2024-02-04

小笠原鳥類 イベント「今、日本語の詩を書くこと」記録

イベント「今、日本語の詩を書くこと」記録

小笠原鳥類


佐藤文香詩集『渡す手』/句集『こゑは消えるのに』、佐峰存詩集『雲の名前』刊行記念イベント「今、日本語の詩を書くこと」(2024年2月3日土曜日、西荻窪・今野書店)、佐藤文香・佐峰存・岡本啓のトークをZoomで聞いて、思ったことを書きます。私が間違っているところがないと、いいと思います。変なところがあったら急いでメモをしていた私が悪いです。3人は他のこともたくさん話していたので、大事なことが欠落しているのかもしれません。


アメリカにいた時期がある人たちである、という話から。他のところにいたから、日本語の詩について、わかること。
佐峰「作品と作者は切り離したい。だが作品だけではわからないことが、作者と会うとわかる」
佐藤「作品と作者を切り離さず、自分のことを書く、という流れがある。リーディングの声で、内容より、わかること」
作品と作者を切り離すような文学理論を書く人と会うと、細かい理論を組み立てる仕事の人のおもしろさがあったりします。人間ではないものの背後に、それをしっかり作っている人間がいる。

アメリカには虫の声が少ない、という話。
岡本「アメリカには、見たままを提出する詩がない。物語の意味、主張がある。日本の俳句は、そのままでいいんだ、という提出(という主張)。もっと長い日本の詩も、いろいろなものを並べて書いていて、アメリカの人から〈長い長い俳句じゃないか〉と言われる。日本の詩は俳句に支えられている。論理的な意味づけをしなくても成立する」
西脇順三郎や吉岡実も、書いたものは、すべて俳句だと思います。ジャンルをムリに分けなくていいです。でも私は575では書かない。音の数を数えるのが面倒。

アメリカで書かれている〈俳文〉の人気の話。
佐藤「アメリカでは芭蕉、蕪村、一茶が(禅とともに)読まれて、そのあとの近現代俳句は…」

佐藤「ケルアックが俳句らしい俳句を書いている。短くて、日本語の俳句と同じくらいの情報量」

佐藤「佐峰詩集の題名『雲の名前』。雲は、どこからどこまでが雲か、わかりにくいもの。この詩集も、そうである。どう名付けるか」
賢治の詩で、ひらがなで〈くも〉と書かれていて、雲でも蜘蛛でも意味が通るところがあったと思います。朗読批判で〈同じ音の単語が多いから、そこの意味がわからない〉がありえますが、そこに可能性がある。
佐藤「佐峰詩集は天国っぽい。この地平にはない。でも、見えているものは地球のもの」
最近、キジが予想していなかったスピードで飛んでいるのを近所で見て、ここはどこなのだと思いました。
佐藤「詩を読んでいて、そこに季節があると、とっかかりになる。季節がわからないと…」
岡本「現代詩と俳句の分かれ道?」
ムリに分かれなくていいです。私は俳句歳時記を少し集めているので、季節、いいなあ、と思います。でも、なぜだろう。鳥の図鑑も集めていて、鳥が季節とともにあるから?
佐峰「〈私〉の捉え方。人種や生まれた所や文化などの属性によって見られる〈可分な私〉と、1人1人が別で平等な〈不可分な私〉が、とっくみあっている」
私は自分が(現代)詩人であると言うのが、つらい時があって、他の人とは全然違う、小笠原鳥類というものでありたい。どうすれば別のものになれるか、そこで自分が書いたものを誰が読むのか。別のものになりすぎることの恐怖(の、おもしろさ)。
佐藤「佐峰詩集の〈よく燃えるよ〉の〈よ〉のような終助詞が、ほっとする。具体的で、とっかかりになった」
松山の白塩 言語神変だよ(閑吟集は現代詩集?)
佐峰「実感を伴ったものを書く。体の中で感じ取ったものを書いたら、通常の日本語とは違った感覚に」
今の学校や辞典や新聞のような〈正しい〉日本語は、これでいいのだろうか。生きることから離れてしまった、〈通常の〉言葉? 詩が新しい、生きる言葉を作る?
佐峰「意図ではなく、結果、出てくるもの」
こういうものを書くのだと最初から決めず、書いたものが、予想を超えて、大事なものになってきた。
佐峰「詩の題名の〈頬の季節〉は、4つの季節のどれか、と区分されるのではなくて、自分の中で、ほっぺたで感じる季節」
角川文庫の分冊の歳時記に新しい1冊(そして、何冊も何冊も)? 新しい季節、おもしろいです。
佐藤「自分は読書家ではなくて、勉強したというより、野原で定型詩に触れてきた」
野原、と聞こえたのですが、違っていたら、すみません。
岡本「英語からの影響。アメリカだけ読んでいていいのか。いろんな国のものが同時代的に日本に届いていない。現代詩手帖でもっと特集を」
俳句雑誌や短歌雑誌で詩の特集があったら、おもしろいだろうなあ。しっかり書きますよ。
佐峰「英語と日本語の感触の違い。英語は小石を並べて、日本語は粘土」
中間にフランス語があるのかなあと思っていました。英語よりも平坦な発音で、1つ1つの音を粘土のように繫げていくようで、でもアルファベットの乾いた形でもある。
佐藤「ファーマーズマーケットは音が10個で俳句で使いづらいので、アルファベットでFarmer’s Marketと俳句で書いて5個くらいで発音できるようにした」
音の数を数えるのが私は苦手で、俳句のおもしろさは別のところにあると思ってしまっています。音の数とは別の、言葉の出現のおもしろさ。

0 comments: