2007-07-01

季語と聖的回路 小野裕三

俳句ツーリズム 第5回
鹿島篇 
季語と聖的回路
 ……小野裕三


鹿島というと、実はアントラーズくらいしか知らなかった。僕の正業は広告会社で、十年くらい前にCFの撮影で鹿島スタジアムに行ったのだが、なにしろその記憶しかない。鹿島立ちという言葉や、芭蕉の鹿島紀行も、その存在は知っていたが、それ以上の深い知識はなかった。ところが、鹿島神宮という名前は不思議に記憶の中に刷り込まれていた。なぜかというと、僕は神奈川県在住なのだが「鹿島神宮行き」という直行列車がその神奈川県の駅から出ているのである(勿論、さすがにほとんど本数はないのだが)。

そんなわけである日、そのまだ見ぬ鹿島神宮に行ってみようと思い立った。自分の住んでいるところからおそらく一番遠くまで繋がっている列車がその鹿島神宮行き列車だ。毎日、僕が住んでいる場所とその鹿島神宮という場所とは直接に電車が行き交っている。そのことを考えると、なんだか頭の隅が少しばかりこそばゆくなるような感覚がする。見知らぬその土地と、自分が住んでいる場所と、その間の長い距離を毎日律儀に往復する列車。

ある晴れた五月の休日、僕はいつもの自分の住んでいる駅から列車に乗る。それは残念ながら鹿島神宮直行便ではなかったが、とにかくその線路のまっすぐ先に鹿島神宮はあった。途中で電車を乗り継ぎ、三時間近くかかって列車は鹿島神宮駅に着いた。鹿島神宮は駅から歩いてすぐの場所にあるが、途中にずっと参道が続いていてなかなか雰囲気がある(写真1)。

鹿島神宮にはそんなわけで初めて訪れたのだが、想像していた以上に素晴らしいところだった。事前に調べたところによると、鹿島神宮はすぐ近くにある香取神宮とともに「神宮」の名称を冠されているが、古くはこの「神宮」の名称を持つのは日本でも伊勢・鹿島・香取の三社だけだったらしい。非常に由緒正しい神社なのである。だが勿論、由緒はあっても今は寂れてしまった寺社も少なくない中、鹿島神宮は生き生きとした雰囲気を持っていた。伊勢神宮もそうだが、鹿島神宮も森の中の神社というか、もっと言ってしまえば森と神社が一体になっているような印象だ。その一体感の中に、明るく伸び伸びとした、しかしそれでいてどこか高貴な雰囲気が充満している。そのように森が持つ温かい奥行きと一体になった快さは、どこか日本的聖性の典型のように思った。

ところで、その鹿島神宮の境内にはあちらこちらに句碑や歌碑の類が立っている。句碑や歌碑があるのは日本の寺社では決して珍しいことではないが、それにしても数が多いように思ったのは、こちらが意識して探したせいだけでもないように思う。いくつか紹介してみよう。

 此松の実生せし代や神の秋  芭蕉
 大地震(おおなゑ)にびくともせぬや松の花  一茶

この二句はそれぞれ芭蕉と一茶が鹿島を訪れた際の句との説明がある(写真2、3)。ともに、人間を遥かに超越したような存在に、つまり長大な時間の蓄積であったり巨大な大地のエネルギーであったり、そのようなものに思いを馳せている。そういった超越的なものに思考を向けなければならないような雰囲気が、確かにその場所には充満している。
そしてそれ以外にも、境内には次のような句が紹介されていた。

 鶯や神楽拍子になれて鳴く  虎杖
 涼しさや神代のまヽの水の色  雪才

 このような句には、何か律動のようなものを感じる。自然というものを貫いている律動のようなものを。いや、確かにこの森の中には、何か眼に見えない律動のようなものがあるように思える。それも、極めて心地の良い律動だ。そして、このように自然自体が宿している律動は、どこか俳句という文芸の本質的なものとも繋がっている。

