2026-09-06
岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔前篇〕
2026-04-26
前川友萌香【パティオ北白川ルポより】 振付としての俳句展
振付としての俳句展ーパティオ北白川ルポよりー
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2025-05-25
小野裕三 haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して
haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して
小野裕三
元・ベルギー首相でありEU(ヨーロッパ連合)の初代大統領でもあるヘルマン・ファンロンパイ氏は、haikuの愛好家として知られる。彼は今年の五月に来日して日本政界の要人と次々と面会したが、多忙なスケジュールを縫って、千葉の御宿で開かれた句会に一日だけ参加した。国際俳句協会からの依頼で、僕が当日の通訳をすることとなり、彼に終日同行した。このエッセイはそのレポートである。
御宿行きの特急列車は、朝早くに東京駅を出発。僕は彼の隣の席に座り、句会の進行などを軽く打ち合わせ。ひととおりの手続的な確認が終わったあとで、雑談がてらに質問をしてみた。
「そもそも、どういうふうに俳句に出会ったんですか?」
「いやそれはね、まったくの偶然なんだよ」
曰く、あるパーティの席で、彼が卒業したルーヴェン・カトリック大学の同窓生と同じテーブルになった。その人がhaikuを作る人で、句集を手渡された。しかしそのときには興味もなく、自宅の本の山の上に積んでおくだけだった。それから数年して、その本を手に取って読み始めた。それが彼にとってのhaikuの始まりだったらしい。
「積まれた本の山の中から、そのときにその句集を手に取ったのは、何か理由があったんですか?」
「いや、それも何も理由はないんだよ。だから、ほんとうに偶然なんだ」
もともと詩には関心があったということだが、それからhaikuにのめり込んでいったのは、どこか彼の気質みたいなものにも合っていたのだろう。そのうちに彼がhaikuを作ることが日本のメディアにも知られるようになると、政治家としての記者会見の場でも「haikuを詠んでみてください」と言われることが出てきて、そこでhaikuを披露すると記者たちにも喜ばれた、という。そんなことも、彼がhaikuを続けることを後押ししたのかも知れない。
「俳句は頻繁に作ってますか?」
「いや、残念ながらあまり作れてないね。私はいろいろやらなきゃいけない仕事が多い。だから俳句を作る充分な時間もないし、それに、俳句を作るには心のゆとりみたいなものも必要だからね」
そんな我々を乗せた特急列車は御宿に到着し、待っていた御宿の俳句会「若菜会」の人たちから大歓迎を受ける。星野高士氏が講師を務めるその句会に、ファンロンパイ氏がゲスト講師として参加する形だ。ちなみに三年前の夏にも、氏は御宿を訪れている。ぜひ再訪して、という熱烈なラブコールを受けての今回の訪問となったようだ。
句会には約四十人の日本人が参加。事前投句された句は前もって僕が英訳して、あらかじめファンロンパイ氏にメールで送付済み。当日の句会では、星野氏、ファンロンパイ氏、がそれぞれに採った句を講評していく。ファンロンパイ氏は冒頭にこう語った。
「まず、自分がどのように採る句を選んでいったのかの方法論を説明します」
最初は、約七十句ある全句を読む。それから自分が「好き」と感じる十句を直感的に選びとり、その後で、なぜ自分がその句を「好き」と思ったのか、という基準(criteria)について考えた、という。
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| 句会休憩時の歓談 ※写真は千葉日報から引用 |
「私にとっての基準は三つありました。簡潔さ(simplicity)、対照(contrast)、擬人化(personification)、の三点です」
簡潔さとは、言葉、観察、思考、などの点において簡潔であることだ、とする。対照についても、彼が例句として挙げたものは五感の対照であったり、社会的な出来事だったり、と幅広い視点が見られた。また擬人化については、蛙の表情を人間に喩えるなどいくぶんユーモラスな内容のものも含めて、彼は自身の気に入った例句を示した。
興味深いことに、ファンロンパイ氏の選んだ十句のうち、半数の五句が星野氏の選とも重なった。俳句的な美意識がそのように日欧の間で共有されたことは、ファンロンパイ氏にも印象的だったようだ。
