2007-07-01

「新鋭俳人競詠」を読む(後編)

『俳句研究』20077月号
新鋭俳人競詠」を読む (後編) ……上田信治×さいばら天気

「新鋭俳人競詠」を読む(前編)はこちら↓
http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/06/blog-post_5280.html


21 瀬間陽子・願い

信治::言い方は過激でおもしろいんですけど、内容は、おそらくごく普通の心境なんですよね。もひとつ、おもしろみがよく分からなくて。

天気::私は「曝書して父の前立腺満ちよ」。「前立腺」だなんて、可笑しいじゃないですか。「曝書」の「曝」の字が喚起するイメージと前立腺の取り合わせもおもしろい。

信治::あ、そこはおもしろいですね、被曝の「曝」ですね。おとなしい振りをされているのかな。

天気::充分暴れているようにも読めますよ。「日盛りは美空ひばりのマイクかな」とか。

信治::なるほど、そういう句から読むと、8句全体の印象も違ってきますね。私が、この人の自己紹介を受けとめきれなかっただけかも。


22 十亀わら:藪椿

信治::この人は狙いどころが、分からなかった。ただごとっぽい句、心境っぽい句、叙景句、とあるんですけど、なんか、それぞれ弱い印象で。いかがですか?

天気::パスです。

信治::そうですか。

天気::はい。でも、「さへづりの本気に近き空の色」は、積極的に、ということでなく、いただくかどうか迷いました。囀りと空というテーマは、なかなか野望じゃないですか。当たり前過ぎてなかなかうまく行かない。この句も特別うまく行っているとは思いませんが、その意欲というか志に一票。


23 高柳克弘・晩年のランボオ

信治::いただきたい句はたくさんありました。「口中に薄荷の冷えやかたつむり」。口の中というのは、なくもないんですが、「かたつむり」が(笑。

天気::そうそう。この「かたつむり」はねえ…。全体に季語の展開がそうとうおもしろいと思いました。

信治::「籐椅子やひかり退く海の果」の美しさ。この人の本芸は、こちらにあるのかもしれませんが、「口中に」の、粘膜感覚で、内界と外界をひとつにつないでしまうふしぎさに引かれました。岸本尚毅の「雪舞ふや鶯餅が口の中」は外と内が隔絶してるんですけど、その裏返しでしょうか。かたつむりまでヒンヤリしてくるような。

天気::たしかに、この「かたつむり」はとんでもないですね。

信治::「まつしろに花のごとくに蛆湧ける」、じつに汚くて美しい。

天気::その句もいいですね。


24 高山れおな 俳諧曾我Ⅵ
信治::はじめは、回文かと思って逆から読んでしまいました。

天気::パスですか?

信治::そうですね。目くらましをはずして読むと、けっこうくだらないのではないか。「和稲(にぎしね)の星 ちりばめて 性交す」の「星ちりばめて性交す」はないでしょう、という…。

天気::
私もパスですが、その句にチェックは入れました。読者を笑わすつもりなら、いただけると思って…。笑いをとることは悪いことでではなくて、むしろ積極的に支持したいことなんですが、この句の場合、そういうことでもないみたいです。性交に星をちりばめたら、それはもう、和稲だろうがミラーボールだろうが、笑いをとるしかないはず。でも、どうも、これは、本気で星をちりばめているっぽい。

信治::そうですね。神話的な世界ということなのかもしれませんが。「雷甚(いた)も はためく昼の 蛾の眉よ」も、けっこう常識的でしょう。

天気::漢字の使い方、ルビ、一字アキなど、見た目は凄いんですが、内容を読んでみると、普通というか、あまりに順当なアプローチ。もうすこし飛距離が出てもいいのに、という印象です。

信治::「摩天楼」に「おとうと」を、立たせてみたりとか、よく読むと残念、という感じ。


25 田島健一 はたらく蛇
信治::なぜか、かわいらしい印象の一連で、キャラを押し出すような句じゃないんですが、自己紹介としておもしろいと思います。ただ、じゃあどの句かというと、困ってしまう。「戦争やはたらく蛇は笛のよう」はちょっと好きだったんですが、「白日の腫瘍のごときいちご狩る」の「腫瘍のごときいちご」とか、「帆のような素肌ラジオのように滝」の「帆のような素肌」と言われると、うーん。

天気::はい、「腫瘍のごときいちご」はダメ。でも、「帆のような素肌ラジオのように滝」はいただきました。

信治::ヘンな文体ですよね。「ような」「ように」と1句のなかに直喩を2つ重ねるという。

天気::この手の対句はめずらしいですね。前半の比喩は、後半の「ラジオのように滝」の露払い的に考えて、これくらいでもいいかな、と。どっちも凄いと、どっちを楽しんでいいのかわからなくなる(笑。

信治::迷ったのは「翡翠の記憶しんじつ詩のながさ」。すごく引っかかりました。

天気::私もそう。この句もいただいてもいいな。不思議に魅力的なフレーズですよね。この句全体として、乱暴な省略の魅力もありますね。助詞を省いて、スピード感やテンションを生み出すのが、ひとつ、田島さんの方法なんですが、この句は、それに加えて、「詩のながさ」という罠、というかフックも効いている。いただいた句よりもこっちのほうがいい句かもしれません。

信治::ううん、「詩のながさ」はおもしろいですね。解釈がつかないおもしろさ。

天気::それと、作句信条には触れないという原則ですが、例外的にあえて…。ここにね、俳句のことを「遊び尽くせないディズニーランドのようだ」とあるんですが、「俳句ってその程度かい?」と(笑、田島さんに向かって言っておきたい。ディズニーランド程度じゃ困るでしょ、悲しすぎるでしょ(笑。

信治::ディズニーランドを作っているようだ、というのなら、この人らしいかもしれませんが。


26 立村霜衣 住吉の卯月

信治::素晴らしい作句信条です。「本当は俳句らしく作りたくないのである。でもどうしてもそうなる」から始まるんですが。

天気::あとは『俳句研究』を買って読んでもらいましょう。8句のほうは伝統的な肌合いと言っていいんでしょうね。1句、おもしろいと思う句がありました。「御田植の近し浪速は曇りがち」。他は、私には退屈な句が並ぶのですが、この句はとてもおもしろい。

信治::ホトトギスの人らしく、季語そのままという句が多いですね。たとえば「土黒ければ御田植を待つばかり」は、春の土というだけで。


27 田中亜美 微炭酸

信治::「真葛原ときどき兎濡らしをり」をいただきました。

天気::私もそれを。

信治::ただ、女性が動物を持ち出すときは危なくて、たいていかわいくなってしまう。また自画像だったりする(笑。

天気::深層心理テストですね。

信治::でもこの句はそんな感じは薄くて、兎を出していながら、ほぼ真葛原しか見えないところが、おもしろい。

天気::句の立ち姿のわりに大したことが詠まれているわけではない。「それは濡れるでしょう、ときどきは」という当たり前のこと。そこがいいですね。


28 田中櫻子 とどまりて

信治::「葉桜や先輩として会釈する」という句だけ、ちょっと好きでした。たとえば後輩社員とすれちがうとき、「あ、どうも」というふうに無言で頭を下げる。オフィス街の夏、というかんじ。

天気::なるほど。私はパスでした。ううん、なぜなんでしょうね。身体感覚が退屈な方向に向かってしまっている、という感じでしょうか。「スカートを軽く払ひて春惜しむ」とか。ほとんどの句が一人称で書かれ、なおかつよく目にするたぐいの叙情がまぶされている点が、ちょっと入っていけなかったということでしょうか。


29 谷 雄介 咲くやうに

信治::好きなのは「夏の暮とは清盛のものならむ」。清盛は熱に苦しんで死んだので、その連想でしょうか。おもいろい句だと思いました。それと「封筒の内側青し夜の秋」。別に谷君が詠まなくてもいい句だけど、よく出来ている。

天気::私はその句をいただきました。いろんな意味を込めて(笑。

信治::知り合いなんで、作句信条にも触れたい(笑。はじめ「いい子になりすぎている。ふざけてるのか」と思ったんですが、よく読んでみると、非常に正直に語られていると思いました。

