2026-06-07
『ASYL(アジール)』五十嵐秀彦さんへの「10の質問」〔俳誌の中の人に訊く〕
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2023-12-24
死者と冷蔵庫 五十嵐秀彦『暗渠の雪』の一句 西原天気【句集を読む】
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2023-07-09
岡村知昭【句集を読む】解くのは言葉 五十嵐秀彦『暗渠の雪』の一句
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2020-09-27
【週俳8月の俳句を読む】時が重なる 五十嵐秀彦
【週俳8月の俳句を読む】
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2019-09-01
五十嵐秀彦 蟬の時間 10句
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蟬の時間 五十嵐秀彦
大河往く黒蝶の遠きサイゴン
頸椎の組糸ほつれゆく炎暑
炎天や母さん死はまだ怖いですか
踏切は植民の鐘浜蓮華
蟬の時間聞こえなくなるまで涅槃
迸る滝にヒト科をかがやかす
アルゼンチン・タンゴ窓辺に置く桔梗
満潮の香にあぢさゐの朽ちゆけり
鶏頭や終りし時がはみ出して
反世界色の日暮や秋薔薇
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2016-11-20
【週俳500号に寄せて】週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた 五十嵐秀彦
【週俳500号に寄せて】
週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた
五十嵐秀彦
500回になるから・・・、と天気さんからメールが来た。500回? なにせ週刊だから回数を聞いてもピンと来ない。早速調べてみると創刊準備号が出たのが2007年4月22日のことだった。9年前か・・・。
ぼくにとっては「俳誌を読む」企画が週刊俳句とのかかわりだった。準備号から書かせてもらっていた。9年という歳月はどうも中途半端で昔というほどでもなければ、今というほどでもない。準備号にぼくが書いたものを今読み返して、その半端な時間に戸惑っている。
あの頃、俳句総合誌に不満があって、言いたいことを書いた。ずいぶん失礼なことを書いていることにあらためて驚いてはいるが、内容としてはおおむね間違っていないと今も思っている。この企画はその後もしばらく続いたのだが、準備号に書いた中にぼくの総合誌への考えがはっきりと現れていた。
「『俳句界』2007年4月号を読む/変わったのか?『俳句界』」という記事の中にこう書いている。
《あきらかに退潮期に入った俳壇の鏡として商業俳句誌があると思えば、これもまたいずれ亡びの道でもあろう。》「へ~」と、自分の言葉に自分で驚く。
すると9年という時間がようやく具体的に意識された。俳句文芸は退潮期にあって、いずれ滅びる存在に違いない、そう思っていたのである。まぁなんてペシミスティックなことでしょう。
この言葉を撤回するつもりは全くなくて、あの当時そう思わせるだけの空気が俳句の世界にただよっていたことは、ぼくの受け取り方に偏りがあったとしても、確かにあった。これまで結社や総合誌が支えていた俳句の世界がその床下から腐ってきていたのだから、それは「いずれ亡びの道」と悲観してもおかしくない。
ただ、ぼくはこの時、週刊俳句がひょっとしたら俳句の別な生き方(行き方)を作り出すきっかけぐらいにはなるんじゃないか、とも思っていた。文芸としての俳句の愉しみというものを、総合誌から奪い返すことができるんじゃないかと。そしてそれができる「力強さ」ではなく、それができる「しなやかさ」「したたかさ」がここにあるんじゃないか、それが当時の思いだったようだ。
いまも俳句は亡びの道にあるかと問われれば、「分からない」と応えるだろう。それぐらいの変化があった9年間。
第249号(2012年1月29日)には「「中央」と「地方」について考える」という時評を書いた。ちょっと長くなるけど、ぼくにとってはとても重要な発言をしているので、一部引用する。
《「遠い他人」との希薄なコミュニケーションが「近い他人」との濃いコミュニケーションを衰えさせていくのだとしたならば、ネット社会が作りつつある、従来の「中央」にとってかわる新しい「中央」が、「地方」の意味を曖昧にし、従来の「地方」は現在それを支えている「ネット疎外世代」の退場とともに消え去ってしまうのかもしれない。それは古風な言い方を借りるならば「歴史の必然」なのであろうか。ここだったんだなぁ。自分の論考を発掘してみて再確認できた。
私はそうは思わない。ネット社会が作る広範囲のコミュニケーションが従来の「中央」を崩壊させてゆく動きを、「地方」をあらたな可能性の場とすることへとつなげていく、そのための個々の創意が求められている。俳句という文芸の意義はそうした取り組みの中でより現代的なものになるはずだと思いたい。
しかし、物理的な「中央」が仮想「中央」化しつつありながら、「地方」という実態はその影響の外に置かれ、100年の歴史を持つ団体もある各地の俳句会が衰退し消滅し始めている。
これまで地域に根付いていた俳句文芸が、次の時代につながらず荒野と化しつつあるのだとしたら、私たちはいま破局の現場に立っているのかもしれない。
この半年意識的に地方文芸の現状を見る機会を得て、私は「中央」と「地方」というこれまでの構図がどう変容するのか考えさせられ、「ネットメディアを特別なものとして捉える必要は無い」と考えてきた従来の姿勢を見直すようになってきた。
ネットの普及を背景に文化のあらたな「中央」が現われてくるのであれば、それはあらたな「地方」の登場でもなければならないのだ。》
この文章がきっかけとなった。
あいかわらず「破局の現場に立っている」と悲観的なことを言いつつも、まるで剥がれにくいシールの角にイマ爪がかかったような、そんな瞬間であったことを思い出す。
そして第263号(2012年5月6日)に「俳句集団【itak】前夜」を書いた。これがまた一段と気負った文章だった。実際に気負っていた。頭に血が昇っていた。その馬力で俳句集団【itak】を何の後ろ楯もないまま旗揚げしたことを、第266号(2012年5月27日)に「動き始めた【itak】(イタック)」として報告した。
あれから5年が経とうとしている。
これまで俳句に興味を持ちながら、どこへ行けばいいのか分からなかった人たちや、結社にいるだけでは息が詰まると感じていた人たちが、隔月に50名~80名規模で北海道立文学館地下講堂に集まってくる。
まったくの初心者もいれば、現代俳句協会、俳人協会、伝統俳句協会、さまざまな所属の俳人たちも、変化を期待し、変化を目撃し、変化に参加しようと集まってくる。
それでも北海道の俳句の状況はまだ変わってはいないかもしれない。たったの5年で、そう簡単には変わらない。
しかし、この地下講堂に来れば、いまにも変わりそうな空気を感じるのだろう。
9年前のぼくは、俳句の世界に絶望とまではいかないものの、悲観的な思いしか持っていなかった。ところが週刊俳句はぼくに別な次元を見せてくれた。そしてそれがきっかけとなって週刊俳句とまた異なるアプローチのアイデアを与えてくれたのだと思う。
ぼくにとって俳句へのかかわり方を大きく変えさせるきっかけとなった存在、それが週刊俳句だった。
500回という節目にあたっての文章としては、まったくエゴイスティックな内容になってしまったが、しかし500回という回数がぼくに思い起こさせる一番の事件がこのことだったので、書いてみた。
どうかこれからも、しなやかに、したたかに、風のように回を重ねてほしい。
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2015-05-10
10句作品テキスト 五十嵐秀彦 眠る
眠 る 五十嵐秀彦
雪間草青年ヘーゲル派が眠る
禅学の四方八方ふきのたう
雪解けて馬頭観音歩き出す
滑空のためのわが鰓涅槃西風
百千鳥幻國に棲む母を訪ふ
朧月内耳蝸牛のゆるむとき
白魚を買ふ豹紋のワンピース
糸遊や聴こえぬ耳を持ち歩く
声帯のゆつくり延びる苗木市
花の下あくび指南の俳諧師
●
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2013-07-14
【週俳6月の俳句を読む】五十嵐秀彦 夢の淵にて
【週俳6月の俳句を読む】
夢の淵にて
五十嵐秀彦
1. 閒村俊一「しろはちす」を読む
蜃氣樓臭きを奥の間に通す 閒村俊一(以下同)
これから始まるものが一場のモノカタリであることを、この句が読者に伝えているようだ。
どこからか蜃気楼の臭いをまとったモノがやってきて、アルジはそのマレビトを静かに奥の間に誘い入れる。
「しろはちす」のモノカタリは、そんなアルジとマレビトのお話である。
未亡人下宿春雷鳴りやまず
未亡人下宿があるような町内が舞台だ。鳴り響く春雷が、かえって静まりかえった風景を際立たせている。
もうこの町はない。時代の変遷の中で消えてしまった町の幻影、作者を育てた子宮のような町の風景が遠近の狂った舞台の書割のように続いている。
柏餅われら赤胴鈴之助
春晝の鞠つきしまゝ老いしとか
その路地の幻影を、駆け抜けてゆく赤胴鈴之助の自分がいる。そして鞠をついて遊んでいた少女たちはどこへ行ってしまったのだろうか。
記憶は少年のまま少女のままの姿で、路地の板塀にまるでヒロシマの影のように灼き付けられているのだ。
覺めぎはのかうかうとしろはちすのしろ
夢は覚めた。昭和の路地はその輪郭を曖昧にしたかと思うと、ぐらりと揺らぎ、一瞬のうちに遠くに消え去ってゆく。そのとき脳内に投影された「しろはちすのしろ」。夢と現実の境界線に咲く蓮の花なのである。
間村俊一さんは高名な装幀家で、私が8月初めに出版する予定の句集の装丁も間村さんのお仕事。俳人でもあるとお聞きしていたので今回作品を読むことができてうれしかった。美術家のセンスの光る俳句だ。
2. 永末恵子「するすると」を読む
10句どれもひとすじなわには読めず、おいしそうなので口中に放り込んではみたものの、ひっかかって飲み込めない、そんな印象。
梅雨空ってこんな感じなのかなぁ、とか思う。しかしそれも的外れだ。
言葉のコラージュが次元を軽々と超えて、写生からは到底たどり着けないナマナマとしたイメージが句から匂ってくる。
得体の知れないものに触れた指を、ふと鼻先にもってゆく、そんな感じだ。
男から男へらっきょ透きとおる 永末恵子(以下同)
「男から男へ」と「らっきょ透きとおる」の間にある黒い溝を覗き込んでみると、映写室から銀幕を眺めているような風景がチラリと見える。無音の人影が揺れる。記憶の奥底に畳まれていた会話がふと蘇る。
酢と塩とあとしらなみのほととぎす
「あと」という魔法のタクトを一振りして、音楽は鮮やかに転調する。それはキッチンからいきなり歌舞伎の舞台へ、というほどの転調だ。なぜ歌舞伎?ああ「しらなみ」か。しかしおそらくその転調の先は作者にとって十分自覚的に誂えられた舞台なのだろう。
足して引くそれだけのこと水羊羹
「それだけのこと」と言っても、どれだけ足してどれだけ引いたかによっては、プラスになったりマイナスになったりするだろう。毎日毎日、朝から晩まで一日中、そう一生の間、私たちは足したり引いたりしている。泣き笑いの算術だ。
水羊羹をパクリと食べて、一口お茶を飲む。さて、私は何を足して何を引いたのだろうか。
陶枕に穴遠くから人がくる
閒村俊一さんの最後の句と同じように、永末恵子さんも眠りを連想する句を末尾に置いている。
陶枕にはいろいろな種類があるらしいが、いずれにせよ中は空洞になっているので多くはどこかに穴が開いている。
作者が夏のひととき陶枕に頭を置き、うたた寝を楽しんでいると、肉体を遊離した魂が枕の穴を覗んでしまった。すると遠くからやってくる人影が見える。
片手にお土産らしき包みを持って、日盛りの道をゆらゆらとやって来る。
あなたは誰ですか。作者は夢の中で問いかける。
「やあ、お暑いですなぁ、恵子さん!」
のっぺらぼうの男の声が聞こえた。
第319号2013年6月2日
