2007-11-04

『俳句界』2007年11月号を読む 五十嵐秀彦

『俳句界』2007年11月号を読む ……五十嵐秀彦




相変わらず散文中心に読んでみましょう。
今回は、なぜか「です・ます」体で書くことにしました。

錦秋特集 現代の「いろ」と「かたち」

秋を特集するに当たって、「いろ」と「かたち」にしぼりこんだところがポイントで、私は面白く読みました。
デザイン批評家・柏木博の「経年変化する色を味わう」は、大半の俳人が普段気にとめない都市の色彩についての論考で、大都市の中心部がモニタ化しているという指摘や、住宅街ではメンテナンスをあまり必要としない建材の使用によって家並の印象が明るくなったことなどを挙げ、経年変化する風景というものを都市が失ってしまったことを語っています。時とともに変化する色彩を美しいと味わう感覚というものが確かに危機的な状況に置かれているのかもしれません。俳句については語られていませんが、こういう視点で都市を見つめる俳句というのも可能性として興味をひかれました。
小林尊晴の「『俳写』考」は、次の「おくのふぉと道 秋の俳写吟行at上野」の導入部となるエッセイ。以前からあった「俳写」が、デジタルカメラとブログの普及で、ここにきてブームとなってきて、新ジャンルの庶民文芸として発展していく予感を語っています。
はたしてそれが新ジャンルの文芸と言えるかどうかは若干の疑問を感じますが、句と映像が互いに補うのではなく、イメージの喚起としてぶつかりあえば、そこに面白いものが生れてくるかもしれません。
その小林氏と4人の若手俳人たちとが上野にカメラを持って出かけます。
若手俳人とは、榮猿丸、佐藤文香、山下つばさ、ゑりゐの4人。
それぞれの写真と句とエッセイが1ページずつ掲載されていますが、印象としてはどうだろう。やはり映像に引きずられているように見えるのは私だけでしょうか。

●読書の秋特集 入門書再入門

二つ目の特集で、榎本好宏、安部元気、大串章、鍵和田柚子(ゆうは禾偏が正しいです)、ひらのこぼ、中上哲夫の6氏が書いています。
注目したのは中上哲夫の「ビートたちが俳句に熱中したころ」
’55年のビートニクの誕生に際し、その大立て者であったギンズバーグが俳句に熱中し、その代表作『吠える』は俳句の省略の発見が基礎になっていたという指摘は、なるほどと感心させられました。
そしてケルアックの小説からの次の引用などからも、当時のビート詩人たちが俳句をどうにか理解しようと努力していたことが分かります。

《こうした土地を歩いていけば、東洋の詩人たちが詠んだ俳句という珠玉が理解できるだろう。かれらは山の雰囲気に酔うなんてことは決してせず、文学的な技巧や凝った表現などは使わずに、目に映ったものを子どものようにいきいきと書きつけて行くのだ。藪の斜面をくねくねと登りながら、ぼくらは俳句をつくった》

彼らに俳句を教えた本が、R.H.ブライスの『俳句』でした。ビートニクの俳句にも入門書があったというわけです。
しかしまた中上が言うように、《アメリカ社会にノーを突き付けたビートたちの関心は、アメリカへの反措定としてヨーロッパ(とくにフランス)や東洋へと向かった(単なる比喩ではなく、実際に多くの者がヨーロッパや東洋へと旅立っていった)。ビートたちの禅ブームや俳句熱なども、そんな流れのなかにあった》のであり、一時的な流行に終わってしまったとも言えるのでしょう。
テーマが俳句入門書に関する論考であり、枚数も少なかったのが残念。
この人の、ビート俳句盛衰記のような文章を読みたいものです。

●池田俊二 「松田ひろむさんへの疑問」

さて、今月号で最も問題のある文章を取り上げてみましょう。
このことはそもそも池田の『日本語を知らない俳人たち』という本から始まっています。同書は「き」の完了用法を誤りとして否定することが力説されている論文でした。
松田ひろむは『俳句界』に「文法の散歩道」を連載していて、9月号で池田説を批判。今回はそれに対する池田の反論です。
まず、その「元凶」となった『日本語を知らない俳人たち』ですが、私はそれを読んで示唆されるところ少なからずと思いながらも、非常に基本的な部分への疑問を拭えませんでした。
それはつまり、池田が好んで使う言葉「誤用」への違和感です。
文法の誤用?
それはいったいいつの時代のどの文法を基準としているのでしょうか。
今回の松田への反論を読んでも全く同じ印象をいだきました。
松田が9月号で、平安末期に「き」の連体形「し」が完了存続の用法として使われていた例として、

 わが庭の咲きし桜をみわたせばさながら春の錦延(は)へけり(二条為忠 「為忠集」)

