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2025-09-14

小笠原鳥類 俳句の人が詩の人

俳句の人が詩の人

小笠原鳥類


高橋修宏『鈴木六林男の百句』(ふらんす堂、2023)を読んで、「週刊俳句」第860号(2023年10月15日)に書いていました。「深夜音楽」


高橋さんの新しい詩集『Echo Island』(思潮社、2025)を読んで、小笠原鳥類のnote(2025年9月3日)に書いていました。「「海鳥の羽撃きでもない」(51ページ)のであれば陸の鳥だ」


高橋さんの詩集『水の中の羊』(草子舎、2004)を読みます。動物がいるところから「」数字はページ

「テレビが入っていたのか

キャベツが入っていたのか

鶏の卵が入っていたのか」8

アンモナイトを(うぐいすが)見つけるのだと木と蟬のように、麗しい・驚く・昆布。

「水を飲む犬の舌でもない」12

動物が柿をペンギンになりたいと思いながら〈ここ〉である。

「その果実をついばむ

小鳥たちのように

うしなって うしなって うしなって」22

繰り返すと、別のものになります。牛に変身する牛に変身する牛に変身

「きみの中の羊たちは

清潔な水の匂いを好み

水底の透明な学校を好み」68、69

バウムクーヘンを持って来ている畳に知らない。スポーツも、いいものだ

「葉裏で羽を休めているシジミチョウも

わたしも わたしの中のバクテリアも」76

砂、窓、行っているハト、きくらげ(喜んでいるドロドロ)きくらげ、鱏

「灰色の碗はカブトムシを隠し持つ器」83

壁を見ている恐竜はアライグマがいいと言う演奏だ。いい靴だ

「(わたくし わたつみ わたりがに)

  (わたくし わたつみ わたりがに)」94

豆腐を、こんにちは

2025-08-10

小笠原鳥類〔お知らせ〕次の本『図鑑』

〔お知らせ〕
次の本『図鑑』

小笠原鳥類


小笠原鳥類の次の本、『図鑑』(ライトバース出版)を、作りたいと思っています。絵を描いて、詩を書いています。今までの私の本(言葉が多くて、絵は少なかったり、なかったり)とは、違う本です。帯文は、小説家の長野まゆみさんです。クラウドファンディングが、はじまっています。


この『図鑑』では、現実に海にいる生きものの名前を書いてはいますが、現実にはいない(と思う)生きものを描いて、詩を書いています。こどものころから図鑑を見て、生きものの絵を描いていて(あまり、こどものころから、描く絵が変わっていません)、しかし、現実の生きものを描いてはいない……

絵を見て、何が描かれているのか?と思って、説明であるのかな、と言葉(題名と詩)を読んでも、説明ではなくて、いよいよ謎になっていく――生きている本であると、いいと思っています。

俳句と写真の、歳時記のような図鑑の本を集めています(そして私も、詩の図鑑のような本を)。1冊、復本一郎(監修)『俳句の魚菜図鑑』(柏書房、2006)のホウボウについて、「週刊俳句」で2年前(第850号、2023年8月6日)、書いていました。「胸びれ」


次の私の本『図鑑』では、「ほうぼう」という題名の絵と詩(「胸びれ」とは、違うものです)も、あると思います。クラウドファンディングにご協力を、よろしくおねがいいたします。

2025-07-13

「北の文学」について 小笠原鳥類

「北の文学」について

小笠原鳥類


「北の文学」第90号(岩手日報社、2025年7月)が、できました。表紙で「岩手の総合文芸誌~新人作家の発掘・育成~」と言っています。

この号に収録されている、朝比奈信次「あんずの〈アコーディオン〉」(188~225ページ)は、「小説」であるそうです。私は、あまり小説だ詩だ短歌だ俳句だ川柳だエッセイだ評論だ図鑑だ科学論文だと分けないで読むのですが。いいものは、みんな詩。

朝比奈さんが、小笠原鳥類が書いた言葉を、いくつか引用していて、題名と、どの本・雑誌・ブログにあったか、ということも書いています(「引用作品および参考文献」224~225ページ)。ありがとうございます。

「週刊俳句」第920号(2024年12月8日)に書いた文章「「まいたけてんぷら」など」からの引用も、ありました。佐藤文香詩集『メッキを剝ぐと稲妻は腐る』(走鳥堂、2024)を読んで書いた文章でした。

朝比奈さんは、私の文章から、「」の中の佐藤さんの言葉は引用していないです(題名にあった「まいたけてんぷら」だけは例外)。念のため。少し、朝比奈さんの言葉を引用すると

「テーブルと、バウムクーヘンのような円形のイラストが紙の余白にあり、タラのような魚やシーラカンスらしい絵もあった。」218ページ

よろしくおねがいいたします。

2025-06-15

ムクドリ収納  小笠原鳥類

ムクドリ収納

小笠原鳥類


鳥と俳句の本を集めています。上田恵介(鳥監修)、ねもときょうこ(絵)『読んで楽しむ 野鳥の事典』(成美堂出版、2025)は、175種の鳥の絵と解説の文、鳥がいる俳句、短歌、それから詩や随筆や童話の一部分など。俳句を選んで書きます(〔 〕ルビ、数字はページ)

とび下りて弾みやまずよ寒雀〔かんすずめ〕 川端茅舎」11
ゴムである透明なスポーツを、テニスのように畳の上に広げる。ヒトデの喜びのようなものだ

あれ程の椋鳥〔むく〕をさまりし一樹かな 松根東洋城」25
映画で見なかったサメや、建物で花だと言っているカワウソのような友達が、キツツキを思い出して来る

口あけて屋根迄〔まで〕来るや烏の子 正岡子規」30
宇宙がコアラのようになると動物が象のように言うのかもしれない。そのときに豆腐がエビと妖怪だ

雉子〔きじ〕おりて長き尾をひく岩の上 村上鬼城」56
トカゲが、アメーバと、形だ。金属について何も知らないのでもない柿とトマトを食べるアザラシが、しきる。

木菟〔みみずく〕や上手に眠る竿の先 小林一茶」88
電気を出すウナギや、壁に飾られていないイグアナのような、ものが、動きながら蝶だ蝶だ、遠い楽器である

水底を見て来た顔の小鴨かな 内藤丈草」197
エビが、うれしかったのだと、思う。探しているフジツボが、ワニとケーキのようで、お菓子だった

永き日のにはとり柵を越えにけり 芝不器男」241
恐竜を塗ったように、棚は、料理を思い出している極端なのだろうか。新鮮な板が歩いているアライグマ?

2025-04-27

鳩 小笠原鳥類


小笠原鳥類


詩の雑誌「幻代詩アンソロジー」Vol.4(ライトバース出版、2025年4月)には、いろいろなものを書く人たちがいて、私も書いていて、そして、岡村知昭「鳩狩り」も、ありました(俳句も、ありえる雑誌です)

アンソロジー『俳コレ』(邑書林、2011)の、岡村さんの「カルシウムいっぱいの山桜かな」「折鶴のところどころの砂漠かな」に、粉があったと思います。そして、「幻代詩アンソロジー」Vol.4の「鳩狩り」の句を、いくつか読んで、思ったこと

山狩りを終えてジャムパン山笑う

公園や建物を見て、私もアライグマと同じように布なのだと、置いてあるテレビのように盛り上がって笑います

啓蟄や犬笛あげるのはやめる

ひろがっている場所が、エビや、思い出すシーラカンス(科学)であるのだと、窓から入ってきて象やタラが口を開く

たそがれや卵の殻を粉々に

ひまわり、であるのだと、イソギンチャクの化石のようになって踊りながら言う

花明り木彫りの鳩は啼きたがり

どのようなスポーツのボールが、イグアナのようにアコーディオンであるのかと、ヒレ(魚にあるもの)が透明に探しているでしょう

桜散る孔雀と鳩を間違えず

金魚が映画で、曲がっている(曲がっていない)スプーンを見ながら、グルグル泳いでいたと棚が(ピアノのように)かたく教える。やわらかい


幻代詩アンソロジー Vol.4

2025-03-16

犬がいて金魚も 小笠原鳥類

犬がいて金魚も

小笠原鳥類


2025年度日本現代詩歌文学館常設展「ペットと詩歌」(日本現代詩歌文学館、2025年3月11日~2026年3月8日、小笠原鳥類の詩もあります)、図録から俳句を「 」、そして思ったことを。

八月やなんともあかき犬の舌」(鎌倉道彦)

私は、踊っている布を思い出しているキノコたちの図鑑には、歩いている料理と〈そば〉が、乾燥して(いなくてもいいけれど)撮影されている壁だと思っています。

遠雷や腕に熱く犬の呼気」(町田無鹿)

今は、テレビを見ることが、水槽のピラニアを(銀色に)見るアザラシではないのだと、楽器を持っている人がアコーディオン(と、金魚)のように言う時代なのだろうか。

老犬の冬の記憶が晴れてゆく」(野名紅里)

建物は、バケツにいるヒトデや、青いバケツに入っている(庭の)テニスのボールのように、いい公園だ、そこにアライグマがいるようだ(ひよどり)。

冬の金魚家は安全だと思う」(越智友亮)

体操が、宇宙から来た〈みみずく〉ではないのだと、科学の雑誌には書いてあった未来かもしれないが、トンボ昆虫トンボ昆虫トンボ昆虫(トンボは恐竜ではない)。

犬らしくせよと枯野に犬放つ」(山田みづえ)

キツツキが、ロボットではないと、セミである虫は、キャベツやトカゲを思い出して言っていないとしても、ワニだワニだ。

屋根にまで犬の来てゐる雪卸」(山崎和賀流)

むかしタマネギ(と、レモン)を見て、そこにある絵を(クレヨンで)どのようにするのか、であったのだけれども翼竜を食べるイソギンチャクであるとは言わない(モズも)。

2025-01-26

新しい先生が来てピアノだ 小笠原鳥類

新しい先生が来てピアノだ

小笠原鳥類


高橋悦男編『改訂版 俳句月別歳時記』(博友社、2004。初版は1994)の、高橋悦男の句から選んで、読んで思ったこと(数字はページ。他の人の句が多くて、自分の句も選んでいる本)

「書初やまづ海と書き夢と書く」(36)

ヒトデが出てくる映画を、宇宙だと思って見ている。テレビはイソギンチャクなのだろう(シーラカンスが言った)

「潮雫風に飛ばして若布干す」(139)

アコーディオンが、お菓子のように、箱に入っている昆布と同じであると考えていた。考えている鱈、

「良きことの大方は些事柳の芽」(179)

公園は、アライグマのようなものであると、テニスのボールになりたい私は、畳の上で考えていない透明。

「分校に新教師来てピアノ鳴る」(206)

クレヨンと動物は、イグアナとペンギンだ、と、ウニのように言わないが、(おお、そして)木、

「飛んでゐるつもりで走る烏の子」(368)

そしてサメ(水面)サメ、そこにエビが、怪獣であると言っている。カンガルーは驚きが多いものだ

「かなかなや廃校跡に朝礼台」(552)

金属は、クラシック音楽のように(豆腐が、壁であると言っているケーキ)あざやかな楽譜だ・線が、数である

「尉鶲柿の木に来て栗の木へ」(668)

やわらかい骨の魚が、エイであると、みみずくのように言っていると思う。鯉が大きな魚で……

「闇汁の最も大きものすくふ」(792)

写真で見た、ワニではない、写真で見たもの。機械であるのかもしれない、アザラシと象であるのか(恐竜)恐竜

2024-12-08

「まいたけてんぷら」など 小笠原鳥類

「まいたけてんぷら」など

小笠原鳥類


佐藤文香の小詩集『メッキを剥ぐと稲妻は腐る』(走鳥堂、2024)から、いきものたちがいるところ「」
「中くらいの水槽の真鯛が顔を見せにくる。」
板を食べるチョウザメであるとは思わない恐竜だが、音を大きくする機械がなかったころのペンギンだ
「この真鯛は古代の思想を見せてくる。」
バウムクーヘンであると(テーブルの上のタラが)言いたいのに、シーラカンスやワニであると壁が言っていました
「五匹、六匹
こちとら 数えて待つしかないんだよ」
布を、建物から出てきて(出てこなくても)豆腐のように喜んで見ています。体操と健康とバリバリ食べること
「犬が出てきたな 犬は
まちがいを探している」
庭が、ハトであるような、ひろがっているテレビが、みみずくだ、みみずくであると思う。放送と、やわらかい骨のエイ
「まいたけてんぷら」
イグアナが、ふしぎだ(石を見て、箱が、言っている)。これからアコーディオンを持つんだ
「引退した馬と しずかに過ごそう
しずかに」
昆虫のように元気になりたいな、アメーバを、歌っている。時々、ボウリングが将棋のようなものだ
(それから、小笠原鳥類の新刊、評論集『現代詩が好きだ』ライトバース出版。佐藤文香小論も収録しています。2009年のアンソロジー『新撰21』からの再録)

2024-11-10

小笠原鳥類第2評論集『現代詩が好きだ』に、ご協力お願いします 小笠原鳥類

小笠原鳥類第2評論集『現代詩が好きだ』に、ご協力お願いします

小笠原鳥類


クラウドファンディングのお知らせです。

本を作っています。評論集『現代詩が好きだ』(ライトバース出版、2024、452ページ予定)。現代詩が好きなのですが、読者の数が多いとは言えず、苦しいときもありますので、なんとかしたいのです。

大学のときから、思潮社の現代詩文庫『吉岡実詩集』(1968)『続・吉岡実詩集』(1995)を、本がボロボロになるまで読んでいました(そして、筑摩書房の『吉岡実全詩集』1996)。吉岡実は、好きなことだけを書いていたと思います。ここに、この文字、この単語、この1行があると、文章が、うまく、つながらないかもしれない。でも、ここに、この文字、この単語、この1行が、あってほしい。それが好きなのだ。

好きなものだけ、たくさん書いて、「難解だ」と言われたとしても、好きなものだけを。読みたくない人は読みたくなくても、読みたい人は、ほんとうに読みたい詩。

今年、2024年の春にできた小笠原鳥類の評論集『吉岡実を読め!』(ライトバース出版、458ページ)では、〈吉岡実は好きなものだけ書いた〉ということを言いました。おもしろいことだけをギッシリ書いている。まともな教訓は、ありません。教訓を、ムリに読もうとすると、ないので、読めなくて、いつまでも難しい。