■閒村俊一 しろはちす 10句 ≫読む
第320号 2013年6月9日
■石井薔子 ワッフル売 10句 ≫読む
第321号 2013年6月16日
■秦 夕美 夢のゆめ 10句 ≫読む
第322号 2013年6月23日
■永末恵子 するすると 10句 ≫読む
第323号 2013年6月30日
■飯田冬眞 外角低め 10句 ≫読む
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2012-12-30
【週刊俳句時評74】 【itak】。問いかけたこと、問いかけられたこと。 五十嵐秀彦
【週刊俳句時評74】
【itak】。問いかけたこと、問いかけられたこと。
五十嵐秀彦
今年の俳句界の動きについて振り返ってみようにも、振り返るだけの知識もなく情報も届いていないし、自分から集めようとも思わなかったことに気づく。
また、北海道新聞で道内時評を書いていることから、地元の俳誌や道内作家の句集ばかり読んでいる日常で、日本全体の動向には以前より疎くなってしまった。
ただ、今のところそれをマイナスとは捉えていない。とりあえずこの2年ほどは、「ローカル」と呼ばれるものの本当の顔を探してみようと思ってきたからだ。
そんな状況にいるため、どうもぼくは世間が広くなったのか狭くなったのか、よくわからん。
「ローカル」を見ないようにしていた日常を捨てて、ほぼ「ローカル」しか注目しない日々を送ったこの一年間を思う時、当然のことながら自分の身の回りで起きたことしか思い浮かばないのである。
そんな自分自身の方針転換については、この週刊俳句が関係していることなので、少し迷ったけれども結局そのことを性懲りもなく書くつもりになっている。つまり、今年5月に札幌で旗揚げされた俳句集団【itak】のことだ。
なにごときちんとした仕事ができない性格のぼくらしく、【itak】も大変あいまいなところからスタートした。俳句集団と言っているけれど、組織を作るつもりはないし、実は集団であるかどうかもあやしいものを作りたいと公言した。そして今もあいまいなままである。
そのあいまいな、集団なのか運動なのか、なんだかわからないところに、どうしたわけかぼくの十倍は意欲に溢れるスタッフが集まってくれたのは奇跡のようなものだ。その奇跡がなければ、【itak】はとっくに空中分解して消滅していただろう。
【itak】のことは知らない人が多いと思うので、若干おさらいをしたい。
ことの発端は、前にも週俳時評で書いたが、たぶん週刊俳句第249号に載せてもらった「『中央』と『地方』について考える」だろうと思っている。これは、地理的、あるいは行政的、あるいは経済的に中央であり続けた東京、そこに本拠を置くメディアを中心に作られた「中央」的な俳句の世界が、このところかなり崩れてきていて、中央も地方も無いかのように見えるようになったのに、地方の状況が最近の俳句の世界の動向とは全く無縁のごとく停滞しているのはなぜだろう?という素朴な疑問から書いたものだった。
その現象にはたぶんネットも大きな役割を果たしているように思う。ネットもいまではメディアのひとつとして、時によっては出版メディアより影響力を発揮する場合もある。ネットで話題となる俳人も少なくない。出版とネットとの二重構造の中で、今の俳句の世界が回り始めているようにも見えるこのごろだ。
ネット・メディアは発表にかかるハードルが低いため、誰でもどこからでもそのメディアを利用できるし、それを全国からタイムラグ無しに読むことができる。
そこにボーダーは無い。良いことに聞こえるかもしれないが、必ずしもそうではない。ということは、これまで地元の作家の発表媒体であった地方の結社の存在が果たす役割がどんどん希薄になってきているとも言えるからだ。
おそらく今は、全国規模の結社に入り、かつネットも使ってさまざまな仮想の「場」に顔を出すことが、手っ取り早く存在を広く知ってもらう方法になっているのだろう。
ぼくはそれを批判しているのではない。表現をしている限り、できるだけさまざまな人に作品を読んでもらいたいのは当然のことだ。
しかし見方を変えれば、ネットもまた以前の「中央」と同じ役割を果たしているのであって、ボーダーを無くしたということは、けっして中央が解体されたわけではなく、地方の伝統的な「機関」を無力化させることとなっているのではないかと言いたかったのである。
これは、ぼく自身が全国規模の結社と地方結社の両方に属し、またネットでも比較的露出の多い活動をしつつ、地方新聞に文学時評を書くために大量の地方俳誌や句集を読んできた中から強く感じている現状なのである。
そんなことをしているうちに状況は少し見えてきた。そして、北の人間は自分から斬り込むより忍耐強く待つという性格のほうが勝っているものだが、これはいつまで待っていても北海道の俳句の状況に新しい動きが起きることはないと思った。
そうであれば、柄ではないが、ぼくが何か実験をして見せたらどうだろうか。そう思ったのである。
そこに何か強い気負いを感じる人もいるかもしれない。しかし、ぼくにはそれほど気負いはない。なぜなら実験でいい、そう思っているからだ。実験だから失敗してもいい。
肝心なことはその実験を多くの人に目撃させることだ、と思った。
特定の結社や組織とは無関係の運動を起こす。ことさら同人とか会員とかは定めず、その場に来たいと思った人たちが集まってイベントの当事者になってもらう。句会だけをするのではなく、必ず毎回何かイベントをすることで、座を固定させず不安定で流動的な存在にする。そんなざっくりとしたプランで仲間になってくれる人を求めたところ、ぼくも含めて16名の幹事会ができた。幹事会の中で、結社あるいは協会に入っているのは7名。残る9名は無所属だ。
無所属のメンバーは俳句の世界では若手と呼ばれる世代が中心で、俳歴も比較的短い人たち。しかし、彼らは職業も多様で、かつ行動力も熱意もあり、ほんの数回打合せをしただけで瞬く間に運動立上げの準備を進めてしまった。
そうして俳句集団【itak】と名付けられた運動が、今年の5月にスタートしたのである。
先日、アイヌ民族のグループでもないのになぜアイヌ語の名前なのかと、ある人に問われたが、それには特に意味はない。北海道のグループの名前としてアイヌ語を使うのは特に珍しいことではないからだ。
強いて言えば、この名前にだけはぼくの個人的な好みが反映していて、なんでもいいから「辺境」をイメージする言葉にしたいと思ったということがある。ただ、それも特に運動の色彩を定めるような意味はない。愛称として覚えてもらえればいいという程度のことだ。
【itak】のイベントはここまで隔月開催で4回実施された。人数の変動はあるが、それでも毎回40~50名程度の規模で実施している。それが多いのか少ないのか、それは分からない。句会をするには多すぎるだろうし、運動として影響力を持とうとするならば、まだ少ないとも言えるかもしれない。そして句会以外の企画として次のようなイベントを実施してきた。
5月 第1回シンポジウム「花鳥風月とは何か」(山田航、平倫子、五十嵐秀彦)
7月 第2回講演「芥川龍之介の俳句」(今田かをり)
9月 第3回トークショー「俳句って面白い」(山田航、高畠葉子、籬朱子)
11月 第4回講演「北海道の野生動物から学ぶ」(高橋千羅志)
句会だけやればいいじゃないか。なぜこんなことをするの?と言ってきた人もいた。そう正面から問われると、さてね? と自分でも疑問に思う。けれど句会しかやらなかったら、何度か続ける中でメンバーが固定し、座も固定してしまうような気がしたのだ。
何度も言うが、ぼくらがやろうとしていることは句会を組織するのではなく、何かを動かし始めることだ。そのためには、いつも流動的なものを孕んでいたい。
「なんだか妙なことをやっている連中がいる」 早い話がそう言われたいんだ!ということだろう。
これまでの集客数でいけば成功しているとも言えるが、ぼくはまだまだだと思っているし、この段階で評価するならばかなり辛い点数を付けざるを得ないだろう。そして、ここまでやってみて、これで本当にいいのか、という疑問がぼくにはある。
運動としては確かに動き始めた。しかし文芸運動であれば、毎回何人集まったとか、講演が面白かったというだけではだめなはずだ。つまり作品の質だって重要だよ、ということだ。
メンバーの中にはベテランも少なくないながら、数としては作句歴の浅い人が多い。この俳句集団【itak】が今後も北海道の俳句の状況に刺激を与え続けることも大事だし、この座に参加している人たちが互いに刺激し合っていい俳句を作れるようになることも当然大事なことだと思う。その点がどうも見えない。
まあ多くのことを求め過ぎても駄目だろうから、来年も試行錯誤を繰り返していくしかない。そして「なんだか妙なことをやっている」と来年も言われ続けたいものである。
今年という一年は、ぼくにとっては【itak】に尽きた。ほかのことはあまり出来なかった。
しかし、批評をするだけではなく自分で状況を作ろうという「思いつき」が、面白い方向に何かを転がし始めたのであり、自分でボケて自分でツッコんでいるようなアリサマではあるけれど、北海道にひとつ妙なことが起きました、という一石は投じられただろう。
ぼくが今年一年を回顧すると、もうこのこと以外書くことが無かったのである。
では最後に、今年の【itak】句会の成果の中からほんの一部だけ紹介して終りにする。
第1回句会作品から
蒲公英の絮や母には母の夢 内平あとり
花の闇四番出口が便利です 信藤詔子
風薫る新書に浮かぶ紐の跡 高木晃
葉桜となりて切り出す話しかな 籬朱子
第2回句会作品から
乳房のひとつは薔薇におきかへる 早川純子
いつもどこかに夏風邪の妻がゐる 橋本喜夫
夕立くるきざしきざはしすでに濡れ 鈴木牛後
少年と走る二死満塁の夏 瀬戸優理子
第3回句会作品から
霧の底死体は髪が伸びてをり 四方万里子
蛍の夜手足消えたるかと思ふ 久保田哲子
電柱に服直します草の花 古川かず江
このぶよに「クサマヤヨイ」と名をつける 福井たんぽぽ
第4回句会作品から
枯るる葉にバージンオイル二、三滴 柏田末子
はちみつの瓶の白濁冬に入る 今田かをり
綿虫と耳鼻咽喉科の靴の数 小笠原かほる
てのひらを開けば重い冬がある 辻脇系一
第5回イベントは1月12日(土)午後1時から。北海道立文学館地下講堂で開催される。
詳しくはこちら。http://itakhaiku.blogspot.jp/2012/12/i-t-k.html
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2012-08-19
〔週刊俳句時評68〕二十四節気改変論議に思うこと 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評68〕
二十四節気改変論議に思うこと
五十嵐秀彦
うかつなことだったが、昨年5月に日本気象協会が「日本版二十四節気」を提案したことを見逃していた。
こもろ日盛俳句祭実行委員会が、週刊俳句等をとおして「二十四節気アンケート」を実行したことから、その動きにようやく気がついたし、角川『俳句』2012年8月号でもその問題が「緊急座談会 どうなる!?二十四節気」として記事となってもいた。
こもろ日盛俳句祭では7月28日のシンポジウムでこのことについて気象協会の幹部職員を招き議論したようだ〔編註〕。その様子は「詩客」サイトに筑紫磐井による速報が発表されている。
そうした動きを追っていて、どこかピンとこないものを私は感じていた。なにがピンとこないのか。
「詩客」サイトの「季語・季題をめぐる緊急集中連載⑧ 24節気をめぐるシンポジウム発言/筑紫磐井」の中に《24節気問題は、暦の問題ではなくて、名前とその考え方の是非だ》との発言を見つけ、そのことだと気がついた。
しかし、暦の問題ではない、と思ったところで、二十四節気の春分や秋分も含め、国立天文台が暦としてそれを決めているのも事実であり、気象協会が今回節気改変を言いだした背景にもむろんそれがあるわけだ。
だから『俳句』8月号では冒頭いきなり「暦はお上(かみ)〈政府〉が決めるもの」というところから話が始まっているのである。
今回の問題になにかあやういものを感じるのは、あるいはこの点にあるようにも思う。
この問題の意味を考えているときに、私はふと和泉の聖神社のことを思い浮かべていた。聖神社の「聖」とは、「日知り」から来ており、そのことから「暦の神」であると言われ、7世紀に信太首(しのだのおびと)によって創建されたものと伝承されている。
