【週俳500号に寄せて】
週刊俳句がぼくにアイデアを与えてくれた
五十嵐秀彦
500回になるから・・・、と天気さんからメールが来た。500回? なにせ週刊だから回数を聞いてもピンと来ない。早速調べてみると創刊準備号が出たのが2007年4月22日のことだった。9年前か・・・。
ぼくにとっては「俳誌を読む」企画が週刊俳句とのかかわりだった。準備号から書かせてもらっていた。9年という歳月はどうも中途半端で昔というほどでもなければ、今というほどでもない。準備号にぼくが書いたものを今読み返して、その半端な時間に戸惑っている。
あの頃、俳句総合誌に不満があって、言いたいことを書いた。ずいぶん失礼なことを書いていることにあらためて驚いてはいるが、内容としてはおおむね間違っていないと今も思っている。この企画はその後もしばらく続いたのだが、準備号に書いた中にぼくの総合誌への考えがはっきりと現れていた。
「『俳句界』2007年4月号を読む/変わったのか?『俳句界』」という記事の中にこう書いている。
《あきらかに退潮期に入った俳壇の鏡として商業俳句誌があると思えば、これもまたいずれ亡びの道でもあろう。》「へ~」と、自分の言葉に自分で驚く。
すると9年という時間がようやく具体的に意識された。俳句文芸は退潮期にあって、いずれ滅びる存在に違いない、そう思っていたのである。まぁなんてペシミスティックなことでしょう。
この言葉を撤回するつもりは全くなくて、あの当時そう思わせるだけの空気が俳句の世界にただよっていたことは、ぼくの受け取り方に偏りがあったとしても、確かにあった。これまで結社や総合誌が支えていた俳句の世界がその床下から腐ってきていたのだから、それは「いずれ亡びの道」と悲観してもおかしくない。
ただ、ぼくはこの時、週刊俳句がひょっとしたら俳句の別な生き方(行き方)を作り出すきっかけぐらいにはなるんじゃないか、とも思っていた。文芸としての俳句の愉しみというものを、総合誌から奪い返すことができるんじゃないかと。そしてそれができる「力強さ」ではなく、それができる「しなやかさ」「したたかさ」がここにあるんじゃないか、それが当時の思いだったようだ。
いまも俳句は亡びの道にあるかと問われれば、「分からない」と応えるだろう。それぐらいの変化があった9年間。
第249号(2012年1月29日)には「「中央」と「地方」について考える」という時評を書いた。ちょっと長くなるけど、ぼくにとってはとても重要な発言をしているので、一部引用する。
《「遠い他人」との希薄なコミュニケーションが「近い他人」との濃いコミュニケーションを衰えさせていくのだとしたならば、ネット社会が作りつつある、従来の「中央」にとってかわる新しい「中央」が、「地方」の意味を曖昧にし、従来の「地方」は現在それを支えている「ネット疎外世代」の退場とともに消え去ってしまうのかもしれない。それは古風な言い方を借りるならば「歴史の必然」なのであろうか。ここだったんだなぁ。自分の論考を発掘してみて再確認できた。
私はそうは思わない。ネット社会が作る広範囲のコミュニケーションが従来の「中央」を崩壊させてゆく動きを、「地方」をあらたな可能性の場とすることへとつなげていく、そのための個々の創意が求められている。俳句という文芸の意義はそうした取り組みの中でより現代的なものになるはずだと思いたい。
しかし、物理的な「中央」が仮想「中央」化しつつありながら、「地方」という実態はその影響の外に置かれ、100年の歴史を持つ団体もある各地の俳句会が衰退し消滅し始めている。
これまで地域に根付いていた俳句文芸が、次の時代につながらず荒野と化しつつあるのだとしたら、私たちはいま破局の現場に立っているのかもしれない。
この半年意識的に地方文芸の現状を見る機会を得て、私は「中央」と「地方」というこれまでの構図がどう変容するのか考えさせられ、「ネットメディアを特別なものとして捉える必要は無い」と考えてきた従来の姿勢を見直すようになってきた。
ネットの普及を背景に文化のあらたな「中央」が現われてくるのであれば、それはあらたな「地方」の登場でもなければならないのだ。》
この文章がきっかけとなった。
あいかわらず「破局の現場に立っている」と悲観的なことを言いつつも、まるで剥がれにくいシールの角にイマ爪がかかったような、そんな瞬間であったことを思い出す。
そして第263号(2012年5月6日)に「俳句集団【itak】前夜」を書いた。これがまた一段と気負った文章だった。実際に気負っていた。頭に血が昇っていた。その馬力で俳句集団【itak】を何の後ろ楯もないまま旗揚げしたことを、第266号(2012年5月27日)に「動き始めた【itak】(イタック)」として報告した。
あれから5年が経とうとしている。
これまで俳句に興味を持ちながら、どこへ行けばいいのか分からなかった人たちや、結社にいるだけでは息が詰まると感じていた人たちが、隔月に50名~80名規模で北海道立文学館地下講堂に集まってくる。
まったくの初心者もいれば、現代俳句協会、俳人協会、伝統俳句協会、さまざまな所属の俳人たちも、変化を期待し、変化を目撃し、変化に参加しようと集まってくる。
それでも北海道の俳句の状況はまだ変わってはいないかもしれない。たったの5年で、そう簡単には変わらない。
しかし、この地下講堂に来れば、いまにも変わりそうな空気を感じるのだろう。
9年前のぼくは、俳句の世界に絶望とまではいかないものの、悲観的な思いしか持っていなかった。ところが週刊俳句はぼくに別な次元を見せてくれた。そしてそれがきっかけとなって週刊俳句とまた異なるアプローチのアイデアを与えてくれたのだと思う。
ぼくにとって俳句へのかかわり方を大きく変えさせるきっかけとなった存在、それが週刊俳句だった。
500回という節目にあたっての文章としては、まったくエゴイスティックな内容になってしまったが、しかし500回という回数がぼくに思い起こさせる一番の事件がこのことだったので、書いてみた。
どうかこれからも、しなやかに、したたかに、風のように回を重ねてほしい。
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