吉岡実は俳句が好きな人でした。句集『奴草』(書肆山田、2003)もあります。私は俳句歳時記を少しだけ集めています。いい言葉が集められて、並んでいる。まともに、つながっている文章とは違う、好きな文字・単語・文だけ詰め合わせていく書き方で、好きな人は好きになるものが、できる。それが詩であり、俳句でもあるのではないか。現代詩を読むとき、書くときに、俳句を無視することはできません。

私の次の本『現代詩が好きだ』は、草野心平、吉岡実、北村太郎、犬塚堯、入沢康夫、谷川俊太郎、嶋岡晨、支倉隆子、野村喜和夫、広瀬大志、佐藤勇介、鳥居万由実、榎本櫻湖、芦川和樹…多くの詩人たちの詩を読んで書いているものです(昔の詩は、いいし、今の詩も、いいです。「現代詩はダメだ」は間違い。ところで、谷川俊太郎だけは、私は複雑な評価を書いています)。

そして、鈴木真砂女、佐藤文香…いろいろな人の俳句についても、いくつかのことを書いています(それから、万葉集、岡井隆、寺山修司の短歌について書いているところもあります。短歌も無視できない)。

俳句のアンソロジー『新撰21』(邑書林、2009)で発表した、佐藤文香の俳句を読んで書いた文章を、『現代詩が好きだ』に収録します。このあと、佐藤文香は詩集『渡す手』(思潮社、2023)の詩人にもなりました。私には、意外なことではありませんでした。

たくさんの人に、次の私の本を、読んでいただきたいと思っています。現在、ライトバース出版がクラウドファンディングで、本の実現を容易にしようとしています。

≫ライトバース出版主宰の黒崎晴臣さんのnote

≫クラウドファンディングのページ

よろしくお願いいたします。

2024-09-29

小笠原鳥類 鯨頭鸛は、ハシビロコウで、あるのだろう

鯨頭鸛は、ハシビロコウで、あるのだろう

小笠原鳥類

 

榎本櫻湖『Hanakoganei Counterpoint』(七月堂、2024)の鳥がいるところ「」数字はページ

「鶯の歌も、遠い街の花火も、幻想は波のうえでだけ舞うのであって、」003

金魚が〈布〉であると、題名の映画を作りたい鱈が、こわい鮒だ

「隣の家の柿の樹に停まっているのであろう小鳥たちの啼く声が不躾に鼓膜を震わせて、」007

トマトが、(ウニだ)桃のような、口を開いているアザラシと壁を思い出すだろう蝉では、ないのです。

「裏庭の犬に驚いて飛びたっていった小鳥たちの群れの羽音が、」012

カセットテープ(四角い)という、ものが、——ヤギという動物を知らない

「大きな寸胴の鍋のなかを泳ぐ鼈も尾長鴨の慌てた蹼を忘れることはない、」014

宇宙からアライグマではないだろうイグアナも、テレビだと言いながら緑色に来るだろう操作。

「雛の、ようするに雀かなにか、」017

画面は馬を見るものだ会った人に言う知っている人

「梅や椿の枝でときおり囀ったり叫んでみせたりもする鳴禽類の一種の幼鳥が、黄いろい嘴をひらいて、」017

花が、キノコのような木の、昆虫であるだろう音だ。そこにある技術は豆腐の飴のような透明だ透明だ

「たったいま青鷺が飛びたっていった川辺の繁みに探すのか、」019

ケーキは、動物と馬のような踊りを、思い出しながら回転する建物のボウリングだ。そこで怪獣を持っているコウモリ

「毀れたラジオから聴こえてくる白鳥の歌をすこしずつ五線紙に採譜していく手をわたしはきっと捏造するだろう、」019

ハト(と、リス)が金属と、それから、ウサギのようであるだろう生物は、アメーバだ。ジャガイモ食べる

「それにしても翡翠の飛びかう水中には極彩色の絹糸がはりめぐらされ、」028

砂が、少しだけ生きものと、昆布だ。塩、それから(粘土のようなものと会話をする)エビ。

「その宇宙にあって巨大な釣竿を鳩の雛の嘴へと慎重に垂らすのだ、」046

カササギが時々、ヤモリが〈やわらかい料理だよ〉と言っているコウガイビルを暗記してもいるんだろう

「金絲雀の恋、」049

印刷とチョウザメと印刷(と竹、)

「茴香の背景をわたる鷲たちの冠羽をそそけだたせて狼の皮を食む、」054

布に〈ラッキーだ〉と書いていたら、そのようなことを書くのは、めずらしい靴だ

「肺魚を焼べる海貓の、砂嘴に蔓延る梅花藻も巨視的に睨みつければフラクタル、」059

金属(が言っている)がクジャクのように、体操を紫色にしているのだろう鴇

「茫洋とした湖面を掠める鳥たちの明朗な声が聴こえたりもするのだろうか、」089

まるい楽器を(レタスのように)作ることができる棚が、その上の叫びとダトニオイデスだ!

