「短歌研究」2007年9月号
短歌研究新人賞座談会「覗き見」……藤田哲史
今年度、第50回短歌研究新人賞の受賞作は、吉岡太朗氏の「六千万個の風鈴」30首に決定しました。
この賞の前身は「短歌研究賞」50首詠。第二回に寺山修司が受賞しています。受賞者の平均年齢は他の賞に比べて低めで、受賞者の吉岡氏は昭和61年生まれ、受賞当時20才。吉岡氏は現在京都文教大学在学中、「京大短歌」に所属しています。
南海にイルカのおよぐポスターをアンドロイドの警官が踏む (受賞作より)
ゴミ箱に天使が丸ごと捨ててありはねとからだを分別しにいく
プログラムは更新されて君は消える 風鈴の向こうに広がった夏
転送機で転送できない転送機 明日は今日より少しだけ夏
ほんとうは電池式だと知っている彼とあさひのみえる朝食
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数日前、なんとはなしに大学の雑誌コーナーで短歌研究誌を手に取ったところ、短歌研究新人賞の記事がありました。こちらは俳句のページではありますが、記事の内容が面白かったので、気づいたことなどを書いてみることにします。
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まず、この賞に限るのかもしれませんが、選考の内容が俳句の場合と大きく違うことに驚きました。俳句総合誌が主催する賞によくある編集部の予選はなく、一度はすべての応募作を、手分けして選考委員が読むということ。これが一次予選になります。そして、一次予選通過作品を、それぞれの選考委員がすべて読む第二次選考、座談会の第三次選考を経て受賞作が決定します。(今回の選考委員は、岡井隆、馬場あき子、石川不二子、佐佐木幸綱、高野公彦、穂村弘(敬称略)、の六人)
そして、座談会。俳句の賞の選考座談会よりずっと深く入り込んだ読みをしていて、面白い。それで、選考委員それぞれの読みがはっきり発言される。時には穿ち過ぎるのではないかというほど。以下は受賞作についての選考委員のやりとりの一部です。
岡井隆「こういうSFっぽい内容のものは、小説の世界で扱ったり詩で扱ったりしているのに、果たして短歌が勝てるかなという感じは一つはするんだな。(中略)けっして否定するわけではないんですけれど、僕はもうこっちの方向には現代短歌の活路は見出せないかなと思ってます。歌というのはやはり、私性とか生活臭とか、そういったものがどうしても必要かなと思って、(中略)「六千万の風鈴」は引いた」
穂村弘「「アンドロイド」とか「プログラム」とか、そういう近未来的なSFに懸けて本人も最初から作っているわけではなくて、それを持ち込まざるを得なかったある体感が、背後に貼りついているような切実感は確かにあると、僕は読みました。例えば「気がつけば飛行機雲は消えていて戦争なんかほんとはしらない」。」
佐佐木幸綱「近未来と言っても百年先のことを言っているらしく、そこが枠組みとしてかなりきちっとしているので、かなり読みこめるようになっていると思うんですね。僕ももちろんいくつかの漫画を連想しました。たとえば過去から近未来を描いた『20世紀少年』という漫画。(中略)この人の持っている世界観は非常に暗いんだろうと。「ゴミ箱に天使が丸ごと捨ててありはねとからだを分別しにいく」。こういう場面も非常に暗いと僕は思いました。ユーモアじゃないよね。枠組みがしっかりしているということと、暗い世界観、この二つを特色として、この一連、面白いと思います。」
既に、他ジャンルで描かれている世界なのではないか、という指摘がありました。また、発想としてはそれほど驚くべきところはない、という評も。
馬場あき子「レプリカ人間の悲哀とか不安という場面は、利賀村で鈴木忠志が芝居をやっていたころから、もう若手の気鋭の人々によって演じられていて、平成の初期に既に問題になっているんですよね。」
佐佐木幸綱さんの「映画、漫画、ゲームに依拠する遊びが随所にありながら、未来の、暗い世界を描いているんだろうと読みました。」という評に対しては、馬場あき子さんが「漫画に追随になるのか,漫画の先を行っているのかが問題」と反論。内容に関してあくまで否定的でした。
しかし、取り上げられているモチーフを含め、やはりずば抜けて目立っていたのは受賞作でした。
次席、候補作のなかから幾つか引いてみます。
一心にほうきのわたゴミ取っているあの子は今日も掃除をせずに 石橋佳の子
ひとり居の深夜に啜るコンソメはコンソメにあらず微かなひかり 〃
心には言葉で痛む細胞がいくつもあって青リンゴかじる 川口慈子
総評では、選考委員から口語表現の杜撰さに不満の声があがりました。俵万智、穂村弘、と口語短歌の成功例として取り上げられる歌人はいるものの、今でも口語表現は試行錯誤の段階のようです。
岡井隆「この詩型と現代語っていうのの摺り合わせは、現在進行形だと思ってるんですけど、かなり意識して取り扱わなきゃいけないところがあるんです。わりとそういうところ無頓着にやっているものもかなりあって、落としたものがたくさんあります」
佐佐木幸綱「(受賞作について)よく言えば異色、悪く言えばトリッキーなんですね。トリッキーな作で賞を穫ったわけで、今後どうなるか、期待と不安が両方あるというのが正直なところです。」
穂村弘「受賞作「六千万個の風鈴」は上位の作品の中で実は一番不安定ですよね。文体とか・・・。だからちょっと心配なんだけど、でも逆に言うと不安定だけど、受賞したということは、それだけ魅力があったということですね。」
佐佐木幸綱「今回は仮名遣いでいうと、新仮名が圧倒的に多かった。最後に残ったのはほとんど新仮名です。旧仮名が非常に少なくなった、というのが感想です。僕はどんどん新仮名になっていっていい、と思います。ただ何年後か、何十年後かに、完璧な文語を用いて、きちっとした旧仮名で書かれた作が新人賞になればいい、そう幻想しています。」
最後に挙げた、佐佐木幸綱さんの文語の良さ、文語に対しての愛着をほのめかすような発言が特に印象的でした。
(補足ですが、「サラダ記念日」は昭和62年が初刊。受賞者は当時1才。「サラダ記念日」以降、ケータイ短歌などの影響もあってか、口語短歌は若い世代の主流になったのでしょう。かな遣いはまちまちなものの、載せられていた次席や佳作の作品もほとんどが口語短歌でした。)
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初め自分には「俳句と違って短歌はもう、口語表現を克服したのだろう」という先入観がありましたが、そうでもないようです。わかりやすい口語で短歌を作るアマに対して、口語文語問わず「より良い(おもしろい)言葉、表現」に執着するプロ。
あえて、受賞作を一位にしなかった岡井隆さんの評、佐佐木幸綱さんの読み、穂村弘さんの自在な弁。十分によみごたえあり。
短歌研究9月号、おすすめします。
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1 comments:
おもしろく読ませていただきました。
読者諸氏には、
ブログ「かわうそ亭」さんの
短歌研究新人賞、応募作を読む(上)(下)
http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/09/post_e9fa.html
http://kawausotei.cocolog-nifty.com/easy/2007/09/post_1c87.html
と併せてお読みになること、オススメします。
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