 思ひきや賀茂の川波たちまちにかわきし袖にかけんものとは (「広本捨玉集」四)

この二首を挙げ《存続完了だから誤用といってもそれはあたっていない》と述べたのに対し、池田は《「為忠集」「捨玉集」に右の二首があることは事実ですが、それを以て「したがって・・・あたっていない」、「誤りということが誤り」とは、なんとも秀抜な御託宣です。二集はそれほど完璧なものなのですか。『旺文社全訳古語辞典』以外に理論的根拠があるのですか》と反論しています。
松田ひろむが過去の実例を挙げて、かなり古い時代から「き」「し」の完了的用法があったと指摘するのに対し、池田はあくまでも用法の正用・誤用にこだわり続けます。
そしてどうやら池田が大いに私淑しているらしい萩野貞樹の『旧かなと親しむ』からの次の引用が、また私にはひっかかるところなのです。

《藤原為忠といふ人は、藤原俊成や源頼政を歌人として育てたパトロン、歌壇のボスといつた存在のやうですが、俗言俗語も平気で使ふ型破りの人のやうです》

《そもそもこの『為忠集』なるものは、為忠の歌を集めたものではなくて、後世、鎌倉期の趣味人が、あの為忠ならこんなものを作つたり喜んだりするんぢやないか、とばかりに興じてまとめたものでせう。当時の俗書と見て結構です》

池田は、だから為忠の歌は誤用だと決め付けています。
もうこの辺でいいでしょう。
池田はこの世界のどこかに高貴で正しく普遍的な日本語があるという仮定のもとで正用・誤用を語っているのです。
「俗言俗語」や「俗書」は「正しい日本語」では無いと言いたいのでしょう。
文法というものは時にこうした勘違いを人に起こさせるものかもしれません。
私たちは文法のために話したり書いたりしているわけではないはずです。
言葉は常に時代によって変化し続けてきました。それを事後的にまとめてみたのが文法であるのに過ぎず、その逆というのはありません。
大人にとってちょっと理解しがたい現代の若者言葉だって、それが流通する限り立派な日本語です。
池田の論は、時間の停止した文法の教室空間のようなもので、彼の松田批判は狭い教室の中の出来事にしか見えません。
日本語は池田説とは全く無縁の世界で、今日も生き生きと変化し続けている、そう私は思うのでした。

●栗林浩 「悼む 中臺春嶺」

今月号の記事の中で、もう一つ挙げておきたいのが、この「悼む 中臺春嶺 俳句弾圧事件 最後の生き証人の死」です。
この夏、99歳で世を去った《戦前の特高による俳句弾圧事件の最後の生き証人》中臺春嶺への追悼文ではありますが、こういう俳人の紹介こそ総合誌としてぜひやってほしいものです。

 赤き日にさびしき鐡を打ちゆがめ
 獨房に病みてしらみと遊びけり
 さくらんぼ妻の青春還るなし
 百歳の台風ゆるるも運命かな

《春嶺の死を以って、俳句事件は幕を閉じるのであろうか。そうあってはいけない。新興俳句が戦後、社会性俳句や前衛俳句と形を変えながら現代俳句を形作った功績の一端を、春嶺は背負ったのである。それを忘れてはなるまい。》

●小澤克己 特別作品「詩の覇王」50句

最後に小澤克己の50句の中から数句紹介して終りにします。

 わが首座の冬オリオンを詩神とす

 猪狩の無骨な顔とすれ違ふ

 猟銃の中より蒼き声したり

 淡々と生きあはあはと牡蠣啜る

 蕪村忌の菜へ月光の羽毛ほど





4 コメント:

百花 さんのコメント...

小澤克己さんの50句は良かったですね。個人的には、久しぶりにすっきりした俳句を読んだという気になりました。
日本の古典文法は、インド・ヨーロッパ語などの時制に基づいた文法の用語で仕分けることが土台無理な注文かなあ、とも思います。このごろの学者の見解はどうなのでしょうね。

mumon1 さんのコメント...

>百花さん

この50句は良かったですね。

ところで文法のことですが、どうも私には池田氏の説に無理があるように思えてなりません。
まぁ無理があってもいいんだけど、独り相撲のようにも見えます。
時制という概念自体、百花さんのおっしゃるとおり西欧から入ってきたものですから。
文法は大事かもしれませんが、かと言って大上段にかまえるのはどうかと。

mf さんのコメント...

私のブログ「僕が線を引いて読んだところ」でも、松田ひろむ氏の連載とそれへの反論を巡って、思うところを書いてみました。お読みいただければ幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/mf-fagott/20071027

mumon1 さんのコメント...

拝読。
大変共感いたしましたし、勉強になりました。


    秀彦