「蝙蝠の翼を生やした投票箱が磯鵯の雛を匿っているよ――、」094

フラミンゴについて言いたいことをペリカンが言いたいだろう宇宙と、かもめ

「盗賊鷗の眼光が鴉の羽根を威嚇していた、」096

公園が(言っているものだ)フズリナであると、テーブルのように言いたい。公園が言いたいのだ

「紅茶を飲んでいたあなたは、庭で、巣材をくわえて飛びまわっている二羽の四十雀をみている、」106

キャベツだ

「胡桃を抱いている(白鳥かもしれない)、」115

ももんが

「図鑑を片手に風切羽を蒐めて歩いた日曜日、」117

かえる(両生類)かえる両生類

「それから巨大な怪鳥のこととかを

どこかに書いた」134

テニスが(キツツキだ)(キツツキで、あるだろう)きつつき。それから(、)キンムネオナガテリムク。

「もはやなにかもわからなくなってしまっているモルフォや鶸は碧い光線を反射しているし、」164

シャーロック・ホームズではない本を読んでいるシャーロック・ホームズ。

「ここに鵞鳥の優美な羽根をもちいたペンをおき、」173

ふくろう。(みみずく、)ふくろう・餡

「スクリューにはもはや鷦鷯か、それかより温暖な気候であれば紅雀が巣をつくっているし、」177

スイカであるものを、ステープラーであると(金属だ)言って、箱が〈麺だ〉持ってくるだろう図示、

「いくつか籾殻に包まって鶸はかわいい、」178

あの窓はクラリネットだ

「風に煽られて砂埃が舞う砂利が敷かれた庭に二羽の白鶺鴒が飛んできて、」186

蟻と動物である魚が、恐竜だ恐竜だ、とバケツにいる青いヒトデが言わない。秘密なんだ

「優美な鷺を見た、」187

蝶をズアオアトリであると、言いますね

「鯨頭鸛をしっているか、ずっとその嘴をならすけたたましい音が頭から離れずにいる。」196

バスケットボールは、上にいるカマキリを畳のように(透明に)知る電気ウナギのような、灰色の緑色ではないだろうか

「にぎやかな鳥や獣も、きらびやかな蛾も、」199

芸能

「鶫が跳ねる広葉樹林をひとりさまよう。」203

サメであると思ったのだが、エイであるらしい

「その光景に朱く唸った墨を流す爪の尖った鳴禽にここで、」203

いくつかの寒天を、鶴のように(ではないのだが)歩いて、線(だけではない)が、持ってきました

「ルリカケス、」233

ルリカケス。 




榎本櫻湖遺稿詩集『Hanakoganei Counterpoint』2024年9月/七月堂
≫版元ウェブサイト

2024-08-11

聴いて、ミツクリザメを思い出していました 小笠原鳥類

聴いて、ミツクリザメを思い出していました

小笠原鳥類


CD『湯浅譲二 作品集』(Camerata)の「箏歌、芭蕉五句」(1978)。沢井忠夫(唄と箏)、沢井一恵(十七絃箏)、1988年録音。題名および歌詞になっている句を「」に、そして、聴きながら、思ったことを書く。

雲とへだつ友かや雁の生き別れ
絵が、壁だ(金魚は花を見ているだろうシーラカンス)うに、と、動物が、言っている。そこにはザラザラが、ありました窓があれば、トカゲと言うだろう大きな怪獣だ。その――恐竜と――象と――なまこ。銀色を、オルガンだ、と言っているエビが、油を使って絵を描くこと水を使っていること・豆腐の喜びのようなものだキツツキきつつき(ふくろう)フクロウ……数……映画では飛んでいるコウモリ、木、そして木と鳥。鳥は、犬と、建物だ(塗ってある)機械も、緑色になるのだろう・透明な食べもの透明な、食べもの(畳)〈畳〉イグアナ。そのゴムと、ワニ

明ぼのやしら魚しろきこと一寸
映画で、透明な動物が(象ではないのだろうか)、花を、みみずく(鳥)と描きながら、そこにはウニがいると言った。体操、アライグマ、体操、そして映画になると、ハトは、どこまでも飛んでいくのだろうナマコのようなものだった(かもしれない)(かもしれないと思う思う)虫。金属というものも、うれしい。棚があれば、そこには箱がありました、紙の箱があれば、そこにはニワトリのようなものがいて、そして恐竜の、いくつかの、いろいろな(翼竜の)種類・化石アンモナイト始祖鳥おどっている踊っているだろうセミ(という虫)(という虫)そのスポーツ。電気ウナギは、庭が公園であるなら、そのミツクリザメのようなものだ怪獣になる。宇宙は深海から来ましたチョウザメ