この信太氏というのが陰陽師の家系であった。そうしたことからこの地は古くより「陰陽師の里」ということになっているらしい。
和泉の信太というとご存知のとおり、信太妻伝説の地でもある。
人に化けた狐「葛の葉」が安倍保名との間に子をもうけるが、正体がばれてしまって泣く泣く子の童子丸と別れ、信太の森へと帰ってゆく。
つまり「葛の葉子別れ」であり、
恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
という和歌でもよく知られた伝説だ。
これが説経節「信太妻」、瞽女唄「葛の葉子別れ」、人形浄瑠璃・歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑」などの芸能作品を生み出すことになる。
で、この葛の葉の子・童子丸が成長して安倍晴明となるという出来過ぎたお話になっており、「伝説」というより現在の伝承内容については説経節「信太妻」がおおもとだったのではないかと私は推測している。
なぜなら、この地、信太を舞台とするのは葛の葉伝説だけではなく、聖神社の鳥居の今も面している道が熊野街道であり、またの名を小栗街道とも呼ばれていることが、信太と説経節の密接な関係をうかがわせるからだ。
「小栗」とは、説経節「小栗判官」のことである。計略で殺されながらも墓から餓鬼阿弥として再生した小栗を土車に乗せ、青墓の遊女・照手姫が熊野に向かって曳いた道が、この小栗街道であると言い伝えられている。
葛の葉にしても、餓鬼阿弥にしても、照手姫にしても、権力とは無縁の民間伝承だ。それがどうしてこの「陰陽師の里」を舞台としているのか。
そのことについて沖浦和光が「葛の葉子別れ」について書いており、参考になると思うので少々長くなるが以下に引用する。
《中世の時代から民衆説話として伝承されてきた、この物語の発祥と伝播は、『しのだづま』の故地、信田の森のすぐそばにあった旧南王子村と深い関係があったと思われる。つまり、この地に住んで街道筋を流し歩いていた説経師たちの〝語り〟によって、この物語の構想はしだいにふくらませられていったのだろう。そして陰陽師の頭領であった安倍晴明(921~1005)と結びつけられていくのである。なぜ安倍晴明が登場するのか。平安期に入って律令制度が実質的に解体してから、朝廷に抱えられている一握りの官人陰陽師を除いて、民間にいた下級陰陽師たちは不遇な生活を送るようになった。そして、民を惑わす呪術を使う者としてしだいに賤視されるようになった。彼らは古来からの道教に由来する吉凶の占や祈祷をおもな仕事にしていたが、もうひとつの仕事は、暦の発行だった。もちろん、朝廷お抱えの土御門家が承認した正規のものでなく、いわば民衆用に作成された廉価で簡便な暦だった》沖浦和光 『日本民衆文化の原郷』(文春文庫)p18-19信太の地に安倍晴明伝説のひとつとして葛の葉伝説が生まれた理由がここから見えてくる。
暦は度量衡と同じく、権力者が支配のために絶対必要なものであった。それゆえに権力の構造の中からはみ出した民間陰陽師などはあってはならない存在であったが、それゆえに民衆にとっては権力と異なる自分たちの領分のものとして伝承し続けてきたし、権力者によって押し付けられる不条理な現実を不思議な神仏の力でひっくり返す内容の説経節を喜んだのであった。
この暦の記憶は平安から現代まで続いているのだ、ということを私は今回の二十四節気問題で考えさせられた。
権力は、陰暦を葬り去ったあと、さらに次に二十四節気をあらためることで、暦にまつわる民衆の「呪」を消し去り無力化させ、あらゆる権威が権力に直属する社会を強化しようとしている。
もちろん気象協会の職員たちがそんなことを意識的に考えているわけではないとも思う。
しかし、国交省の「支配下」にある法人としては、無意識のうちに長い長いこの国の権力の暗い思念を背後に持ち続けているのだろう。
土御門家のように、幕府天文方のように、明治5年の太政官達(たっし)のように。
それは、議会制民主主義などという「若い思想」による国家像とは異なる古くからの国家の素顔でもある。
結果的に二十四節気は変更せずに、解説的な言葉をさらに追加するという方向で落着するらしいが、だからといって『俳句』誌座談会の誰かさんのように安心してもいられない。
二十四節気も「彼ら」(政府、気象協会、お抱え学者、一部の俳人たち)から見れば暦の一部であり、
権力の論理の中にあるのだということ、そしていつも私たちのそばに着かず離れず変わらずに存在し続けると思い込んでいた二十四節気も政府関係機関職員の思いつきでいつでも変えられるものであるという事実を、私たちはつきつけられたのである。ただ、そんなきな臭い気象協会アンケートに対抗する形で今回俳人によるアンケートが実施されたのは、なかなかとんがった対抗策であり、けっしてまるめこまれないという意思表示にもなっただろうと思い、私は感心したのだった。
〔編註〕当シンポジウムについては、小誌・以下の記事を参照。
上田信治・「いまどきの二十四節気」は企画中止へ?:第276号/2012年8月5日
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2012-07-22
〔週刊俳句時評66〕無名の座の醍醐味 【itak】事情 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評66〕
無名の座の醍醐味 【itak】事情
五十嵐秀彦
《取材して実際に調べていた自分達は、開拓初期の北海道が日本全国と俳句等の文化で繋がっていたことに驚嘆した。そして井上伝蔵の決して暗くなく、むしろ明るかったといえる北海道での逃亡生活。今回は、北海道石狩の隠れた歴史が見られ、自分達にとても貴重な経験だった》大島崚平「風花舞」第17号「井上伝蔵俳句研究」より
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2012-05-27
〔週刊俳句時評63〕動き始めた【itak】 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評63〕
動き始めた【itak】(イタック)
五十嵐秀彦
1 5月12日
もう少し混乱してもよかったかな?
5月12日、会場となった札幌市中央区民センター視聴覚室は、定員40名。追加の椅子は10脚に限られていて、はたして何人来るのか見当もつかない中、ハラハラして当日の受付を始めたら、結果的にはピッタリの50名。
花冷えの日であった。
俳句集団【itak】はそうしてスタートした。
言い出しっぺは私であるが、準備をしたり当日仕切りをしたのは私ではない。15名の幹事会が3月からこの日のために準備を続けていた。世代はまちまちではあったが、中心は30~40代の俳句の世界では若手の人たちである。
今回、この【itak】の一番の成果は何だったかと問われれば、この若いスタッフ(しかも句歴の浅い人たち)が自ら中心となって、道内の錚々たる俳人たちを集め自分たちも参加して句会を行ったことにある。
2 消滅に向かう文芸なのか
北海道には俳誌を発行している結社がおよそ34誌ほどある。(「北海道俳句年鑑」)
また、現代俳句協会もあり、俳人協会もある。さらに超結社の団体である北海道俳句協会という道内独自の組織もある。
それだけを見れば、俳句の盛んな土地のようにも見える。
それぞれが精いっぱいの活動をしているのは確かだ。
私自身、旭川市に本部を置く結社「雪華」同人であるし、中北海道現代俳句協会の役員もしているのだから、内情は分かっている。
しかし私も感じていることを、道内結社の人も、協会組織等の人も感じているはずだ。それは出口の見えない閉塞感が北海道中を覆っているという実感である。
結社以外にも、歴史のある小さな句会は北海道のあちこちにあるのだが、まずはそこから終末が現実となり始めている。
会員の高齢化のため句会継続ができなくなり解散が続いているのだ。
俳人協会のデータは残念ながら持っていないが、現代俳句協会と北海道俳句協会のデータはある。
どちらも毎年会員数の減少が続いている。
北海道俳句協会の会員を例にすると、平成5年に1710名というピークを記録した後、毎年減少を続け、平成23年から24年にかけて93名の減少の結果、最新会員数は802名まで落ち込んでいる。
大幅な減少である。単純に計算すると、あと10年持たないことになる。つまり10年経つと会員はゼロになるということだ。
ということはもちろん結社は小さなところからその10年の間につぎつぎと姿を消すことになるだろう。
そんなことは今気がついたわけではない。
もっと前から分かっていた。
分かっていたが、正直興味がなかった。
ひとことで言うならば、「潰れるものは潰れるしかなかろう」であった。
「消滅するべくして消滅するものを、どうすることもできない」
私はそう思っていた。
3 3つの出会い
だが、そんなことを考えていた私に3つの出会いがやってきた。
ひとつは酒場詩人と言われ、最近ますます話題の人である吉田類さんとの出会いであった。
なぜ出会ったのかは煩雑になるので省略するが、彼が北海道で自らが主宰する北舟句会というのを始め、たまたま私もそこに参加したのである。
驚くことに彼の句会は毎月40人以上集まるのだ。
札幌で40人以上集まる句会であるにもかかわらず、ここに私のこれまでの俳句の知人は一人もいなかった。
そして、なんという若さだろう。
道内の俳句の集まりはいつも高齢者が中心なので、この北舟句会の年齢構成は新鮮だった。
さらに、メンバーの大半が初心者だったのである。
その吉田類さんの句会については、以前週刊俳句の227号に「酒場の漂泊詩人 吉田類」として書いたことがある。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/08/42.html
私はここで類さんを介して全く新しい顔ぶれを知ることになった。
二つ目は、やはり類さんとの関係なのだが、北舟の仲間たちと道東の漁村である常呂を訪問したとき、土地の俳句会「蛙声会」の人たちと出会ったことだ。
「蛙声会」は、道内の結社との関係は持ちつつも、本来独立した句会で、その歴史はすでに100年になる。
高知などから明治時代に入植した開拓者たちの、その心を俳句で支え続けながら、土地に密着した句会として活動し、いまなおその活動を続けているのであった。
しかし「蛙声会」も御他聞に洩れず高齢化が進んでおり、そろそろ先が見えてきているようにも見受けられた。
三つ目の出会いは、北海道新聞の文化欄で昨年8月から「道内文学時評(俳句)」を月一回執筆するようになったことである。
毎月、新聞社から資料として送られてくる数十冊の道内結社の俳誌等出版物に目を通すようになって、うすうす気づいていたことが想像以上に深刻であるという事実を突き付けられてしまったのだ。
結社ごとにクローズした俳句のショーケースとしての結社誌。
そこには批評は全くといっていいほど無く、仲間同士の鑑賞が若干ある程度で、ただただ俳句作品が毎月ページを埋めているのである。
俳誌というのはそういうものだと言われればそれまでだが、しかし、ここから受ける印象は、非常に静かに停止している文芸だった。
吉田類さんの句会が私に教えてくれたものは、俳句に興味を持っている若い人たちは今もたくさんいるということであった。
常呂の「蛙声会」が私に教えてくれたものは、地元密着の句会の意味ということであった。
北海道新聞の文学時評執筆が私に教えてくれたものは、非常に静かに停止している北海道の既成俳句界であった。
このチグハグ感は何だろう。
結社は活力ある行動を起こす力を失い、世代交代できないまま縮退し続けている。
批評精神を失った、芸事のような作品を並べた俳誌ばかりが毎月出版されている。
一方で、結社とは全く無関係な俳句愛好者がいて、俳句を作りたい、俳句をもっと勉強したいと思っている。
4 【itak】モデルという実践
そして私が何をしようと思ったのかは、週刊俳句263号「俳句集団【itak】前夜」に書いたとおりだ。
≫http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/05/blog-post_06.html
