2011-08-28

週刊俳句時評・第42回 酒場の漂泊詩人・吉田類 五十嵐秀彦

週刊俳句時評・第42回
酒場の漂泊詩人・吉田類

五十嵐秀彦


1 吉田類との出会い

吉田類という男がいる。
この名を聞いてその人物が分かる人は、おそらく酒好きのかたに違いない。
BS-TBSの名物番組「吉田類の酒場放浪記」に出演している、あの吉田類さんだ。
なぜこの人物を週刊俳句の、しかも時評で取り上げるのかと言うと、おそらく番組を見た人ならわかるだろうが、彼は場末の胡散臭い酒場を徘徊している不思議な人物であると同時に俳人でもあるからだ。
この「でもある」という言い方が合っているのかどうか若干不安にはなるのだが。
吉田類さんにはピッタリ合う肩書がない。
ときに「エッセイスト」と呼ばれ、あるいは「作家」と呼ばれ、はたまた「ライター」と呼ばれ、「芸術家」とも呼ばれ、「酒場詩人」とも呼ばれ、「俳人」とも呼ばれている。
私は類さんとは一年程度のお付き合いになるが、いまだによくわからずにいる。

出会いは一昨年の小樽であった。
知人から「吉田類さんという作家さんが小樽に来て句会をするけど、出てみませんか」と誘われたのである。
吉田類なる人物が何者かまったく知らなかったが、句会に誘われて断るのもどうかと思い参加した。
会場の蕎麦屋の二階に行くと30人ぐらいの人が集まっていた。みな初対面の人ばかり。
年齢はばらついていたが意外なことに若い人が多かった。
この人たちは誰だろう。
三分の一ぐらいは東京から来ているという。残りは小樽や札幌からの参加だとか。
誰一人知らないし、また、不思議なことにはその場から俳句の匂いがしてこないのだ。

これが句会? なにか違う。
違和感があった。
しばらくすると真っ黒な男が、「やあやあ」という感じで入ってきて上座に座った。
吉田類さんである。
真っ黒というのは服装である。上下黒のいでたちで、黒いハンチングのようなものを被っている。帽子からはみ出しているのは天然パーマなのかちょっと長めに伸ばしたチリチリの髪。
背が高い。顔も大きい。なんでも噛み砕きそうな顎をしている。
あ、この人か。と思いつつ、頭の中の俳句世間辞典を高速検索するのだが、この人物がヒットしない。
しかし、この場に集まっている人たちにとってはきわめて有名人のようであり、親愛と憧れに満ちた視線がこの人物に集中しているのがわかった。
句会そのものは、最初から酒が出てくることを除いて、特に変わったものでもなく、こんな感じだろうなという思いで参加していたが、句を見ると初心の人が多いように見えたのが特徴ではあった。
多いというよりは、ほとんど、という感じである。
それぞれの人の発言はリラックスしユーモアがあり、受け答えをする類さんもユーモアに満ちていて、会場は終始笑いに包まれていた。
どうやらこれは、俳句を酒の肴にして遊んでしまおうという「吉田類ファンの集い」のようなものらしい。
そのことに句会が終わるころ、ようやく気がついた。
こういう世界もあるのか、と日頃は結社や協会関係の句会ばかり出ている私には少し驚くところがあったのである。

類さん自身は、その外見に似ず(?)、かなりまっとうな句を作る人であった。
なるほど自称他称にかかわらず俳人と呼んで少しもおかしくはなく、少々ひねりのきいたザックリとした句を作る人だった。
句会では、俳句の体をなしていない句に少し指導的なことをいうこともあるが、終始微笑みを絶やさず言い方も相手を気遣ったやさしさを感じさせるものだった。
小樽の句会の帰り、私は、この句会が成功しているかどうかはわからないながらも、俳句で遊ぶという意味では十分面白かったし、上手下手は別にして参加者が座を楽しんでいる雰囲気に新鮮な印象を持っていることに気付いた。
次にまた会うことがあるだろうか、とその時は思ったのだ。
ところが、その機会は思いがけずすぐにやってきた。