水仙や白き障子のとも移り
小さい池のような、池というものが、あるのだろうかと、建物のような看板を見て、ペンキ(塗られている液体)は、象のように不安になるだろう牛。そこにある木と、そして、動物がいて、それらをアコーディオン(棚に、並んでいた、いろいろな、色の楽器)が、思っている。お菓子は、想像しているのだろう、ケーキを。踊っているイグアナというものが、いるのであれば(室内に室内楽)、くくくくくと鳴いている(妖怪ではない)鳥の種類を、その名前を、言っている。図鑑を見て豆腐は、魚のようになりました魚のようになりました(エイを、水槽が、見ている)壁のような水槽が、透明であるような人間に似ていると、あのテレビのような板は、言っていないはずである。クラリネットだ(クラリネットである)魚には、種類が多いのだろう

閑さや岩にしみ入る蝉の声
木、というものが、塗られているのであれば、そこには板が、ありました料理は、魚のようなものだ。乾燥……している……魚を……油と……絵の具で(絵の具で)絵の具で、タオルのように、踊っている(大きなウミウシの一種なのだろう)布ぬの布ぬの(ぬのぬの、と繰り返しているだろう)・版画が、遊んでいる。公園を、いつまでも(迷って)キジバトのように歩いていただろうアオバト、アオサギ。そこには宇宙から来た人たちと、別の人たちがいた、ここは宇宙ではないんだとエビのような生きものは、金属を楽しみながら、言っている象、象を思い出していた

荒海や佐渡によこたふ天の河
お菓子を(それは乾燥しているお菓子だった)お菓子である粉のようなものは、思い出しているのだろう。銀色の楽器ではないのだとしても水槽(緑色だろう)は、むかしの写真のように〈こんにちは〉を思い出している想像。その、ような、テーブルの上の、あまり知らない種類のミツクリザメのようなものが、次に怪獣ですよ、とテレビ・テレビ(テレビ)テレビ、テレビを、あまり見ないのは(現実には見ているのだとしても)、テレビは、あまりにも遠い。料理! きつつきは言っている。昆布……(昆布)

2024-05-19

小笠原鳥類 まだ多くの謎に包まれている

まだ多くの謎に包まれている

小笠原鳥類


「BRUTUS」No.1008、2024 6/1(5月15日発売)、特集「一行だけで。」(小笠原鳥類は34ページにいます)から、俳句などを「」。(数字)はページ

秋風の下にゐるのはほろほろ鳥」富澤赤黄男(16)

楽器が(山で食べる料理のように)図鑑を見ているから魚

春や有為の奥山越えてダンスダンス」柿本多映(44)

怪獣の大きさは、わからないものです建物がボウリングが、できる建物だ・板、板

虹は失せたりケチャップとマスタード」岩田奎(50)

わに、という動物ワニ。そして昆虫はタヌキとハトのように歩くアライグマ

クレパス七種まとめて握り虹描く」黒岩徳将(51)

映画とキツツキを、はじめて調べた。念

夕焼けて水の深きへ魚帰る」斉藤志歩(51)

クラリネットを思い出しているカンブリア紀の生きものたち生きものたち。犀

こんにゃくに生まれ笑いが止まらない」浪越靖政(52~53、「川柳」のページ)

布は、(ドロドロの)石を思い出したいアンモナイトのような始祖鳥なのです

イソギンチャクを手放さない。」キンチャクガニ(100~101、「海生無脊椎動物図鑑」のページ)

カニと、イソギンチャクが、なぜ共生しているか「まだ多くの謎に包まれている」

2024-05-05

靴音頭に来る 小笠原鳥類

靴音頭に来る

小笠原鳥類


岡田一実『篠原梵の百句』(ふらんす堂、2024)から、いくつかの俳句を「」、そして思ったこと。数字はページ

ドアにわれ青葉と映り廻りけり」6

緑色のガラスがあれば、妖怪のような布と踊っている。回転する豆腐を持っている妖怪だ

葉のみどりかたちうしなひ窓を過ぐ」28

レタスを食べているレストランが、四角い建物である透明だ。くだものの破壊

紙の網あやふくたのし金魚追ふ」32

テレビは、ワニのような、ものだろう(木と宇宙から来ている砂)。動物と鳥

カーテンのレースの薔薇が空に白し」42

粘土を見ている恐竜が象である、のではないだろうかと思っているエビ。あのエビ

葉桜の中の無数の空さわぐ」50

エイ(軟骨の魚)それは軟骨の魚だ、水族館をペンギンになって見ています絵本

脚をつたひ凍てし靴音頭に来る」62

怒っているんだろうなあ。あるいは音頭(靴を歌って、踊っている喜び)