冒頭に述べたように、スタッフとして動いてくれる仲間が10人以上集まってくれた。
3月から準備開始。
便利だったのはFacebookであった。
みんな仕事を持っている人たちなので、会って相談するのは数回しかできない。そのかわりFacebook上で毎日細かなことの打合せを続けた。
ネットを使って宣伝しようという方針のもと、facebook、blog、twitter、なんでも使った。
メンバーが作ってくれたイベント告知用ムービーをyoutubeにUPすることまでした。
≫http://www.youtube.com/watch?v=ZnJQJ5QHba4
句会だけではインパクトに欠けるので、第1部をシンポジウムとし、第2部を句会とするプログラムとした。
シンポジウムのテーマは「花鳥風月を考える」。
前からの仲間である俳人で英文学者の平倫子さんと私とで、俳句と英文学という異なる視点から花鳥風月を見てみたいという企画だったが、もうひとひねりしたくて前から私が注目していた歌人の山田航さんを仲間に引き込んだ。
山田航さんは20代の歌人で、26歳のときに角川短歌賞と現代短歌評論賞をダブル受賞した札幌在住の短歌界の秀英である。
そのように準備を進めていたが、私には気になることがあった。
それは、ネットでの宣伝が道内でどれほど効果があるのか読めないということだった。
それで終盤あわてて、思いついた人たちに手紙で案内を発送し、実は結果的にはこれが予想以上に効果を上げたのである。
そうして【itak】第1回イベントは実施された。
蓋を開けてみると、俳人協会や現代俳句協会、各結社から多くの実力者がやってきてくれた。さらに、無所属の人たち、初心者の若手たちもやってきた。
総勢50名。
年齢は20代から80代まで広い範囲で集まり、進行等運営を切り盛りしたのは若手のスタッフたちだった。
こういう句会はこれまで札幌であっただろうか。
少なくとも私は知らないのだ。
シンポジウムの3パネリストそれぞれの意見は論考の形にして【itak】ブログにUPされているのでご一読をお願いする。
≫五十嵐秀彦 「花鳥風月の発生現場 ~一等低い音として~」
≫山田航 「私的花鳥風月観」
≫平倫子 「英文学から見た<花鳥風月>」
第2部の句会も43名が参加し、協会や結社の垣根を超えた句会が展開した。水と油かと思っていた作者同士が選で一致していたりしたのは内心してやったりという思いだった。
句会最高点を得たのは「銀化」の籬朱子さんの次の句
葉桜となりて切り出す話しかな
であった。
【itak】は道内文学状況のひとつの事件として、後日北海道新聞で報道された。
≫http://itakhaiku.blogspot.jp/2012/05/itak_18.html
これからのことを言えば、句会をやって終りではないところが【itak】の特徴である。
すでにいくつかの記事がUPされているが、【itak】ブログにこれからも俳句作品や評論作品が掲載されていく予定だ。
参加自由の句会を定期的に継続し、並行してネットをメディアとして作品の発表を行う。情報の発信を行う。
句会はあくまで実際に集まれる人たちで行う。
地域に縛られた句会と、地域から解き放たれた発表媒体。この矛盾した二輪車で【itak】はガタガタと進むのである。
第1回が終わって思うことは、ネットの呼びかけが道外で反響を呼んだほどには道内の若手の俳句愛好者たちに届かなかったということだ。
それは物理的に届かなかったのか、それとも届いていたが行動につながらなかったのか。
常識的に考えて後者だろう。
このことだけが予想外だったのだが、これは今後継続していくうちに変化を呼び起こそうと考えている。
結社でも同人誌でもない【itak】モデルは、組織となることを求めるモデルではなく、運動につなげていくことを模索するモデルである。
北海道の停滞した状況に似た地域はほかにもあるのではないか。ぜひ【itak】モデルがどうなるのか注目していただきたい。
私たちは失敗することさえ成果であると考えて取り組んでいる。
冒険としての文芸の魅力を参加者が味わえれば、結果が空中分解となったとしても気にしない。
私もこんな無鉄砲なことは久しぶりで、年甲斐もなくウキウキとしているのである。
当日の雰囲気を一般参加者の方がご自身のブログで報告してくださったので、それを紹介しておく。
≫俳句集団【itak】旗揚げイベント参加報告記(1)
≫俳句集団【itak】旗揚げイベント参加報告記(2)
今回は私自身が関与したイベントを時評の題材とした。やや時評のルール違反であったかもしれないが、しかし、今年これ以上の事件は北海道で起こらないと、断言できる。
これを時評としないわけにはいかなかったのである。
俳句集団【itak】ブログ http://itakhaiku.blogspot.jp/
連絡先 itakhaiku@gmail.com
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2012-05-06
俳句集団【itak】前夜 五十嵐秀彦
俳句集団【itak】前夜
五十嵐秀彦
ひょっとしたら、これは禁煙のせいなのかもしれない。
今年の一月に、長年の習慣だった喫煙に何度目かの「さよなら」をした。今度こそは、最後の訣別のつもりでいるが、まあ、そんなことはどうでもよい。
ちょうどそのころから、今回の【itak】の構想が、漠然とではあったが浮かんできたのだった。
もちろんもっと直接的な動機があるのは言うまでもない。
それは昨年の8月から月一で連載している北海道新聞の道内文学(俳句)時評である。
この執筆が決まって以来、毎月文化部からたくさんの道内俳誌が送られてくる。それに目を通すようになって、困惑が深くなっていった。
そこには、俳句が並んでいる。
どれも立派な作品だと思う。けなすつもりはないし、かえって敬意を表したいほどだ。
だが、…止まっている。
十年、二十年、ひょっとしてもっと…。
時間が停止しているように思えてならないのだ。
評論の類いは一切といってもいいほど見当たらない。
ただただ俳句が並んでいるだけだ。
そして、主宰のエッセイ。短い仲間内の作品鑑賞。ほかになにがある?
なにもない。
うすうす気づいてはいたが、これまであえて道外の動向だけ見るようにしてきたので、この現実はあらためてぼくを憂鬱な気分にさせた。
しかし、距離をおいて、評論家然として批判しているのでいいのか。
いいはずがない。
俳句評論を書きながらも、ぼくも実作者であるのだから、やるべきことをなにか考えなくてはならない。
答えはおのずと見えているように思えた。
考えを整理するために書いたものを、週刊俳句249号に時評として掲載してもらった。
週刊俳句時評「『中央』と『地方』について考える」
さらにぼくのブログにこんなものを書いた。
無門日記 「始めてみないか」2012/1/30
すると幸いに西原天気さんがブログ「俳句的日常」で感想を書いてくれた。
西原天気 ブログ「俳句的日常」2012/1/31「『地方』とインターネット」
その後のぼくのブログ。
無門日記 「20分の1」 2012/2/1
この経緯を読んでいただければ、動機の何分の一かは御理解いただけるのではないだろうか。
幸いに発起人15人はあっと言う間に集まってくれた。
これも幸先のよいことである。
これまでほとんど無風状態だった北海道の俳句情況になにかしらの刺激を与え、止まっている車をゆっくりでもいい少しでも動かしたい。
そんな思いで、俳句集団【itak】(イタック)は旗揚げすることとなったのである。
その第1回イベントが5月12日(土)に迫っている。
とりあえず【itak】の declaration は以下のとおり。
◆
【itak】(イタック)発足に向けて
■私たちは【itak】で何をしようとしているのか?
【itak】が何を目指すのかと言うと、この北海道の俳句状況を俳句そのものの力でもっと面白いものにしようということです。
そして北方詩のリアルな拠点を作る。
そう言うとたいそうなことに聞こえるかもしれません。
でもやることはシンプルそのものです。
句会をやって、俳句関係のイベントやって、その活動報告をネットを使って発信する。
これだけのことです。
ここには結社もなければ現代俳句協会や俳人協会や伝統俳句協会などの組織もありません。
超結社の集団です。
そして出版物としての俳誌は持ちません。
活動報告や作品発表や批評活動はネットを活用します。しかも、徹底的に活用します。
けれど、たとえば週刊俳句のようなウェブマガジンとは違います。
なぜなら、北海道のこの地に出会うことのできた仲間たちで【itak】は運営されるのであり、けっしてネットメディア上の全国区的な存在を目指すわけではないからです。
ヴァーチャルな活動はあったとしても副次的なものとなるでしょう。
基本は顔を合わせての活動です。
顔を合わせて句会をやる。講演会やシンポジウムやいろいろなイベントをやる。
実際に集まってやりましょう。
そしてその報告は徹底的にネットを使って全国に発信します。
印刷物で俳誌を出すよりはるかに多くの人に読まれるはずです。
地に足をつけた北海道の俳句活動と、ボーダーレスのネットとを両輪として動かし、この北海道に新しい俳句の文芸運動を展開できないか。それが【itak】です。
いきなりすごい状況にはならなくともいいのです。
小さく産んで大きく育てるつもりでやっていきましょう。
そして出来上がった作家ばかりでやるのではなく、未完成でも未熟でも、若い世代に俳句の火種を埋め込めることができれば素晴らしいことだと思います。
また、初心者ばかりでやっていても成長しません。ベテランも巻き込んでやっていきましょう。
【itak】が軌道に乗ったら、次は180度への発展です。
一方は、既存の結社や協会組織等への働きかけです。賛同してもらえればコラボをやってみましょう。
一方は、子供たちへの働きかけです。小学生~高校生への働きかけ。これは道立文学館とか協会組織を利用してやったら進めやすいかもしれない。
向う見ずなことをどんどんやって、状況を不安定にしてしまう。あいつら何やっているんだと後ろ指さされるようになること。不安定な状況こそ明日を創りだす原動力となります。
いま、ここで、北海道の俳句文芸の、ちいさな革命が起きようとしています。

句会の告知や報告等は下記ブログで行います。≫公式ブログ
札幌圏在住の皆さんの参加をお待ちしております。
懇親会の参加は5月3日まで受け付けとなっていますが、希望者は要相談です。
●
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2012-01-29
〔週刊俳句時評57〕「中央」と「地方」について考える 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評57〕
「中央」と「地方」について考える
五十嵐秀彦
俳句にかかわってきて、数年前からなにかしら違和感のようなギャップのようなものを感じるときがある。その正体が何なのか、これまでわからずにきた。いや、いまもわかっちゃいないのかもしれない。ただ、今月の時評という場で「わからない」ことは何なのかを考えてみたいと思った。
実は昨年8月から北海道新聞の文化欄で月に一回「道内文学(俳句)時評」というものを担当することになった。そんなわけでこの半年間、「北海道内の俳句」というものを考え続けてきた。「中央の時評は別の人が担当しますから」と新聞社の方に言われているので、私はあくまで道内というジャンルを取り上げて時評を書くわけである。
まずはそこから少しとまどいがあった。ここで、新聞社側から見て明らかなことは、「中央」と「地方」というものがあり、それは区別して論じられるものだということである。そのとき、私は今まで「中央」「地方」ということを真剣に考えていなかったことに気付いた。
「地方」の文芸状況について書いてくれというのが要求なわけだから、私は正直困ったのである。「地方」とはなにかということを考えたことがなかったからだ。
しかし昨年の8月から月1回執筆し、今月で6回目を書いてきた。頭の中からミシミシと音が聞こえてくるほどの違和感をおぼえながらの執筆。書くのが嫌だと言っているのではない。何度も言うが「地方」がわからないのである。「地方」がわからないということは、「中央」がわからないということと同義であるのは当然だ。今の日本で、「中央」とは?「地方」とは?