天気::それも「週刊俳句」の読者には、『俳句研究』を買って読んでいただきましょうか。ここはハイライトかもしれない(笑。

信治::この作句信条は大ホンネだと思います。蒸留されて、フツウになってしまっていますが。


30 津川
絵理子 夏服

信治::評価の高い人ですね。俳人協会新人賞をとられていて、この春夏、俳句総合誌でたくさん、この方の作品を見ました。おそらく山のように注文が来ていて、そのなかの7句ということだと思います。いちおう「輪隔の淡き小鳥の卵かな」をいただきました。

天気::「輪隔」とありますが、「輪郭」の誤植でしょうね。まあ、誤植はいくつかあるようですから、それがどうというのではなくて。私は「糸桜鳥のあたまに触れにけり」をいただきました。

信治::ああ、これ、かわいいですね。この句は「糸桜が触れた」と読んじゃいけないんでしょうね?

天気::いえ、私はそう読みました。糸桜の「ら」で切らずに。

信治::ああ、そっちがほんとかも。でも、それだと、どれくらいの大きさの鳥なんだろう。

天気::いえ、小さな鳥。その頭に、糸桜の尖端が触れたと…。作者が鳥の頭に触れたのなら、いただけません。


31 津田このみ・大きな船

信治::「春の雨とは傷口に置くガーゼ」「シャチハタを押してもらってちるさくら」「初夏のヨットの名前読み上げる」の3句をいただきました。

天気::私のそのあたりには印を付けたんですが、あえて「ヨットハーバー声の大きな男かな」「緑さす大きな船のような人」の2句。「大きな」とか「大きい」とか、よくぞ、こんなに気にせずフランクに使ってくれました、という感じで(笑。しかるべき場所に持っていけば「ダメダメ」な評価を受けそうな2句をあえて(笑。

信治::この人にとっての気持ちよさが明確に伝わるような句。

天気::こだわりのなさが気持ちいい。存じ上げなかった人ですが、今回、ちょっとツボに来ました。

信治::気持ちいいですね。素直な季節感もあるし。口語なんだけど、ぎりぎり甘くないというか。


32 ドゥーグル・J・リンズィー・万緑の奥

信治::パスに近い。

天気::「錦蛇ヘビを呑み込む去年今年」をいただきました。「去年今年」がかなりトンでもなくて、凄い季語を持ってきたな、という…。なんだか可笑しい句になっている。

信治::「蛸」とか「蚯蚓」とか「虚空」とか、モチーフの出し方がちょっと紋切型っぽくないかな、と思いました。

天気::詩的なアプローチも見えますね。「銀河の底に闇吐き出すまで蛸はつつく」とか。「闇」じゃなくて「墨」でしょ?と反応したくなる。

信治::「蛸をつつく」じゃなくて「蛸はつつく」と蛸を主格に持ってきたところは、これ、大丈夫なんでしょうか(笑。「蛸というものは、つつくもんだ」ということですよね(笑。人を不安にさせるような言い方で、おもしろいのですが。


33 鴇田智哉・つちふる

信治::いつものこの人というかんじで、ふつうにいいですね。「雉鳴くとトタンの板が出てをりぬ」が好きでした。雉の声がひびく視覚的には特定されない空間に、ぬっとトタン板が突き出てくる。

天気::私にはどの句も気持ちがいいのですが、「春昼や息のをはりに目が覚めて」「おやゆびに日のあたりをる竹の秋」「手をあげて日永の空をうごかしぬ」の3句をいちおう。「おやゆび」の句は、「日にあたりをる」とあるんですが、「日の」の誤植でしょう。

信治::「手をあげて」の句は手を動かしているのか、空を動かしているのか、わからないけれど、どっちでもいいということなんでしょうか。


34 冨田拓也・壺中の天
信治::ううん、むずかしいなあ。パスに近いかな。

天気::パスです。

信治::ポエムになってしまうんですね。

天気::気持ち悪いということでチェックを入れたのが「青梅雨や壺中に龍の蟠(わだかま)り」。これは肌合いの伝わる凄みがあります。伝わって気持ちがよかったり風趣があるというたぐいのものではないので、いただきませんが。

信治::「茅舎忌の壁は四方へ倒れゆく」をいただきます。解放への祈りがあるということで。


35 中村夕衣・沖

信治::△(三角)なんですけど、「手の中の水飲み春を惜しみけり」。「水飲み」のあたりがこなれないんですが、モチーフには好感ということで。こなれないといえば「積まれたる岩波文庫若楓」の「積まれたる」も収まりが悪い。

天気::口調のこなれなさ、ですね。

信治::「新緑の旅行カバンをひきずりぬ」の「ひきずりぬ」も、なんかしっくりこない言い方で。これはこの人だけではなく、40作品を読んでいて、しばしば感じたことなんですが、「ここでどうしてこんな言い方するんだろう」と。気にしていくと、むりやり文語にしてるな、とか、いろいろ…。

天気::俳句の型におさめようという意図?

