2007-07-29

リセットする「水」 小野裕三

俳句ツーリズム 第7回

御嶽山篇 

リセットする「水」
 ……小野裕三


台風明けの海の日、早起きをして新宿駅へと向かった。新宿駅からは、ホリデー快速おくたま号という電車が出ている。8時19分、新宿発。意外に混んでいないのは、いつもこんなものなのか、あるいは台風直後(というより、まだ去りきってなくて朝はまだ風が強かった)だからか、それとも「海」の日にあえて「山」に行こうと思う人が少ないからなのか。それでも、電車の中にはハイキング姿の人や、何かスポーツ用具(例えば折り畳み式の自転車など)を鞄に詰めて持ち運ぶ人、あるいは地図やガイドブックを広げて眺めている人、などなど、それなりに行楽気分が漂っている。

中央線沿線は、学生の時に住んでいたことがある。阿佐ヶ谷駅から歩いて十分くらいの小さなアパート。アパートというか、正確には普通の住宅の二階部分が二室だけのアパートになっていて、一階は大家さん夫婦の住居。しかも、そのアパート部分の二室のうちの一室には大家さんの娘さんが住んでいたので、要するに大家さん家族以外の賃借人は僕だけであった。南向きの部屋は窓を開けると女子高だか何かのグラウンドがあってとにかく陽当たりはよかった。窓越しに女生徒たちの黄色い声もよく聞こえてきた。

そう考え出すと実は、阿佐ヶ谷だけではなく、中央線沿線はいろんな駅にそれぞれの不思議な思い出がある。吉祥寺駅は、どういうわけか初めて東京に来た時に訪れた街。マルグリッド・デュラスの不思議な映画を見たのだ。今でもよく覚えているが、『ヴェネチア時代の彼女の名前』というその映画は、延々と映される建物の廃墟の映像に『インディア・ソング』という別の映画の音声を重ねただけという奇妙奇天烈なものだった。今になって思えば、学生ででもなければそんな風変わりな映画を見ようとは思わないだろう。そう言えば、中野(正確には東中野)にも小さな映画館があって、何度か来た記憶がある。

荻窪の駅前には健康ランドがあって、どういうわけか二十代後半の時に何度もやってきた。そう言えば確か国分寺にもラドン健康センターなるものがあった。中央線のそれぞれの駅に、不思議な思い出がいろいろある。インド雑貨などを中心とした雑貨屋『むげん堂』も(一時期、この手の店にものすごく凝っていた)、ねじめ正一氏の民芸品店『ねじめ民芸店』も沿線のどこかにあった。弟が昔、中野に住んでいて、その商店街にあった超レトロなクラシック喫茶にもよく来た。思い出せばきりがない。

学生時代、独身のサラリーマン時代、そして結婚した三十代、それぞれの思い出が散発的に折り重なるように存在している中央線。そのような思い出の中を、文字通りまっすぐ(この表現が誇張でなく使えるのは中央線だけだ)走り抜ける「海の日」。

台風直後のためだろうか、窓から見える青空がやけに綺麗だった(写真1)。真っ青な空に白い雲。これが本当に綺麗なコントラストで広がっている。電車は相変わらずそれほど混雑するわけでもなく、ひたすらまっすぐ西へと進む。立川を過ぎると、だんだんに奥多摩が醸し出す雰囲気が忍び寄ってくる。

下りたのは御嶽駅である。文字通り、御嶽山に登るには一番近い駅。駅前には川が流れていて橋が架かっている。ここからの川の眺めは広々としていて気持ちがいい。川原に下りると、ぱらぱらと釣り人の姿も見える。台風の後なので水量が増え、川原の雑草が水没して水の中で揺れている。

見上げると、左手の大きな橋の上で二人組が佇んでじっと景色を眺めている。右手の吊り橋を見ても、やはり二人組が二組、会話をしながら景色を眺めている。一人の観光客や、三人以上の家族客などは、橋の上でもすぐに立ち止まるくらいですたすたと歩き去っていくのに、どうして二人組ばかり橋の上で佇んでいるのか。そして、橋の下の川原では釣り人が二人、離れた位置に立ってそれぞれ黙々と釣りを続けている。

川原から道に戻ると近くにある川合玉堂の美術館を少しばかり覗き、また駅前に引き返してバスに乗る。バスはすぐにケーブルカーの駅に着く。ケーブルカーというのも、結構好きな乗り物のひとつだ。山の中をケーブルに引きずられて斜めに走っていく(よく遊園地などにあるビックリハウスみたいな雰囲気でもある)、どこかしら玩具めいた雰囲気のある乗り物。と言いつつ、この日はケーブルカーでなく歩いて登ることを選択した。