時代はまさに、昨年の大震災を経て東京という「中央」と東北という「地方」との構造のグロテスクな素顔がむき出しになった状況にある。文芸における「中央」と「地方」の意味を考えることも、あるいは時代の風なのかもしれない。
過去において中央というのは常に東京の代名詞であった。出版もそこに集中しているわけだから、いきおい文芸の中心も東京ということであったわけで、それは現在もなお表向きでは変化していないように見える。
もう少し俳句の世界の話で考えてみれば、俳句総合誌などは「中央」の象徴的存在であったはずだ。しかし、その「中央」は今の状況の中で事実上の中央ではなくなっているのではないか。そうなった経過を次のようにとらえることができるように私は考えている。
角川の『俳句』、富士見書房の『俳句研究』、本阿弥書店の『俳壇』、文學の森社の『俳句界』などが総合誌としてあったわけだが、かつて「俳句ブーム」時代に大量に発生した初心者を読者として、俳句入門的企画を慢性的に続ける状況を自ら作ってしまい、本来の読者層に逃げられ、次に高齢化社会ということを読み違い高齢者企画を繰り返し、形骸化し緊張感を失った企画の誌面を晒すハメになっていった。特に若手俳人たちへの求心力を急速に失っていったように思える。
そういう状況に並行してインターネットが急速に普及。当初は出版メディアに対抗しうるとはとても考えられないレベルであったネットメディアが、利用者の拡大とともに十分影響力を持つメディアに急成長したのである。
そして『俳句研究』の休刊。これまでの俳句文芸の「中央」が揺らいだことを感じさせる事件であった。
こうやって書き出してしまってから言うのもなんだが、ずいぶんうっとうしいことを書いている。いや、ここでくじけるわけにはいかぬ。怯む心に鞭打って続けよう。少し情況というものを考えてみたい。
ネット上の「市民メディア」(草の根メディア)という点で日本より一歩先を歩いていたのが韓国であったことはよく知られている。その中でも市民記者の記事で構成された”Oh my news” は数年前まで大きな影響力(記者26,000人、読者一日200万人)を持つまで成長した。北朝鮮への資金提供が判明したあたりから勢いを失ってしまいはしたが、一時は韓国政府が”Oh my news”を他の新聞社と同等に扱っていたほどであった。
日本では、報道分野でそのような市民メディアは大きな動きになるには至っていない。ただ俳句の世界では「週刊俳句」が似たような立場を作り出したように思える。それはさまざまな分野で起こるだろうし起きているのだろう。
そんな草の根メディアというものが、現実にいくらでも作れる状況の中で、既存のメディアはどうしているのか。
テレビやラジオという放送メディアでは、ラジオ分野がネットメディア利用で一歩先んじている。これまで聴覚情報に限られていたものが、サイトを併用することで画像やテキストを補強することが可能となり、今後その流れが加速するだろうし、スマートフォンなどでもワンセグ・テレビよりRadikoに代表されるラジオアプリが人気を呼んでいるのも面白い現象である。
比較するとテレビはネットメディアとの相性がラジオよりかなり劣る。ひょっとするとテレビというメディアは近い将来バラエティ番組中心となり、情報を発信するメディアとしてとらえられなくなるのかもしれない。
新聞もまた厳しい状況に置かれている。中央から発信される(管理された)情報をただ転載しているだけのような紙メディアでしかないのなら現在の購読数減少に歯止めはかからないだろう。
新聞がその活路を求めるとすれば、地域社会にそれを見出だすことも選択肢となるのかもしれない。そうすると案外地方紙より全国紙のほうが厳しくなるとも言えそうだ。
こうして見たとき、既存のメディアはこれまで漫然と情報の横並びに終始してきて、どこからの発行であっても内容に違いがあるわけでもなく、そして伝達の早さの点では圧倒的にネットに敗けている。俳句とあまり関係のないことを書いていると思われそうだが、俳句のメディアも上記のことと似たり寄ったりの状況で流れてきたのだ。横並びという点だけ見ても、俳句総合誌の企画を見たならばうなずかざるをえないのではないか。
そうした中で「週刊俳句」のようなサイトが登場し、それが俳句総合誌の立場をおびやかすほどになっているのは、出版かネットかの違いではなく、内容の違いであろうと思う。どれも似た企画、そして執筆者も高齢の主宰クラス優先。それでは来月また読もうという気にはとてもなれない。
だから、前述の「市民メディア」のように多数の執筆者、多様な企画、多数の読者という「俳句メディア」の登場はモデルとしても注目されたのである。
『俳句界』2012年2月号に、川名大が「評論展望 ネット時代の可能性としての俳句」という論考を書いている。その中で川名は「可能性としての俳句や俳句言説はどこにあるのか」と問い、それはすでに総合誌や結社誌にはないと言い切っている。
ただ川名は「週刊俳句」などは「ネットの疎外者が母体の俳壇では未だ閉ざされた言語空間」とも言っているのだが、現在の俳句の世界をネット疎外者を母体としていると今現在、あるいはこれからも言えるかどうか、そこに私の疑問や違和感の素因もあるように思った。
私が本稿の冒頭に述べた違和感は、ネットが広範囲なコミュニケーションを実現したことで、「中央」という概念が地理的な物理的な経済的な「中央」から、情報の「中央」へと転換されつつあり、しかもそれが相変わらず「中央」という概念を捨てられずにいるのではないかということにある。
「地方」にいまも存在している濃密なコミュニケーションは「中央」の概念の変化にともなって変容するのであろうか。
それとも新しい「中央」が広範囲であることから、「地方」は飲み込まれてしまい存在意義を失って消滅へと向かい衰退を強めてゆくのだろうか。
「遠い他人」との希薄なコミュニケーションが「近い他人」との濃いコミュニケーションを衰えさせていくのだとしたならば、ネット社会が作りつつある、従来の「中央」にとってかわる新しい「中央」が、「地方」の意味を曖昧にし、従来の「地方」は現在それを支えている「ネット疎外世代」の退場とともに消え去ってしまうのかもしれない。それは古風な言い方を借りるならば「歴史の必然」なのであろうか。
私はそうは思わない。ネット社会が作る広範囲のコミュニケーションが従来の「中央」を崩壊させてゆく動きを、「地方」をあらたな可能性の場とすることへとつなげていく、そのための個々の創意が求められている。俳句という文芸の意義はそうした取り組みの中でより現代的なものになるはずだと思いたい。
しかし、物理的な「中央」が仮想「中央」化しつつありながら、「地方」という実態はその影響の外に置かれ、100年の歴史を持つ団体もある各地の俳句会が衰退し消滅し始めている。
これまで地域に根付いていた俳句文芸が、次の時代につながらず荒野と化しつつあるのだとしたら、私たちはいま破局の現場に立っているのかもしれない。
この半年意識的に地方文芸の現状を見る機会を得て、私は「中央」と「地方」というこれまでの構図がどう変容するのか考えさせら、「ネットメディアを特別なものとして捉える必要は無い」と考えてきた従来の姿勢を見直すようになってきた。
ネットの普及を背景に文化のあらたな「中央」が現われてくるのであれば、それはあらたな「地方」の登場でもなければならないのだ。
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2012-01-01
〔週刊俳句時評54〕2011年の句集を読む 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評54〕
2011年の句集を読む
五十嵐秀彦
今回偶然元旦が週刊俳句更新の日となり、時評の当番がそこに当たってしまった。
そのためこの原稿を書くことに、どこかソワソワした気分になってしまっている。
とりあえず新年の挨拶がいるのかな、とか。
新年おめでとうございます。
みなさんはどんな元日をお迎えのことでしょうか。
今年がみなさんにとって良き一年であることを祈ります。
というような具合で。
それはともかく、2011年は3月の震災以来国家そのものがおぼろになってしまったような日々が続いてしまった。そんな中にあっても俳誌は出続けるし、句集の出版もいつものように多かった。
新しい句集についてはできるだけ読もうと思っているけれど、はたしてどれだけキャッチできただろうか。
今回は2011年に出版された句集の中から4冊をとり上げてみたい。
●興梠隆『背番号』(角川書店)
著者は1962年生まれ、「街」同人。
「街」の今井聖主宰が丁寧な序文を書いている。
《俳句は自分の感動を詠うということが第一義なのではなくて読者を「感動させる」「気づかせる」ものであること。つまり俳句は詠うものではなく書くものだという意識が徹底しているのだ。感動の類型性というのが隆さんのもっとも嫌うところである》今井聖この句集の特徴を上手に表現しているのではないだろうか。
ここに収められた句に難解なものはない。けれど何か非凡なものを感じて、次々と読み進みたくなるのだ。おそらく読者は平凡な日常を非凡に詠う句によってその読みを試されているのである。
だから、今井聖の言うところの「すべて実験句」というのは的を射ている。
土壁の中に竹ある朧かな
人に道問はれてさみし養花天
春風や仮設便所を積んで去る
沈丁や「叔父さまったら」といふ字幕
文月のロシア切手にガガーリン
背番号浸して秋の水重し
こうした句に感じる共感、というか既視感に似た思いは不思議だ。
既視感というのは類想という意味で言っているのではなく、自分が過去どこかでこの句に詠われている光景を見たような気分になるということだ。
「あなたがあのとき見たものはこれでしょ」と言われているように感じるのだった。
おそらく読者の多くがそう思ったのではないか。
言い替えればここにある句の風景はありきたりなのである。だから「見た光景だ」と思うのである。
しかしそれがけっして凡庸に思えないところがこの作者の特異なところだろう。
ありきたりなモチーフから俗に落ちることなく、人の心に忍び込む直観的な表現が冴えているのだ。
●西原天気『けむり』(西田書店)
八田木枯の帯文が秀逸で、まいった。
「勘のいい実作者」というのもそのとおりだし、「読後、気分が駘蕩として煙に巻かれたようになるのも、天気俳句の見せ場」というのも全く同感である。
内容に触れる前に帯文をほめるっていうのはいかがなものか、と自分でも思う。けれど帯が付いていると、どうしても真っ先にそれを読んでしまうものだから、やけに素敵な帯文で飾られた瀟洒なこの句集に羨ましささえ感じてしまった。
蓮ひらく下にたつぷり暗い水
まだなにも叩いてゐない蠅叩
対岸に犬の生活見え晩夏
くるぶしをならべて花の夜なりけり
かき氷この世の用のすぐ終る
上田信治が栞に「うっかり俳人と呼ばれたら一生の不覚と思うような人」と書いているのを読んで、そういえば以前「俳人」という呼称のことでそんなやりとりをしたことがあったのを思い出した。
私は「俳人」などという呼称は所詮記号に過ぎないので逆にいっこうにかまわない派なものだから、西原さんはなにをそんなに気にするのかと思ったものだ。そんなところからもなにかしら自分の価値観への上田氏の言う「ケッペキさ」というものを西原天気のイメージとして持っている。しかし、それも氏はことさら声を大にしてというのも嫌いな様子で、それがどこかしら私には「都会的な自意識」に見えるのだ。
野放図なようでいてとても繊細、というのが私の持つ西原天気像である。
レコードの溝の終りは春の雨
まつくろに夜を匂へるかぶとむし
本性を出さないある種の上品さ、それが詩の楽しさとのバランスをとっていて、なるほど煙に巻かれたような読後感があるのだ。
●青山茂根『BABYLON』(ふらんす堂)
着陸のための枯野を探しをり
青山茂根は空に浮いている。この句集を読んだ印象がそれだ。飛んでいるというのとは少し違う。浮いているのだ。好んで浮いているのでもなさそうだ。かと言って居心地が悪いというのでもない。地面から数メートルほど浮上している作者は、地上の人間とは少し違う光景を見ている。
ビル街を砕氷船の往ける幅
塔あらば千の虫籠吊るしたし
超低空飛行クローバー探すため
そんな茂根世界を中原道夫は「帰るべき処を喪失した悲しみ、戸惑いを主題にしている」と捉えている。
帰るところの喪失ということを思うとき、この句集に限らず詩というものは多かれ少なかれ「故郷喪失」の思いに裏打ちされているのではないかと気づく。実際追放者としての自覚なくして詩の道に入る人は稀だろう。
詩を書く欲求というのは、帰るべきところが無いのに帰りたがっている思いであり、それは母の胎内に戻りたがって泣く乳児のそれに近い。
現代詩であれ、短歌であれ、俳句であれ、詩を詠みたいという願望はこの世に生を享けたときの断絶感とともにあるのだよなぁ…とか思いつつ、この句集を読み進んでいくと、どの句にもそうした精神的な渇きがあるように感じるのだった。
西瓜割れば赤き夜空と出会ひけり
万華鏡の中を旅せば夜店かな
鍵失ひて空蟬へ帰れざる
ママンと同じ香水の男なる
地上に降りてこない(こられない)作者は否応もなく国境を越えるのだろう。
