俳句ツーリズム 第9回
湘南篇
俳句と絵画 ……小野裕三
知人宅で行われるバーベキュー会に招待された。場所は湘南。湘南でバーベキューというのはそれだけで洒落ていて、なんだか嬉しい。
自宅からはまず鎌倉まで行き、そこで江ノ電、小田急線と乗り継いで到着する。休日の江ノ電は、実に楽しい。まず、がたがたとお尻を振りながら走っていく電車が実に愛らしい。いろんな現代的乗り物がびゅんびゅん飛び回る中、それを尻目にして人間の速さにちょっとだけ機械の力を加えました、くらいの雰囲気がなんとも潔い。そして、沿線の風情ある雰囲気。線路に面して立つレストランなどの店もあるのも、なんとも人間臭い感じがする。ちなみに、由比ガ浜駅の近くに虚子の旧宅もある。特別に観光スポットになっているわけでもないのでやや気づきにくいのだが、ちゃんと案内板もひっそりと立っている。ここに虚子が暮らしていたのか、と思うと感慨深い。
波音の由比ガ浜より初電車 高浜虚子
こんな虚子の句もある。この初電車もきっと江ノ電だったのだろう。虚子の旧居の辺りを過ぎてしばらく走ると、江ノ電はやがて海沿いの道を走るようになる。晴れた休日だったりすると、車内から眺める光景は実に気持ちがいい。
そうして、江ノ電は江ノ島駅に到着する。駅から江ノ島までの道が実に行楽気分に溢れている。水着姿、アロハシャツ姿の人がうろうろと歩いてくる。道沿いには土産屋や旅館、食堂、そして時に香水瓶美術館とか灯台グッズ専門店とか不思議な店も混じっている。香水瓶美術館とは、文字通りさまざまな国や年代の香水瓶をコレクションしているだけだが、クラシックかつマニアックな雰囲気に溢れていて実はなかなかの穴場である。特に夏のこの時期は、江ノ島近辺にとって一番華やかな季節だ。浮き輪を吊るした店(写真1)、サンダルを並べた店(写真2)と、とにかく夏の行楽地の気分が充満している。海に行くと、ゴムボートやら水上バイクやらがうようよと群れているのもなんだかうきうきする光景だ(写真3)。
江ノ島を登る足腰黄金虫
この句はもう何年も前に江ノ島で作ったもの。実は「行楽俳句」(もちろん、こんな言葉はない。たった今、勝手に命名した)は僕の密かなテーマのひとつでもある。その意味で、江ノ島・鎌倉方面はとにかく句材に溢れた場所。江ノ島神社のあたりも古い信仰地の雰囲気があって美しい(写真4)。江ノ島は今では橋が浜から続いているので歩いていけるのだが、実はその橋の袂から島の裏側(というか浜の反対側、つまり南側)へと走る小さな船が出ている。フェリーというよりは小さな漁船と言うのが正しい(写真5)。以前、一度だけ乗ったことがあるがこのささやかな船旅もなかなか楽しめる。
午前中に江ノ島のあたりをうろうろした後、小田急に乗ってバーベキュー会の会場に向かう。既に参加者はほとんど集まっていた。麦茶などを飲みながら、「ソーセージを買うべきか否か」「烏賊は何杯買うべきか」といったことを話しあっている。それが決まったところで、数人で近くのスーパーに買出しに行く。この、バーベキューのための買出しの時間というのが結構気分が盛り上がってくるいい時間だ。カートを押しながら、手元のメモと商品をひとつひとつ対照していく。買出しから帰宅後、すぐに炭起こしが始まる。新聞紙を千切ったり、内輪をぱたぱたさせたりと格闘を続けながら、やっと火が起きる。あとは鉄板の上で食べ物が順次焼かれていくだけである。
食事後にしばらく雑談をして落ち着いたところで、近所の八百屋から西瓜が届いた。「この西瓜は一番生りなんだよ」と家の主人が自慢している。そう、やはりバーベキューの締めは西瓜に限る。ぱらぱらと塩を振って、がぶりと食べる。
★
ところで、この会場になった知人宅(知人と言っても僕よりだいぶ年は上なのだけれど)には二階にアトリエがある。彼は画家なのである。最近の僕の趣味のひとつが「絵画」。この日も、少し前から描いていたパウル・クレーの模写の額装が完成したのでせっかくなのでお披露目のために持参した。パウル・クレーはかなり好きな画家で、僕の自宅にも何点か市販のクレーのレプリカを飾っている。今度はそれに、自作の模写が追加されるわけだ。せっかくなので、いささか手前味噌で恐縮だがその拙作を公開してみる(写真6)。
