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2026-10-18

移民俳句オンライン〔イベント告知〕

〔イベント告知〕
移民俳句オンライン


移民の俳人の方をお招きし、日本の俳人の方との対話を通して移民俳句の魅力を語り、日本の方々に知ってもらうためのズームで実施されるオンラインイベントです。

第一回(9月26日)と第二回(10月10日)が終了し、第三回は10月24日(土)の22時開始(日本時間)予定です。ゲストは毎回入れ替わるので、途中の回からの参加も可能で、大歓迎です。

俳人の方、移民や俳句に関心のある方、文学研究者の方、ぜひお気軽にご参加ください。詳細は下に掲載のポスターをご覧ください。

●主催・司会:白石佳和先生(松蔭大学教授、著書に『ブラジル移民と五七五―ブラジル国際俳句のトランスカルチュラルな展開』など)

●聞き手:大高翔氏(「藍花」主宰)

●ゲスト:ブラジルサンパウロの日系移民俳人

●言語:日本語のみ

導入で白石先生から移民俳句の概史の解説がございます。そこから、ゲストの方の「自己紹介」、「俳句との出会い」、「自選句」をうかがうなかで、移民としての人生や俳句観についてうかがうことのできるイベントです。




2026-09-13

浅山幹也 『翅わつててんたう虫の飛びいづる』論 ――日本伝統俳句協会講座『映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる』視聴レポート

『翅わつててんたう虫の飛びいづる』論
――日本伝統俳句協会講座『映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる』視聴レポート

浅山幹也


1.「いづる」ってなんやねん

高野素十の「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の「飛びいづる」ってなんやねん、と思ってしまっていた。

特に「いづる」がわからない。

広辞苑(第七版)を引くと「出づ(いず)」の項目の中に「⑦他の動詞の連用形に付いて、「出る」の意を添える。」とある。なので「出る」の項目にも目を通す。

「①現れる。姿を現す。」「②内から外に移る。」「③源から起こる。」「④(東北地方などで)出来る」。

①と②で矛盾しとるやないか。テントウ虫は飛んで来るのか。それとも飛んで行くのか。もちろん「翅わつて」からの「飛びいづる」という、テントウ虫の動きの叙述から考えて「①現れる。姿を現す。」ではなく「②内から外に移る。」なのはわかりますよ。じゃあ、テントウ虫は何の内から外へ出て行ったんですか?

「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の解釈は幾つも読んだ。しかし皆「翅わつて」にご執心。ちゃうねん。こちとら「いづる」でひっかかってんねん。

と、いうようなことを延々と考えていた。

延々とは言ったが、私は元来、怠惰でテキトーだから、このことに対しては明確な回答も出すことなく、うやむやのまま、というかぶっちゃけすっかり忘れていたのだが、「映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる」(日本伝統俳句協会オンライン講座)で「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の動画を見ていたら、かつてそんなことをうだうだ考えていましたね、と、私の記憶の扉が開いたのだ。「いづる」問題の再来である。

この文章は「映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる」(日本伝統俳句協会オンライン講座)のレポートとの体裁を取っているので、一応、このあたりで講座ではどのようなことが話されていたのかを紹介しておこう。

この講座の主役である蜂谷初人さんは、さまざまな俳句を映像化する試みを行っている元NHKディレクターで、日本伝統俳句協会評議員を務める俳人でいらっしゃる。そんな蜂谷さんの(俳句を映像化した)動画を、蜂谷さん自身と文学研究者で日本伝統俳句協会会長の井上泰至さんが見て、得られた気づきを話し合うというのが「映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる」の大枠である。

俳句を動画にするためには、カメラをどこに置くか、どんなカメラレンズを使うか、どのようにカットを割るか、などを決める必要があり、より細かく一句の世界を読み解くようになったと語る蜂谷さんは、たくさんの俳句を動画にする中で「俳句というものは、一瞬を切り取る言葉の写真である」と、教わったけれども、自分自身で(俳句を映像化し)名句を読み解いていくと、俳句には時間の流れを詠んだものが結構あるぞ、となり、俳句が時間をどう扱っているのか、に興味を持つようになったとも言う。

講座では、まず、時間の流れを詠んだものの代表格として、芭蕉の有名句を取り上げられていたのだが、「映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる」の大枠を掴むため、かつ、この後に言及する「いづる」問題の前提になるようなやり取りがなされていたので、こちらの芭蕉の句に対するやりとりも紹介しておこう。

2.「現在の時間」と「回想の時間」

さまざまのことおもひ出す桜かな 松尾芭蕉
 
この芭蕉の句には現前の桜(現在の時間)をトリガーに思い出すさまざまなこと(回想の時間)が詠まれている。蜂谷さんは、ピクチャーインピクチャー(PIP)と呼ばれる動画技法を用いて、映像化する。では、その動画を描写してみよう。

散る桜の映像、その中央にウィンドウ(PIP)が浮かびあがる。そこにさまざまなことに対応する、赤ん坊の写真、振り袖姿の女性の写真、ウェディングドレスの女性の写真がアルバムのページを捲るように切り替わる。

動画を見れば一目瞭然だが、桜を背景とするPIPの中には、「成長する娘」という大きな時間が流れている。もちろん「さまざまのこと」は「成長する娘」に限定されないのだが、具体的にしなければ映像化できないからこうなっているのであって、本来の「さまざまのこと」にはどんな記憶でも落とし込める。

散りゆく「桜」という後戻りできない「現在の時間」と、アルバムのページ捲るように過去の好きな場所にいける心の中の「回想の時間」という二つの時間を表現するためにPIPという映像技法を用いたと蜂谷さんは解説する。

さらに井上さんは蜂谷さんの動画におけるPIPの縁取りにあたるのが「さまざまのこと」の「こと」なのだと語る。俳句には「こと」の俳句と「もの」の俳句がある。今・ここを詠む「もの」とは異なり「こと」にはもう過ぎ去ってしまって取り返しのつかないことを表現する響きがあるのだろうと言う。

このように、俳句を映像にどのように(映像技法を用いて)置き換えたか、を分析、追体験することで、俳句の中の時空間を露わにできる、というのがこの「映像化してみたら俳句の作り方が見えてくる」の趣旨なのであろう。
うん。とっても楽しそうだ。

なので、次は「翅わつててんたう虫の飛びいづる」について、私も、蜂谷さんと井上さんの議論に勝手に(後から)加わって「いづる」問題を深掘りしていこう。 

3. 動画でわかる「飛びいづる」の境界

翅わつててんたう虫の飛びいづる 高野素十

まずこの句を蜂谷さんがどのように動画化したか、を描写してみる。

画面中央、花が散った後のタンポポがある。画面の下端、タンポポの茎には赤いテントウ虫がいる。テントウ虫は茎の裏側に回り込みながら先端へ向かってよじ登っていく。タンポポの先端には、まだ開く前の綿毛が白く密集している。タンポポの裏側からテントウ虫が頭を出す。タンポポの先端に辿り着いたテントウ虫は、そのまま方向転換、カメラに対して背を向け、背中の、固く赤い上翅からはみ出した薄い翅をぴくぴくと動かす。そして一瞬、上翅を開く。ここで翅を一度開いて、たたみ込んでいた薄翅を展開したのだろう。
(ここで画面がスローモーションになる。)

目指す方向へ身体の向きをゆっくり旋回させる。

(ここから画面はストップモーションに。)

上翅が開き、薄翅を左右におおきく広げたと思ったら、左右に三本ずつある脚の真ん中の脚だけを振り上げ、その勢いでタンポポから離脱。弧を描くように画面の外へと飛んでいった。

この「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の動画は、カットを割っておらず、ワンシーンワンカットだ。

さらに描写してみると気づくことだが、この動画は「翅わつててんたう虫の飛びいづる」に至る前段も記録している。蜂谷さんもこの句を映像に置き換えるにあたって、ポイントは「翅わつて」の時間を引き伸ばした、あるいは止めて見せた点であると解説しているが、「翅わつててんたう虫の飛びいづる」で描写されたテントウ虫の動きは、スロー/ストップモーションを用いて表現されている部分が対応している。

私はこのレポートの最初に、
「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の「いづる」の意味は「②内から外に移る。」ですが、するとテントウ虫は何の内から外へ出て行ったんですか?
という問いを立てていた。

蜂谷さんの動画を見たとき、この答えが出たので、まず、その問いの自分なりの答えを提示しておこう。

答えは「画面」の内から外へ出て行った、である。

動画の画面内からテントウ虫が画面外に飛び去る様を見て、「いづる」が作っていた内と外の境界は、映像化すれば画面のフレームだと気づいたのだ。

「画面」では、あまりにも動画を前提にしているから「視界」でも良い。

俳句を映像化することは、言葉が潜在的に作っていた空間構造を明確にすることでもある。蜂谷さんの動画は、「いづる」が含んでいたこちらとあちらの境界を、映像のフレームによって可視化したのではないだろうか。

はい。

と、冒頭の課題を自分なりに納得できる形で片付いたところで、私が蜂谷さんの動画を見て、そして蜂谷さんや井上さんの話を聴いて、浮かんできた仮説、

「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の中にも「現在の時間」と「回想の時間」という二つの時間が流れているのではないか。
 
を共有しておきたい。
 
蜂谷さんは「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の「飛びいづる」の働きについて「動きが繋がっていくような、後ろに余韻があって、広い空に飛びだしていくような効果」と述べていた。

これは私が蜂谷さんの動画を見て辿り着いた「視界の内から外へ出て行った」との解釈と通じるものがある。観察者(素十)の視界や、動画のフレームの外へ出ていても、テントウ虫の運動は続く。そんな余韻が「飛びいづる」の働きによって生まれているのは間違いない。テントウ虫には、蜂谷さんの言うとおり広い空に飛びだして行った後も、その運動が連続するような、後戻りできない「現在の時間」の余韻がある。

一方で井上さんは、この句末を、終止形「飛びいづ」ではなく連体形「飛びいづる」で思いっきりカットして、読者に強い印象を与えることで、上句の「翅わつて」へ戻っていく効果があると言う。これは作者や読者の中にある「回想の時間」において、と言ってしまって良いだろう。

しかしすると、蜂谷さんの言う連続する時間「現在の時間」と、井上さんの戻っていく「回想の時間」は、同じ「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の中に重なっているように思える。芭蕉の句「さまざまのことおもひ出す桜かな」では、「さまざまのこと」が回想の時間を担い、「桜」が現在の時間を担う。この対応関係が明確だった。ところが素十の「翅わつててんたう虫の飛びいづる」では、「現在の時間」と「回想の時間」の、どちらも同じテントウ虫の運動が担っている。このことをどのように捉えれば良いのだろう。

4. 迂回して「翅わつて」を考える

考えに行き詰まったときは一度、動画に立ち返ってみる。するときっと打開策が見えてくる。この「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の動画は、カットを割っておらず、ワンカットだ。なぜ蜂谷さんは技法としてワンカットを選んだのだろう。ワンカットによって表現されたのは「翅わつて」と「飛びいづる」の連続する運動だ。

「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の句において、この運動のシームレスさを担保しているのは「翅わつて」の「て」だろう。これは井上さんがおっしゃっていたことにも重なる。

井上さん曰く、「翅わつて」「飛びいづる」の二つの動詞を助詞「て」で繋げば(なになにして~なになにする)というかたちの説明になってしまうが「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の句はそうなっていない。「翅わつて」と「てんたう虫の飛びいづる」の間には切れがあり、その屈折が動作の説明になることを回避している、とのことだ。

この解説を受けて私はその屈折とは何かを考えた。そして次の考えに辿り着いた。

「翅わつててんたう虫の飛びいづる」には、「て」を起点として、「翅わつて、飛びいづる、の連続する動きの描写」と「飛びいづる、の直前、テントウ虫には、翅わつて、の瞬間がある、という発見」が折り重なっている。

動画では、タンポポの茎をのぼり、翅を開き、飛び去る、一連のテントウ虫の動きを、ワンカットで切れ目なく展開させて、テントウ虫の翅を割る動きをスロー/ストップモーションで強調しているのだろう。

5. 「不可逆な時間」と「再生可能な時間」

現実の「翅わつて」「飛びいづる」テントウ虫の運動は一回限りで後戻りできないが、それをワンカットでまるっと記録した瞬間、その運動は何度でも最初に戻って再生される時間へ変わる。

光明は見えている。

素十の句は回想とは異なる仕方で捉え直したほうがよいのかもしれない。芭蕉の句は、現在の「桜」と過去の「さまざまのこと」という異なる二つの対象・時間を並列する句だったのに対し、素十の句は「一度しか起こらない」テントウ虫の運動と「何度でも呼び戻せる」テントウ虫の運動が重なり合っている。つまり一つの運動の二重化だ。

「翅わつて」「飛びいづる」テントウ虫の運動は私たちが生きる連続する現在においては一回性のものだ。しかし動画や俳句によって、そのテントウ虫の運動を、始まりと終わりがある完結した時間に切り抜くことができる。

重要なのは「現在の時間」という言葉が含んでいる「一回性」と「不可逆性」であり、「回想の時間」が持つ「反復性」と「再生可能性」だろう。

ここで「現在の時間」を「不可逆な時間」へ、「回想の時間」を「再生可能な時間」へと捉え直してみよう。

撮影という行為はその被写体、テントウ虫と同じ「不可逆な時間」で行われる。その「不可逆な時間」を撮影し、テントウ虫の運動を動画化することで、区切りのない被写体の時間は、開始と終了がある動画になる。再生された映像には「不可逆な時間」で展開されたテントウ虫の運動と(スロー/ストップモーションで部分的に時間を引き伸ばされている以外は)寸分違わぬものが映っているだろう。しかし、それはもう、後戻りできない「不可逆な時間」に属するものではなく、好きなときに戻る「再生可能な時間」に属するものとなってしまっている。

この動画がワンカットになっていることで、素十の句「翅わつててんたう虫の飛びいづる」に、「不可逆な時間」と「再生可能な時間」が、折り重なっている事実が見えてくるのである。