句会の最後に、彼は自身の俳句観について語った。俳句の特徴として彼が以前から強調しているのは、自然などを観察して描くことで、意識の力点(attention)を自分ではなく自分の外に向けること。それは自分のエゴみたいなものに囚われない心を作る、と彼は力説する。
一方で彼は、長く俳句を作っているが「俳句は簡単ではない(not easy)」とも繰り返す。やはり訓練を重ねた上での高度なテクニックが必要だ、と捉える。
句会の中で、ウクライナを詠んだ句があり、彼がそれを講評する中で、ウクライナだけでなく、ガザ、スーダンなど世界の紛争地域の名を次々と挙げていったのには、まさに平和をテーマに尽力してきた実務者としての重みを感じた。二〇一二年、EUはノーベル平和賞を受賞したが、その授賞式に参列したEUのトップはまさにファンロンパイ氏だった。
その彼が、「俳句を作る心は、世界平和に貢献する」と繰り返し主張する。俳句がもたらす穏やかで澄んだ心のあり方、自分(彼は「エゴ」という言葉をよく使う)ではなく自分以外のものに心の焦点を向けるあり方、それらの特性は間違いなく平和な世界を作るために必要な条件だ、と彼は考える。
列車の中での雑談で印象的だったのは、彼が御宿で起きたある歴史的な事件をよく知っていて、そのことを熱く語ったことだ。今から約四百年前に、当時スペイン領だったフィリピンからメキシコに向かう帆船が、嵐のために御宿沖で座礁する。これを見た当時の御宿の人たちは、遭難者を救い介抱した。そのことを記念する塔も御宿には建てられている。そんな心温まる歴史を持つ御宿で句会をすることにも、氏は意義を感じていたのだろう。
俳句と世界平和、という繋がりは、突拍子もない夢想とも思える。だが、ノーベル平和賞をEU代表として受賞した経験を持つファンロンパイ氏が真顔でそのことを語る姿には、リアルな重みを感じた。そうやって彼と会話するうちに、この繋がりを夢想だと思わないことから何かが始まるのでは、とそんな気がしてきた。
句会終了後のスナップ |
※本句会の概要については、下記のニュース記事もご参照ください。
EU初代大統領、御宿で句会に参加「俳句の心は世界平和につながる」(産経新聞)
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小野裕三 おの・ゆうぞう
「海原」「豆の木」所属。英国王立芸術大学(Royal College of Art)修士課程修了。現在、国際俳句協会評議員および英国俳句協会(British Haiku Society)会員。
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Labels: イベント, ヘルマン・ファンロンパイ, 小野裕三
2024-04-28
小野裕三+ガートルード・ギボンズ haikuをテーマとしたロンドンでの現代アート展に参加して
haikuをテーマとしたロンドンでの現代アート展に参加して
小野裕三+ガートルード・ギボンズ
■背景説明
小野裕三
2023年10月〜11月に、ロンドンのアートギャラリーで開催されたアート展に、俳句作品およびワークショップ講師として参加した。
このアート展は、haikuをテーマに現代アート作家たちが作品を制作し、英国の詩人数人と私がそのアート作品に呼応するhaikuを作って会場で音声として流す、という構成のものだった。
そのアート展について、私の友人である、ガートルード・ギボンズさんが展覧会評を書いて英国のオンラインマガジンに掲載してくれた。文中では「参加した小野裕三に質問をする」という趣旨で、私のコメントも引用されている(青字部分)。異文化・異言語そして異ジャンル(=アート)の視点から見た俳句、という内容は日本の読者にも興味深いのではと考え、その和訳をここに掲載させていただく。
なお、参考までにこのアート展のために私が作った俳句を一句引用しておく。
for a snail
the rain as
anything and everything Yuzo Ono
以下が、ガートルードさんの文章である。
■「SPLASH ! The Haiku Show」(White Conduit Projectsギャラリー)について
文: ガートルード・ギボンズ
※文中後半は小野裕三からのコメントの引用(青字部分)
和訳: 小野裕三
「SPLASH ! The Haiku Show」は、ポール・ケアリー=ケントと三宅由希のキュレーションにより、2023年10月6日から11月11日まで開催された。オリヴィア・バックス、マリサ・クラット、アビ・フレックルトン、市田小百合、稲岡亜里子、リサ・ミルロイの6人のアーティストによる「haikuの精神」を視覚的に表現するアート作品を展示。また、リチャード・メイヤー、小野裕三、タマール・ヨセロフ、ポール・ケアリー=ケントの詩人によって作られたそれらのアート作品に呼応するhaikuも音声にて展示された。