絵を書くのは面白い。それにいろいろ発見がある。バウル・クレーの模写は、描くこと以外の作業に意外に手間取った。紙を千切ったり、貼り合わせたり、そんなことだ。素材の面白さ、とでもいうべきものがその作業の過程にはある。素材をいじくりまわすという作業はそれ自体が不思議に快感なのだ。紙を切ったり、糊を煮たり、刷毛で水を塗ったり、貼って乾かしたり、そんな作業には絵画というより工作という言葉の方がむしろ合っているが、素材をいじっているうちにある種の創造力が刺激されて働きだすことがある。それはきっと、俳句にも通じる事柄だ。言葉という素材をごろごろと転がしているうちに何かの創造力が働きだすことがある。作品は必ずしも対象にのみ規定されるものでもなく、時と場合によっては素材にも規定される。
もちろん、その一方で素材よりもむしろ徹底的に対象に没入するやり方もあるはずだ。それは俳句でも同じで、それが俳句において「写生」の重要性が主張される所以でもある。そして、お気づきだろうが「写生」はもともと実は絵画の用語でもある(そもそもの始まりは、子規が洋画家から「写生」論を学んだこととされている)。素材を重視するやり方と対象を重視するやり方、これは絵画でもあるいは俳句でも、あるいはその他の創作行為でも、おおまかに共通するふたつの方法論なのだと思う。俳句に関して言うなら、ごくごく大雑把に分類すると対象重視(つまり写生派)のやり方が「伝統」俳句に、素材重視(つまり言葉派)のやり方が「前衛」俳句にそれぞれ対照すると言ってもそれほど大きな間違いではあるまい。
バーベキューの食事が一段落したところで、その二階にあるアトリエを見学させてもらうことになった。天井に天窓のある、やや広めの部屋。壁に完成した絵が飾ってあったり、道具類が整理されて吊るされていたり、いささかアンティークめいた箪笥や棚が並べてあったり、奥には大きなオーディオセットと机があったり、あとは描いた作品が壁にいくつも掛けてあったり、と、たぶん一般的な人の想像する「アトリエ」の条件をほぼ完璧に満たしている空間であった。正面には大きな白紙の紙が置かれているが、これは今からフレスコ画の模写を始めるものらしい。
いいなあ、アトリエ。
そう思いながら、しばらくその空間に身を置いている。実際、子規が「写生」を洋画家から学んだとされるように、子規も漱石も絵を描いた。というより、昔の文人たちは、要するに創作全般あるいは芸術全般というものにおそらく大らかな貪欲さを持っていた。そして、それを囲む文壇や画壇にもおそらくはそれを包容する雰囲気があった。今の時代は、いささか蛸壺化というか、文芸に関して見るだけでも、俳句、短歌、詩、小説、戯曲、とそれぞれのジャンルの垣根が高いような気がする(あまり詳しくは知らないが、絵画の中でもやはり洋画、日本画、現代美術、等々の垣根はやはり高いのだろうか)。けれども、昔の文人たちはそういった境界を自由に行き来しながら、それらの領域からいろんなものを学んだ。実際、そうでなければ子規の「写生」論は誕生しなかったろうし、だとすれば現在の我々の俳句文芸の根幹を支える「写生」という俳句技術もあるいは存在しなかったかも知れないのだ。
少なくとも、絵画における「写生」という技術もしくは思想は、近代俳句が創生された時代の記憶と実は重なっている。「写生」ということについて、子規はどんなことを感じたのだろう、と思いながら絵を描くことはとても興味深い行為だ。僕にとっては、模写という作業によってクレーなどの個々の画家の思いを追体験することができるが、それを含めて絵を描くという作業自体がうっすらとした近代俳句誕生の瞬間を追体験する行為でもある。いささか大袈裟に聞こえるかも知れないが、少なくとも絵を描くことで個人的に学ぶことは多い。
写真撮影:小野裕三
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2007-09-09
俳句と絵画 小野裕三
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