6. 俳句にできて動画でできないこと

素十の句は〈翅わつて〉で始まっているが、蜂谷さんの動画では〈翅わつて〉で始まっていない。

蜂谷さんの動画では〈翅わつて〉はスロー/ストップモーションで強調されてはいるが、テントウ虫の運動の過程の一時点にすぎない。

蜂谷さんの動画で〈翅わつて〉から始めなかった理由も理解できる。

動画は、何も映っていなくても、(動画を再生する)メディアに備わる画面のフレーム(枠)だけは残ってしまう。蜂谷さんの「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の映像化は、ワンカットを選択したがゆえに、そのフレームに囚われている。もしこの動画が画面中央のテントウ虫の〈翅わつて〉から始まるのであれば、そこに唐突感が生まれてしまうだろう。ましてや、元の素十の句はフレームの外へ出ることを志向する句末〈飛びいづる〉で閉じている。だからなおさら動画の始まりはフレームを意識したものにならざるを得ない。

つまり、蜂谷さんの動画は、その動画メディアの性質ゆえに「フレームの一辺にいたテントウ虫が(中央を経由して)別の一辺へ飛び出ていく(その過程にテントウ虫の〈翅わつて〉がある)」作品になっている。

「フレームの一辺にいたテントウ虫が(中央を経由して)別の一辺へ飛び出ていく」ことによって蜂谷さんの動画作品は、はじまりとおわりを得て、完結しており、〈翅わつて〉がその完結性に寄与しているわけではないのだ。

いっぽうの素十の句では、すでに〈飛びいづる〉まで見届けた運動の中から発見した〈翅わつて〉という瞬間を選び出し、作品の始まりにしてしまっている。発見〈翅わつて〉そのものを〈翅わつて〉の主体であるテントウ虫よりも先に記述している。これをワンカットの映像で描写するなんてほぼ不可能だろう。

芭蕉の句「さまざまのことおもひ出す桜かな」の映像を思いだそう。

芭蕉の「さまざまのこと」も、映像化する際は「娘の成長のスライド写真」に具体化せねばならなかったのと同じ事だ。

7. 結局「いづる」ってなんやねん

「さまざまのこと」の議論の中で「こと」は出来事をひとまとまりに縁取るという話があった。

「翅わつててんたう虫の飛びいづる」もまた連体終止〈いづる〉によって、句全体をひとまとまりの出来事として受け取ることができるようになるのではないか。

井上さんの共著書「俳句がよくわかる文法講座:詠む・読むためのヒント」(井上泰至・堀切克洋、2022、文学通信)第11章(202ページ)の「連体形の終止形化」の項目にも、理屈をこねればとの断定を避けているが、このような記述もある。

〈(「連体終止」は)理屈をこねれば、「人よ」や「ことよ」という言葉が省略されていると見ることもできますが。〉

もちろん「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の句末は、俳句のフレームに則って(上五中七)下五でなければならなかったからと考えることもできる。

しかし連体形〈いづる〉が省略された「こと」を想起させ、ひとまとまりに縁取る「回想の時間/再生可能な時間」が生じていると考えるほうが面白いじゃないか。

〈いづる〉は、まず〈いづ〉/「出る」の「②内から外へ移る。」という意味によって、「翅わつて、飛びいづる、の連続する」動作を行うテントウ虫を「不可逆な時間」においての画面/視界の外へ出す。

しかし連体終止〈いづる〉という形式によって、省略された「こと」を想起させる。詠んだ素十、あるいは読んだ読者の中に「再生可能な時間」のテントウ虫が立ち上がる。それは「飛びいづる、の直前、テントウ虫には、翅わつて、の瞬間がある、という発見」である。

その〈翅わつて〉という瞬間は、読者の目の前には存在しない。俳句が立ち上げる「再生可能な時間」の中のみに存在するのである。

結局、「翅わつててんたう虫の飛びいづる」の「いづる」ってなんやねん。

テントウ虫を視界の外へ飛びださせながら、その飛びだす運動を作品の中に残す言葉、それが「いづる」ってことちゃうかな。知らんけど。

岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔後篇〕 俳句タロット2026

俳句タロット2026

福田若之×千倉由穂〔後篇〕

記事化:岸田祐子

 ≫承前:福田若之×千倉由穂〔前篇〕

露草の色滲ませてゆくチャイム 千倉由穂


1枚目「ソードの8」・2枚目「世界」・3枚目「ペンタクルの9」

岸田祐子●おっ! なんと、さっきと同じカードがでた。あんなにシャッフルしたのに。

福田若之●残りの2枚は全然違う絵柄ですね。

祐子●2枚目のカードは大アルカナです。一般的に大アルカナは人生の大きな出来事や本質を表すカードと言われています。で、小アルカナの方は、もっと細いこと、日々の具体的な出来事を表すと言われています。さっきの「手書きの@が細胞みたいで雨で春で」の句では、小アルカナのカードしか出てきませんでしたが、今回は大アルカナが出ました。この世界、ザ・ワールドというカードは大アルカナの一番最後21番目のカードです。おみくじで言ったら大吉みたいな感じです。だけど、1枚目に出たカード、ソードの8が痛い。

若之●このカード、すごく不穏な感じがします。

祐子●身動きも取れないし、目隠しもされています。

千倉由穂●自分自身の占いで出てきたらどうしようって思っちゃう。

祐子●ただ、まぁ、数字が8だから。もうすぐ終るって感じだと思うのだけど。

由穂●10が終わりですか?

祐子●そうですね。小アルカナの数字のカードは1から10までで、10が最後の数字です。露草が生えている場所って沼地みたいなところだったりするのかしら? このカード、俳句を占っているのでなかったら、私なら少しおやすみしてみてくださいとか、急がないでくださいっていうかもしれないです。

若之●地面が少し濡れていますね。地面のところだけ見ると露草っぽさはあるな。

祐子●あと、洋服の色が青ですね。露草の色。

由穂●背景にあるお城の色も露草っぽいです。

祐子●ソードの8ではない2枚のカードはどちらもポジティブなカードです。なんか、露草という小さくて儚げな花に対して喜びが大きすぎる感じがあるんですよね。うーん、どう読むんだろう。世界のカードは大吉だし、ペンタクルの9は収穫を喜ぶカードですし。

若之●放課後なのかな。チャイムってその時間の区切りが何かの意味を持つから知らせるわけで、それに縛られる側面があるじゃないですか。学校生活なら学校生活の規則があって。

祐子●学校が嫌なのかな?

若之●嫌なのかどうかは分からないけれど、なんにせよそれに縛られてるという側面がある。

祐子●チャイムが鳴るまでそこに居なければならないとか。学校じゃなくて会社でも始業とか終業時にチャイムが鳴るところもありますよね。

西原天気●昼休みとかね。チャイムって昼休みのイメージない?

若之●イメージとしてあるのは朝の始業のチャイムと昼休みと終業なり放課後のチャイム。あ、でも、どうなんだろう。カードベースで読むとソードの8があるので縛られているという点で学校や会社を思い浮かべますけど俳句からイメージすると夕方5時のチャイムとかそういう感じの気もするな。夕空の色合いとか。そっちにゆく方が句の読みとしては正統な気がする。

祐子●どっちにしろ何かから解放されるチャイムなのかもしれないですね。ソードの8は、今はとらわれているけれどいずれは解放されるってカードだと思うのです。あと、縛られては居ますけど足は動かせますし、花も咲いていて救いがある感じがします。もう少ししたらこの状況から抜け出せるという雰囲気はあるように思います。

由穂●殺伐とはしているのですけれど、周りの環境はそこまでは怖くはない。花も咲いているし。

若之●ただ、パッと見るとすごくインパクトのある絵ですよね。

天気●お城が遠くに見えているんだね。

祐子●露草というところで見ると、世界のカードも真ん中の猫の楕円で囲まれた部分の青が濃くて露草っぽいですし、ソードの8の猫が着ている洋服も青だし、ペンタクルの9も青空なのでどのカードにも露草の色の青があるなと思います。

由穂●全てのカードに青色が入っているんですね。

若之●ですね。

祐子●露草は「露」とありますから水のイメージもありますし、滲ませてというところにも水のイメージがあるなと思います。

由穂●自分の句だと、なんだかコメントするの難しくなりますね。

若之●そうそう。結構、難しいんですよ。これ。どこまで言っていいんだろうみたいな。

由穂●説明しちゃいそうになるけれど、説明すると鑑賞を狭めてしまいそう。露草って、自分で作っておいてなんですけど、いつ頃閉じるんでしたっけ?

祐子●露草って朝に咲くんじゃないの? 違ったっけ?

若之●あれは時間の花なんですか? そもそも。

祐子●わからない。

若之●わりとずーっと咲いているイメージがあるけど。

祐子●ずっと咲いていましたっけ?

若之●いや、わからないです。

祐子●みんな花に詳しくないですね(笑)

若之●花期自体はめちゃくちゃ長いですよね。ずーっと咲いている。

祐子●秋の季題の花だけれど夏から咲いていると思う。

由穂●あ、そうだ。朝顔と同じで昼には萎むんだった。

若之●あー、そうなんだ。じゃあ、放課後ではないな。

祐子●咲いている時間が短いということは、先が見えているというか、ずっとは続かないということがあるのかなあ。ペンタクルの9をどう読むのかなと思っちゃう。チャイムって鐘の音なのかな? 私のイメージでは「キーンコーンカーンコーン」みたいな音なのですけれど。

若之●そうですね。僕もパッとイメージしたのはその音でしたね。

祐子●そうすると金属の音なのかな。コインは金属ですね。

若之●そうかー、なんか全然、午後に咲いているのを見たことがあるような気がしているけれど。

祐子●でも、咲いているんじゃないですか。朝顔も花が残っていることがあるじゃないですか。あと、この後にある葡萄が薄目で見ると露草に見えなくもないかも。

若之●時期は重なりますよね。葡萄と露草は。

祐子●それから、この世界。大吉のカードのことを思うと、チャイムが鳴るのが待ち遠しいとかなのでしょうか。嬉しい連絡。

若之●なんか、昼休みの感じはありますね。

祐子●世界は大アルカナの最後のカードなので「上がり」みたいな感じがあります。

若之●この周りを囲んでいる緑色のものは何ですか?

由穂●あ、ここに書いてある。 マンドルラ?

若之●「楕円形の植物の輪は、キリスト教美術において、神を描く時の背景として用いられる」。マンドルラはイタリア語でアーモンド形を意味するのだそうです。四隅に描かれているものは、本来は4種の生き物だそうですけど、このカードでは全部猫なんだね。

天気●ああ、これね。牛と人、これ、人かな?

若之●人とワシとライオン。「ひとつのピークに到達する直前である」と、解説書にある。昼休みですね。

由穂●かつて生徒だった頃、昼休みって嬉しいものでしたよね。

祐子●午前中の授業に苦手なものが多かったんですかね。学校じゃなかったとしても抑圧されるような時間があって。

若之●きっとすごく美味しいお弁当があるんですよ。美味しい給食とか。

祐子●チャイムというとどうしても学校を思い出しますね。そして、学校だと思うと露草がいいですね。薔薇の花などより露草には学校らしさがあります。

若之●校舎の影とかのちょっと湿ったところに咲いているイメージがあります。

由穂●確かに。ソードの8の足元にも水たまりがあって湿っていますね。

祐子●相当、午前中が辛いんでしょうね。

一同●あははははは。

天気●どのカードのこと? ソードの8? 辛いのか、あるいは退屈なのか。

祐子●あ、退屈。それもありますね。目隠しされているから景色も見えないですしね。

天気●興味が閉じ込められている退屈さ。授業がそうだよね。ちゃんと受けていたら窓の外くらいしか見えない。チャイムって他の音よりも染み渡る感じがありますよね。

祐子●時間が終わったという感じがあります。

天気●音色が空とか空気に染み渡る感じ。だんだん、すごく良い句に感じてきた。

祐子●「色滲ませてゆく」とありますが、色だけではなく音も滲んでゆく。

天気●チャイムってそういう作用があるような気がするな。

若之●露草の色って、わりと色合い自体は濃くて重たいといえば重たい感じ。ただ、それが滲むと明るくて発色の良い色、それこそ世界の背景にある水色みたいな色になる気がします。重さ・暗さから明るさへの転換みたいなイメージで読めそうな気はします。

祐子●露草の花の色はペンタクルの9の葡萄の色合いに似ていますよね。

若之●そうですね。花の色合いは葡萄の色みたいですね。

祐子●それが滲んでくるともっと明るい青になる。チャイムにも色々あって、曲が流れるようなものもあると思うのですが、ペンタクルの9の金貨を見ると、キーンコーンカーンコーンという金属音なのかなと思います。それからさっき占った時もそうだったんですけれど、今回も感情が管轄のカップのカードが出ていないのです。この句は、情緒のある景色だと思うのですが、そんなに湿っぽくないのかなとも。「滲ませて」と言われると情感がたっぷりな感じがありますが情感に訴えてゆくということとは少し離れているのかなとカードを見ていると思います。

若之●実際、句の仕立てとしても、感情がどっとあからさまに出てくるというタイプの句ではないから。

天気●感傷は感じるよ。

若之●そうですね。センチメンタルな感じというか。

天気●チャイムと露草の属性かもね。やっぱり、露草の色とか小ささがチャイムと合わさると切なさや感傷は感じるね。それこそ染み入る感じの。

若之●いいですよね。

祐子●染み入る感じや感傷ということでは、ソードの8のカードにそれを感じるかなあ。

天気●ソードの8は解説書ではどう説明されているの? 他のカードの比べて絵柄が明示的じゃないですか。

祐子●身動き取れないですよ、みたいな説明です。「女性が目隠しをされて縛られている。おまけに、剣に囲まれて身動きが取れない、にっちもさっちもいかない状況だ。このイメージは、占いに向き合う時の多くの状況にあてはまるのではないだろうか」とあります。

天気●占いをしてもらいたい時は、いつでも、そういう時ですよね。

祐子●どうしていいかわからないっていう状態なんでしょうね。

天気●でも、解説書に書かれていることって、いかにも占いであり、サジェスチョン的で、あんまり俳句の読みには反映させたくないですよね。まぁ、普通そうなるよね。占いって本当は実用だものね。なんか、おみくじみたいなことが書いてある。

若之●あー、そうですよね。こっちの解説書には「八方塞がりの沼地」って書いてあります。

由穂●水たまりが彼女が流した涙となっている。

若之●本当だ。涙でできた沼地って書いてありますよ。

由穂●足場が固まっていない感じ。

天気●この句が?