信治::「俳句らしい言い方」をしようとして、ぎくしゃくしてしまっている。

天気::口語に見えるという「傷」に対して敏感なのかもしれません。

信治::減点を防ぐという発想ですね。それが、かえって無神経な言い方になっている。それがちょこちょこと見えました。

天気::私もパスに近いですが、「どの船も沖を向きたる薄暑かな」。気持ちがいい。

信治::たしかに気持ちはいいですが、既存ですよね。

天気::はい、よくあるパターンです。


36 日下野由季・ライラック

天気::「骨格の正しく百合の花ひらく」をいただきました。それほど説得力のある比喩とは思いませんが、百合の句で「骨格」という熟語は、唐突でおもしろかった。
信治::かなり、パスでした。「人去りし藤棚に日の当りをり」は、いやじゃないんですけど、言い方があちこちへんだし。

天気::
その句の場合、「人去りし」というある種のドラマ、舞台設定がいるのだろうか、とも思いますね。

信治::大げさになっちゃってますよね。「人去つて」じゃ、だめなのかな。これが、生理的に選ばれた言い方だとしたら、言っても詮ないですけど、そういうんじゃ、なさそうですし。あと「触れ過ぐる猫やはらかき緑の夜」の「触れ過ぐる」という文語の舌足らずさ。「触れてゆく」とか「触れて過ぎゆく」じゃ、だめなのかなあ。
天気::
字余りでいい、という気がしますね。むりやり五音という処理は、この人に限らず全体にちらほらあったように思います。中七をかっちり決めておいて、上と下はある程度自在に韻律をつくるという手法は、かつては広く実践されていたわけですが、若い人ほど、上下の五音を厳格に守る傾向にあるのでしょうか。ちょっと足枷のようにも感じてしまいます。

37 益永涼子・須賀川の夏至

信治::パスです。

天気::「矢印に沿うて曲がらむ蝉の殻」をいただきました。「らむ」が不思議(笑。自然公園などによくある順路の標識、あるいは葬式の案内矢印とかでしょうか。いずれにしても、受け身の行為。なのに「らむ」。なんでこんなところで毅然とした意志を持ってくるんだろう?と(笑。


38 三角尚子・なまぬるき風

信治::パスです。

天気::同じくパス。既存の俳句をなぞっている感じが強いですね。それから「なまぬるき風吹いてゐる蟻地獄」は俳句という枠組をはずしても擦り切れ感が強い。つまり、俳句の外でも、すでに飽きるほど繰り返されたイメージ。


39 森川大和・風の滑

信治::ちょっと苦しかったなあ。「眼の奥のまっかな出目金のホテル」って、ちょっとおもしろいんだけどなあ。

天気::私はそれをいただきました。

信治::考えさせてくれるという意味では、いいのかも…でも韜晦だな。しっぽをつかまれまいと懸命なような気がします。

天気::「出目金のホテル」って、この人、何言ってるんだ?というおもしろさがあります。ヘンなことを言っている、と思える句が好きなんです。でも、気になったのは、「眼の奥の」と、なぜ「眼」をかぶらせるんだろうということ。

信治::「出目金のホテル」だけでは、かわいすぎると思ったんじゃないでしょうか。

天気::眼じゃないものでもいいわけですよね。ごく普通に考えて、言葉もイメージもバッティングする。

信治::イメージの重なりが多いですよね。「葉桜に吹かれて金の川蜻蛉」の「吹かれて」「蜻蛉」、「蟹の背の光れり風の薫りけり」、の「光」と「風」。ねらいがあるのかもしれないですけど、ちょっと言葉の無駄遣いのような気もします。

