2007-10-07

旅先での〝つまずき〟いろいろ 小野裕三

俳句ツーリズム 第11回

京都・滋賀篇その2
旅先での〝つまずき〟いろいろ
……小野裕三




今回は前回の続き。所属する結社の合宿は、二日目の朝を迎えた。午前三時に就寝したにも関わらず、きちんと六時過ぎには起床。同宿の人々とともに、朝の延暦寺根本中堂に向かう。朝のこの場所は特に気持ちがいい。朝のさわやかな光が中庭に降り注ぐ。その様を見ながら靴を脱いで木張りの廊下を歩いていく、この朝の瞬間がなんとも爽快だ。

午前の句会用の選句も済ませ、朝食は七時半から。宿坊なだけに決して贅沢な素材を使った料理ではないが、それでもとても美味。この、朝食・夕食の時間での知人・友人たちとのなんということのない四方山話も合宿の楽しみのひとつ。九時から始まった句会は十二時に終了。昼食の後、玄関前で集合写真を撮って解散となる。集合写真なんて、まるで修学旅行みたいだけれど、そんな瞬間もそれぞれに楽しい。

さて、解散後、僕は比叡山を巡るバスに乗って山内を廻ってみることにした。バスに乗ってまずは横川へ。比叡山内にはもちろんいろんなお堂があって見所には尽きないのだが、俳句の視点からは忘れてはいけない場所がある。それは、「虚子塔」。それは、横川中堂から元三大師堂(ちなみにここは説明書きによると、なんでもおみくじ発祥の地だとか)にいたる道の途中に、ひっそりと立っている(写真1)。

  清浄な月を見にけり峰の寺  高浜虚子

 というのがこの地で虚子が詠んだ句。シンプルな句であるが、土地の力がきちんと感じられる、なんとも虚子らしい句だ。虚子はこの地を深く愛したのだという。

虚子の塔に立ち寄った直後くらいから雨が降り出した。降ったり止んだりしながら、それは山肌を濡らしていく。横川から西塔を経て再びバスセンターに戻り、そこから京都市内行きのバスに乗って下山。

ちなみにこの日宿泊したホテルは京都駅前のかなりちゃんとしたホテルで部屋も広かったのだが、宿泊費は一泊五千円。なぜそんなに安くなっているのかというと、ちょうど窓の外が工事中だったので(写真2)、そのため期間限定の格安物件となっていたのだった。僕はこれをインターネット(正確には携帯電話のインターネット)の宿泊予約サイトで発見したのだが、考えてみればこういう部屋を見つけたのもやはりインターネットのお陰だ。

以前は、宿の予約なしに旅行に出かけるとけっこう苦労していた。だいたいは駅前あたりにある旅館紹介所みたいなところに行くか、もしくは飛び込みで直接旅館やホテルを訪ねていくわけだが、断られることもけっこう多いし、仮に見つけたとしてもけっこう高かったり、安いところは本当におんぼろだったりした。そんなやりとりの中で、いささか心理的に不快な思いをすることもたまにあった。

ところがインターネットが登場して、しかも携帯電話から簡単に利用できるようになると、事態は一変する。日時と場所、予算などの条件を入力すればたちどころに候補のリストを示してくれる。宿が見つからないという苦労はなくなったし、それに掛けていた手間(案内所や宿のあいだをうろうろ歩き回る)が劇的に軽減された。

いや、それだけではなく、今回のようないささか掘り出し物物件も見つけてきてくれるのだから、やはり文明とは発達するに越したことはない。そんなわけで、その日は広々とした部屋のふかふかのベッドで(しかも格安!)ぐっすりと眠ることができた。

  *

翌日、京都駅からJRに乗って宇治方面へと向かった。宇治には平等院がある。あの十円玉の裏側(表側?)の絵として日常的に眼にしているわけだが、実物はまだ見たことがなかった。駅を出て太い道をまっすぐ行くと綺麗な橋があり、その袂から右折して門前町のような道を通り抜けるとすぐに辿り着く。辿り着いたのはよかったが、折悪く平等院は一部改修中であった(写真3)。

観光地に来ると、たまにこういうことがある。僕の旅行の中で一番記憶に残る「改修中」は、学生時代に訪れたローマの「トレビの泉」。周知のように肩越しにコインを投げ入れるとまた訪れることができるという俗習があるのだが、なんと改修中のため泉の水が抜かれていて、コインを投げ入れるどころではなかった。そのせいだか知らないが、確かにその後ローマを訪れる機会には恵まれていない。

話が脱線した。ともあれ、改修中の平等院を池越しに眺め、さらに境内にある宝物館に行く。いくつかの仏像を眺めて出口にあるミュージアム・ショップみたいなところを見物していると、背後からバスガイドの一団が現れた。

バスガイドの一団というのは、バスガイドに導かれた観光客の一団という意味ではない。本当に数十人のバスガイドの若い女性の一団が、みな同じ制服を着て同じ帽子を被って、一列になって現れたのである。

彼女たちを導いている旗を持ったバスガイドも一人先頭にいる。バスガイドたちを導くバスガイド? バスガイドの上位概念としてのバスガイド? 何なんだ、いったい? 