由穂●テーマが、でしょうか。

若之●なるほど、解説書によるとソードに情報というようなことを読み解くんですね。さっきの句の時に出てきたナイトもそうですけれど。周りに情報が溢れていてかえって身動きが取れない。

祐子●それ、授業中という感じがありますね。

若之●しかも目隠しをされちゃっているから結局、この人はその情報を受け取れない。そういうことみたいです。

天気●露草にもチャイムにも含意が多い。その意味の他に副次的にくっついてくる意味が多いような気がしますよね。チャイムというだけでなんか色々なものを呼び寄せるじゃないですか。さっき話したみたいな。それも割合、若い時のことを思い出すし。露草も他の花に比べて含意があるような気がする。

若之●そうですね。

祐子●チャイムというと私は学校を思い出します。

天気●露草にも道端みたいなイメージがある。学校の周りとか帰り道とか。僕はすぐに帰り道をイメージしましたね。帰り道の路傍。

祐子●あと、細い道を思い出します。広い大通りとかではなくて。

若之●うん、うん、うん。

天気●露草には地域的なこともあるのかな。仙台では露草はよく見かけた?

由穂●ありましたね。

天気●僕は関西なんだけど普通にものすごく頻繁に目にする花だった。

由穂●群生しますよね。一輪だけではなくて。

祐子●ただ、露草も見つけるまでは他の草に紛れてあまり見つからないのに、一度見つけるとたくさん生えているなと思うことが多いです。子供の頃は花を摘んで水につけて色水を作ったりしていました。

由穂●そうそう。私もしていました。

祐子●だから水と親しい感じがします。

天気●字も「露」だしね。日本語の「露」は含意がものすごく豊富だよね。

若之●和歌の文脈が全部乗っかってくるから。

天気●露の世、露の身。

祐子●涙とか。

天気●儚いもの。

祐子●露草の花も小さいですしね。さっきでた情報が溢れているという話、それを思うと情報に溺れているという考え方もできるのかな。溺れている人は小さい感じがするので露草の花の大きさとリンクするようにも思います。断定するのもあれですが、どんどん授業という気がしてきます。

天気●まぁ、それが一番のイメージかね。

若之●ですかね。

由穂●露草は、さっき話した、色水遊びをした花という印象が強いんですよ。だから「滲ませて」という言葉が出てきたのですけれど。その遊びの時に出てくる色がカードに出てきたなっていう。

若之●3枚のカードに共通する青ですね。

由穂●あと、色水にクエン酸を足すと紫色にもなる。そういう遊びをやっていたその色なのですよ。だからカードの色が露草っぽいなと思っていました。

祐子●確かに、色はそうですね。露草から色水を作って遊ぶとなると結構な量の露草が必要ですよね。収穫するという言い方はおかしいけれど、露草の花をたくさん集める。今の話を聞いて収穫という意味でペンタクルの9に関係してるかなと思います。

若之●たくさん生えているところからたくさん取るんですよね。8と9は近い数字だから、そのぐらいの数なんだなって。

祐子●授業中に色水作りたいなとか思っているのかな。でも、そんなストーリーに寄せる必要はないですね。あと、大アルカナの世界が出ているということは綺麗な色なのでしょうね。もう忘れてしまったけれど、色水を作るとき、あまり綺麗な色に出ないってこともありましたっけ? 失敗とかはないのでしょうか。

由穂●どうでしたかね。色水はどうかなぁ。長く置いておくと澱んでしまったりすることもあると思うのですが、露草自体は萎んでくしゃくしゃとなってしまっても青さは残っている。

若之●たぶん、「色滲ませてゆく」だから色が出た時の一番綺麗な色ですよね。

祐子●ちょうど一番いいところ、ピークですね。

若之●フレッシュな青さなのではないかな。

祐子●もし、かなり感傷的に寄せて読むとしたら、さっきも露の身とか露の世の話が出ましたけれど、悲しいことがあるというか、涙の色というか、そういう色が滲んでいてそれがチャイムによってリセットされる。そういうストーリーとしてもこのカードを読むことができるのかなとは思います。自分が露草みたいに小さくて儚い身だと。私、あまり俳句をそういう雰囲気で読むことがないので、自分で言っていて変な感じですが。俳句を鑑賞する時にストーリー仕立てにして読んだりすることはありますか?

由穂●うん。結構します。

若之●どうかな。句によります。

由穂●鑑賞する時、言葉にする時は違うかもしれないのですが頭の中ではストーリーを仕立ててしまうことはあります。

天気●この句でも?

由穂●この句はちょっと自作すぎて。

祐子●私は、この句だけを読んだ時には、今言った自分が露草のように小さい身なのだというようなことは思わなかったのですが、今回のようなカードが出てくると、そういった心情みたいなものに寄せてしまいたくなるところはあります。

天気●背景を呼び寄せるのかな。句だけ読むなら、人は全く出てこなくて、景色だけ。

祐子●私も句だけならそうです。

天気●でも、こういうカードが出てくると……というわけ?

祐子●そうです。なんていうのかな、ちょっと出てきたカードがドラマチックすぎるんですよね。チャイムの音がするなっていうだけの景色にしては。どうしても少しストーリーを考えたくなってしまう。

天気●例えば、句が出てくるまでの経緯とか背景はドラマチックだけど、句として出てきた景はそういうものではなく、すっとムードを詠んだものとなっている、ということですね。

祐子●そうです、そう言いたかった。ありがとうございます。

天気●作者のドラマをカードが暴いたということだ。

祐子●作者本人なのかどうかはわからないけれど。

若之●句の主体が。

天気●この句が出来上がるまでの経緯ね。

祐子●そうなのかなって。

若之●そうですよね。この句だけパッと渡されたら音の質感の方に話は終始するもんな。音の質感と色との。だから、こういう句を読むとき、普通の鑑賞だと、ある種の共感覚みたいな方に向かっていくのだけれど。背景の話をつけないとカードとの折り合いがつかない。

祐子●その時に露草というのが、さっき天気さんも言っていましたけれど色々な意味を持ってきてしまう。単に咲いているというだけではない他の意味を連れてきてしまう。

天気●季語ってまあ、そういうものなのだけど。ただ、露草は季語を離れても含意が多いということはあるよね。尚且つ皆が知っていてイメージしやすい。わりあい強力なモチーフというか季語だよね。けど、あんまり使わないよね。

若之●下五に置きにくいんですよ。だから何かと取り合わせるとなった時にはちょっと置きにくい。

祐子●私は露草の句はあまり作ったことがないです。結構、難しい。

天気●「露草や」とできるでしょ。

若之●できるんですけど、露草はキャラが強いので上五に置くと露草の句になりがち。

天気●なるほどね。伝統的な季題を詠むみたいになっちゃうんだ。でも、この句は季題を詠んでいると言えるよね。

若之●この句はわりとそうですよね。仕立てとしては。

天気●チャイムが主眼だけれど季題には沿っている。ちょっと俳句タロットからは離れちゃうけど句会に出した時にこの句の反応はどうだった?

由穂●句会の皆さんの反応ってことですか?

天気●はい。僕はうまい句だと思う。ムードの句だけれどなんか好きな句。だからきっと句会で出たら採ると思う。でも、ムードの句は句会での反応は? これ句会に出したんですか?

由穂●出したと思います。この句に限らず、共感覚みたいな句は時々作ることがあるのですが、わからないという人もいるし、いいなという人もいて、好みがはっきり分かれてしまいます。

天気●ムードの句はそうなのかな。具体的なことを詠んでいないし、うまく描写した句でもない。ムードの句というのはそうなるんだね。そこは個人的に興味があった。でも、取り合わせとかバランスとか書き方によって気に入る、気に入らないというのがあるんですよね。僕は俳句のテクスチャーを重視するからこの句にはテクスチャーがある。別に描写している句ではないけれど質感があるから好きな句。

由穂●テクスチャーとか質感とかムードが良いと思った時に、説明する言葉を自分が持っていないことがあって。そういう時に選句の難しさを感じます。句をとって発言を求められたらどうしようというブレが生じる。句会という場では。

天気●それはね、どんどん無くした方がいいですよ。

由穂●そうですよね。

天気●それこそ、俳句のというか句会の本末転倒だと思う。そこは「テクスチャーが良い」でいいんじゃないの。

若之●うん。それでいいです。

由穂●言語化ができない外側のいいと思った感覚を掴んだらその句はとった方がいいんですよね。

天気●だって、「質感」と言語化できているのだもの。でも質感を質感というだけで、それがザラザラしているとかネチョネチョしているとかではないから。言葉の質感だから。質感と言えばそれでいいんじゃないかな。

祐子●そういう時、「なんかいいと思いました」って言ってしまう。

若之●いや、いいんですよ。いいんですよ。

天気●「好き」とだけ言っておけばとられた方も喜ぶ。良いとか上手いとか言われるより、好きな句って言われるのが一番嬉しい。上手いと思うけど好きにはなれないって言われても嬉しくない。

祐子●そんな風には言われたくないなー。

若之●そういうこともありますよ。

天気●そういう作風だってあるじゃないですか。頑張って上手に作っているけど、好きかどうかって言われると好きじゃないなって。昔からそれは問題でね、もっとはっきり本末転倒なケースもありますよ。当てられた時に説明のしようがないからとらなかったとかね。とっとけばいいのに。

由穂●そうですよね。この句とりたいけど、ちょっとどうコメントしようかなというところで逡巡してしまうことがあって。いや、最終的にはとるんですけどね。

天気●うまくコメントするということを考えすぎなのかも。それは個人がというより句会の雰囲気もありますね。

若之●ですね。

天気●本当は選句の時点でほとんど終わっている。鑑賞以前にとっちゃうという句もあるから。選んでるというところで終わっている。

若之●句会の話になってしまいますけれど、鑑賞しにくい句ほど点は入れてあげたほうが良いんですよ。とりあえず、これはいい句ですよっていうことを伝えるには点を入れるしかない。話しにくい句ほどそうなんだよな。本当は。

天気●自分の一票が重要になってくる。これは誰が話しても同じ褒め方になるという句は、ほっといてもいいわけで。違う言い方をすれば、どこに出しても恥ずかしくない句は別にとらなくてもよい。外に出したら恥ずかしいっていう句がこの場での意味になる場合があるからとる。でも、外に出しちゃだめよ。

若之●あはははは。外に出しちゃだめなんだ。話を少し戻すと、タロットカードを使って鑑賞すると、この句でそんな読み筋があるんだっていう読み方をしましたね。

祐子●だって、出たカードがドラマチックすぎるんだもの。

天気●でも、読む時に人を持ってこないと気が済まないという読み方をする人もいますよ。この句も、露草をどこで誰が見ているのかみたいなね。

若之●人が読みに入ってくる余地は大いにある。「滲ませてゆく」はかなり人間の気配がする表現ではあるから。チャイムも人間の世の中のものだし。そういう意味では人間が入る余地があるから、この読み方も成り立っている感じはする。

天気●この句には聴覚と視覚がかなりしっかり入っている。

祐子●句だけを読んだ時は、露草の色が水に溶けて滲んでゆくということと、チャイムの音が広がってふわーっとしてゆくことだけを感じました。

若之●色と音がオーバーラップしてゆく。

祐子●人がいるのかもしれないけれどあまり人の気配を意識しないでいました。

若之●そこはすごく同意です。そうなはずなんです。滲ませてゆくとかチャイムにもそこまで比重をかけた読みはしない。チャイムに比重をかけないというよりは、チャイムが人間世間のものだということに比重をかけないのだけれど。タロットカードがあると、そっちがむしろ際立ってきて、その読み筋が案外この句でも成り立つということを教えてくれる。

祐子●それが良いことなのかどうかはよくわからないけれど。

若之●一周回っていいのかも。普通だと、俳句は人間世間にずぶずぶになっている感覚をちょっと違った角度から捉え返すためにあって、たとえばこの句なら、露草の色が滲んでゆくところにチャイムがオーバーラップするところで、チャイムが普段の日常の意味合いではなくて音そのものとして感じられる。そういう風に、人間の文脈から切り離すということが俳句の一つの面白みなのだけれど、カードがあると、むしろ、我々は俳句を人間の文脈から切り離して読みがちですよねってなって、もう一回、人間世間に引き戻した時にどうなるのって話になりやすい感じがします。普段の俳句の読み方とちょっと違っている。

由穂●すごく俗的というか、チャイムってなんで鳴るんだっけみたいなところに立ち返って考えることになった。そこから切り離して俳句にしているはずなのに。

若之●俳句という枠組みによって自動化されているものを異化したのだけれど、俳句の読みにおいて異化の仕方が自動化されているから、タロットを使って、もう一回、その異化の仕方を異化しましょうみたいな。そういう話になっている。

由穂●そもそもの着想みたいなを話してみてもいいですか。句会で名前を開けた後に「こういう思いで作りました」っていうとちょっと恥ずかしくなってしまうやつを言います。先ほどチャイムの時間帯の話も出たので、自分でもそうだったと思い出したのですが、私は朝のイメージで詠みました。一時、東北の田舎の方に住んでいたことがあって、朝の6時半か7時くらいに農作業を始める人のためのチャイムというのが鳴るんです。結構、優しい音で一音一音丁寧な朝のチャイム。その村は、朝と正午と夕方にチャイムが鳴るのです。常にチャイムに淡く縛られている感じがあった。

若之●あー、なるほど。

由穂●その朝のチャイムがなった時に、露草という水っぽい滲みやすいものがその音に広がってゆくイメージで作ったのですが、その根底にチャイムがどの場所にいても鳴ってしまうという閉塞感、息苦しさが当時あったので、ソードの8のカードはなるほどと思いました。

若之●農作業だと、もろにペンタクルの9のカードですよね。

由穂●みなさんが鑑賞したのは学校のチャイムでしたけれど、やはりチャイムというものは区切ってくるもの、縛ってくるものというイメージシンボルでもあるのかなと思いました。

天気●時報だね。時報と書いてチャイムとルビだね。

若之●うーん。それは、どうかな。

祐子●そこには何年くらい住んでいたのですか?