山の入り口には鳥居とケーブルカーの軌道を支える橋桁が並んでいるのだが、なんだか不思議に遠近感が狂ったような風景だ(写真2)。とにかく、その鳥居を潜って山道を歩き始める。時折、後ろからTシャツと短パン姿の人が走りながらやってきて、すぐに過ぎ去っていく。こちらには走って登るほどの体力の自信はないので、ゆっくりと歩いて登る。

山道にも場所によっていろんな名称があるらしく、案内板が立っている。例えば、こんな具合(写真3)。「あんまがえし」とは山道の途中ながらそこからいったん下り坂になっているので、「あんま」の人がそこを頂上と勘違いして道を引き返してしまったという場所。そのまま「日本昔話」みたいだ。

勿論そこから引き返すことなく、しばらく登るとやがて民宿などが並ぶ一帯が現れる。この辺りの宿は民宿というか、宿坊という雰囲気に近い。御嶽山は日本の多くの古い山がそうであるように(東京周辺では高尾山や大山などもそうだ)もともと修験道系の山である。白装束が庭に干してあるのは、そういう山ならではの光景だろう(写真4)。少し先に行った食堂兼土産物屋で月見うどんを昼食に食べる。そのまま古い昭和の時代にタイムスリップしそうな雰囲気の店だ(写真5)。

さて、山頂には武蔵御嶽神社が建っている。創建の古い神社だそうだ。山の歴史とともに、神社の歴史も古い。神社の前は樹もあまりなくて見通しがよい。正面に少しぼこぼこ建物が建っているのが新宿、やや右手に行って飛び出しているのが横浜のランドマークタワー、左手に行くと丸いぽっこりしたものがあってそれが西武ドーム、と神社の人が説明してくれる。そんな遠くの建物も意外にはっきり見えるのに少し驚く。

神社からいったん坂道を下ってまた進むと、ちょっとした広場と茶屋があったり、あるいはさらに歩むと神社の奥の院があったり、さらに進めば綾広の滝という滝(滝行なども行われる神聖な場所とされている)があったり、といろいろ見所は多い。滝は台風直後ということもあって水量も多く、迫力があった。

午後になってまた天気が崩れて、時折雨も降り出した。夕方にはすっかり霧がかかり、奥の院のあたりなどはほとんど幽玄な雰囲気すら漂っている。帰りはケーブルに乗って帰ったのだが、なんとケーブル駅に向かう道の途中に参院選の選挙ポスターが貼り出してあって、少し驚く(写真6)。まさか、こんな山中に選挙ポスターがあるとは、「あんまがえし」よりもびっくりである。

                   *

ところで、今回の小旅行は考えてみれば「水」尽くしであった。台風、雨、霧、川、そして滝。

  滝の夜少女のような和室かな

この句は御嶽山ではなく伊豆で作ったものではあるが、滝を見たあとに旅館の和室に入ったときにふっとできた。滝の余韻と和室の印象が不意に渾然となったのだろうか。滝は古くから神道などの宗教にも深く関係しているとされるが、宗教を引き合いに出すまでもなく滝は確かにどこか神秘めいてもいる。そして、どこか若々しいというか清々しい感覚と、一方でどこか荒々しい感覚とを併せ持っている。一言で言えば、何か「物事をリセットする力」みたいなものがあるような気がする。「水に流す」という言葉もあるように、日本では「水」が物事を浄化する役割を果たすものと思われてきた。記憶も物体も地層のように次々と溜まっていく浮き世のもろもろを、水はまるで吹き払うようにリセットしてしまう。

そして、そもそも日本という国自体が水に恵まれた国でもあり、その四季は水によって豊かに彩られる。川や雨や雪や霧や滝や、そのように常に姿を変える水によってリセットされながら季節を更新していく国土。そしてそのような国土を俳句は長くその対象としてきた。そう考えると、俳句の季語には「水」関係のものが結構多い。水がつく言葉でも「逃げ水」「打ち水」「水温む」「水の秋」「田水沸く」など。雨や氷なども含めると、水絡みのものはもっといろいろある。どの言葉もかなり詩的にイマジナティブな言葉で、日常生活ではあまり使わないような独特な言い回しも多い。

俳句を始めた頃に印象的だったのが、「水の秋」という言い方だった。「秋の水」ではなく、「水の秋」。「水」に対する感覚、そしてそれも含む空間や季節に対する感覚が鋭敏でなくては、このような言葉は生まれない。この一言だけでも充分に詩たりうるポテンシャルを持っているが、そのような言葉を所与の季語として織り込んでしまった俳句という文芸は、考えてみると恐ろしいほどの幅を持った存在であるとも言える。


写真撮影:小野裕三

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