楽しい旅なのかどうかはわからない。どこを巡っても、地上には降り立てない詩人の魂が、ひそひそと泣いているのだ。
プール入る前に人種を問はれたる
ドル建ての水をあがなふ星月夜
●関悦史 『六十億本の回転する曲がった棒』(邑書林)
年末に出版され話題となっている句集だ。
表紙絵のヒエロニムス・ボッシュの絵といい、不必要なまで長いタイトルといい、‘70年代風だなぁ、これが作者の趣味なのかしらん、とか思い生年を確認すると’69年生まれなので、少なくともあの時代を肌で感じとっていた世代ではない。
著者のあとがきにル・クレジオの名があったり、作中にもアントナン・アルトーが出てきたり、私としては妙になつかしく親しめる道具立ての句集なのだ。しかし、どうやらそうしたことは関悦史を読み解くのに何の役にも立ちそうにない。
ホーロー看板灼けゐて由美かおるが素足
木造アパート和姦の悲鳴漏れて秋
AVの自販機ほかは冬の闇
第Ⅰ章の「日本景」は全句ここに書き出したくなるほど個人的には好みの句ばかりだった。ふわふわとやわらかくてやさしい句が多い最近の傾向の中で異彩を放つこの「硬派な前衛」ぶりは、懐古的でもあり新鮮でもある。
作者にとって旧作である第Ⅱ章の「マクデブルクの館」はカタカナ混り文で書かれており、この手法は他にも前例はもちろんあるけれど、見ただけで異様な印象を受けた。まるで明治時代の役所の公文書のようにも見える。
仮名の歴史でもカタカナはひらがなと異なり漢字に寄り添ってきた表記であって、文章を厳めしく権威的にかつ男性的に見せることに一役買ってきたものだ。だから、こうした作品はどこかしら恐ろしい権威や権力を連想し、読んでいると息苦しくなる。
崖ヲ落ツ少年眞白キ瓦解
往診ノ主治醫鞄ニ喰ハレツツ
その恐ろしい句の表情は、第Ⅲ章の「介護」で一転する。作者の祖母を介護した経験から詠まれた作品群であり、作者の力量が存分に発揮されているように思った。
ヘルパーと風呂より祖母を引き抜くなり
便始末されゐて夏がかなしからう
寺からもらつた瓦せんべいで一日生きる
実は「マクデブルクの館」よりこちらのほうが数倍恐ろしさがあり、闇が口を開けていて、ひらがなになった
だけ一層に肌感覚的な迫り方をしてくるようだ。
読み終えて、関悦史という人は何かと闘っているのかと思わせる緊張感と重苦しさを感じてしまった。
あるいはそれは1ページ8句というのは句集としてはずいぶん多い構成によるところもあるのかもしれない。そんなところにも関氏の格闘が見て取れる。
俳句という窮屈な詩型に上手に自分を合わせていくのではなく、どこまでも闘っているように思えるのだ。
この本を手にしたとき、安井浩司の帯文がやけに大時代で大げさなものに感じたけれど、中を読んでいくうちに、なるほどとの思いが強くなった。
《現代の叙事詩を収めるに相応しい巨大な胃腑》安井浩司人類に空爆のある雑煮かな
崩るる国の砕けし町の桜かな
●「ユリイカ」2011年10月号
最後に句集ではないが「ユリイカ」が10月号で「現代俳句の新しい波」という俳句特集を組んだことも印象的な事件だった。それが久しぶりに物議をかもしたのも興味深かった。
特に千野帽子の「二〇分で誤解できる近代俳句。」に対して、週刊俳句第233号(2011年10月9日)で上田信治が痛烈な批判をしたのは正直驚いた。
私は千野帽子の意見に上田氏ほど反発するものは感じなかったため、その批判によって考えさせられることが多かったのである。
その後、千野氏がツイッターで反論していたようだが、断片的にしか追いかけられなかったし、ツイッターだとどうも言葉足らずになるのは避けられない。
この「ユリイカ」の俳句特集について期待ほどには広がりや深まりが見られなかったのは残念だった。
「ユリイカ」の特集が投げかけたものはけっして小さなことではない。もう少し議論されてもよかったのではないだろうか。
*
さて、2012年。どのような俳句、評論に出会えるのだろうか。
「期待したい」と書いて稿を終えるのはお定まりすぎると思いながらも、この二三年俳句の世界が動き始めているという実感があり、本当に心から今年は何か期待できそうな気がしているのである。
●
2011-10-30
〔週刊俳句時評50〕「裸か身や」 俳句における女性性という謎 五十嵐秀彦
〔週刊俳句時評50〕
「裸か身や」 俳句における女性性という謎
五十嵐秀彦
(以下の論考は俳誌『逸』第29号平成23年7月31日発行に発表したものである。だからタイムリーな話題とはけして言えないテーマであるかもしれない。しかし過去に週刊俳句で読んだ論考に触発されて書いたものであるため、今回時評として転載していただくことにした。この「女性性」というテーマはまだ十分に語られていないものだ。できれば今後もこのテーマをとり上げてくれる人が出てくることを期待している。)
1
今回、どう書き出したらよいかかなり困った。自分で好き勝手に決めたテーマであるのに、今ごろになって怖気づいている。
「俳句における女性性という謎」
ふむ。ちょっとこのことを一度書いてみたいと思ったのは「週刊俳句」196号(平成23年1月13日)に掲載された神野紗希のエッセイ「木曜日と冷蔵庫 俳句にまつわる女性性の問題」を読んだのがきっかけである。そのとき思い出したのはさらに1年3ヵ月前に遡る「週刊俳句」129号(平成21年10月11日)掲載の三宅やよいのエッセイ「居心地の悪い身体 柴田千晶句集『赤き毛皮』」であった。
このふたつのエッセイは共通したテーマを少し異なる視点から論じているところが好対照であり、またどちらもなかなか鋭い論の提示がなされていた。そこでキーマンとなったのは柴田千晶であり、鈴木しづ子である。さらに神野のエッセイでは椎名林檎がそこに加えられている。文芸における「女性性」の表現に対する共感・反発が入り混じり、さらにそれを持て余しているところがどちらにもあってそれぞれに問題を投げかけている。
2
では簡単に(乱暴に)要約してみよう。
まず書かれた順に三宅やよいの「居心地の悪い身体」から始める。三宅は冒頭で柴田千晶の句集『赤き毛皮』のあとがきを紹介していて、その中に次のような一文がある。
《十代のころから一貫して「性」を主題に詩を書いてきた。自己の性を描くことで、この世に存在することの不安と孤独を書いたつもりである。「性的な私」の、この生き難さはどこからくるのか。志としては、私は「性」を主題に「人間」を描きたいと思っている》
この柴田の言葉から、三宅は鈴木しづ子のことを思い出す。
欲るこころ手袋の指器に触るる 鈴木しづ子
体内にきみが血流る正座に耐ふ
これらの句が、しづ子の私生活への憶測と結びつき性的な句と解釈され、そこから興味本位の鈴木しづ子像が作られたことや、今なおその文脈でしか語られないことに対し、三宅は《性を通じたしづ子の話題はもういいといった気持にもなる。それはしづ子を通して語られる物語がさっぱり現在的問題に更新されないからだろう》と捉えている。そして柴田千晶に対しては《真剣に性に立ち向かうならば必然的に引き寄せてしまうなまぐささ》を感じている。
夜の梅鋏のごとくひらく足 柴田千晶
まはされて銀漢となる軀かな
闇汁の魔羅女陰乳房喉仏
こうした柴田の作品に、三宅は後ずさりしてしまうものを感じもする。また、こうした作品は、しづ子と同様に柴田の作品そのものに向かい合うこととは別な興味や、あるいは拒絶をひきおこすものかもしれないと思いながらも《口当たりのいい身体感覚では表しきれない生と性との断絶こそが問題なのだ。その断絶を回復するためにはより過激にならざるを得ない》と三宅は評価し、《読み手から跳ね返ってくる軋轢を楽しんでいる》とも感じている。このエッセイからは、日頃なかなか踏み込めない赤裸々な「女性性」の表現を、「断絶の回復」のために必要な勇気であると認めながらも、それがかえって誤解や偏見を導き出すことになるというジレンマ、さらにはその誤解や偏見を楽しんでいるというパラドックスが作者側にありはしないか、という指摘が読み取れるのである。
3
さて、次に神野紗希のエッセイ「木曜日と冷蔵庫 俳句にまつわる女性性の問題」に移ろう。彼女はJ-POPを切り口にしてひとつの面白い問題を提示してみせた。神野が子どものころ夢中になった歌手に椎名林檎やCocco、鬼塚ちひろたちがいて、彼女たちの歌う「性や死」その詞の「過激」さに慰められたと言う。ところが東京に出てみると、椎名林檎ファンの男たちが多いことを知り、《結局、性をあけすけに歌っても、今度は、そのいう女性が好きな男性に愛されるのだ》《アイドルは、女性性を直接扱っていて、椎名林檎はそれを逆手にとっているが、女性性がないと成立しないという点ではどちらも同じなのだ》と神野は考えるようになる。
そのことを、『超新撰21』(邑書林)を読んでいて思い出したという導入部が、私にはとても興味あるものだった。そして神野は、表現における女性性の問題について、さらに鋭い踏み込みをしてみせる。
どうも引用が多くなり気がひけるが、とても重要な発言部分なのでお許し願いたい。
《いくら過激であろうとも、結局「女子」と呼ばれるのだ。女性は消費される。これは、もう、しょうがない、しょうがないと言ってしまうと身も蓋もないが、女性という性別と肉体を与えられた以上、私たちの眼の前には、それを利用するかしないか、という選択肢しかない》
標本になる草食男子の数や どこまでいけば美味 種田スガル
夜の梅鋏のごとくひらく足 柴田千晶
おや。ここで再び柴田千晶に私は出会うことになる。前述の三宅やよいのエッセイと、この神野のエッセイをつづけて読むと、鈴木しづ子~柴田千晶の流れに、二人の表現者が自らの性を絡めてしまうジレンマとしての「女性性」というものが見えてきて、それを読み解くのに椎名林檎が実に恰好のモデルであることがわかってくる。
たとえば有名な「歌舞伎町の女王」だ。私はこの歌を初めて聴いたとき、なんとあざとい歌だろうと思った。まるで五十代の男の詩人が描くような新宿神話を、年端もいかない女性が歌っているのだ。あたかも新宿大ガードの下の、肌にまつわりつくような空気をくぐり抜けるときのような、三四十年前の新宿の猥雑な雰囲気を再現していることに驚いたのである。そこに歌われる女は、したたかではあるが自らを商品として生きる哀しみを抱えている。と、男は受け止めてしまう。そこには男の願望と罪悪感とが、ミラーボールに映される醜い顔のようにちらちらと蠢くのだ。ここにある送り手と受け手のありかたは、表現としての「女性性」にいつもついてまわるものだろう。
内腿に触れし冷たき耳ふたつ 柴田千晶
円山町に飛雪私はモンスター
柴田千晶のこのような句には、椎名林檎の「男から見た世界像」の中の「女性性」と同じものをあえて詠っているようにも感じ、次の鈴木しづ子の句とも通じるある種の企図を思わずにはいられない。
ダンサーになろか凍夜の駅間歩く 鈴木しづ子
娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
それが現実の世界で、出版物としての鈴木しづ子『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』(河出書房新社)の帯に「椎名林檎推薦」などというあざといキャッチが踊ることになって、まさに神野の言うとおり文芸においても「女性は消費される」のであることが、実践されているのを目の当たりにするのである。
4
ここでひとつ整理をしておこう。
三宅の論旨は、ジレンマを持ちつつも明快なものがある。それは赤裸々で過激な女性性の表現が「生と性との断絶」を回復するために必要であること。しかし、同時に誤解や偏見を導き出しやすいが、表現者はそうした読み手との軋轢をも予見し楽しむ存在であることを指摘している。
一方神野は、性の過激な表現に女性として共感を持っても、現実にはそのことで男に愛されることになり、芸能の世界がそうであるように文芸においても「女性は消費される」存在になってしまうことを述べている。
どちらも俳句における「女性性」について考えているのだが、三宅は過激な表現が断絶の回復のためには必要だとする前向きさを示しているのに対して、神野は必ずしもそうではない。
「利用するかしないか、という選択肢」として捉えられているのだ。そして次の言葉が神野の立ち位置を明確に示している。
《過激で暴力的なものが一番面白い、わけではない。たとえば前衛芸術の隆盛したころはそうした価値基準が有効だったのかもしれないが、そういう時代は、とうに過ぎ去った》
ここに二人の世代の差が見て取れそうだ。簡単に世代論に置き換えるつもりはないが、三宅と同世代である私には、神野の発言に世代的な違和感をおぼえてしまう。
「そういう時代は、とうに過ぎ去った」と言ってしまっていいのだろうか。前衛的取り組みを流行のように浅くとらえているように思えてならない。心に抵抗感のあるものを、あえて暴き出し動揺を生み出すところから真実に辿りつこうとするのか、あるいはそれを露悪趣味ととらえ、ポーズに過ぎないと遠ざけるのか。その違いが両者にはあるのだが、そのことを表現における「女性性」で見たとき、まるで壁のような疑問にぶつかってしまうことも理解できる。