由穂●3年間です。でも作ったのはもっとずっと後で、大人になってからです。作り終えてみると着想などは手放してしまうので、聞きながら、あれ、どうやって作ったっけと改めて思い出しました。今回出たカードは着想の部分だったのかなと思います。

(了)


2026-09-06

岸田祐子 俳句タロット2026 福田若之×千倉由穂〔前篇〕

俳句タロット2026
福田若之×千倉由穂〔前篇〕

記事化:岸田祐子


〔前口上〕
タロットカードで一句を占う。その第2弾。占い師は岸田祐子さん、占ってもらうのは、千倉由穂さんと福田若之さんの各1句。出現したカードを眺めつつ、岸田祐子さんに導かれ、みなであれやこれやとおしゃべりしました。(見物人・西原天気)

◆

手書きの@が細胞みたいで雨で春で 福田若之


一枚目「ペンタクルの9」・2枚目「ソードのナイト」・3枚目「ワンドのペイジ」

岸田祐子●タロットカードでペンタクルというのはお金とか土地などの財産や現実的なものを扱います。俳句ではないものを占っていたとしたらペンタクルの9は、努力が実るとか、やってきたことが形になるなどと言いたくなるカードです。ソードは理論とか知識を扱います。ナイトは青年期を表すので、勢いのある年代です。なかでもソードのナイトは、四人のナイトの中で一番スピード感のあるカードです。最後の一枚がワンドのペイジです。ワンドは棒のことなのですが情熱とかやる気とかそういうものを扱います。ペイジは小姓でまだ未熟な人を表します。ですから、これから何かを始めるという感じがします。情熱が芽生え始めるとかなのかな。どれもポジティブなカードです。けど……、難しい。

一同●笑い

祐子●でも、まずワンドのペイジが春っぽいなと思いました。

福田若之●ですね。

祐子●空の雲の色がピンクですし、桜のようにも見えてきます。新しいことを始めるという意味があるカードなのと、進学とか進級など世界が新しくなるということが春にはあるので。だけど、スピード感は私はこの俳句にはあまり感じられないかなぁ。@は金貨の形に似ていますね。

西原天気●スピード感があるって出ているのですか。

祐子●ソードのナイトのカードは速いです。

天気●後半の「で」にスピード感がありますね。

祐子●「みたいで雨で春で」と「で」をたたみかけるということですか。

天気●そう。そこで加速しますよね。

祐子●なるほど。言われてみれば。

天気●と、こじつけてゆくのが……。

若之●俳句タロットなわけですね(笑)

祐子●そうです、そうです!

天気●記号論とか象徴論とかも使いながら。だからその辺、脱線しまくっていいと思いますよ。前回は贈与論の話まで出たんだから。

祐子●あと、今、思ったのですが「@が細胞みたいで」とありますから9個に分裂したのかなって。@の形と金貨の形は似ていますし、細胞が分裂して増えることを実りと言っていいのか分かりませんが。

天気●言っていいでしょう。

祐子●そうしたらやっぱり、それはペンタクルの9が「細胞みたいで」というところに合っているのかなと思います。

千倉由穂●手書きで書いた時の走り書きの感じにスピード感が出ているのかなと思います。この俳句だけだと一つのメールアドレスを書いていたのかなと思ったのですが、9が出ているので沢山のメールアドレスを書いているのかもしれません。だとしたら@が連なっているとも考えられそうかな。@って、メールアドレス以外に何か使いましたっけ?

若之●手で書く場面というと僕もメールアドレスを教える時を想定していました。あとは、若者言葉的には「どこそこに居ます」という時に@を使います。

祐子●@にはそういう意味があるのですか。

若之●もともと@はアドレスを示すためのマークなので。

祐子●@のことをアットと言いますか?

由穂●アット西国分寺みたいに言います。

祐子●そっか、実はこの句はアットと読むのかアットマークと読むのかどっちかなってちらっと思ったんですよ。だけど@のことをメールのアドレスと思い込んでしまったのでアットマークって読んでしまいました。

天気●あぁ、でも人に伝えるときはアットマークって言うよ。

若之●そっか、そうなんだ。僕は自分で言うときは結構「アット」って言うんですよ。

天気●ただ、意味的にはどこそこに居るということですよね。9と結びつけたいのですか?

祐子●私はペンタクルの9のカードにある金貨の絵と@が似ているなって。ただ、アットと読む方が17音の定型に近いのかなって。

若之●定型には近いですね。

天気●他のカードは何が出ているんですか。

祐子●ソードのナイトとワンドのペイジです。ソードは決断や理論、知識、情報が管轄です。ナイトだから肉体的に一番充実している年頃の人。特にこのソードのナイトは速いです。スピード感に溢れる。ワンドは情熱とか勢い。ペイジはまだ幼い。未熟だけれど純粋無垢。

天気●ワンドのペイジのことを思えば、この句の口調は成熟というより無垢な感じがありますよね。若之くんの青春っぽい句はみんなそうだけど。

若之●「いいさし」という感じですよね。

天気●ソードのナイトは馬で速いのだからメールと合います。

若之●まさしく、情報の速度。

天気●スネイルメールより速い。

祐子●スネイルメールって何ですか?

天気●蝸牛のメールということで紙の郵便のことをスネイルメールって言います。最近は言わないの?

若之●言わないですね。

天気●昔は電子メールと区別をつけるためにこの言い方をしたんです。

若之●ソードのナイトはやっぱりそういうイメージなのかな。句の内容に関わるイメージが先に立つのかなと思います。

祐子●確かにそうですね。@がメールのことだとしたら情報ですものね。

由穂●手書きのスピードと、とりあえずここにメールアドレスを書いてということで、関係性が急速に近づく感じがあります。

祐子●もう、急いでむにゅむにゅむにゅって書いている感じ。

由穂●関係性が始まる感じもあるかなと思います。

若之●このタロットって背景の図柄にも何か意味があるんですか。

祐子●あります。例えば、ペンタクルの9だったら果実が実ってて天気も良さそうだとか。ソードのナイトだと天気は少し不穏な感じだけれど足元に花が咲いているとか。そういうことを細かく見てゆきます。

若之●ワンドのペイジの背景にあるピラミッドがすごく気になっていて。

祐子●何でしょうね。でもこのカードで出てくるピラミッドはなんとなくポジティブな感じがします。

天気●エジプトのピラミッドですよね。

祐子●灼熱の世界がワンドの世界なんですって。灼熱が情熱だと思うのですけど。だから砂漠なのかな。

若之●なるほど、そう繋がるんだ。そうしたら細胞の中に熱があるんだ。たぎってるんですね。

祐子●ペイジだと若いってことだから、フレッシュな細胞がどんどん生まれているのかなぁ。死んでゆく細胞ではなく生まれてくる細胞という感じ。

若之●由穂さんがさっき、走り書きの感じがって言っていたけれど、走り書きの@は元気な細胞にも見えるのかな。

由穂●躍動感がありますね。なんか、どんどん思考が広がってきて面白いです。カードを手がかりに句を読みたいのに、自分の中でまだ俳句とカードがうまくつながっていなくて、分裂しています。だから、これから言うことはここだけの話となってしまうかもしれないのですけど。この句は@という文字の形が特殊なので、どうしてもそこに目がいってしまいます。でも、むしろ、この句の一番のわからなさは@を「細胞みたい」と言っているところなんですよね。

天気●その理由をカードに聞いてゆくという集まりです。

由穂●わからなさのヒントはカードの中にあるんだろうけど。

祐子●細胞、細胞、そうだなぁ……。

由穂●細胞には怖さもありますよね。増殖したり。

祐子●そういう意味で考えれば、実ってゆくということは増えてゆくということですよね。

由穂●よく見るとペンタクル9のカードの金貨の奥に葡萄みたいなものが描かれていて、それが細胞っぽい怖さがあります。

若之●ありますね。

祐子●この葡萄みたいなもの、見た目も細胞っぽいですね。

若之●ペンタクルの9って、実りとか富とかっていう意味なんですかね。

祐子●このカードはそういう意味です。こういう数字のカードは小アルカナと言います。小アルカナは1から10までの数字札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングという4枚の人物札で構成されています。小アルカナの数字札は1から10までなので、9はもう終盤の数字です。かなり実っていて結構収穫があるよというカードになります。

天気●ペイジってどういう意味でしたっけ。

祐子●小姓、まだ子供です。

若之●さっき、天気さんが贈与論の話をしたのでそれに引っ張られてしまっているのかもしれないのですが、貨幣というものは交換するものだから@が貨幣に似ているというのは、何かと置き換えできるということなのかなぁと。

祐子●手書きの@が何かに置き換えできるってことですか。

若之●メールアドレス。メールアドレスって結構変更したりしますよね。

祐子●そうだ。ずっと同じアドレスとは限らないですね。変わったりしますね。

若之●あ、あとは、アドレスを交換するということができるか。多分、片方だけがメールアドレスを教えて終わりっていうことはあまりなさそう。お互いに教えあう。

由穂●今調べてみていたのですが、@は会計において一般的に用いられる記号らしいです。

若之●え、会計で使うんですか。何を表すんだろう。

由穂●主に単価あたりの金額を表すそうです。例えば、@1000円と書いたら一単位あたり1000円ということです。

祐子●へー、知らなかった。じゃあ本当にお金というか価値って感じですかね。住所とかも価値といえば価値かも。

若之●はははは。もしかしたら、これ、面白い読みになるかもしれませんね。

由穂●もともとは請求書などに用いられていたのだけれど、レイ・トムリンソンという人が電子メールアドレスに用いて、1990年代以降に広く普及したみたいです。ちなみに、私と若之さんは同い年で1991年生まれです。

祐子●じゃあ、生まれた頃にはもう@が電子メールで広く使われるようになっていたのですね。それ、細胞分裂して変わっていったんですかね。

若之●記号の意味が育ったんだ。

祐子●手書きで@を書き続けるとだんだん疲れてきてぐにゃってした@になったりしそうじゃないですか。そういう間に@の意味がまた別のものに変わってゆくのかもしれないですね。それって細胞分裂みたいな感じがします。

若之●育ってゆく感じがします。@の意味の変遷が普通に面白い話だな。これ、知らなかった。

由穂●国ごとに意味が違うみたいです。さっき出てきたスネイルメールの蝸牛もそうですし、アヒルとか。見立てる形によって違うみたいです。一つの記号にいろいろな意味が入っていますね。

祐子●@は意味が固定されていた訳ではなかったのですね。それはご存知でしたか?

若之●いやいや、知らない。知らずに作っていました。

由穂●ワンドのペイジはソードのナイトの見習いなのですか?

祐子●タロットではそういう上下関係ではないと思います。ペイジ、ナイト、クイーン、キングはそれぞれのスートにいる人物カードです。タロットカードの小アルカナは4つのスートに分かれています。トランプと似ているのです。ハート、スペード、クラブ、ダイヤの4つにトランプが分かれているようにカップ、ソード、ワンド、ペンタクルの4つがあるので、ワンドとソードではスートが違いますね。

天気●ダイヤは槍なのかな?

祐子●ダイヤはお金のことです。スペードがソードで、クラブがワンド、ハートがカップです。今回の占いでは出てきませんでしたがカップは気持ちや感情を表します。この句には春や雨といった情緒的な言葉がありますが、情緒はない。

若之●ほんと!? それは、まことですか(笑)

祐子●カード的には情緒の要素は出ていないです(笑)

由穂●でも、ワンドのペイジの背景に春めきを感じるという話も出ましたよね。

祐子●春めきは感じますけど、気持ちのカードは出てきていない。だからわりとドライなのかもしれないですね。景色は綺麗なのですけれど情感たっぷりというわけじゃないというか。

若之●あー、そうかも。

祐子●でも、ドライって言っても冷たい訳じゃないと思います。情熱はあるから。

若之●難しい(笑)

天気●湿っぽくない。

由穂●タロットに季節感を見出せる場合もあるのですか?

祐子●あると思います。ペンタクルの9のように実りとか収穫とかなら秋のイメージがあるし、花が咲いていれば春っぽさを感じます。私は、ワンドのペイジが被っている帽子についている羽に春らしさを感じます。ピンクとオレンジでふわふわしている。この後のピンクの雲が桜にも見えます。今日ちょうど、桜が咲いていたこともあってそれに引っ張られているのかなとも思いますけど。

天気●これは単なる興味で聞くのですが、図像という意味ではどのタロットカードも共通なんですか?

祐子●共通していません。一般的なというか多くの人が使っている図柄というものはあるのですが、新しい作家が新しい解釈で新しいカードを作っています。タロットカードによって絵柄は全然違います。私が使っているものは一番ポピュラーなライダー版というカードに準じたものです。

天気●じゃあ、今、使っているカードで占う時には背景が春っぽいとか感じてもいいけれど、そうでない場合は背景に何が描かれているかにはあまり意味がない?

祐子●そんなことないです。出てきたカードを見て読み取ります。

天気●そのカードの色合いから何かを読み取って構わないということですね。

祐子●そうです。

天気●もし、変わったデザインのカードを使っていたとしても、それはそれで読むと。

祐子●例えば、これが結構使っている人が多いと言われているライダー版の「ワンドのペイジ」の絵柄です。ペイジを比べてみるとこんな感じです。私が使っているカードは人間が猫になっています。


天気●ライダー版は、もっとおどろおどろしいんですね。

由穂●ライダー版のペイジは棒というより杖みたいなものを持っていますね。

祐子●そうですね。私が使っているタロットカードはライダー版に準じているけれどちょっと可愛くなっています。だけど、もっと全然違う絵柄のカードもあって、それは使う人が好きなものを選びます。あと、使う人にとって読みやすいか読みにくいかということもあります。もっとずっと抽象的な絵柄のものもあるので。

由穂●よく見るとカードの人物に表情がありますね。

若之●うん。それぞれの顔をしているな。ペンタクルの9のカードには鳥がいますね。何の鳥だろう。

天気●何の鳥かはわからないけれど、意味ありげだね。

若之●そうなんですよ。

祐子●鳥というと伝書鳩とかメールに繋げて考えられますね。

由穂●何か咥えてますね。

祐子●この鳥、どういう顔なのだろう。

天気●頭に何かついているようにも見える。

若之●ちょっとよく見ていいですか。えーっ、これどうなってるんだろうな。わかんない。

天気●解説書(をめくりながら)には何の鳥かは書いていないね。「鳥はいつでも飛び立てるけれど居心地が良いため好んで留まっている。女性もそうした自由な客を歓迎しているようだ」と書いてある。

祐子●自由に行き来できるというところにメールを思い浮かべました。

天気●確かにそうですね。ただ、まだ腕に止まっているということは送信済みではないのかもしれない。

若之●とりあえずメールアドレス伝えた段階ですから。

天気●そうしたら鳥がメールってことですね。

若之●ハゲタカみたいな鳥なのかな。

天気●猛禽類にしては小さいんだよな。

若之●ですね。ただ腕に止まらせる鳥といえば鷹狩などを思い出しますね。あっ!!! わかった、急にわかった。これ、鳥がこっち向いているんですよ。で、目が蠅みたいになっている。

由穂●オレンジが目なの? 仮面ライダーみたい。

天気●あー、わかる、わかる。だんだん見えてきた。

由穂●コンドルって頭に鶏冠みたいなのがついているからコンドルなのかも。

若之●肉食ですね。伝書鳩ではなかった。

祐子●ですね。でも、もし何かを運ぶとしたら速そうですね。

若之●かもめーるでもない。

天気●ペリカン便でもない。

若之●ペンタクルの9だけ女性なんですか?