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本展覧会は、日本古来のものとその西洋的展開との間で、俳句の定義、それと視覚性との関係、そこでの交流、について考えることを鑑賞者に要求する。そこでは、「(俳句の定義を)簡単に言えば、三行で構成され、時間の移ろいに言及する凝縮された詩である」として、松尾芭蕉(1644-94)の「古池」の伝統的な例が引用される。
古池や
蛙飛び込む
水の音
英語の翻訳は下記。
An old silent pond(古い静かな池)
A frog jumps into the pond –(一匹の蛙がその池に飛び込む)
Splash! Silence again.(ぱしゃん! 再び静けさ)
この「ぱしゃん(splash)」(ただし、英語の翻訳に表示されるこの言葉は、日本語の原句では直接的には書かれていない)を題名に冠した本展覧会は、俳句の精神を学際的かつ国際的に探求する。伝統的な定義はともかくとして、俳句を俳句たらしめるものとは何か? 他の芸術形態はどのように俳句の感覚を捉えることができるのか? 俳句にある抽象的な感覚を明示するのは困難だ。だからもっと簡単なのは、俳句を作る規則に触れたり、あるいは俳句に見られるより一般的なイメージや考え方を挙げたりすることだろう。英語の「ぱしゃん」というオノマトペは、音とイメージの両方の意味合いを含むが、その実態は掴みにくい。水がなければ起きないことで、生物であれ非生物であれ、何かの硬い物が水にぶつかることによってそれは起きる。そして「ぱしゃん」の後の感嘆符(!)は、中断や途絶、そして出来事の前と後にある水の静けさを仄めかす。
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| 会場風景。手前: アビ・フレックルトン、 奥(左から右へ): オリヴィア・バックス、リサ・ミルロイ、稲岡亜里子 |
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| 会場風景。手前: アビ・フレックルトン、奥: 市田小百合 |
この展覧会は、文章芸術と視覚芸術の両方で、俳句の形式と精神との間を行き交うものを国際色豊かに探求する。俳句の精神を受け継ぐ本展のアート作品は、時間、断片的で繊細なもの、変わらないものと変わるものの循環、郷愁や憧れ、といった観念を考察する。
市田小百合による官能的な写真は、欲望と静寂、そして自然における人間の居場所を表現する。稲岡亜里子による喚起的なプリントもまた、光に細心の注意を払い、アイスランドを舞台に一卵性双生児のペアを描くことで、同様の関係を問いかける。オリヴィア・バックスは、古新聞や絵の具、作り直されたオブジェの使用を通して、再利用と反復のことを考察する。アビ・フレックルトンの陶器は、その素材は親しみやすいものながら、そこで再構成された形は人の認識を拒む。リサ・ミルロイの絵画では、思いもしないパターンがフレームに収められ、鑑賞者の心の中にそれらの断片をつなぐ物語が形作られていく。マリサ・クラットの写真には季節を反映する題がつけられ、自然によって作られたパターンを捉える。それらの作品に寄り添うタマール・ヨセロフ、小野裕三、リチャード・メイヤー、ポール・ケアリー=ケントの詩は、丁寧かつ繊細にそれぞれのアート作品に呼応しており、その中には、アート作品を引用するテキストとして直接的に理解できるものもあれば、アート作品がもたらす感覚をさりげなく反映しているものもある。そう思えば、ギャラリーのアート作品の横にキャプションを置くという一般的によくあるやり方ではなく、このように作品に呼応する俳句を置くのもいい方法かもしれない、と考えさせられた。
俳句は視覚性との親和性が高いと言えそうだ。以前、私(ガートルード)が小野裕三とコンクリート・ポエトリー(訳註: 詩における視覚性を重視した前衛詩の手法)について議論した際に、彼は日本語にはさまざまな文字の系統があると言い(訳註: 漢字、ひらがな、カタカナのこと)、そのためいろいろな書き方の方法が選べて、たとえ同じ言葉であっても異なる書き方で書かれることがあるし、結果として視覚的な見え方も異なることがあると語った。
詩の文章が一般的にそうであるように、ページ上での位置、その周囲の空白、句読点の使い方は、言葉の意味や感じ方にとって重要なものだ。英語で言えば、ダッシュをどこまで伸ばすかであったり、あえて句読点を打たずそのまま空白へと続く行もあるし、行の中央あるいはそれ以外で区切ることもある。どの単語が句読点で区切られ、どの単語が剥き出しで空白へと続くのか?
