成分表 6 座敷犬 上田信治
初出:『里』2006年7月号
その犬は、まったくの座敷犬として飼われていて、マンションの部屋を出たことがなかった。それどころか、飼い主以外の人間を、ほとんど見たことがないそうで、訪問した我々を見て、たちまちパニックになり、家中を逃げながら吠え立てた。
「ログ(犬の名前)、静かにしなさい」と、飼い主が叱ったが、聞くものではない。飼い主は「じゃあ、ログ、外見ようか」と言いながら、犬を抱き上げ、ベランダへ出て行った。その部屋はマンションの7階で、とても見晴らしがいい。彼は、その景色を犬に見せるために、ベランダに出たのだった。
犬は、彼に抱かれたまま前足を手すりにつき、はあはあと舌をはためかせて、外を見はじめた。我々のことは、もうどうでもよくなったようだった。
犬抱けば犬の眼にある夏の雲 高柳重信
ログを見て思ったのは「この犬には『心』がある」ということだ。あるいは「この犬は、人間と同じように『イメージの世界』に生きている」。
ペットは、可愛がってくれた人にはなつくし、バスケットを見ると(医者を思い出すのか)小便をもらしたりする。言葉をもたない犬とはいえ、世界を直に生きるだけではなく、記憶による間接経験の世界「にも」生きているということだろう。
しかし、ログの場合はどうなのか。散歩をしない(玄関を出ると鳴き叫ぶ)ログにとって、外の景色は「食べ物」「飼い主」「遊び」のような、直接「嬉しいこと」をもたらすものではない。しかし、そこで見るもの嗅ぐものが、彼を喜ばせる。外の世界のことなんか何も知らないくせに、何かがとても嬉しいらしい。それは、犬にしては、ずいぶん人間らしい心のありようだ。
ログが、ベランダで身をひたし味わっていた、外の見晴しや匂い、音、それらが彼の心に引き起こしていたであろうイメージを、想像することは楽しい。
人間にも、ログのような、言葉のない「心」の世界があるはずだと思う。「人間の精神はすべて言葉でできている」という人もいるが、それは人間を特別視しすぎというものだろう。もし、俳句が、人間の「犬の心」に届くとしたら、それはどんな句だろうか。
日のあたる石にさはればつめたさよ 正岡子規
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2007-07-15
成分表 6 座敷犬 上田信治
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