祐子●はい。女性です。

若之●作った時の話をすると。2月に川柳作家の樋口由紀子さんが亡くなられました。その時にwebで追悼句会があって。参加してくださいと案内をもらっていたんですよ。3句出そうと思っていて、その時は仕上げられなくて出せなかったんですけど。この句はその時に出そうとしていたうちの一句をあとになって手直ししたものなんです。いわゆる追悼句ではないんですが、樋口さんのことを思いながら書いた句ではある。

天気●投句しなかったわけだ。

若之●出せなかったんですよ。出そうとはしたけど句が揃わなかった。それで、ペンタクルの9のカードに女性が描かれているので、樋口さん? ──ってちょっと思った。

天気●不達の投句だね。

若之●すっと立っている感じも樋口さんっぽいし。

祐子●届いてない投句、そうするとまだ鳥が飛んでいないのも説明がつきますね。3枚のうち女性が描かれたカードは1枚だけですね。

若之●ワンドのペイジの後に描かれているピラミッドはお墓だなぁとか。

祐子●確かに。

若之●自分では樋口さんへ向けた句という成り立ちがあったから、結構その辺りが気になりました。

由穂●体の向きにも意味はありますか? ソードのナイトとワンドのペイジはペンタクルの9の女性と向かい合っていますよね。

若之●ほんとだ。ペンタクルの9の女性に向かって運んでいるのかも。

由穂●ペンタクルの9以外はアイテムを持っているというところも気になります。

天気●ワンドのペイジからのメッセージをソードのナイトがペンタクルの9へ運んでいると考えられそうですね。

祐子●そうするとワンドのペイジが若之さんなのかな? だとしたら年齢差も。樋口さんの方が若之さんより年上ですよね。

若之●そうやって見ると符合してくるなあ。

祐子●そのエピソードは全く知らなかったけど……。当たりますね(笑)。

天気●手書きの@と樋口さんと何か結びつくものはあるの?

若之●感覚的なことで、樋口さんとの間で具体的に何かあったという記憶はないのですが、鶯谷駅前の定食屋で樋口さんと連句をまいたことがあったんです。樋口さんが捌きで。その時のことがすごく印象に残っているんですよね。何回かお会いしているんですけどその回が一番印象に残っている。たしか、初対面だったのかな。それまでも「ウラハイ」などで樋口さんが書かれているものは読んでいたので、ネットで先に知っていた。そういう人と実際にあって連句まいてということがとても印象的だった。あ、もしかしたら初対面はもうちょっと前にあったかも。でも、今となってはもうわからなくなってしまった。

天気●僕も樋口さんとだいぶ長いのに一番最初がどう出会ったか何も思い出せないんだよね。時間が経つと最初どうだったか思い出せないよね。

若之●そうですね。

天気●若之くんとの最初のことも全然思い出せない。覚えてる?

若之●ちょっと覚えてます。最初に会った時は、天気さんのご自宅でした。誰と来たかは覚えていないけど。

天気●ふーん。由穂さんのこともそのうち最初がどうだったか忘れちゃうよ。

由穂●その時、私が今日のこと話しますよ。でも、記憶って過去になるほど平たくなって、出来事の記憶の順番も前後してしまったりしますよね。

祐子●由穂さんと天気さんは今日が初対面ですもんね。ところで、樋口さんとは長いお付き合いだったんですよね? 最初のきっかけは覚えていますか?

若之●最初のきっかけは忘れてしまったけれど、知り合ってからはそれなりに長かった。ただ、「いつからですか?」って聞かれると明確な時間感覚がない。たぶん、やっぱり鶯谷がきっかけだと思う。

祐子●こういう話を聞くと、ペンタクル9の女性が樋口さんに見えてきてしまいますね。

若之●タイミングを見計らっていました。この話をしちゃうと他の話ができなくなると思ったので。

(後篇に続く)

2026-04-26

前川友萌香【パティオ北白川ルポより】 振付としての俳句展

  振付としての俳句展ーパティオ北白川ルポよりー 

前川友萌香


荒川修作+マドリン・ギンズによる「意味のメカニズム」というプロジェクトがある。絵画、ドローイング、建築模型など127点の作品群から成り、日常的に何気なく用いている「言語」に疑いを与え、観察者に「自分だったらどうするか」と問いを投げかけ、理解と実行を促す仕掛けだ。

今回、パティオ北白川ルポについての評を依頼された。しかし正直に言えば、私はこの展示を実際に訪れていない。そのため、展示期間中に行われた吟行句会がどのような雰囲気であったのかを知ることはできない。ただし、展示されたすべての作品が建築と絡み合い、純真な装置として成立していたことは、残された記録から十分に読み取ることができる。

私は踊りをしているが、ダンサーとして見ても建築と詩はきわめて相性がよいと感じている。振付が〈動かす装置〉であり、詩が〈発話させる装置〉だとするならば、建築は〈居させる装置〉だ。鑑賞者がそこに居て、発話することで、イマジネーションは急速に拡張する。そして、そこに実在する俳句を成立させるために、鑑賞者は壁に寄り、椅子に座る。そうして再び俳句を思い出し、意味が纏っていたイメージを跳躍させる。まさにこの展示は、1「意味のメカニズム」として成立していたのではないだろうか。

では、パティオ北白川ルポそのものを意味のメカニズムであると仮定し、もし私が鑑賞者として参加していたなら、身体はどのように動いただろうか。以下は、そのための思考のエクササイズであり、振付である。

梅雨を祝う椅子の回転を使って/佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』

ゆっくりと踵へ重心をかけていく。じっとりとした疲労感をすべて仙骨に集める。下腹部の奥が、いつもより重たい。椅子に座る。深く腰をかけたかと思えば、瞬時にその重たさから解放され、座り直す。ほんのわずかにお尻を持ち上げただけなのに、緩和は上半身へ、胸へと移動する。大きく息を吸い、吐いた瞬間、頭がスピンを始める。ハンマー投げだ。踵は少し床から離れる。___浮いたった(他力もイエス)

僕のほかに腐るものなく西日の部屋/福田若之『自生地』

向こうを見る。
壁がある。白い。
枠がある。大きい。
道がある。眼球が真下に移動する。じっくりとその先を見る。靴があった。どうやら一足ではない。四足だ。四足あるが、片方が見当たらない。玄関がある。白い。
(この間の私は地面に歩かされている。)

白い玄関は、たちまち大きくなる。後ずさる。ふと右目が少し細くなる。手は拳になる。呼ばれた気がして、左の顔から後ろを見る。車が一台、通り過ぎる。

壁倒立ただし雷春には弱い

踏ん張れ、血管!
筋肉が痙攣したら手のひらを右、左と地面に大きく打ち鳴らし、足を振り上げ宙を蹴る。ドキュンと血管が急速に流れ始めるのを感じる。足が地面に戻ってきたらザパッと両手を振り上げ「弱くない」と叫びおわりながら、肩を右左と上げ、再度右を上げるときに、真横に雷が堕ちる。尾っぽを踏まれた猫ごとくそこら中に怯え威嚇する。

次回があればぜひ参加したい。

【参照】

2025-05-25

小野裕三 haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して

 haikuを愛する元・EU大統領 ファンロンパイ氏に通訳同行して

小野裕三



元・ベルギー首相でありEU(ヨーロッパ連合)の初代大統領でもあるヘルマン・ファンロンパイ氏は、haikuの愛好家として知られる。彼は今年の五月に来日して日本政界の要人と次々と面会したが、多忙なスケジュールを縫って、千葉の御宿で開かれた句会に一日だけ参加した。国際俳句協会からの依頼で、僕が当日の通訳をすることとなり、彼に終日同行した。このエッセイはそのレポートである。


御宿行きの特急列車は、朝早くに東京駅を出発。僕は彼の隣の席に座り、句会の進行などを軽く打ち合わせ。ひととおりの手続的な確認が終わったあとで、雑談がてらに質問をしてみた。

「そもそも、どういうふうに俳句に出会ったんですか?」

「いやそれはね、まったくの偶然なんだよ」

曰く、あるパーティの席で、彼が卒業したルーヴェン・カトリック大学の同窓生と同じテーブルになった。その人がhaikuを作る人で、句集を手渡された。しかしそのときには興味もなく、自宅の本の山の上に積んでおくだけだった。それから数年して、その本を手に取って読み始めた。それが彼にとってのhaikuの始まりだったらしい。

「積まれた本の山の中から、そのときにその句集を手に取ったのは、何か理由があったんですか?」

「いや、それも何も理由はないんだよ。だから、ほんとうに偶然なんだ」

もともと詩には関心があったということだが、それからhaikuにのめり込んでいったのは、どこか彼の気質みたいなものにも合っていたのだろう。そのうちに彼がhaikuを作ることが日本のメディアにも知られるようになると、政治家としての記者会見の場でも「haikuを詠んでみてください」と言われることが出てきて、そこでhaikuを披露すると記者たちにも喜ばれた、という。そんなことも、彼がhaikuを続けることを後押ししたのかも知れない。

「俳句は頻繁に作ってますか?」

「いや、残念ながらあまり作れてないね。私はいろいろやらなきゃいけない仕事が多い。だから俳句を作る充分な時間もないし、それに、俳句を作るには心のゆとりみたいなものも必要だからね」

そんな我々を乗せた特急列車は御宿に到着し、待っていた御宿の俳句会「若菜会」の人たちから大歓迎を受ける。星野高士氏が講師を務めるその句会に、ファンロンパイ氏がゲスト講師として参加する形だ。ちなみに三年前の夏にも、氏は御宿を訪れている。ぜひ再訪して、という熱烈なラブコールを受けての今回の訪問となったようだ。


句会には約四十人の日本人が参加。事前投句された句は前もって僕が英訳して、あらかじめファンロンパイ氏にメールで送付済み。当日の句会では、星野氏、ファンロンパイ氏、がそれぞれに採った句を講評していく。ファンロンパイ氏は冒頭にこう語った。

「まず、自分がどのように採る句を選んでいったのかの方法論を説明します」

最初は、約七十句ある全句を読む。それから自分が「好き」と感じる十句を直感的に選びとり、その後で、なぜ自分がその句を「好き」と思ったのか、という基準(criteria)について考えた、という。

句会休憩時の歓談 ※写真は千葉日報から引用

「私にとっての基準は三つありました。簡潔さ(simplicity)、対照(contrast)、擬人化(personification)、の三点です」

簡潔さとは、言葉、観察、思考、などの点において簡潔であることだ、とする。対照についても、彼が例句として挙げたものは五感の対照であったり、社会的な出来事だったり、と幅広い視点が見られた。また擬人化については、蛙の表情を人間に喩えるなどいくぶんユーモラスな内容のものも含めて、彼は自身の気に入った例句を示した。

興味深いことに、ファンロンパイ氏の選んだ十句のうち、半数の五句が星野氏の選とも重なった。俳句的な美意識がそのように日欧の間で共有されたことは、ファンロンパイ氏にも印象的だったようだ。

句会の最後に、彼は自身の俳句観について語った。俳句の特徴として彼が以前から強調しているのは、自然などを観察して描くことで、意識の力点(attention)を自分ではなく自分の外に向けること。それは自分のエゴみたいなものに囚われない心を作る、と彼は力説する。

一方で彼は、長く俳句を作っているが「俳句は簡単ではない(not easy)」とも繰り返す。やはり訓練を重ねた上での高度なテクニックが必要だ、と捉える。


句会の中で、ウクライナを詠んだ句があり、彼がそれを講評する中で、ウクライナだけでなく、ガザ、スーダンなど世界の紛争地域の名を次々と挙げていったのには、まさに平和をテーマに尽力してきた実務者としての重みを感じた。二〇一二年、EUはノーベル平和賞を受賞したが、その授賞式に参列したEUのトップはまさにファンロンパイ氏だった。

その彼が、「俳句を作る心は、世界平和に貢献する」と繰り返し主張する。俳句がもたらす穏やかで澄んだ心のあり方、自分(彼は「エゴ」という言葉をよく使う)ではなく自分以外のものに心の焦点を向けるあり方、それらの特性は間違いなく平和な世界を作るために必要な条件だ、と彼は考える。

列車の中での雑談で印象的だったのは、彼が御宿で起きたある歴史的な事件をよく知っていて、そのことを熱く語ったことだ。今から約四百年前に、当時スペイン領だったフィリピンからメキシコに向かう帆船が、嵐のために御宿沖で座礁する。これを見た当時の御宿の人たちは、遭難者を救い介抱した。そのことを記念する塔も御宿には建てられている。そんな心温まる歴史を持つ御宿で句会をすることにも、氏は意義を感じていたのだろう。

俳句と世界平和、という繋がりは、突拍子もない夢想とも思える。だが、ノーベル平和賞をEU代表として受賞した経験を持つファンロンパイ氏が真顔でそのことを語る姿には、リアルな重みを感じた。そうやって彼と会話するうちに、この繋がりを夢想だと思わないことから何かが始まるのでは、とそんな気がしてきた。


句会終了後のスナップ


※本句会の概要については、下記のニュース記事もご参照ください。

 EU初代大統領、御宿で句会に参加「俳句の心は世界平和につながる」(産経新聞)



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小野裕三 おの・ゆうぞう

「海原」「豆の木」所属。英国王立芸術大学(Royal College of Art)修士課程修了。現在、国際俳句協会評議員および英国俳句協会(British Haiku Society)会員。

http://yuzo-ono.com



2024-04-28

小野裕三+ガートルード・ギボンズ haikuをテーマとしたロンドンでの現代アート展に参加して

haikuをテーマとしたロンドンでの現代アート展に参加して

小野裕三+ガートルード・ギボンズ


■背景説明

小野裕三


2023年10月〜11月に、ロンドンのアートギャラリーで開催されたアート展に、俳句作品およびワークショップ講師として参加した。

このアート展は、haikuをテーマに現代アート作家たちが作品を制作し、英国の詩人数人と私がそのアート作品に呼応するhaikuを作って会場で音声として流す、という構成のものだった。