私は、俳人である小野裕三に、文章と視覚性との関係や、俳句の精神が異なる芸術形態の間で翻訳可能かについて、この展覧会における彼のコラボレーションに関連しつつ聞いてみた。
英語の俳句の世界では「写真を見てそれに呼応する俳句を作ってください」と言われる機会はけっこうある。しかしながら、日本語の俳句の世界ではそれはほとんどない。日本語の俳句では、「季題」「兼題」と呼ばれるやり方が一般的で、ある言葉を提示されてそれを俳句の中に入れて俳句を作ってください、と言われるのが通常だ。その意味で、今回の展覧会でアート作品の写真を見ながらそれに呼応する俳句を作るのは私(小野)には新鮮な体験であり、難しい作業でもあった。というのも、俳句という形式はある種の具体性を通常はその出発点とする。だからこそ、季題・兼題という具体的な言葉を使ったシステムが力を発揮する。そしてこの具体性が結果として微かな抽象性を生み出す。そういう仕組みが俳句の美であり、俳句の美学だ。
だが、この展覧会での作業はそれとは違うものとなった。一般的に言って、アート作品、特に現代アートの作品はきわめて抽象的である。したがって、そのアート作品に向き合って俳句を作るには、まずその作品の持つ抽象性を的確に掴み、次にその抽象性を俳句という具体性にしなくてはらない。つまり、ここでは具体性と抽象性の順序が通常とは逆になる。なので、非常に作りにくかった半面、結果としてできた俳句は抽象性の純度が非常に高いものができたと感じている。その意味で、今回の展覧会での俳句とアートの出会いを私はとても楽しんだ。
またその一方で、俳句の歴史をあらためて考え直すことになった。アートと俳句の関係は常に複雑なものであり続けた。特に、西洋のアートとの関係は、だ。
日本の俳句史上に有名な「第二芸術論」と呼ばれるものがある。日本が第二次世界大戦に負けて自分たちの文化にも自信を失っていた時、西洋文学を専門とした当時の高名な学者が、西洋の崇高で壮大なアートに比べれば、俳句のように些細で日常的なものは、アートと呼ぶに値しない、と主張した。それはせいぜい「第二芸術」とでも呼んでおけばいい、と彼は言い、この主張は当時の日本の俳句界を大きく揺るがした。皮肉なことに、この論への心理的反発が、日本の戦後俳句史を活性化したひとつの要因になった。
西洋美術の影響は技術的にも俳句を変えてきた。百年以上も前に、日本の近代俳句の基礎を作ったとされる正岡子規は、「写生」の概念を導入することで俳句を革新したが、その「写生」とは西洋美術の影響から生まれた手法だったとされる。また、1960年代には「前衛俳句」という新しい運動が俳句界を揺るがしたが、言うまでもなく、その「前衛」という言葉自体が西洋美術からもたらされた。19世紀末以来、日本の俳句は絶えず西洋美術の影響を受けることでその姿を変えてきた、と言っても過言ではない。
そのことは、俳句がそれ以前の本質を捨てたことを意味はしない。俳句の古い美の本質と西洋美術的な概念や技法をどう調和させて、現代にふさわしい俳句の形を作っていくか。それがこの百年以上の間の、日本の俳句の不変の問いだった。
その視点から興味深いのは、幾人かの西洋の偉大なアーティストたちが俳句への関心を示していることだ。例えば、米国の音楽家ジョン・ケージは「haiku」と名づけられた楽曲やアート作品を作っている。彼自身の著作の中でこんな言及もする。
山を心地よく照らす火は、遠くは照らさない。同様に、美しい形式は短い瞬間を照らすだけで充分だ。(中略)そう考えれば、ブライスが著書『俳句』で書いた〈芸術家の最高の責任は美を隠すことだ〉という言葉が納得できるだろう。(John Cage, Silence, London: Marion Boyars, 2017, p.131)例えば、ジョン・ケージの「4分33秒」は、俳句的な作品なのだろうか。直感的には、その答えはイエスのように感じる。