バスガイドの列はあっという間に宝物館から出て行き、そのまま出口からバスに乗り込んであっという間に去っていった。あれは何だったのか、バスガイドたちの研修旅行? あるいはバスガイドたちの慰安旅行? そんなことをいろいろ想像してみる。

宇治ではもうひとつ行きたいと思ったところがあって、それは源氏物語ミュージアム。地図によると、平等院から歩いても近い。途中のコンビニでおにぎりを買ってそれを食べながらのんびりと道沿いを歩いていく。辿り着いたミュージアムは、閉まっていた。月曜休館。そうそう、そういう観光施設も確かに全国には多いのだ。「現在改修中」とともに、たまに観光地でつまずくのがこの「月曜休館」なのである。

その日は、それから京都に戻る途中にある醍醐寺などを回って夕方にまた京都市内に戻る。宿は大津市内に取ったのでそこで食事をしようと思っていたのだが、あまりにお腹がすいていたのでついつい誘惑に負けて京都駅の中にあるカレーショップでカレーを食べ、それから大津へと向かった。

  *

大津の宿は、琵琶湖湖畔のビジネスホテル。あれ、去年もここに泊まったような気がするなあ、と思いつつ、部屋に入る。大津の周辺には、三井寺、日吉神社、石山寺、また市内には大津絵を売る店、などもあり見所は多い。去年来た時に、そのあたりの観光地はあらかた廻った。今回は、琵琶湖の真ん中(というか正確にはかなり北寄り)にある竹生島へと渡り、それから琵琶湖湖岸を観光する予定。

フロントで貰った船の案内チラシを寝っ転がって読む。事前に調べていたとおり、確かに大津から竹生島まで確かにフェリーが出ていた。しかし、よくよく見てみると辿り着くまでにやけに時間が掛かる。朝出て、島に到着するのは午後。それだと、結局一日潰れてしまう。というわけで、大津からフェリーに乗るという予定を変更し、琵琶湖東岸のどこかから船に乗ることにする。

そして辿り着いたのが彦根。彦根駅から周遊バスのようなものに乗って港まで行き、そこから船に乗る。その船着場というのが、なんともレトロな感じで泣ける(写真4)。船は、レトロな船着場に並んだ係員たちに手を振られながら定刻どおり出航(それにしても、たかが一時間程度の乗船に手を振られるのもいささか照れる)、一路竹生島へと向かった。

竹生島は、昔から謡曲などに登場するなど歴史的には有名な島。比叡山の「奥の院」と言われたこともあったらしいが、とにかく島には寺と神社、あとは数軒の土産物屋しか存在しない。つまり、普通の民家などは存在しない特異な島なのである。船から降りると、岸壁に沿って土産物屋が並んでいる。お腹が空いたのでそのうちの一軒で食事を取ろうと考え、席に座る。すると、そこには長谷川櫂氏の俳句が大きく掲げてあった(写真5)。

  半椀は茶漬としたり蜆飯  長谷川櫂

ふーん、彼もここに来たのか、と親しみを覚えつつ、店の人に「しじみ御飯定食」を注文する。しばらくして蜆飯を運んできた店の人が、「しじみご飯は半分残して、お茶漬けにするとおいしいですよ」と説明してくれる。要するに、俳句のとおりに食べるのがここでの流儀らしい。

帰りの船便を一度逃してしまったこともあって、竹生島には結局四時間くらい滞在したことになるが、清々しくてとてもよいところだった(写真6)。それから船に乗って、再び彦根に戻る。すぐにやってきた市内観光の周遊バスに乗り、今度は彦根城へ。市民ボランティアだというバスのガイドが、「彦根城はリサイクル城です」と説明をしている。大津など近隣にあった城の解体された資材を利用して彦根城は建てられたらしい。なるほど。そんなわけで、やがて彦根城に到着。

付属の博物館で能面を見物したり、城内の茶店で抹茶を飲んだり、ゆっくり過ごす時間が楽しい。こういう場所では静かに優雅に過ごしたいのだが、建物の近くに接近すると観光地によくありがちな音楽と観光案内のアナウンスみたいなものが大音量で鳴り響いている。ああ、「うるさい日本の私」がここにもあった。

観光地などで不必要なほどのおせっかいな大音量が鳴り響く「うるさい日本の私」現象は、「改修中」と「月曜休館」に並ぶ旅先での〝つまずき〟ベスト3に入ることだろう。「うるさい日本の私」についてご存知ない方は、中島義道氏の同名著書をぜひご一読いただきたい。名著である。




写真撮影:小野裕三



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