そのアート展について、私の友人である、ガートルード・ギボンズさんが展覧会評を書いて英国のオンラインマガジンに掲載してくれた。文中では「参加した小野裕三に質問をする」という趣旨で、私のコメントも引用されている(青字部分)。異文化・異言語そして異ジャンル(=アート)の視点から見た俳句、という内容は日本の読者にも興味深いのではと考え、その和訳をここに掲載させていただく。

なお、参考までにこのアート展のために私が作った俳句を一句引用しておく。

 蝸牛に一切合切という雨  小野裕三

 for a snail

 the rain as

 anything and everything  Yuzo Ono


以下が、ガートルードさんの文章である。


■「SPLASH !  The Haiku Show」(White Conduit Projectsギャラリー)について

文: ガートルード・ギボンズ

 ※文中後半は小野裕三からのコメントの引用(青字部分)

和訳: 小野裕三 


「SPLASH ! The Haiku Show」は、ポール・ケアリー=ケントと三宅由希のキュレーションにより、2023年10月6日から11月11日まで開催された。オリヴィア・バックス、マリサ・クラット、アビ・フレックルトン、市田小百合、稲岡亜里子、リサ・ミルロイの6人のアーティストによる「haikuの精神」を視覚的に表現するアート作品を展示。また、リチャード・メイヤー、小野裕三、タマール・ヨセロフ、ポール・ケアリー=ケントの詩人によって作られたそれらのアート作品に呼応するhaikuも音声にて展示された。


White Conduit Projectsギャラリー
屋外からの展示風景(ロンドン)

本展覧会は、日本古来のものとその西洋的展開との間で、俳句の定義、それと視覚性との関係、そこでの交流、について考えることを鑑賞者に要求する。そこでは、「(俳句の定義を)簡単に言えば、三行で構成され、時間の移ろいに言及する凝縮された詩である」として、松尾芭蕉(1644-94)の「古池」の伝統的な例が引用される。

 古池や 

 蛙飛び込む 

 水の音

英語の翻訳は下記。

 An old silent pond(古い静かな池)

 A frog jumps into the pond –(一匹の蛙がその池に飛び込む)

 Splash! Silence again.(ぱしゃん! 再び静けさ)


この「ぱしゃん(splash)」(ただし、英語の翻訳に表示されるこの言葉は、日本語の原句では直接的には書かれていない)を題名に冠した本展覧会は、俳句の精神を学際的かつ国際的に探求する。伝統的な定義はともかくとして、俳句を俳句たらしめるものとは何か? 他の芸術形態はどのように俳句の感覚を捉えることができるのか? 俳句にある抽象的な感覚を明示するのは困難だ。だからもっと簡単なのは、俳句を作る規則に触れたり、あるいは俳句に見られるより一般的なイメージや考え方を挙げたりすることだろう。英語の「ぱしゃん」というオノマトペは、音とイメージの両方の意味合いを含むが、その実態は掴みにくい。水がなければ起きないことで、生物であれ非生物であれ、何かの硬い物が水にぶつかることによってそれは起きる。そして「ぱしゃん」の後の感嘆符(!)は、中断や途絶、そして出来事の前と後にある水の静けさを仄めかす。


会場風景。手前: アビ・フレックルトン、
奥(左から右へ): オリヴィア・バックス、リサ・ミルロイ、稲岡亜里子

会場風景。手前: アビ・フレックルトン、奥: 市田小百合

この展覧会は、文章芸術と視覚芸術の両方で、俳句の形式と精神との間を行き交うものを国際色豊かに探求する。俳句の精神を受け継ぐ本展のアート作品は、時間、断片的で繊細なもの、変わらないものと変わるものの循環、郷愁や憧れ、といった観念を考察する。

市田小百合による官能的な写真は、欲望と静寂、そして自然における人間の居場所を表現する。稲岡亜里子による喚起的なプリントもまた、光に細心の注意を払い、アイスランドを舞台に一卵性双生児のペアを描くことで、同様の関係を問いかける。オリヴィア・バックスは、古新聞や絵の具、作り直されたオブジェの使用を通して、再利用と反復のことを考察する。アビ・フレックルトンの陶器は、その素材は親しみやすいものながら、そこで再構成された形は人の認識を拒む。リサ・ミルロイの絵画では、思いもしないパターンがフレームに収められ、鑑賞者の心の中にそれらの断片をつなぐ物語が形作られていく。マリサ・クラットの写真には季節を反映する題がつけられ、自然によって作られたパターンを捉える。それらの作品に寄り添うタマール・ヨセロフ、小野裕三、リチャード・メイヤー、ポール・ケアリー=ケントの詩は、丁寧かつ繊細にそれぞれのアート作品に呼応しており、その中には、アート作品を引用するテキストとして直接的に理解できるものもあれば、アート作品がもたらす感覚をさりげなく反映しているものもある。そう思えば、ギャラリーのアート作品の横にキャプションを置くという一般的によくあるやり方ではなく、このように作品に呼応する俳句を置くのもいい方法かもしれない、と考えさせられた。

俳句は視覚性との親和性が高いと言えそうだ。以前、私(ガートルード)が小野裕三とコンクリート・ポエトリー(訳註: 詩における視覚性を重視した前衛詩の手法)について議論した際に、彼は日本語にはさまざまな文字の系統があると言い(訳註: 漢字、ひらがな、カタカナのこと)、そのためいろいろな書き方の方法が選べて、たとえ同じ言葉であっても異なる書き方で書かれることがあるし、結果として視覚的な見え方も異なることがあると語った。

詩の文章が一般的にそうであるように、ページ上での位置、その周囲の空白、句読点の使い方は、言葉の意味や感じ方にとって重要なものだ。英語で言えば、ダッシュをどこまで伸ばすかであったり、あえて句読点を打たずそのまま空白へと続く行もあるし、行の中央あるいはそれ以外で区切ることもある。どの単語が句読点で区切られ、どの単語が剥き出しで空白へと続くのか?

私は、俳人である小野裕三に、文章と視覚性との関係や、俳句の精神が異なる芸術形態の間で翻訳可能かについて、この展覧会における彼のコラボレーションに関連しつつ聞いてみた。

英語の俳句の世界では「写真を見てそれに呼応する俳句を作ってください」と言われる機会はけっこうある。しかしながら、日本語の俳句の世界ではそれはほとんどない。日本語の俳句では、「季題」「兼題」と呼ばれるやり方が一般的で、ある言葉を提示されてそれを俳句の中に入れて俳句を作ってください、と言われるのが通常だ。

その意味で、今回の展覧会でアート作品の写真を見ながらそれに呼応する俳句を作るのは私(小野)には新鮮な体験であり、難しい作業でもあった。というのも、俳句という形式はある種の具体性を通常はその出発点とする。だからこそ、季題・兼題という具体的な言葉を使ったシステムが力を発揮する。そしてこの具体性が結果として微かな抽象性を生み出す。そういう仕組みが俳句の美であり、俳句の美学だ。

だが、この展覧会での作業はそれとは違うものとなった。一般的に言って、アート作品、特に現代アートの作品はきわめて抽象的である。したがって、そのアート作品に向き合って俳句を作るには、まずその作品の持つ抽象性を的確に掴み、次にその抽象性を俳句という具体性にしなくてはらない。つまり、ここでは具体性と抽象性の順序が通常とは逆になる。なので、非常に作りにくかった半面、結果としてできた俳句は抽象性の純度が非常に高いものができたと感じている。その意味で、今回の展覧会での俳句とアートの出会いを私はとても楽しんだ。

またその一方で、俳句の歴史をあらためて考え直すことになった。アートと俳句の関係は常に複雑なものであり続けた。特に、西洋のアートとの関係は、だ。

日本の俳句史上に有名な「第二芸術論」と呼ばれるものがある。日本が第二次世界大戦に負けて自分たちの文化にも自信を失っていた時、西洋文学を専門とした当時の高名な学者が、西洋の崇高で壮大なアートに比べれば、俳句のように些細で日常的なものは、アートと呼ぶに値しない、と主張した。それはせいぜい「第二芸術」とでも呼んでおけばいい、と彼は言い、この主張は当時の日本の俳句界を大きく揺るがした。皮肉なことに、この論への心理的反発が、日本の戦後俳句史を活性化したひとつの要因になった。

西洋美術の影響は技術的にも俳句を変えてきた。百年以上も前に、日本の近代俳句の基礎を作ったとされる正岡子規は、「写生」の概念を導入することで俳句を革新したが、その「写生」とは西洋美術の影響から生まれた手法だったとされる。また、1960年代には「前衛俳句」という新しい運動が俳句界を揺るがしたが、言うまでもなく、その「前衛」という言葉自体が西洋美術からもたらされた。19世紀末以来、日本の俳句は絶えず西洋美術の影響を受けることでその姿を変えてきた、と言っても過言ではない。

そのことは、俳句がそれ以前の本質を捨てたことを意味はしない。俳句の古い美の本質と西洋美術的な概念や技法をどう調和させて、現代にふさわしい俳句の形を作っていくか。それがこの百年以上の間の、日本の俳句の不変の問いだった。

その視点から興味深いのは、幾人かの西洋の偉大なアーティストたちが俳句への関心を示していることだ。例えば、米国の音楽家ジョン・ケージは「haiku」と名づけられた楽曲やアート作品を作っている。彼自身の著作の中でこんな言及もする。
山を心地よく照らす火は、遠くは照らさない。同様に、美しい形式は短い瞬間を照らすだけで充分だ。(中略)そう考えれば、ブライスが著書『俳句』で書いた〈芸術家の最高の責任は美を隠すことだ〉という言葉が納得できるだろう。(John Cage, Silence, London: Marion Boyars, 2017, p.131)
例えば、ジョン・ケージの「4分33秒」は、俳句的な作品なのだろうか。直感的には、その答えはイエスのように感じる。

ここまで見てきたように、俳句とアートとの関係は複雑だ。ひとつだけ言えるのは、美というものが具体性と抽象性との間の関係やバランスにおいて成立するものだとするなら、その三つのものの相関は、西洋の美術と、俳句では、明らかに何かが違う、ということだ。だからこそ、崇高な西洋美術に比べて俳句は些細で価値がないと非難した日本の学者もいる一方で、西洋美術にはない美の考え方を俳句に見出してそれに着目した西洋のアーティストもいた。それはおそらく、ひとつのコインの両面なのだと思う。

この展覧会では、タマール・ヨセロフによる現代俳句の実作ワークショップと、小野裕三によるイントロダクション・トークが行われた。この展覧会は、鑑賞者に俳句の精神に対する自分自身の理解や関係を考えるだけでなく、文化、言語、芸術形式がどのように互いに協力しかつ互いを通じて機能できるかを考えることを促す。

会場風景。手前: アビ・フレックルトン、
奥(左): マリサ・クラット、奥(右): 市田小百合


会場風景。稲岡亜里子、マリサ・クラット、アビ・フレックルトンの作品



写真はアーティストおよびWhite Conduit Projectギャラリーより提供

原文掲載のウェブサイト https://www.soanywaymagazine.org/issue-sixteen



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小野裕三 おの・ゆうぞう
大分県生まれ、神奈川県在住。「海原」「豆の木」所属。英国王立芸術大学(Royal College of Art)修士課程修了。句集『メキシコ料理店』(角川書店)、『超新撰21』(共著・邑書林)。現在、国際俳句協会評議員および英国俳句協会(British Haiku Society)会員。

ガートルード・ギボンズ Gertrude Gibbons
ロンドン在住。英国王立芸術大学およびヨーク大学で文学を学ぶ。フランス文学や演劇等のレビューを各誌に寄稿する他、著書に『The Phaistos Disk』『The Silent Violinist』がある。美術、小説、演劇、音楽、オペラ、建築と幅広い領域に関心を持ち、リサーチ・創作活動を続ける。


2024-04-07

タロット占い×俳句=?

タロット占い×俳句=?

記事化:岸田祐子
補足説明:西原天気


〔前口上:西原天気〕

タロットカードで俳句を占う、と聞いて、頭の中が「?」だらけに。カードを繰るのは岸田祐子さん。こちらのウェブサイトの随所で「占い」が実践されているが、これを見ても、私の頭の中はまだすっきりしない。そこで、実際に目の前でやってもらうことにしました。
2024年3月9日(土)
参加者:細村星一郎、西原天気、太田うさぎ
占う人:岸田祐子
この日、祐子さんに占ってもらう俳句は2句。細村星一郎作と私・西原天気作から、それぞれ1句ずつ。まずは、どの俳句を占うかを決めるわけですが、せっかくだから当季がいい。かつ、偶然の要素があったほうがいい。そこで、私は、『はがきハイク』の既刊から春季のものを3通用意。数字を適当に言ってもらい(2枚の5句目、といった具合)、この句に決まりました。

汝(な)よねむれ巴芹に水のゆきわたる  西原天気

カードの山から出現したのは、次の3枚。

1枚目「魔術師」・2枚目「女教皇」・3枚目「ペンタクルキング」


祐子●最初からどう読もうかなっていうカードが出ちゃってますけど……。

うさぎ●このカードって王様?

祐子●はい。タロットカードは大アルカナの22枚と小アルカナの56枚で構成されているんです。大アルカナは物事の本質的な意味を象徴するようなカードで小アルカナはもう少し具体的な現実的な世界観を表すカードと言われています。今回出たカードでは魔術師と女教皇が大アルカナ、ペンタクルのキングは小アルカナ、キングだから王様です。

天気●カードに数字が書いてあるのが大アルカナ? このカードは猫の絵なんだね。

祐子●そうです。数字が書いてあるカードが大アルカナ。猫が好きなのでこのカードを使っています。

うさぎ●カードが出てきた位置も関係あるの?真ん中に出てきたらどうかとか。

祐子●このスタイルは私が考えたものなので、位置は決めていません。タロット占いは絶対にこう占わなくてはならないっていう決まりはなくて、自分で決めればいいだけなので占う人や占うことによってスタイルは様々です。例えば、三枚カードを引いて一枚目が過去、二枚目が現在、三枚目を未来というようにすることもあります。

天気●ペンタクルって?