                   ★

日本には「言霊」という言い方が古くからある。僕は、この言霊という言葉が好きだ。そして、そのような言葉を持っている日本語が好きだし、さらにはそのような日本語によって作られる文芸が好きだ。言葉が運ぶもの、あるいは、言葉が届くところ――その射程がこの「言霊」という視野によって圧倒的に広がるように思うからだ。言葉が運ぶのは、単なる実利的な意味だけではない。言葉が届くのは、単なる人間の表層的な意識だけではない。何かもっと人間を超えたようなもの、森羅万象を貫く律動のようなもの、言葉とはそのようなものにも繋がりうる潜在力を持つものではないのか。過度に神秘的なことを言うつもりもないが、しかしそのようなことは俳句もしくは何か文芸に関わった人であれば漠然と実感していることではないかと思う。もしそのことを古来の日本人が「言霊」という言い方で表したのだとするなら、僕はその思想を貴重だと思う。

そして多くの寺社が句碑や歌碑の類を大切にしているのもそのような思想の延長にあるのかも知れない。そのような句碑がわざわざ聖域に立てられているのは、別に観光目的であったりあるいは単なる歴史解説であったりするはずは勿論ないだろう。「言霊」に繋がる思想があるからこそ、そこに句碑や歌碑が立つのではないのか。その時、俳句や短歌は、つまりそのような日本語による文芸は、何か聖的なものに繋がっているとも言えるのではないか。

伊勢神宮とも並び称されるほどの歴史を持つ鹿島神宮。その本殿のすぐ脇には芭蕉の句碑が立っている。それは神に捧げるに相応しい言葉だったのか。聖域の中心に置くに相応しい言葉だったのか。そうであるとするなら、その文芸の末裔の片隅に席を置く人間としては、どこかしら嬉しい気持ちになる。俳句というこの小さな文芸が、日本的な聖性の深淵に、そしてその源である深い歴史に繋がっているのだとしたら、少なくとも僕はどこか誇らしい気持ちになる。それはとりもなおさず、日本人の精神と歴史の核心にわれわれの文芸が繋がっていることを意味すると思うからだ。

前掲の句では、一茶の句はさすがに一茶らしくどこか諧謔味を帯びているものの、芭蕉の句はそのような俳句の持つ射程を意識した句になっているような気がする。日本人の歴史、日本人の聖性、そして日本人の精神の深淵、といったものにまで手を伸ばすことができる俳句という文芸の射程を、「俳聖」と呼ばれたこの俳人は勿論、熟知していたのに違いない。

ところで、さきほど森の話をしたが、そのような日本的聖性のことを考える時、森もしくは植物という存在は欠かせないもののように思う。神社に深い森という存在が欠かせないように(実際、伊勢神宮にしても鹿島神宮にしても、建物が特別に華美というわけではない。そのからっとした明るい空間の中は、常に圧倒的な森の存在感に包まれている)、俳句にも植物という存在は欠かせない。俳句に季語という決まりがあり、そしてその季語の多くが植物という存在と多かれ少なかれ繋がっているのは意味のないことではないはずだ。神社が森に包まれているように、俳句は植物に、そしてそれに代表される季語に包まれている。季語を単なる旧弊的な決まり事と見る見方はあまりにも勿体ない見方だと思う。森を取り払った神社が味気ないものであるように、季語を取り払った俳句という文芸もまた味気ない。それは、単なる闇雲な決まり事などではなく、俳句が孕みうる聖性に繋がるための回路であり、つまりは日本的な歴史の深淵と聖性に繋がる回路であるのだ。

季語を金科玉条のように固守する態度も、あるいは逆に季語を旧弊の象徴のように闇雲に攻撃する態度も、どちらも僕は首肯できないところがある。むしろ文芸自体を活性化する有用な回路として季語を見るべきではないのだろうか。季語はもっと自由なものであり、そしてもっと素晴らしいものだ――そんなことを、鹿島神宮を包む美しい森の姿を見ながら考えてみた。

                ★

ところで蛇足ながら、先述したように鹿島神宮のすぐ近くに香取神宮も存在する(写真4)。日本に三つしか存在しなかった「神宮」の二つが、なぜこんなに隣接して存在しているのか、いささか不思議ではあるが、旅行者にとってみれば便利と言えば便利だ(ただし、香取神宮は鉄道の駅からはいささか離れているが)。鹿島神宮を訪れた際には時間があればこちらにも訪れてみるといいだろう。




写真撮影:小野裕三

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