三宅が、柴田千晶の向こう側に鈴木しづ子を見るのは当然だろうし、神野が椎名林檎と柴田千晶の類似を思うのも理解できる。また、出版社が鈴木しづ子と椎名林檎を結びつけるのも故ないことではない。なぜならそこに典型的な「女性性」があるように見えるからだ。しかしその「女性性」が女性のオリジナリティであるのかという疑問。それをふたりとも強く感じているように読み取れる。神野の言わんとしたことはまさにそのことだろう。
5
文芸や芸能の世界に平凡を求めるものはいない。そこに暗に求められているものは、ドラマである。モノ言わぬ文芸である俳句とても例外ではない。
たとえば、私の心の底に鈴木しづ子の句によって呼びさまされるドラマがあるとすれば、それは何だろう。もちろん日常的な何かではないのだ。呼びさまされるものが非日常であるからこそ、ドラマとなるのである。それは何か。すると、私は自分自身の記憶を遡りはじめる。
若いころに関係のあった女性、またはその人生に多少なりとも心を動かされた女性たち、そして表面は普通を装いながら人には言えない日々を送っていた女。自分が直接関係あろうとなかろうと、自分の周囲にいたそうした女たちの記憶。多くは心の底に静かに眠っている。鈴木しづ子や柴田千晶の言葉は、そんな記憶を呼びさますのである。
それは椎名林檎の歌も同じことのように感じられる。
「朝の山手通り煙草の空箱を捨てる」と彼女が唄うとき、その詞によって喚起される記憶の中の「女性」。その「記憶」が事実であったかは問題ではなく、その瞬間に再構成されるドラマが重要なのであって、それにより鑑賞というものも生まれてくる。
そのような表現が、神野の言うところの「消費される」女性なのであれば、ここに消費者である私がいることになるのだ。はたしてそうだろうか。
このことをしばらく考えたのだが、なかなか結論には至らなかった。私は三宅が言うところの読者との軋轢を楽しむ作者側の姿勢を感じざるを得ない。そのことを、鈴木しづ子の「神話」のひとつでもある第二句集『指環』出版記念会(昭和二十七年)の彼女のあいさつにも感じとれるのだ。彼女はこの一言を最後に失踪。その後の行方を知る者はひとりもいなく、生死さえ不明である。
「それでは皆さん、ごきげんよう。そして、さようなら」
これはまるでコンサートの最後に椎名林檎がやってみせる大げさなお辞儀に似ているのだ。これがあたかも今生の別れを男に向かってしているかのような、あのドラマチックなお辞儀である。そのとき椎名は、あるいは鈴木しづ子は「消費者」である男たちをみごとに「消費」しているのではなかろうか。
6
ジェンダー論になることを極力避けようとしながらこれを書いているのだけれど、この世に男と女とがいて、そこに「性」という接点があり、それが本能に支配された行為でありながら同時に人間的な想像力を不可欠とすることであると考えると、「選択肢」はまさに、武器のごとくあるのである。そのことに全く触れずにいることももちろん可能だし、大きく踏み込むことも可能だろう。大きく踏み込んだとき、それが人の纏った強固な鎧を突き破ることもできるのかもしれない。それを「過激」と呼ぶのだろうか。私は過激だとは思わない。三宅の言う「生と性との断絶」を回復するためには当然そこまで行かねばならない。そして断絶からの回復という意味では女も男もないのである。椎名林檎の歌が男の夢想する女を女の側から鏡像のように表現していると同時に、男がそれを受けとめるとき、性をとおして性を超える感覚を味わってもいるのである。それは存在の沼の底なのかもしれない。
鈴木しづ子も柴田千晶も単純に男の存在を意識していたわけではなく、男の視点をも実は彼女たちの存在の中にあったのではないか。そして三宅、神野の感じるジレンマもまさにそこから発生しているのであり、読者はそのことも感じ取っているのであって、そのとき男でも女でもない両性具有の存在になっているのかもしれないと思うのだった。
さて、結局このテーマ、明快に腑分けすることは永久に不可能と気がついた。それは収穫なのか、それとも悲しき限界なのか。
裸か身や股の血脈あをく引き 鈴木しづ子
※『逸』第29号平成23年7月より転載
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2011-10-02
週刊俳句時評・第46回 ユリイカ的俳句 introduction 五十嵐秀彦
週刊俳句時評・第46回
ユリイカ的俳句 introduction
五十嵐秀彦
ツイッターやフェイスブックでさかんに『ユリイカ』10月号が話題になっていますね。
おそらく既にお読みの方が多いことと思います。
まだ読んでいない人からは期待のこもった発言が、読んだ人からは好意的な発言が目立ちます。
そんなわけでぼくも買ってみました。
で、時評で取り上げるにはまだ十分読めていないのですが、ちょうど今回がぼくの出番だったものですから、とりあえず気がついたことなど書いてみようと思います。
(それで気づいた方もいらっしゃるかもしれません。この文体がいつもと違い「ぼく」だったり「ですます」体であるのは、とりあえず書く場合にこのやり方でいって、下調べなど十分にしてから書く場合には「私」と「である」体にしようと今決めました)
文芸誌が俳人の間でずいぶん話題になっているということは、珍しいことです。角川の『俳句』にしても文學の森の『俳句界』にしても、俳句総合誌が話題になるのは賞の発表のときぐらいですから。それを思えば面白い現象です。
それはなぜだろう。
他のジャンルの文芸誌が俳句を特集したから?
そうではないような気がします。
この現象には『ユリイカ』という雑誌のブランド・イメージが大きく働いているのだと思うのです。本来は詩の雑誌のはずですが、短歌、俳句の人たちを含め『ユリイカ』の知名度は高いものがあります。
かくいうぼくも学生の頃にはずいぶんお世話になったし、現代詩とは距離を置くようになってしまった今でも、面白そうな特集のときには購入します。過去に、ビョークや西原理恵子をとり上げるなど、状況への目配りと柔軟性には感心させらています。
その『ユリイカ』が現代俳句を特集するというのです。
既存の俳句総合誌が共通して放っているあの老人クラブ的匂いとは全く違う「エスプリあふれる」特集になっているのに違いない、などというよく分からない期待をついつい持ってしまいます。
けれども同時に、『ユリイカ』だから、と期待してしまっている自分の中のある種のミーハー性も感じてもいました。
そんなわけで、普段はあまり考えていない『ユリイカ』という文芸誌そのものについてもあらためて見直す機会にもなったようです。
ブランド・イメージなどと言いましたが、『ユリイカ』の編集方針は30年前40年前とはかなり違っているということも思うのです。
私の同居人は学生時代からずっと同居人であり続けている人で、若いころ『ユリイカ』派少女であった人ですが、彼女(現在は『婦人の友』派中年移行済)に先日「今度さ、ユリイカが俳句の特集やるらしいよ!」と、なぜか得意げに吹聴したところ、「ふーん。サイバラのときみたいに売れるかも、って思ったのかしらね…」と軽くいなされ、おや、なるほど、などと思ったのです。
現代詩やフランス文学ばかりやっていても、そのマーケットは縮まるばかりだから、サブカルやオタクに走るのも経営戦略的にはありなのでしょうし、ジブリや西原理恵子や、果てはB級グルメなんてのも、わからないではありません。
くだんの同居人と去年の暮ぐらいでしたか、一緒に書店にいたとき、彼女がさも珍しいものを見つけたかのようにその月の『ユリイカ』を手に取り、私に見せながら「ほら。ジュネだってさ。珍しいね!」と言ったのです。30年前だったら逆に「またジュネか」というところだったはずです。その『ユリイカ』がジュネの特集をして「珍しいね」と言われるというのは、やはり時代に適応して変化しているということなのでしょう。
ではその『ユリイカ』がなぜ俳句?
気まぐれとは思えないのです。
俳句がサブカル化しているのだろうか…。それならそれでも面白いが。
少なくとも老人クラブ用入門企画よりはましだろう。
そんな少し斜に構えた思いを持ちながら、10月号を読んだわけです。
特集「現代俳句の新しい波」。
そのタイトルには、特段「エスプリ」は効いていないようですが、「新しい波」という捉え方は状況を正面から見ているようにも読み取れました。
何か、いちいち引っかかっているようですけど、事実良い意味で引っかかるところが多いのです。この2年ほどの間、若い動き、新しい動きが目覚ましい状況になっているのに対して俳句総合誌が「新しい波」として特集をしてきたでしょうか。若手に割くページをほんの数枚追加したぐらいにしかぼくには見えません。だから「新しい波」というきわめて平凡な言葉にも敏感になってしまうのです。
目次を見たのですが、いや、これが実にわかりやすい。稿の配列に周到さが感じられるのです。『ユリイカ』が今回の企画で何をしようとしているのか、何を訴えようとしているのか、内容を読まずともかなりはっきりと伝わってきました。
冒頭にはとっつきやすい鼎談が置かれています。
これが全体の基調になっていて、人選からしてそれが現われています。
専門俳人は堀本裕樹だけで、小説家の川上弘美、エッセイストの千野帽子、しかしこのふたりとも俳句を作る人。
そう書くことの違和感!
専門俳人という言葉が通用しない仕掛けがこの企画全体にあるのですから。
鼎談は自由でリラックスした雰囲気で進められるのですが、あとからかなり編集したのかなと、余計なことを思うほどにきちんと展開しているのです。
1
結社ってとっつきにくい。
2
でも俳句って面白いよね。
3
結社は少し面倒なところがあるけど、句会って楽しい。
4
ゲームのようなところがあるから。
5
もともとそうだったんじゃないの。江戸時代から。
6
作ることと読むこととでは「読み」の比重が大きい。だから句会で他の人の読み
を知ることが重要。
7
文語、旧かななどの俳句パーツの魅力。
8
対して池田澄子の口語俳句の魅力。
9
結局季語の奥深さ、面白さ。
10 時代の感情のあらわれになることはあっても、時代を詠むことはむずかしい。
11 その点は俳句と短歌の違いがある。
12 四季を詠う俳句には、死と関係するものがある。
13 それらをひっくるめて、笑いの重要性かな。
こんな感じで会話が展開している。これはずいぶんと出来過ぎの展開だとは思いませんか。また同時に、この鼎談のあとに続く論考や俳句作品のチョイスにまっすぐつながる内容になっている。
俳句に興味は持ちながらも結社のような旧来の組織や師弟関係になじめないものを感じている若い世代に向けて、俳句、こわくないよ、楽しいよ、と誘っているかのようです。
こわくない、楽しい、を入り口にして、中に入って行くと、座についてとか、文語や旧かな、口語俳句それぞれの魅力、季語の持つ意味、俳句と短歌の違いなどを経て、終盤に「死と笑い」という俳句究極のテーマさえ紹介するという巧みさがこの鼎談にはあります。
その後に、作家論が並ぶのですが、これまたある意味わかりやすい配列です。いきなり自由律の代表俳人・放哉が来て、次に山頭火。
ほら、俳句も詩と変わらないでしょ、と振っておいて、寺山修司です。
永遠に青年の師であり続けている寺山の、その俳句を突き付けて、寺山さんも俳句やってたんだよ、しかも定型だよ、となるわけです。
あ、ちょっと誤解されそうなので補足しますが、あくまで稿の配列と展開の意図について言っているので、それぞれの論考の内容がそうだと言っているのではありません。内容は各作家の本質論の色彩が濃く興味深いものです。
寺山のあとに誰を持ってくるのか、とても興味深いものがありました。
頁をめくるのが少しスリリングでもあったのです。
鼎談の流れを踏んでいるのであれば、ここで一気に急展開もあるのかな、と思ったらやはりそうです。
「まだ見ぬ俳句へ 高柳重信の多行俳句」。
で作家論はここで一段落。
放哉、山頭火、寺山修司、高柳重信。この展開は面白い。鼎談と同様に特集企画の意図を強く表しているように感じました。
子規でも虚子でも草田男でもないのです。
そして俳句作品の頁に移ります。
そこには「生きのいい」作家・作品が並べられていました。
高柳克弘、神野紗希、佐藤文香、山口優夢…。
さらには、あの傑作脱力系エッセイ『去年ルノアールで』の作者・せきしろ、漫才コンビ「ピース」のボケ役で文学愛好家で売っている人気者・又吉直樹、ロックバンド「サカナクション」の山口一郎と、意外な顔ぶれに驚かされる仕掛けです。
この三人の作品は俳句というよりは自由律、と言うよりも一行詩の世界ですが、その後を千野帽子と堀本裕樹という鼎談組のお二人でしめるという念の入った構成。
この後はどうなるのか、とますます心が騒いでいるところに、角川春樹のインタビューが飛び込んできて、ひとつクエスチョン・マークが打たれるわけですが、考えてみれば例の「魂の一行詩」ですから落語の考えオチみたいなものでしょうか。
このまま内容には少しも触れずに進みます。
企画は終盤へと向かい、写生論、韻律論、季節論、詩型論と俳句の本筋の論考が続き、最後に「世界制作の方法」という途方もない名前のついたセクションで、池田澄子のインタビュー(聞き手は佐藤文香)「たのしくさびしく青臭く」がドーンと置かれている。
さて、この現代俳句特集はユリイカ的サブカルあるいはオタク戦略の一環なのでしょうか。
お前は面白くないと思っているのかって?