40 矢口 晃・生きものの森

信治::ううん、これも困りましたが、「梅干しぬ犬に盛りのつきにけり」をいただきます。

天気::私もそれを。おもしろいと思いました。

信治::しかし「梅干しぬ」という言い方はいかがなものか(笑。

天気::さっきも話題に出た文語の「ぬ」ですね。

信治::そりゃあ「ぬ」は付かないことはないけど(笑。そこで、笑わせることは本意じゃないだろう(笑。

天気::この人の場合、作句信条にあえて触れたいんですが、「切迫した、緊張感のある、現代的な俳句を作れればと思う」とあります。ところがね、本人の狙いはそうでも、この人のおもしろさは、むしろ弛緩、脱力にあるような気がするんです。梅を干して犬が盛る、なんて、完全に「弛緩系」のおもしろさです。「蚊柱が立つ連日の小火騒ぎ」もそう。脱力です。もし、本人が、これらを「切迫」「緊張」と思っているとしたら、そうとうにおもしろい人です。がぜん興味が湧いてくる。

信治::この人はナイスキャラかもしれないですね。

天気::どうしようもない句もあります。「蛇穴を出づ原つぱの見当たらず」とか。

信治::「出口なきほたるぶくろとなりにけり」とか。

天気::そう。そういう句は、句座からの悪影響なのか、俳句とはこんなもの、という思い込みから来ているのか、わかりませんが、そういう脈絡とは無関係に出てくる句が、とんでもなくおもしろくなる可能性があると思いました。

信治::今後に期待ですね。

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天気::これで40作品、読んできたわけですが、全体で何かありますか?

信治::自分の勝負どころが、すでに決まっている人と決まっていない人がいるということを、あらためて思いました。たぶんキャリアの差だと思うんですが、はっきり分かれますね。

天気::そうですね。名前も知られ、キャリアもある人は、狙いは固まっている。今回の8句について、信治さんとふたりで語ってきましたが、ある程度出来上がった作家については、好みという部分も大きい。一方、まだ何がやりたいのか伝わらない人たちも多い。半分以上は、そのように感じました。

信治::もうひとつ、全体に、ヘンなことをしている人があまりいないな、という印象をもちました。でも、ヘンな人になりそうな人は何人か見つかったので、それが楽しみです。

天気::楽しく読めた一方で、「こぢんまりと失敗している」と思う人もたくさんいるように思います。前のめりに倒れる失敗は好感がもてます。今回、うしろ向きに倒れている句が多かった。
句の傾向として、どうでしょう? ざっくりいえば、意味伝達性に関して、重きを置く伝統俳句系と、重きを置かない現代俳句系。乱暴な対比ですが、40作品でもその対照というか区分はあると思うんですが。

信治::「分かる」「分からない」という区分ですね。たしかにその二分法は、かなりの部分成り立ってしまうんですが、たとえば鴇田智哉さんは「分かる言葉」で「分からないこと」を言おうとしてますよね。明隅さんや津川さんのような、いわゆる伝統派の人にも、読みにぶれが生じることを許容しているように見える句もある。逆に現代俳句系でも、小野裕三さんの句に、ふしぎな分かりやすさがあることが新鮮でした。それぞれに浸透圧がはたらいて、「分かる」こと「分からないこと」に、そんなに厳密じゃなくなっているのだとしたら、おもしろいですね。

天気::なるほど、そう考えると、楽しみです。新鋭俳人が、縦のラインで流派の伝統を受け継ぐより、むしろ、横のライン、つまり同世代を横目で意識しながら、自分のやりたいこと、できることを探っていくという傾向が強まれば、それは読者としても刺激的なことです。

信治::『俳句研究』としても40人を集めた甲斐がある、というものですね。

天気::これ、どのように選んだのでしょうね。結社経由ではないような気がします。

信治::そうですね。がぜん選抜の基準などに興味がわきますね。

天気::ここまで集めた『俳句研究』には敬意を表したいですが、このほかにも20代30代のおもしろい俳人はたくさんいそうです。実際、二三の御名前はすぐに思い浮かぶ。

信治::そう思います。

天気::それではこのへんで。言い足りなかった部分は、それぞれのブログに書くということで…。長時間、お疲れ様でした。


※とか、言っているうちに、『俳句研究』8月発売号を最後に休刊、との報が。おやまあ。(信治)

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