ここまで見てきたように、俳句とアートとの関係は複雑だ。ひとつだけ言えるのは、美というものが具体性と抽象性との間の関係やバランスにおいて成立するものだとするなら、その三つのものの相関は、西洋の美術と、俳句では、明らかに何かが違う、ということだ。だからこそ、崇高な西洋美術に比べて俳句は些細で価値がないと非難した日本の学者もいる一方で、西洋美術にはない美の考え方を俳句に見出してそれに着目した西洋のアーティストもいた。それはおそらく、ひとつのコインの両面なのだと思う。
この展覧会では、タマール・ヨセロフによる現代俳句の実作ワークショップと、小野裕三によるイントロダクション・トークが行われた。この展覧会は、鑑賞者に俳句の精神に対する自分自身の理解や関係を考えるだけでなく、文化、言語、芸術形式がどのように互いに協力しかつ互いを通じて機能できるかを考えることを促す。
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| 会場風景。手前: アビ・フレックルトン、 奥(左): マリサ・クラット、奥(右): 市田小百合 |
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| 会場風景。稲岡亜里子、マリサ・クラット、アビ・フレックルトンの作品 |
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Labels: Gertrude Gibbons, イベント, ガートルード・ギボンズ, 小野裕三
2024-04-07
タロット占い×俳句=?
2024年3月9日(土)参加者:細村星一郎、西原天気、太田うさぎ占う人:岸田祐子
2024-02-04
小笠原鳥類 イベント「今、日本語の詩を書くこと」記録
佐峰「作品と作者は切り離したい。だが作品だけではわからないことが、作者と会うとわかる」佐藤「作品と作者を切り離さず、自分のことを書く、という流れがある。リーディングの声で、内容より、わかること」
岡本「アメリカには、見たままを提出する詩がない。物語の意味、主張がある。日本の俳句は、そのままでいいんだ、という提出(という主張)。もっと長い日本の詩も、いろいろなものを並べて書いていて、アメリカの人から〈長い長い俳句じゃないか〉と言われる。日本の詩は俳句に支えられている。論理的な意味づけをしなくても成立する」
佐藤「アメリカでは芭蕉、蕪村、一茶が(禅とともに)読まれて、そのあとの近現代俳句は…」佐藤「ケルアックが俳句らしい俳句を書いている。短くて、日本語の俳句と同じくらいの情報量」佐藤「佐峰詩集の題名『雲の名前』。雲は、どこからどこまでが雲か、わかりにくいもの。この詩集も、そうである。どう名付けるか」
佐藤「佐峰詩集は天国っぽい。この地平にはない。でも、見えているものは地球のもの」
佐藤「詩を読んでいて、そこに季節があると、とっかかりになる。季節がわからないと…」岡本「現代詩と俳句の分かれ道?」
佐峰「〈私〉の捉え方。人種や生まれた所や文化などの属性によって見られる〈可分な私〉と、1人1人が別で平等な〈不可分な私〉が、とっくみあっている」
佐藤「佐峰詩集の〈よく燃えるよ〉の〈よ〉のような終助詞が、ほっとする。具体的で、とっかかりになった」
佐峰「実感を伴ったものを書く。体の中で感じ取ったものを書いたら、通常の日本語とは違った感覚に」
佐峰「意図ではなく、結果、出てくるもの」
佐峰「詩の題名の〈頬の季節〉は、4つの季節のどれか、と区分されるのではなくて、自分の中で、ほっぺたで感じる季節」
佐藤「自分は読書家ではなくて、勉強したというより、野原で定型詩に触れてきた」
岡本「英語からの影響。アメリカだけ読んでいていいのか。いろんな国のものが同時代的に日本に届いていない。現代詩手帖でもっと特集を」
佐峰「英語と日本語の感触の違い。英語は小石を並べて、日本語は粘土」
佐藤「ファーマーズマーケットは音が10個で俳句で使いづらいので、アルファベットでFarmer’s Marketと俳句で書いて5個くらいで発音できるようにした」
