〔週刊俳句時評66〕
無名の座の醍醐味 【itak】事情
五十嵐秀彦
思えば基本的に「評論家気質」で、自分から行動するのは苦手なはずなのに、今年はまるで何か妙なモノにとり憑かれてしまったかのように、自分から仕掛けてしまった。
5月に俳句集団【itak】の旗揚げをして以来、ほぼそのことばかり考えているので、広い視野で評論の題材を探す余裕がない。
今回も自分の足元の話題になってしまうが、ローカルな視点というのも、まあひとりぐらい書くマヌケがいてもいいのではないか、と甘えてみる。
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先月、俳句甲子園の北海道大会が開催された。北海道で開かれるのは今年でもう8回目にもなる。しかし、参加校は少なく、この数年は旭川東高の単独エントリーが続いていた(それでも複数チーム出場でなんとか予選にはなっていたが)。
このことにも北海道の俳句事情があらわれているように感じていた。ところが今回、札幌の琴似工業高校が初参戦してくれて、ひさしぶりの複数校勝負となったのはうれしいことだった。
そのとき、琴似工業の顧問の先生から立派な校内文芸誌をいただく。
「風花舞」という名の冊子で、今年の4月に第19号を発行している。中は、俳句・短歌・詩・小説と盛りだくさんで、充実した内容だ。
星霜は梟の居た木の跡に 新川託未
息荒く誰も居ぬ間の夏芝居 大島崚平
特に驚いたのは昨年発行の第17号に、秩父事件の首謀者であり死刑判決後北海道に逃亡した井上伝蔵(柳蛙)の俳句研究特集が24ページにわたって書かれていたことだ。詳細な伝蔵の年譜まで付けられていて、資料として十分使える立派な論考であった。
《取材して実際に調べていた自分達は、開拓初期の北海道が日本全国と俳句等の文化で繋がっていたことに驚嘆した。そして井上伝蔵の決して暗くなく、むしろ明るかったといえる北海道での逃亡生活。今回は、北海道石狩の隠れた歴史が見られ、自分達にとても貴重な経験だった》大島崚平「風花舞」第17号「井上伝蔵俳句研究」より
道内の高校の文芸誌はほぼ壊滅状態と思い込んでいたので、こんなに近くに非常に活発な文芸部があることに驚き、やはりなにごと決めつけたり諦めたりしてはいけないものだと反省している。
そして、同時期に別ルートからもうひとつの学生の文芸誌を入手した。
それは網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパスの俳句サークル「パエリアの会」が発行した合同句集「ワンダーランド」である。活動4年目のグループとのことだ。
それぞれにマフラーまいて別れけり 伊藤徳朗
甚平がタンスの中から見え隠れ 加藤惠朝
あえて足元から運動を起こす必要性を感じて、俳句集団【itak】を旗揚げするのとほぼ同時に、こうした学生による活動の情報が舞い込んできたのは、実に不思議な偶然だ。
琴似工業の文芸部には俳句甲子園会場で【itak】の宣伝をしたところ、さっそく第2回イベントに3名の生徒さんが参加してくれた。
既成の俳句組織の手を借りることなく、無謀にスタートした【itak】だが、無謀は無謀なりに、新聞や雑誌、ツイッター、フェイスブック、クチコミなど利用できるものは全て利用して執拗に宣伝を打ち続けた成果はすでに形にあらわれてきた。
まだ2回しかやっていないうちにこんなことを言うのも性急なことかもしれないが、全てが思惑どおりに進んでいるような気がしている。
そこには【itak】15名の幹事の力がある。
幹事の大半は結社と無縁の人たちだ。その力が、ちょっと大げさかもしれないが、北海道の俳句事情に波紋を広げている。
これをローカルな話題としてしまうこともできるのかもしれない。だが、やってみてあらためて思うことは、座とは「ローカル」であるということだ。
ふらりとやって来て、500円と2句を受付に渡し、本名かどうかわからぬ名を告げ、会場の隅に座る人。
これまで全く会ったことのない人が、句を評し、自分の句への感想を聴き、そしてまた街の雑踏の中に消えてゆく。
これはまるで鎌倉時代の辻連歌のようだ。
現在の結社の俳句に失われていた座の醍醐味。その復活に、私はひさしぶりにしびれるような感覚を味わっている。
≫【itak】第2回イベントを終えて(五十嵐秀彦)
≫【itak】スタッフ りっきーリポート 高校生が来た!の巻(三品吏紀)
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