祐子●ペンタクルは金貨です。小アルカナはワンド、ソード、カップ、ペンタクルの四つのスート(シンボル)からできていて、トランプのクラブ、スペード、ハート、ダイヤに対応しています。あと、西洋占星術の火、風、水、土の四つエレメンツにもリンクしています。ペンタクルは物質的なことが管轄です。

天気●土の範疇かな。

祐子●そうです。そうです。

星一郎●トランプの枚数と大アルカナで構成されて78枚ってことですか。

祐子●トランプは一組52枚、小アルカナは一組が56枚だから、全く同じではないけれど似てますよね。一枚目の魔術師は「準備ができています」っていうカードなんです。数字も「1」ですし。カードの絵を見てもらえるとわかると思うのですが、机の上にいろいろな道具がそろっていて、「もうスタートできますよ」というカード。この句は「汝よねむれ」って言っているんですけど、ねむった後に何かが始まるのかなって思いました。

うさぎ●「巴芹に水のゆきわたる」っていうのも始まる感じ、準備ができている感じがあるよね。

祐子●ですよね。二枚目は女教皇というカードで、これは「知性」とか「直観」のカードなんですけど。これどういう風に読めばいいのかな……。

天気●「巴芹」という表記には「知的」な処理がありますよね。「巴芹」という漢字からは中原道夫さんの『巴芹』という句集が思い浮かびます。パセリという表記にはこの漢字を当てはめるとは限らないのだけどね。

祐子●カタカナの場合もありますよね。

天気●カタカナが一般的ですよね。あとこの句の「ねむれ巴芹」までは金子光晴の『ねむれ巴里』なんですよね。「芹」を「里」に変えれば。だから『ねむれ巴里』とか「中原道夫」を入れ込んでいるというところに知的な遊びがある感じがするのかもね。自解になっちゃうけれども。

祐子●なるほど。そっか、そういうことなのかな。

天気●他の句に比べて知的な処理が多いですよ。

祐子●そうなんですね。あともう一つ女教皇のカードはスピリチュアルな感じもあるんです。知的なんですけど言語化できないみたいなところも含まれている。ここからは占いというより私の感想ですが、この句にはちょっとふわっとした不思議なイメージがあると思うので、そこに女教皇の感じがある気がします。三枚目のペンタクルのキングは「上がり」のカードなんです。キングはそのスートの一番最後のカードなので、一旦の結果となるカード。ペンタクルは現実的な利益などを表すので、このパセリがどんどん育ってゆく暗示、水がすごくゆきわたっているのかなって。

一同●あははははは。

天気●雨が降って?

祐子●雨が降っているのかどうかはわからないですけど。

天気●まぁ、二通り考えられるよね。一つは台所で食べる前のパセリを水で洗っている。

うさぎ●植えてあるパセリだとは思わなかったなぁ。

星一郎●僕も使う前に洗っているのかなって思った。

天気●じゃないと畑でねむることになっちゃうからね。

祐子●あ、あの、植木鉢とか。

天気●なるほど。プランター。どっちにしろ食べる手前だね。

祐子●キッチンにパセリの植木鉢があってそれがよく育っちゃったとか。

天気●あはははは。それが3枚目のカードってこと。

祐子●はい。私はこのペンタクルのキングが育ち感を出しているのかなって。

うさぎ●そうすると、寝る子は育つ的な。

祐子●うん、そうじゃないかなって思っちゃった。でも、ちょっと詩的な解釈とは言えないかもしれないけれど。あと、キングは最後のカードなので「結果」の状態と考えると、このパセリはふさっとしている。小さくちょぼちょぼ生えているのではなくて、今ちょうど食べ時ですよという頃合いなのかなって。

天気●美味しそうですよね。パセリが好きなんですよ、僕。残しているのって意外だなって。パセリって美味しいじゃないですか。

祐子●少し深読み過ぎるかもしれないのですが、魔術師のカードが出ているのでちゃんと設備が整っているところで育てている感じがします。例えばペヤングソース焼きそばを食べ終わったあとの容器に土を入れて育てているとかじゃなくて。

天気●あー、話がどこにいくのかと思った。ちゃんとした、ちょっとおしゃれな、ね。

祐子●おしゃれかどうかは分からないのですけど、相応しい道具というんですかね。植木鉢なりに植えられているのかなと思います。ところで、なにか質問とかありますか?

天気●質問って言われても(笑)。

祐子●例えば、このカードの意味ってなに? とかあれば。

天気●二枚目のカードってなんでしたっけ。

祐子●これは「女教皇」というカードです。私もこのカードはいつもどう読もうかなって思うカードなんですけれど。タロットカードの大アルカナは0から始まって22で終わるのですが、人の成長と同じような流れなのですよ。だから0は生まれたばかりの赤ちゃん。次の1はこれから歩き始めますよみたいな感じ。

天気●0から22なの?

祐子●はい。大アルカナは。

天気●あ、これは1と2が出たわけ?

祐子●そうです。

天気●すごい。僕は1から3くらいまでしかないのかと思っていた。あ、じゃあ23枚のうちの1と2が出たんだ。

星一郎●へーー。

祐子●だから成長の段階という感じがします。

うさぎ●ほーーー。

天気●「始まる」という感じですよね。なおかつ、魔術師で準備が整っていると。

うさぎ●良い環境で育っているってことなのかな。

祐子●女教皇は「知識」とか「知性」のカードなので、人間の成長でいうなら言葉を覚えはじめるとかそんなタイミングかなと思います。タロットカードの大アルカナは0の愚者から始まって21の世界でお終いですが、これは、人がこの世に生れ落ちていろいろな経験をしながら成長してゆくという物語になっていて、21まできたらまた0に戻る。これを何回も繰り返します。占いではこのサイクルは螺旋状に繋がっていると考えられているので、同じテーマが巡ってくるけれども、受け取る場所の階層は毎回違うという考え方。小アルカナも「1」から始まって「キング」で終わり。キングまできたらまた1に戻って、それを繰り返します。占いではだいたいこんな考え方をしています。

天気●そう聞くと、寝顔もわりとイノセントなというか。大人にせよ子どもにせよ無邪気な寝顔に見えてきますよね。

祐子●ですね。「汝よ」ってことは「誰か」ですよね。

天気●うん。「あなた」ですよね。ま、実際には文字数をどうするかということがあったんですけどね。「ねむれ巴里」というところから作り始めたから。

祐子●カードから見ると、この寝ている人はまだ若い、若いというか幼い。それは生物的に幼いのか精神的に幼いのかはわからないけれど、いずれにせよまだ幼い感じがします。私はペンタクルのキングはもりもり茂っているパセリのことかなと思って、魔術師と女教皇はねむっている人のことを示しているのかなと思いました。

天気●ねむっている人は始まりだけどパセリは完成しているってこと?

うさぎ●成長のはじまり?

祐子●はい。もしかしたらロマンティック過ぎる解釈かもしれませんが、水がゆきわたってパセリが大きく育ったように、ねむっている人にもこれから大きく成長してほしい。そういう願いみたいなもの。

うさぎ●じゃあ、祝福の感じかな。

祐子●そうです。そうです。

天気●祝福の感じはすごく嬉しい。「汝」に対して安心して眠りなさいという。それは嬉しいですね。

うさぎ●なんかララバイみたいですね。子守唄みたいな。

星一郎●この句は充実している感じがします。準備のカードもあるし。

祐子●ですよね。私もそう思います。

天気●準備から最後まで。

祐子●そういうカードがでています。

うさぎ●なんだろうな、俳句を鑑賞するときにいろいろな鑑賞のやり方があるのだけれども、タロットに頼る、頼ると言うと少し違うけれど、タロットで出たカードを読み取ってみて、一瞬自分を無にしてみる。そうすると思わぬ読みにたどり着くねっていうのもやり方の一つとして面白いかも。

祐子●私もそこがちょっと面白いかなと思っていて。俳句を読んで自分が感じたこととは全然違うカードが出ちゃうことがよくあるんです。でも占いって自分がほしい答えを求めてしまうと占いをする意味があまりない。出たカードはなるべくそのまま読むことがいいというのが私の占いに対する考え方です。タロットカードの意味は象徴なのでいろいろな解釈ができるし、解釈の幅は広いのだけど、ハッピーなカードはハッピーに読むし、厳しいカードは厳しく読む。そうしないとあまり当たらない気がします。まぁ、俳句を占って当たるってどういうこと? というのはありますが……。

天気●無理に引き寄せたりはしないってことですね。

祐子●そうじゃないと占う意味がないなって、私はそう考えています。

天気●僕がひとつ思ったのはね、言葉はまだ鳴ってなくて、器、器というか楽器みたいな感じに存在していて、カードを並べることによって、そこから初めて音が出て鳴り響くみたいなね。読者の中でね。とくに俳句なんかそうだと思うのだけど、文字が書かれていて意味はわかる、だけど言葉はまだ鳴っていないということがある。でも、鳴り尽くしている句っていうのは言い過ぎていると言われたりすることがあるじゃないですか。

祐子●鳴り尽くしているというのはどういうことですか?

天気●そこでもう言い尽くされている。

祐子●多くの人に鑑賞し尽くされているということですか?

うさぎ●その俳句自体が自己完結している。

天気●そう、書き尽くされているというかね。

祐子●説明が多い句ということですか?

天気●説明というか明瞭。

うさぎ●余韻、というか余白がないということかな。

天気●句会などで、ここまで俳句で言ってしまうことが良いかどうかという意見がでることがあって、鳴り尽くしている句はあまり良い句とはされないことが多いのだけど、分かりやすい句でもまだもっと鳴りそうな句というのがあって、そういう句は人に印象を残しますよね。

祐子●なるほど。

天気●いや、わかんないですけど。ふふふふふ。

祐子●ふふふふ。

天気●例えば虚子の分かりやすい句にしても全部すごく明瞭で十人いれば十人に同じことが伝わるけれど、まだ鳴り切っていないというようなことがあるのかな、とか。どうなんですかね。

祐子●こういうことやるのは今回が初めてなので。

天気●はじめてなの? え、どういうこと、どういうこと。でも俳句は占っているんでしょ?

祐子●俳句は占っていましたけれど、今まではひっそりと自分一人で占っていました。

天気●あー、セッションが初めて。

祐子●はい。

天気●そう、でもそれはいいかも。聞き手がいるっていうのが。

祐子●ずっと一人で占っていたんですけど、セッションでやってみたいなって思い始めて。それで、今回お願いしました。

天気●それ、意味があるかも。

祐子●え?! 意味がありますか?

天気●だって、一人の読みよりも聞いている人、タロットの岸田さんの説明を聞いている人があるというのはすごく意味があると思う。

祐子●よかった。

天気●ここに集まった三人もみんな違うことを思うだろうし。

うさぎ●うん。

祐子●やっぱり、いろいろな方に来ていただいて良かった。なんとなく二人っきりでやるより他に人がいてくれた方がいいかなとは思っていたんですけど。

天気●それはいいと思う。作者と岸田さんだけだと作者はどうしても自解になるから言いにくいところあるしね。でもこの句は引用元を言いたくなるようなところがあるから、言っちゃうけどね。

祐子●解説?

天気●解説というか、ここはこういう風に仕掛けたんですよって。この句は仕掛けの多い句だからね。

祐子●「ねむれ巴里」のところですよね。

天気●「ねむれ巴里」から作り始めて、「ねむれ」で切りたかった。そうするならどうしたらいいかってなって、上にも文字をつけて、巴里ではないものを探したら巴芹ぐらいしかなかった。それで巴芹となった。

祐子●あ、だとしたら、カードに照らし合わせると二枚目の大アルカナと三枚目の小アルカナの間が「切れ」だということになりませんか。ちょっと無理矢理かな。

天気●おー。

うさぎ●へー。

星一郎●確かに。

祐子●一枚目と二枚目は「1」と「2」で続きの番号できているし、そもそもこの二枚は大アルカナなので、小アルカナとは分類が違うし。大アルカナと小アルカナの間に切れが入っているのかも。大アルカナの方は小アルカナより大きな時間軸なのかもしれない。

天気●大アルカナの二枚を一組で考えるというのは面白いかもね。この句は意味的には「汝よねむれ」で切れて「巴芹に」と続くわけだけど、作り方の仕掛けとしては『ねむれ巴里』があるから「ねむれ巴芹に」までが一つというね。「水のゆきわたる」は後で意味が通じるように付けたぐらいのあれだからね。そういう意味でも外観上の切れと作る時の手順の切れが違うという句だよね。

祐子●今回、初めて俳句の「切れ」をタロットカードが示すのを見ました。

一同●あははははははは

祐子●天気さんの話を聞きながらカードを見ていたら、カードでこんなふうに「切れ」が現れるのかって思いました。こういうことを見つけると占いって当たるなって思っちゃう。当たるっていうか、まぁ、妄想なんですけど。

うさぎ●なんか納得するというか、合点しちゃうというか?

祐子●はい。占いのこういうところが楽しいです。

うさぎ●これ、大アルカナの1と2で始まって、小アルカナではキングが出て、キングが「終わり」っていうのがちょっと面白いなと思って。

祐子●そうですね。大アルカナの方は「汝よねむれ」と言われている方の人生というか、長い時間というようなことを表している気がします。大アルカナは人の人生を表していると私は思っていて、小アルカナはもうすこし具体的なことというのかな、身近なところを細かく見てゆくというカードなので、そこにも「切れ」がある。

うさぎ●うんうん。

祐子●「水がゆきわたる」というのは具体的な感じがします。「汝よねむれ」も具体的なことだとは思いますがイメージ的なところもあるので、「水がゆきわたる」は具体的なことを示す小アルカナっぽさがあるなと思いました。ちょっと無理矢理な解釈かなぁ。

天気●まぁ、「汝よねむれ」はムードだものね。

祐子●ムードがありますよね。あと、一晩だけではなくて、そこから繋がってゆく時間、来年も再来年も十年後もずっとという長い時間を感じました。「汝よ」と言われている人の人生はこれから始まるんだよというのが二枚の大アルカナで示されているのかなって。えへへ。

うさぎ●なるほど、面白いね。

祐子●もちろん、この解釈が正解ですというようなことでは全然ないです。

星一郎●なんか、新しい読み方みたいな感じですね。

祐子●ね。「ね」って言っちゃった。

◆

さて、次は、細村星一郎さんの句です。「放蕩」10句から、次の句です

放蕩のわたしに水の汽車が来る  細村星一郎

出たカードは、次の3枚。

1枚目「ワンドの2」・2枚目「カップのペイジ」・3枚目「ソードのナイト」


うさぎ●あら、みんなかっこいい猫たち!