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2023-02-11
「ことりと楓と俳句」イベントレポート 友定洸太
小川 私はほぼ100%吟行で作っています。私の場合、俳句を作る回数が少なく、うっかりすると2か月半くらい作っていなくて、「俳句の作り方を忘れちゃったな」ということがよくあり、まわりの人に驚かれます。自分のなかの水位みたいなものが満ちてこないと俳句を作る気持ちにならないので、絵を見に行ったりとか、俳句以外のことをして、「今いいぞ」ってときに俳句が向こうからやってくるのを待つみたいな感じで作っています。〈わたくしもこころのやうで柿の照る〉も吟行の句です。神奈川県の西のほうにある(足柄上郡大井町)篠窪という窪地に行ったとき、そのお椀状になっているところのへりに立ってすーっと下を見たら、家が3軒くらいあってそこに吊るし柿があったんですね。遠くに小さくぽつぽつぽつと吊るされているのがすごく鮮やかに見えて、「ああそうか、あれは、こころだな」と。何の根拠もないんですけど、あんな遠くに「こころ」があるな、と。すごく気持ちのいい日で、風が窪地を回るように吹いていたので、窪地自体も陽に浸かった「こころ」みたいな気がして、へりに立っている私ももしかしたら「こころ」かもしれないと思いました。20代の頃で空虚な気持ちがあったんですね。私とは何かというのがうまくつかめない時期だったので、景色に受け入れられるみたいな感じでこの句は作っています。〈素足ですし羊歯類の王ですわたし〉は吟行の最中、土を感じながら歩いていて、足が地に触れている感じが勇気づけられるものだなと思って作りました。「私は今この時点であれば羊歯類の王になれるかもしれない」と。ふだんから「日常のなかの非日常」で俳句を作りたいと思っていて、この句も非日常がすーっと差し込まれたときに作る感じでした。
小川 野口体操は、身体の力を抜いてリラックスした状態が最もよい状態という考えのもとで実践する体操なのですが、「人間の身体は液体に満ちた袋のようなもので、内臓や骨格はそのなかに浮いている」という発想があるんですね。それは俳句にも通ずると思っています。俳句って、手のひらに乗るくらいの透明でちょっと光る袋のようなものに思うんです。液体がたぷたぷしていて、中が静かに循環しているのがいちばんいい状態というような。特殊な感覚だと思うんですけど。吟行で使う私の身体と俳句がさざなみのように呼応していくというイメージがあります。
黒岩 さきほどのお話しの「水位」っていうのは、自分の気分とか俳句受信機がいい状態だってことじゃないですか。どうやったらなれるんですか?小川 栄養みたいなものが溜まっていかないと枯れちゃう気がするんですよね。俳句をいっぱい作るとどんどん自分を削っていくような感じがして。黒岩くんの場合はすごくたくさん作るじゃないですか。枯渇していく感じはないんですか?黒岩 僕も目の前にあるものでとか、自分のなかにあるものばっかり出すと、俳句を作るときすごくしんどくなる。音とかリズムが好きだから、定型のリズムに言葉をガチャってはめて「できた!」みたいな、そういうことでたくさん作ります。
小川 歩いたりすることで身体が揺れるってことが大事かなと思うんですよね。自分の体液が揺れるじゃないですか。なにかが循環するときに振動って大事で。黒岩 「液体がたぷたぷしていて、循環しているのがいい状態」というお話しもありましたが、俳句にも揺れる感じってあるんですか?小川 俳句は、たっぷりしていて、ちょっと「ぽい」って突っつくと「ぽよん」ってなる感じです。黒岩 いろんな俳句に感じますか?小川 私が友達のように思っている俳句はそんな感じです。黒岩 「ぽよん」が面白いですね。〈眠たげなこゑに生まれて鱈スープ〉は「ぽよん」って感じがします。