類さんが札幌に「北舟」という句会を作り、毎月一回句会を定例で開くということになったのである。
類さんが北海道が好きだということもあるが、定期的に札幌に来る仕事があるというところから話が進んだのだろう。
再び声がかかったので、その句会に出席し、その後現在にいたるまで1年間ほど毎月吉田類さんと句会を共にしている。
主宰ということになっているが、結社の雰囲気は皆無である。
なにより俳誌がない。
だから句会をしては、毎回それはそれで終わりなのである。
句会をするということだけが、類さんの句座なのである(いまのところ)。

酒場放浪記の類さんだから、毎回酒である。
句会が始まる前から昼酒である。一升瓶が句座を回る。
開始時間が真昼間であろうとなんだろうと、類さんはすでに酔っぱらった状態で登場するのだ。
そのわりには、座の捌きはしっかりとしている。だから句会は笑いを伴いながらも、意外に真面目に進行する。

私も毎月句会に参加していると、生活のパターンになってきて、小樽で感じた違和感もじきに消えてしまった。


2 吉田類の俳句

ただ、毎月会っていながらいまだに、吉田類、何者であろうか、という思いがある。
俳句の世界で彼の名前を聞くことはほとんどないが、2008年のNHK俳句王国にゲストとして出演した記録がある。
そのときの主宰は寺井谷子、司会は板倉卓人、神野紗希。
類さんはそこでこんな句を出している。

 虹消えて泥の水牛動きだす

 ほととぎす鳴く夢に虚無僧通ける

 噴水や天の真青を洗ひたる

 蟻運ぶ中年男を蒲団ごと

俳句の世界に顔を出した珍しい場面であったはずだ。
俳句総合誌などでその名を見かけることは、少なくとも私はなかった。とはいえ、メディアに露出している人物だからまったく取り上げらていないはずはないと思うが。
句集などを出版しているのだろうかと調べたけれど、どうやら無い。
あるのは酒場関係のエッセイばかりだ。
その中で『酒場歳時記』(NHK出版 生活人新書)というのが出ている。
深川の居酒屋や中央線沿線の酒場、たとえば有名な吉祥寺の「いせや」などの個性的な店と、そこに集う人々をペーソスあふれた文章でつづってゆく。そして人間くさいエピソードのあとに、ひっそりと俳句が置かれる。良い酒場とはどういうところをいうのか、そして何より良い酒飲みのスタイルについて独自の切り口で描き出していて、どこか私小説的な味わいもあり読みごたえがある作品だ。
披露される俳句は、酒場の雰囲気や、人間模様などから生まれてきて句だ。
巻末には、文中に散りばめられた俳句作品をまとめた形で「酒場八十八句集」が収められている。

 徳利より白蝶ほろと舞ひ立ちぬ

 白花を銜へて眠る渓の鹿

 闇海(くらうみ)を孕みつ喰はる蛍烏賊
 
 淡雪の夢や旅路の果てなれば

その俳句を読んでいると、専門俳人の作品とは異なる雰囲気に気づく。
これは、永井荷風のような、ある種の文人俳句だ。
そこには季語の本質に肉迫するような切り込みや、存在とか生死とかに触れるような重さは、直接的には見られない。
しかし、かと言って戯れ歌でもないし報告句でもない。
荷風、あるいは久保田万太郎。吉田類の俳句は、句柄こそ違うがそのあたりに立っているような気がするのだ。


3 放蕩すれすれ

吉田類とは何者か。
それが『酒場歳時記』のp150に自らの言葉で描き出されている。

《「酒場などテーマに何を書こうとしているのでしょうね」 まるで自問を促すような問いを、立ち飲みバーのカウンターで知り合った熟年紳士から投げかけられたことがある。これは、半世紀にもわたる放蕩すれすれの人生を送る男には辛辣な問いだ。画家からイラストレーターへ転身するも、旅好きは変わらず。興味をそそられる対象に出会うと一途にのめり込んでしまい、およそ家庭を顧みることがなかった。生来、家族生活に縁遠い境遇にあった身。安定した暮らしや大家族の温もりを渇望しながらも、それを築く手段に疎い。気がつけば独り身の憂き目。当然のことわりである》

類さんはこれまで結社に入ったことがあるのだろうか。
だいたいなぜ俳句をやる気になったのだろう。
彼の経歴を見ると、もともとは画家である。そしてイラストレータとして仕事をしていた時期も長かったようだ。
そこから現在の俳人・吉田類との間に飛躍があるように思った。
それで、直接御本人に聴いてみたのである。
すると、これまで結社には入ったことがないと言う。しかし俳句との出会いは幼い時期まで遡れるのだそうだ。そこには彼の出身地が関わっている。

類さんは四国高知の生れ。
いつも大人たちが集まって句会をしていたので、俳句は身近な存在だったそうだ。
ふと、金子兜太が故郷秩父の思い出として、自宅に男たちが集まって句会をして飲んで騒いで喧嘩していたという話をどこかに書いていたのを思いだす。
そこには俳句が大人の男たちの社交だった時代の匂いがある。
類さんはそんな環境で育ったらしい。
今の世間の句会の姿からは想像もできないことだ。

しかし、彼の主宰する句会には昔のそんな雰囲気が少しだけれどある。
類さんがこういう形での句会を続けているのは、子どものころに見ていた句会を現代に復活させようという思いがあるのではないか。
もちろん昔の男性的で時には暴力的でもあったかもしれない句会を現代に再現するのは不可能だ。
しかし、酒を飲みながらわいわいと騒ぎながらやる句会を専らとする姿勢には、世間の句会と明らかに異なるものがある。
札幌のように俳句文芸がお世辞にも盛んとは言えない地域で、若い世代を中心とする俳句愛好者たちが毎月40人以上も集まる句会というのは目を見張るほどの現象なのだ。
そこにはパワーがある。
ただ、吉田類さんはその句会を何か目的志向的に運営しているようではなさそうだ。
まさに類さんの子供時代の高知の句会のように、酒を飲んで楽しく句会をやって、酒と俳句の縁を広げていければそれでいいと考えているのかもしれない。

だが、それで済むのだろうか。
この集団は遠からず目的志向に目覚めるのではないかと思う。
酒の醸造所のように、句会の中で何かがふつふつと醸造されている。

主宰ありき、俳誌ありき、の一般的な結社の形があたかも不動のように思えてきた状況が、あちこちで崩れてきている。その一端が、吉田類の句会にある。それがこれからどこに転がっていくのか、その予想はむずかしい。
一見、お遊びの句会のようにも見える句会も、あるいは今後の状況の目となっていくのかもしれない。いわゆる「俳壇」と呼ばれる世界に一定の距離を置いている俳人なるがゆえに、それが出来るとも思えるのだ。
今後の状況を見る上で必要なことは、彼を中心とした句会がどう成長するのかということだけではなく、この句会から既成の俳句団体が影響されていく状況が生まれてくるのか、ではないかと思う。

あるとき、類さんは私に言った。
「ねえ五十嵐さん。俳句の世界ももっと自由にならなくちゃねぇ」
正確には思いだせないのだが、そんなことだったと思う。
そろそろ帰ろうとしていた私は、いきなりそう言われて虚を衝かれる思いがしたのである。
私の中にある結社人としての部分に、それはまさに投げつけられた言葉であった。


最後に最近出版された本を紹介しておこう。
それは『吉田類の酒場放浪記 4杯目』(TBSサービス)である。
巻頭に「奥の酒道 芭蕉と呑む!」という芭蕉の足跡を追ってみちのくの酒場を紹介してゆく企画が置かれている。白河の街でのモツ煮込み、山形ではビル街の隠れ酒場の芋煮、秋田象潟の安くて旨い地魚。そして、酒である。俳句である。

 笠二つ同行関の茸かな
 
 芭蕉碑に枯死あざやかな女郎蜘蛛

 象潟の美女は眠れぬ月の雨

これまで多くの俳人・俳句愛好者に出会ってきたが、吉田類さんほど俳句の手垢に無縁の俳人もまれだろう。
それでいて、俳人と紹介されることに特に抵抗もないようだ。
彼にとってそんな呼び名などどうでもいいことなのだと思う。
自由な男である。
謎めいた男である。
酔っ払いである。

そして、詩人である。



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