天気●小アルカナだけが出たということ?

祐子●はい。今回は全部小アルカナです。

うさぎ●ローマ数字じゃなくてアラビア数字のカードもあるんだね。

祐子●えっと、二枚目と三枚目のカードは小アルカナの中でもコートカードとか人物カードと呼ばれていて、ペイジは小姓のことです。ペイジの他はナイト、クイーン、キング。小アルカナは1から10までの番号のカードと四種類のコートカードからできています。ワンドの管轄は情熱とか勢いとか。カップは気持ち、情緒、感情。ソードは知性や決断です。今回、私が最初に思ったのは、水という文字がある俳句にカップのカードが出てきたってところですね。

一同●ほーーー。

祐子●カップは水を表しますし、カップのペイジに描かれている絵を詳しくみると、背景に海もあります。まずそこがこの俳句にある「水」とリンクしているなって思いました。あと、ワンドの2ですがこのカードはちょっと立ち止まる感じがあるんですよね。かなりざっくり言ってしまうと、タロットカードの数字は奇数が動く、偶数は止まるとして考えることが多いです。ナイトは騎士で、肉体的に一番充実している時期の男性が描かれているカードなので壮年期の人、活動的というイメージです。カードを見て「放蕩のわたしに」というところに少し立ち止まった印象があるように感じました。ワンドの2はちょっと迷っているというカードなので、「放蕩しているわたし」は小さな迷いを持っている人なのかなと思いました。

うさぎ●ほーー。

祐子●水は占いでは気持ちや情緒を表します。ペイジは少年でまだ成熟していない。だから気持ちのコントロールが危ういとかそんな感じがあるんじゃないかなって。私がそう思ったってだけですけど。言い換えれば、無垢とか純粋な人とも言えるので、出てきたカードから考えると「放蕩のわたし」は若い人なのかなって思います。作中主体が誰なのかはわかりませんが、作者を知っていることもあって若い人なのかなって。でも、それを抜きにしてもわりと若い人なんじゃないかな。十代か二十代の前半くらいまでの感じ。「水の汽車」というのがどういう汽車なのかがよくわからないのだけど……。

天気●ちょっといいね、「水の汽車」って。いいよね。

祐子●カードから考えると、気持ちや感情のイメージとしての汽車なのかなっていう気がします。水の上を走ってくる汽車とかいうのではなくて。

天気●機関車って水を積んでいるからね。

祐子●えっ、そうなんですか。

うさぎ●機関車って石炭を燃やすのではないの?

天気●石炭を燃やした熱で水を沸騰させて、水蒸気の力で走る。水のタンクを積んでる。「水の汽車」という言葉には、機能的なこととイメージ的なことの両方があるね。

祐子●ソードは考えとか知性を管轄するので、考えながら放蕩しているという感じもあります。

うさぎ●この句自体が知的な作りっていうのがあると思うので、そうなるとソードはこの句自体を表しているのかなって。ちょっと思ったり。

天気●あとちょっと嫌味っぽくなっちゃうけど、「放蕩」っていう言葉は放蕩をしたことがない人が使いたがる気がするよね。

星一郎●へへへへへ。

うさぎ●あははは。なるほど。

天気●本当に放蕩をした人がつくる句ではないようなね。

うさぎ●「放蕩」というと「とうじん」っていうかね。

祐子●「とうじん」って?

うさぎ●放蕩の蕩に尽すで「蕩尽」。使い尽すとか溢れるとか、そこも水っぽいイメージがあるのかなあ。

祐子●出てきたカードは少し矛盾があって。ワンドの2は立ち止まるとか一旦考えるという意味なのだけど、ソードのナイトは動いているカードなのですよね。

うさぎ●矛盾を孕んでいるんだ。

祐子●矛盾というか、反対の要素のカードが出ています。うーん、例えば気持ちは止まっているのだけれど体は動いているとか読めばいいのかな?

天気●ワンドの2のカードで「放蕩のわたし」が立ち止まっているとするなら、対応していますよ。

うさぎ●「汽車が来る」のだもの。

祐子●あーーーーっ、汽車!!! かっ!!

天気●うん。「汽車が来る」ってね。

星一郎●この句の後半は動きがある。

天気●この句は「来る」がいいよね。「行く」じゃなくてね。

祐子●あと、汽車って、まぁゆっくり走る場合もあるかもしれませんが、基本的にはスピードがあるものなのでそこにもナイトの感じがあります。

天気●あのね、馬上と汽車は視線の高さがと同じなの。

祐子●ええっ!

天気●昔はある程度身分のが上の人だけが体験できた視線の高さを一般大衆が経験できる、汽車にはそういう意味があるんだよね。馬にのってその視点から景色を見ることができる人っていうのは、位が上の人じゃないですか。一般大衆ではないよね。汽車っていうのは大衆が上流階級の視点を体験できるという捉え方。そういう捉え方をしたら面白いよね。

うさぎ●ほーーーーう。

祐子●だから馬に乗っているんだ!

星一郎●馬も象徴的な感じですね。

天気●馬と汽車はすごく対応する。

祐子●やっぱりこのソードのナイトは汽車を表してるのかもしれないですね。

天気●視線の高さという意味で汽車と馬はイコール。

祐子●汽車にそんな意味があるなんて全然知らなかった。

天気●そこは僕の解釈ではなくて、むかし記号論とかの本で読んだ。発明や新しい事物というものはいろいろなものを大衆化するじゃないですか、塔や気球は神の視座の大衆化だし。

うさぎ●「水の汽車」というのはソードのナイトに対応しているのね。

天気●すごく合ってる。

祐子●ばっちり出ましたね。なんか嬉しい。

うさぎ●「放蕩」というのも情熱がないとできないしね。

天気●あはははは。逆のような気もするな。放蕩息子に情熱があるとは思えない。
裏腹もあるかもしれないけどね。

祐子●ワンドは冒険でもいいかなと思います。ワンドって、わりと能動的なんですよね。

天気●「ワンド」ってどういう意味なの?

祐子●棒。

天気●棒? あっ、杖か。

うさぎ●魔術師の杖というか?

天気●魔術師とは限らないんじゃないの。

祐子●うん、魔術師は関係ないです。

うさぎ●あ、そっか。魔術師はさっきの句に出てきたんでしたっけね。

祐子●星占いでワンドに対応しているのは火のエレメンツです。火の管轄は情熱とか冒険とか、あと戦いとか。なんていうのかな、ガツガツしてる感じです。

うさぎ●ガツガツしている、まさしく放蕩。

祐子●放蕩ってガツガツしているのかなぁ。

うさぎ●ガツガツだよー。

天気●放蕩のイメージがすごくまちまちだ。人によって全然違う。

うさぎ●放蕩、放蕩、放蕩息子。

天気●放蕩って女性に使う?

うさぎ●放蕩娘とは言わないね。

祐子●そういえば言わないですね。

天気●放蕩は女性性と結びつかないね。

祐子●放蕩ってもともとはどんな意味ですか?

天気●放蕩息子を一番わかりやすく言えば、親のお金を遊びで使い果たしちゃう。

うさぎ●身上潰しちゃうとかね。

祐子●そっかー、でも情熱がこの句にどう繋がるのかがよくわからないなぁ。

星一郎●真ん中のカードのカップのペイジにある「精神的な幼さ」っていうのは「放蕩」に少し関係ありませんか。そして情熱にも関係していて、どっちにもかかっている。

天気●あと、カップのペイジは「わたし」という一人称にもかかってくるよね。自意識っていうかね。だからすごく対応している。

祐子●ペイジには幼いというイメージの他にフレッシュとか無垢、純粋というようなイメージもあります。

天気●そういうイメージに「わたし」という一人称が結びつくよね。

祐子●ぴったりですね。

天気●あとは「放蕩」と「棒」か。

星一郎●なんか、おもしろいですね。

天気●うーーーん。でも、放蕩と棒ってイメージ的に結びつかないわけじゃないよ。

祐子●結びつきますか?

天気●うん、僕は結びつく。ところで、「棒」ってなんなんだろうね。

祐子●棒は、真っ直ぐで投げればぴゅーっと行くというイメージがあるので「勢い」とか「パッション」と解釈しています。

天気●このカードの人は何のために棒を持っているの?

祐子●何のために棒をもっているか。うーーーん、それは考えたことがなかった。

天気●なぜ持っているかは関係なくてただ棒のカードということなんだ。

祐子●そう思ってました。小アルカナは棒とカップとペンタクルとソードという四つのものからできているっていう以外に考えたことなかった。

天気●棒はなんのエレメンツなんだっけ?

祐子●棒は火のエレメンツです。

天気●あ、なるほどねー。

祐子●世界はこの四つのエレメンツからできているってことになっています。

天気●じゃあ、「放蕩」「蕩尽」に結びつくじゃないですか。「蕩尽」の一つの方法って火にくべるんですよ。

祐子●え? なになになに?

天気●「ポトラッチ」ってありますよね。

うさぎ●あっ。

祐子●ポトラッチってなに?

うさぎ●贈り物し合うことよ。二つの部族がお互いに競い合って贈り物をし合うの。

天気●贈り物もあるんだけど、火に放り込んじゃうんですよ。どちらがより大切なものを火に放り込めるかで勝負が決まるの。

祐子●自分の一番大切なものを燃やせることが強いっていうことですか? それが放蕩?

天気●それが蕩尽。マルセル・モースの贈与論とかの世界ですね。

祐子●へーっ。

天気●だから、気持ち悪いくらいに関連付けはできた。

うさぎ●ふふふ、天気さんもタロットにはまるかも。

天気●ふふふ、はまらないけど。タロットで俳句を占う時は知識のジャンルが違う人に来てもらうのがいいかも。僕は社会科学系、うさぎさんは外国語系。

うさぎ●外国語に詳しくないよぉ。

天気●ああ、すっきりした。放蕩と火はリンクしている。

うさぎ●そして、火と水っていうのがまた対照的よね。

天気●そうだよね。「水の汽車」が来るってね。

祐子●あと、ペンタクルが出ていないというのがひとつの鍵かなって気がします。この句って実のあることが何もない感じなんですよ。ちょっと言い方がよくないですが。

星一郎●いや、わかりますよ。イメージの世界というか。

祐子●「物が出来上がりました」とかそういうことがなにもなくて。ペンタクルは現実的成果のカードなので、出なかったということがこの句にあってる気がします。

うさぎ●ちゃんと反映されてるね。

祐子●あ、あの、成果がないというのは悪い意味で使ったわけではなくて、イメージっていうのもネガティブな意味ではないです。

星一郎●あ、はいはい。実態としては詠んでいないという。

祐子●えっと、俳句をどういう風に作っているかということではなくて。汽車は来るけどその後どうなるのかは何も言われていないっていうか。「来た汽車は西国分寺まで行きます」みたいなことが何もわからないという意味で、この句の中には現実的な成果といえるようなものがないなって。だけど、気持ちや知性、情熱みたいなものはギュッって詰まっていて、そこが面白いです。ペンタクルは出てこないんだねぇって。

天気●余談の冗談だけど、消しに来たんじゃないの。水で。

星一郎●火を?

うさぎ●そんな感じもちょっとあるよね。水の汽車が来るってね。

天気●タロットと俳句がクロスしている。

祐子●三枚目のカードから見ていくと汽車は右側からやって来る感じがありますね。

うさぎ●そうね。絵柄的にも左側に向かって進んでいる感じがあるね。

星一郎●馬が左側を向いてますもんね。

うさぎ●他のカードの人もみんな左側を向いているよ。

天気●カードの並びや絵柄の右左は偶然だけど偶然を楽しむ遊びなんだよね。解釈もね。

祐子●そうです、そうです。偶然を楽しみます。

うさぎ●おもしろいね。

祐子●あと、タロット占いはカードの持つ意味も大切ですけど、どんなものが描かれているのか絵をよく見るということも大切と言われています。どっちを向いているのかとか、背景に何があるのかとか。

天気●カードの色が赤と青。火と水だよね。

祐子●わ、わ、わ、ほんとだ。ワンドの2が赤い服でカップのペイジは青い服。「気持ち」という点では、私はこの句に暗さや不安はほとんど感じないのだけど、句全体としては少しざわざわした印象を持ったんです。暗さや不安が控えめなのはペイジの背景にいるイルカが可愛いからかなって思ったりして。でも、海は波が立っていてそこには少しざわざわの感じがあるし、ナイトの背景の雲が紫色なのもちょっとざわざわした感じがする気がします。

うさぎ●これはなに? ワンドの2の床にある染みみたいなもの。

祐子●えー、なんだろ? 影?

うさぎ●水の染みみたいにも見えるね。

天気●それ、おもしろいね。思わせぶりなこといっぱいでてくるね。

星一郎●赤と青を混ぜたら紫。

うさぎ●そうだーーーー。

星一郎●絵具だったらそうなりますよね。

祐子●紫って水の色っぽい感じがしますね。あ、汽車と黒い馬も。

うさぎ●そうだよね。

祐子●汽車は黒い気がしますね。電車ではなくて汽車ってところが。

うさぎ●汽車っぽい。黒い、黒い。

祐子●やっぱり占いって当たるね。

一同●あははははは。

天気●解釈とかもセッションでするのがいいみたいだね。

うさぎ●ね、みんなで考えて。

祐子●ねー、おもしろい。ありがとうございます。

星一郎●いや、なんかおもしろかったです。あと、占いっていうか、別に狙ったわけじゃないんですけど、なんか今日占った句は形が似ていますね。

天気●水が多かったね。

星一郎●「に水の」が二句に共通。

うさぎ●ほんとうだ!

天気●「眠れ」と「放蕩の」というのは観念の捉え方ってところが似ているし。

祐子●どっちの句もふわってしてますよね。



〔後記:西原天気〕

俳句には偶然の要素が少なくない。語を選び、並べているうち、思いもよらなかったかたちになることもあって、自分の操作の外側から何かが訪れて、一句をもたらした格好です。

偶然は、〈読み〉にもあっていいのではないか、と、うすうす思っています。読解というとおおかたがコントロールされた状態にも見えますが、思わぬ方向から〈読み筋〉が到来することもあるのではないか。

今回、3枚のタロットカードが、私たちの〈読み〉とは別の場所から、新たな〈読み筋〉をもたらしてくれたのかどうか。判断は読者諸氏に委ねますが、参加者の一人として、《タロット占い×俳句》のセッションをじゅうぶんに愉しみました。