空の奥みつめてをればとんぼゐる」116

現実のアメーバが虹のような、怪獣だ怪獣だ、いつまでも廊下とオルガンと悪

泳ぎ着き光りつつ岩をよぢのぼる」186

肺魚のようなキノボリウオであると、翼竜は電気を出すウナギのように思うスポーツ。鱈

欅から枯れて形のいい葉降る」198

イカのように、ウミウシが、写真で見ることができる、鳩だ




2024-04-14

小笠原鳥類 『吉岡実を読め!』を書きました

『吉岡実を読め!』を書きました

小笠原鳥類


本ができましたので、宣伝します。

小笠原鳥類『吉岡実を読め!』ライトバース出版、2024年3月31日発行、458ページ、税込3,480円。

『吉岡実全詩集』(筑摩書房、1996)と、吉岡実句集『奴草』(書肆山田、2003)を読んで、去年夏(2023年8月)から約半年、書きました。全詩集の、すべての詩、1つ1つについて、長さは1つ1つ違う文ですが、書いています。

「静物」「僧侶」などの、アンソロジーで読める詩だけではなくて、私がほとんど読んでいなかった詩についても。〈全部を読む〉というルールで書くことが、たくさんの知らなかったことを知ることができて、おもしろいのでした。読んでくださる人が、どう思うのか、わからないですが。

今、書店に吉岡実の本が、新本では、(思潮社の現代詩文庫『吉岡実詩集』『続・吉岡実詩集』も、あまり)見つからないようですし、古本も、高いものが多いようです。でも、読んでいて、おもしろいですので、書店にあって、読むことができると、いいと思います。

学校、教科書で詩を読むことが多いようですので、〈詩は正しいことが書いてある〉〈いいことが書いてある〉と、思われてしまうのかもしれません。でも、吉岡実は正しいことや、いいことを書いていなくて、おもしろいこと、好きなことだけを書いています。正しいこと、いいことを読もうとすると、そのようなことが書かれていないから、〈難しい〉と思ってしまう。

文章を書くときに、つまらないと思う部分であっても、説明するときに書くことがあるのですが、しかし、吉岡実の詩は、つまらない部分(文、単語、文字)は書かなくて、おもしろいと思ったことだけを書くので、すっきりと読める文章には、なっていません。わからなくても、おもしろいと思える、好きになることができる詩です。

『吉岡実を読め!』という本で、吉岡実の詩が、すべて好きである、とは言いませんでしたが、でも、最初から最後まで、いやにならずに書くことができました。吉岡実が亡くなった1990年のあとの、今の詩についても、書いています。〈むかしはよかった。今は……〉ということは言っていません。今の詩も、いいぞ、ということを言っています。

題名について。中山康樹『ディランを聴け‼』(講談社文庫、2004)が、そのときまでのボブ・ディランの、公式に発表されていた録音の「全582曲」の、すべてについて書いている本でした。おもしろい文章ですし、吉岡実を読むときに、中山さんが言っているアイデアを、生かすことが、できた(のであれば、いいなあ)と思っています。

題名は「読め!」でしたが、読んでいただけると、うれしいです。




2024-03-03

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】ゾンビーズ「This Will Be Our Year」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
ゾンビーズ「This Will Be Our Year」


天気●ドラマを観てて、いい曲だな、と思うことがあって、今は、知らない曲でも、歌詞の一部で検索かけると判明する。便利な時代です。というわけで、ゾンビーズ「This Will Be Our Year」。

 

天気●ゾンビーズって、「ふたりのシーズン(Time of The Season)」という曲を知っているくらいで、ほとんど知らない。 調べてみると、1961年結成のイギリスのバンド。何曲かヒットを出して、数年で解散。存在感は微妙ですが、ヒット曲で今もファンには愛されてるって感じでしょうか。爺さんになってからも、たまに演ってるようです。 

憲武●ゾンビーズといえば「ふたりのシーズン」ですね。僕もこの曲以外知りません。聞いたことはあるのかも知れないですが、記憶にない。冒頭の「This Will Be Our Year」、初めて聴きましたが、いいです。

天気●この曲、ピアノが印象的です。もともとピアニスト/キーボード奏者が組んだバンドなので、こうなるんですね。シンプルなコード弾きに、ちょっと凝った音も混じって、気持ちの良い伴奏です。

憲武●ハイハットがずっと鳴り続けてる感じって、60年代のマージービートですね。やはり。

天気●ボーカルは、甘い。さすが、ソフトロックに範疇化されるバンドです。

憲武●ソフトロック、悪くないです。むしろ好きかもしれません。ずっとそればかりでも困りますが。

天気●歌詞は正統的なラヴソング。キミに出会って恋をして、ようやく良い年になりそう、という感じでしょうか。でも、こう切なく歌われると、それまでが長かったんだなあ、「ようやく」(took a long time to come♪)という部分が強く響いて、ちょっとじわっと来るんですよね。


(最終回まで、あと672夜)