いえ、面白いと思いました。
また、『新撰21』や『超新撰21』がぼくに与えてくれた衝撃の背景なども確認できる好企画であり、これまで実作に比べて欠けていた評論面を補強しているように思えました。
しかし、どうしても「ユリイカ的」、という印象も持ってしまったのです。
ひととおり読み終えましたが、自分なりの整理はまだできずにおります。
だから、introduction としてみました。
次は(もう既に今号で誰か書いているかもしれませんが)週刊俳句にお集まりの皆さんにこの「ユリイカ的俳句」について語ってほしいと思っています。
賛否それぞれあるかもしれない。それが読みたい。
そうすれば『ユリイカ』10月号がメルクマールになるかどうかが見えてくるのだろうと
思ったのでした。
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Labels: ユリイカ「現代俳句の新しい波」, 五十嵐秀彦, 時評
2011-08-28
週刊俳句時評・第42回 酒場の漂泊詩人・吉田類 五十嵐秀彦
週刊俳句時評・第42回
酒場の漂泊詩人・吉田類
五十嵐秀彦
1 吉田類との出会い
吉田類という男がいる。
この名を聞いてその人物が分かる人は、おそらく酒好きのかたに違いない。
BS-TBSの名物番組「吉田類の酒場放浪記」に出演している、あの吉田類さんだ。
なぜこの人物を週刊俳句の、しかも時評で取り上げるのかと言うと、おそらく番組を見た人ならわかるだろうが、彼は場末の胡散臭い酒場を徘徊している不思議な人物であると同時に俳人でもあるからだ。
この「でもある」という言い方が合っているのかどうか若干不安にはなるのだが。
吉田類さんにはピッタリ合う肩書がない。
ときに「エッセイスト」と呼ばれ、あるいは「作家」と呼ばれ、はたまた「ライター」と呼ばれ、「芸術家」とも呼ばれ、「酒場詩人」とも呼ばれ、「俳人」とも呼ばれている。
私は類さんとは一年程度のお付き合いになるが、いまだによくわからずにいる。
出会いは一昨年の小樽であった。
知人から「吉田類さんという作家さんが小樽に来て句会をするけど、出てみませんか」と誘われたのである。
吉田類なる人物が何者かまったく知らなかったが、句会に誘われて断るのもどうかと思い参加した。
会場の蕎麦屋の二階に行くと30人ぐらいの人が集まっていた。みな初対面の人ばかり。
年齢はばらついていたが意外なことに若い人が多かった。
この人たちは誰だろう。
三分の一ぐらいは東京から来ているという。残りは小樽や札幌からの参加だとか。
誰一人知らないし、また、不思議なことにはその場から俳句の匂いがしてこないのだ。
これが句会? なにか違う。
違和感があった。
しばらくすると真っ黒な男が、「やあやあ」という感じで入ってきて上座に座った。
吉田類さんである。
真っ黒というのは服装である。上下黒のいでたちで、黒いハンチングのようなものを被っている。帽子からはみ出しているのは天然パーマなのかちょっと長めに伸ばしたチリチリの髪。
背が高い。顔も大きい。なんでも噛み砕きそうな顎をしている。
あ、この人か。と思いつつ、頭の中の俳句世間辞典を高速検索するのだが、この人物がヒットしない。
しかし、この場に集まっている人たちにとってはきわめて有名人のようであり、親愛と憧れに満ちた視線がこの人物に集中しているのがわかった。
句会そのものは、最初から酒が出てくることを除いて、特に変わったものでもなく、こんな感じだろうなという思いで参加していたが、句を見ると初心の人が多いように見えたのが特徴ではあった。
多いというよりは、ほとんど、という感じである。
それぞれの人の発言はリラックスしユーモアがあり、受け答えをする類さんもユーモアに満ちていて、会場は終始笑いに包まれていた。
どうやらこれは、俳句を酒の肴にして遊んでしまおうという「吉田類ファンの集い」のようなものらしい。
そのことに句会が終わるころ、ようやく気がついた。
こういう世界もあるのか、と日頃は結社や協会関係の句会ばかり出ている私には少し驚くところがあったのである。
類さん自身は、その外見に似ず(?)、かなりまっとうな句を作る人であった。
なるほど自称他称にかかわらず俳人と呼んで少しもおかしくはなく、少々ひねりのきいたザックリとした句を作る人だった。
句会では、俳句の体をなしていない句に少し指導的なことをいうこともあるが、終始微笑みを絶やさず言い方も相手を気遣ったやさしさを感じさせるものだった。
小樽の句会の帰り、私は、この句会が成功しているかどうかはわからないながらも、俳句で遊ぶという意味では十分面白かったし、上手下手は別にして参加者が座を楽しんでいる雰囲気に新鮮な印象を持っていることに気付いた。
次にまた会うことがあるだろうか、とその時は思ったのだ。
ところが、その機会は思いがけずすぐにやってきた。
類さんが札幌に「北舟」という句会を作り、毎月一回句会を定例で開くということになったのである。
類さんが北海道が好きだということもあるが、定期的に札幌に来る仕事があるというところから話が進んだのだろう。
再び声がかかったので、その句会に出席し、その後現在にいたるまで1年間ほど毎月吉田類さんと句会を共にしている。
主宰ということになっているが、結社の雰囲気は皆無である。
なにより俳誌がない。
だから句会をしては、毎回それはそれで終わりなのである。
句会をするということだけが、類さんの句座なのである(いまのところ)。
酒場放浪記の類さんだから、毎回酒である。
句会が始まる前から昼酒である。一升瓶が句座を回る。
開始時間が真昼間であろうとなんだろうと、類さんはすでに酔っぱらった状態で登場するのだ。
そのわりには、座の捌きはしっかりとしている。だから句会は笑いを伴いながらも、意外に真面目に進行する。
私も毎月句会に参加していると、生活のパターンになってきて、小樽で感じた違和感もじきに消えてしまった。
2 吉田類の俳句
ただ、毎月会っていながらいまだに、吉田類、何者であろうか、という思いがある。
俳句の世界で彼の名前を聞くことはほとんどないが、2008年のNHK俳句王国にゲストとして出演した記録がある。
そのときの主宰は寺井谷子、司会は板倉卓人、神野紗希。
類さんはそこでこんな句を出している。
虹消えて泥の水牛動きだす
ほととぎす鳴く夢に虚無僧通ける
噴水や天の真青を洗ひたる
蟻運ぶ中年男を蒲団ごと
俳句の世界に顔を出した珍しい場面であったはずだ。
俳句総合誌などでその名を見かけることは、少なくとも私はなかった。とはいえ、メディアに露出している人物だからまったく取り上げらていないはずはないと思うが。
句集などを出版しているのだろうかと調べたけれど、どうやら無い。
あるのは酒場関係のエッセイばかりだ。
その中で『酒場歳時記』(NHK出版 生活人新書)というのが出ている。
深川の居酒屋や中央線沿線の酒場、たとえば有名な吉祥寺の「いせや」などの個性的な店と、そこに集う人々をペーソスあふれた文章でつづってゆく。そして人間くさいエピソードのあとに、ひっそりと俳句が置かれる。良い酒場とはどういうところをいうのか、そして何より良い酒飲みのスタイルについて独自の切り口で描き出していて、どこか私小説的な味わいもあり読みごたえがある作品だ。
披露される俳句は、酒場の雰囲気や、人間模様などから生まれてきて句だ。
巻末には、文中に散りばめられた俳句作品をまとめた形で「酒場八十八句集」が収められている。
徳利より白蝶ほろと舞ひ立ちぬ
白花を銜へて眠る渓の鹿
闇海(くらうみ)を孕みつ喰はる蛍烏賊
淡雪の夢や旅路の果てなれば
その俳句を読んでいると、専門俳人の作品とは異なる雰囲気に気づく。
これは、永井荷風のような、ある種の文人俳句だ。
そこには季語の本質に肉迫するような切り込みや、存在とか生死とかに触れるような重さは、直接的には見られない。
しかし、かと言って戯れ歌でもないし報告句でもない。
荷風、あるいは久保田万太郎。吉田類の俳句は、句柄こそ違うがそのあたりに立っているような気がするのだ。
3 放蕩すれすれ
吉田類とは何者か。
それが『酒場歳時記』のp150に自らの言葉で描き出されている。
《「酒場などテーマに何を書こうとしているのでしょうね」 まるで自問を促すような問いを、立ち飲みバーのカウンターで知り合った熟年紳士から投げかけられたことがある。これは、半世紀にもわたる放蕩すれすれの人生を送る男には辛辣な問いだ。画家からイラストレーターへ転身するも、旅好きは変わらず。興味をそそられる対象に出会うと一途にのめり込んでしまい、およそ家庭を顧みることがなかった。生来、家族生活に縁遠い境遇にあった身。安定した暮らしや大家族の温もりを渇望しながらも、それを築く手段に疎い。気がつけば独り身の憂き目。当然のことわりである》
類さんはこれまで結社に入ったことがあるのだろうか。
だいたいなぜ俳句をやる気になったのだろう。
彼の経歴を見ると、もともとは画家である。そしてイラストレータとして仕事をしていた時期も長かったようだ。
そこから現在の俳人・吉田類との間に飛躍があるように思った。
それで、直接御本人に聴いてみたのである。
すると、これまで結社には入ったことがないと言う。しかし俳句との出会いは幼い時期まで遡れるのだそうだ。そこには彼の出身地が関わっている。
類さんは四国高知の生れ。
いつも大人たちが集まって句会をしていたので、俳句は身近な存在だったそうだ。
ふと、金子兜太が故郷秩父の思い出として、自宅に男たちが集まって句会をして飲んで騒いで喧嘩していたという話をどこかに書いていたのを思いだす。
そこには俳句が大人の男たちの社交だった時代の匂いがある。
類さんはそんな環境で育ったらしい。
今の世間の句会の姿からは想像もできないことだ。
しかし、彼の主宰する句会には昔のそんな雰囲気が少しだけれどある。
類さんがこういう形での句会を続けているのは、子どものころに見ていた句会を現代に復活させようという思いがあるのではないか。
もちろん昔の男性的で時には暴力的でもあったかもしれない句会を現代に再現するのは不可能だ。
しかし、酒を飲みながらわいわいと騒ぎながらやる句会を専らとする姿勢には、世間の句会と明らかに異なるものがある。
札幌のように俳句文芸がお世辞にも盛んとは言えない地域で、若い世代を中心とする俳句愛好者たちが毎月40人以上も集まる句会というのは目を見張るほどの現象なのだ。
そこにはパワーがある。
ただ、吉田類さんはその句会を何か目的志向的に運営しているようではなさそうだ。
まさに類さんの子供時代の高知の句会のように、酒を飲んで楽しく句会をやって、酒と俳句の縁を広げていければそれでいいと考えているのかもしれない。
だが、それで済むのだろうか。
この集団は遠からず目的志向に目覚めるのではないかと思う。
酒の醸造所のように、句会の中で何かがふつふつと醸造されている。
主宰ありき、俳誌ありき、の一般的な結社の形があたかも不動のように思えてきた状況が、あちこちで崩れてきている。その一端が、吉田類の句会にある。それがこれからどこに転がっていくのか、その予想はむずかしい。
一見、お遊びの句会のようにも見える句会も、あるいは今後の状況の目となっていくのかもしれない。いわゆる「俳壇」と呼ばれる世界に一定の距離を置いている俳人なるがゆえに、それが出来るとも思えるのだ。
今後の状況を見る上で必要なことは、彼を中心とした句会がどう成長するのかということだけではなく、この句会から既成の俳句団体が影響されていく状況が生まれてくるのか、ではないかと思う。
あるとき、類さんは私に言った。
「ねえ五十嵐さん。俳句の世界ももっと自由にならなくちゃねぇ」
正確には思いだせないのだが、そんなことだったと思う。
そろそろ帰ろうとしていた私は、いきなりそう言われて虚を衝かれる思いがしたのである。
私の中にある結社人としての部分に、それはまさに投げつけられた言葉であった。
最後に最近出版された本を紹介しておこう。
それは『吉田類の酒場放浪記 4杯目』(TBSサービス)である。
巻頭に「奥の酒道 芭蕉と呑む!」という芭蕉の足跡を追ってみちのくの酒場を紹介してゆく企画が置かれている。白河の街でのモツ煮込み、山形ではビル街の隠れ酒場の芋煮、秋田象潟の安くて旨い地魚。そして、酒である。俳句である。
笠二つ同行関の茸かな
芭蕉碑に枯死あざやかな女郎蜘蛛
象潟の美女は眠れぬ月の雨
これまで多くの俳人・俳句愛好者に出会ってきたが、吉田類さんほど俳句の手垢に無縁の俳人もまれだろう。
それでいて、俳人と紹介されることに特に抵抗もないようだ。
彼にとってそんな呼び名などどうでもいいことなのだと思う。
自由な男である。
謎めいた男である。
酔っ払いである。
そして、詩人である。
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