黒岩 『ことり』という句集の何がすごいか。いつ誰がどこでなにをしたのかをわかりやすく書かないこと、全てを言わないで余白を持たせること。〈内気ですきちきちは鋭角にとぶ〉もそうですね。この「きちきち」はちょっとかわいいなということだけはわかる感じです。五七五ではない俳句がたくさんあることも魅力のひとつだと思っています。〈ひとりとてもたのしさう臘梅ことり〉の口に出したい感じ。黄色い臘梅がぷわっと咲く感じ。それだけで俳句って楽しいじゃん、という感じがこういう句にはすると思います。〈毛糸編むアラスカつてくらい素敵な〉の「つてくらい」とか、〈夜空吸ひこみ嵩張るんよ白菜〉の「るんよ」とか、言葉のドライブする感じはどうやってされているんですか?小川 私の先輩がこういう感じで作っていたんですよね。2015年9月の吟行句会の句なんですけど、谷佳紀さんが出されていたのが〈夫婦は突如大声残暑は早足で〉〈金木犀そろそろ終り建替中〉。成田輝子(島田輝子)さんは〈ももハム二枚朝刊も来て敬老わたくし〉〈誰の噂してるの? 昼の虫しししし〉。すごいエネルギーと頭の回転の速さがあって。特殊な系統を引き継いだんですね。谷さんが亡くなって、成田さんが亡くなって、「ここは一回締めるところだろう」というのが句集をつくるきっかけのひとつでした。港の人から出版したかったのは光森裕樹さんの歌集『鈴を産むひばり』(2010年)の装幀がすごく素敵だったからで、地元の出版社で出したいという思いもありました。
小川 私は私自身の回復のために俳句を作っていたのに、『ことり』を読んだ方からは「仕事に疲れて気持ちがささくれ立っているときに読むと心が落ち着く」「介護で疲れ切っているときに読むと気持ちが軽くなる」という感想をいただきました。俳句は短いし、意味を伝えるものでもないのに、誰かの回復のための力になるんだということが嬉しくて。俳句、すごいなと。出版して正解だったとつくづく思います。
小川 〈胸のなかより雉を灯して来りけり〉。雉の鮮やかな色彩が胸の前のあたりにふわーっと出てくるような、そんな感じの人が来たらいいなと待っている気持ちがこの句には出ていると思います。〈水澄むや一駅を過ぎたあなたは〉は、もう会うことはないだろうという人を思って作った句です。会うことはなくても、あなたの点とわたしの点はいくらかは繋がっていて、その繋がりは意外と消えないものだなと感じて作りました。〈つぐみ来るから燃えるつてしぐさして〉。私の句って「どういう意味だよ」って言われることが多くて、でも意味はどう読んでもらってもいいなあというか、言葉の手触りや気配で読んでいただけたらなと思っています。俳句だけでなく、ほとんどのことに正解はないんじゃないかなと思います。
2020-12-20
ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート 〔2〕外山一機によるイントロ
ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート
ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート〔1〕中矢温によるイントロ
●佐藤念腹(さとう・ねんぷく)本名・謙二郎。明治31(1898)年に新潟県生れ。大正2(1913)年より「ホトトギス」に投句開始。昭和2(1927)年ブラジルに渡る。昭和54(1979)年に永眠(80歳)。
●読書会テキスト:佐藤念腹『念腹句集』1953(昭和28年/暮しの手帳社)より中矢温が百句抄出
●参考文献:細川周平『遠きにありてつくるもの 日系ブラジル人の思い・ことば・芸能』(2008/みすず書房)栗原章子『俳句&ハイカイ~自然探訪~ HAIKU&HAICAI Descobrindo a Natureza』(2014)蒲原宏『畑打って俳諧国を拓くべし-佐藤念腹評伝-』(2020/大創パブリック)
●2020年10月31日(土)13時~17時 俳人による佐藤念腹読書会をzoomにて開催。
●参加者:生駒大祐、岡田一実、小川楓子、樫本由貴、木塚夏水、ぐりえぶらん、黒岩徳将、西生ゆかり、外山一機、中矢温、三世川浩司、ゆう鈴(五十音順・敬称略)
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