俳句には似合わない。そのような題材を俳句に取り込むには作者自身に相当な詩的咀嚼力が必要とされるのだ。

言ってしまえば、灯台とは若い日の夢想的なロマンスには向いていても、俳句にはいささか抽象的すぎる。実際、灯台とはなんとも抽象的な空間だ。真白な塔の中をぐるぐると登っていく螺旋階段。そして、頂点にある大きなレンズと光源。要するに灯台とはそれだけの空間なのだ。

当日はとても風が強い日だった。灯台のてっぺんにある展望階のベランダには、二人の先客がいた。一人は、携帯電話で「今、灯台の上なのよ」と言いながら誰かと話をしている。吹きつけてくる強風にいささかげんなりしつつも、それでも見晴らしの良い景色はやはり素晴らしい。見ていると、地表の灯台に向かう道を一団の観光客がやってくる。彼らもこの灯台に登ろうとしているのだろう。

しばらくして螺旋階段を下り始めると、果たして下の方から女性たちの笑い声が響いてくる。やがて階段を下りる僕の前に不意に男性の姿が現れた。

「まだまだか?」

そう訊ねられた僕は、「いや、もうすぐですよ」と返答する。実際、螺旋階段はどこまで登っても同じ風景なので、確かにそのうちに永遠に登り続けているような錯覚に陥るのだ。

「そうか」

男はまるで永遠から解放されたようにほっとした声でそう言うと、再び階段を歩き始めた。その後に、たくさんの男性と女性の列が続いた。

灯台を出た僕は、しばらく岬や近くの美術館をうろうろした後、バスに乗ろうとする。だが、地方のバスにありがちなことに運悪くバスは出た直後で、そのあと一時間以上バスは来ない。そんなわけで結局、その日盛りの町を一時間ほど宛てもなく彷徨い続ける羽目になった。



写真撮影:小野裕三

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