2024-02-25

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】西田佐知子「わたしだけの子守唄」

【中嶋憲武×西原天気の音楽千夜一夜】
西田佐知子「わたしだけの子守唄」


憲武●子守唄というと、小さい頃、母がよく歌ってくれたのは、モーツァルト、ブラームス、シューベルトの子守唄でしたね。日本のものはどういう訳か歌ってくれませんでした。佐山哲郎の「唱歌のふるさと 童謡のくに(JP文庫 2008年)」によれば、子どもの職業としての「子守」があり、歌われる子守唄には、歌う当人の辛さがあり、呪詛、怨みがつきまとうとあります。日本の子守唄には、淋しさ、悲しさが横溢していまして、母はそんな雰囲気が嫌だったのだろうと思います。この子守唄はどんな感じでしょうか。西田佐知子「わたしだけの子守唄」。

 

憲武●リリースは1961年7月です。作詞は蟻川茂男、作曲山下毅雄、編曲広瀬雅一です。作詞の蟻川茂男という人は、「七人の刑事」などのテレビのディレクター、プロデューサーをしていたようです。山下毅雄は「七人の刑事」を担当してますから、そのチームですね。

天気●テレビ由来の音楽スタッフというのは、当時よくあったんですかね。

憲武●んーー、どおでしょおーっ。この曲のA面が「刑事物語」というテレビドラマの主題歌でしたから、その関係なんでしょうか。この曲、たまたま手に入れた「西田佐知子 アーリー・デイズ」というCDに収録されてましたが、一聴、なんかこう、鬼気迫るものがあります。死んでも待ってますみたいな。そして深ーいフェイドアウト。退廃的なムードといい、独身男性は土曜日の夜なんかには聴けませんね。

天気●サキソフォンのイントロから、ビブラフォンやブラシのドラムなど、ジャズ味の強いアレンジですね。

憲武●ジャズ風味ですね。詞がいいんじゃないかと思います。歌詞カードには、歌詞の書いてない曲が何曲かあるんですけどこの曲もそうで、聴いて思い返すしかないですが、いきなり黒いアゲハが出てくるところはシビレます。

天気●歌唱と相まって、おどろおどろしい。

憲武●西田佐知子といえば「アカシアの雨がやむとき」はもちろんですが、最近まで流れてた菊正宗のCMのテーマでも、お聴き覚えのある方も少なくないかと思います。

天気●その2つなんでしょうね、西田佐知子といえば。


天気●あ、そうだ。それを忘れてはいけません。

憲武●ちょっとハスキーな声って、魅力的ですね。あんまり高くないのもいいし。

天気●個性的で魅力的な声です。で、まあ、これは個人的な趣味ですが、きれい。ルックスも魅力でした。

憲武●関口宏と結婚したとき、僕はまだ小学生でしたが、心から嬉しいと思いました。「スター千一夜」という番組で、石坂浩二と関口宏が交代で司会をしていて、好印象を持っていたんです。その頃から西田佐知子って、僕の中ではルックス含めて、ちょっと別格って感じの歌手でしたんでね。バンザイって感じでしたね。

(最終回まで、あと673夜)

2024-02-11

【小笠原鳥類✕中嶋憲武の音楽千夜一夜】 B.C.キャンプライト「I'm Ugly」

【小笠原鳥類✕中嶋憲武の音楽千夜一夜】
B.C.キャンプライト「I'm Ugly」


憲武●今回は小笠原鳥類さんをゲストにお招きしています。

鳥類●私が前回、週刊俳句の対談で話したのは、去年(2023年)の9月3日、854号でした。元気ではない、いいメロディーの最近のロック、ヴィレジャーズ「So Simpatico」について話して、そのあとも私が聴くのは、最近の、いいメロディーの、元気ではないロックです。

憲武●昨年はいいものを聴かせてもらいました。元気ではないんですが、なんだろう、メロディアスですし、色や温度も感じました。ベースラインがいいんですかね。ちょっと前向きになれるかな? っていう感じ。3分台という長さもよかったです。

鳥類●ちょっと前向き、いいですね。非常に前向きなのは、ムリがあります。ちょっと前向きな音楽が好きで、20年くらい前にトラヴィスを聴きはじめて、今も聴くのですが、いいメロディーで、あまり元気ではないバンドで、日本語のウィキペディア「トラヴィス(バンド)」に「英国を代表するバンド」であり「エモーショナルな内省路線」、だけど「当時の音楽界を湿っぽくした張本人であるという声も」あるそうです。〈エモい〉でもなくてエモーショナル、内省、湿っぽい、ブラームスの室内楽みたいで、いいですね。ジャンルの区別をしないで音楽を聴きたいです。音楽だけでもなくて、ジャンルの区別をやめていきたい。すべてはロック。

憲武●トラヴィスの湿っぽいところ、好みです。でも決して暗くはない。演奏されない音を隠し持っているような、なんかこう余白を感じました。「すべてはロック」というのは、ロックの発するエネルギー的な要素を秘めていたい、ということでしょうか?

鳥類●ビートルズを聴いていて、エネルギッシュ! ではなくて、ほんわか、楽しいなあ、と思うのです。ロックは60年代から、サイケに行ったり、暗くなりやすかったり、あまり元気ではなかった。ほんわかエモーショナル、内省。湿っぽいと言えるかどうか、最近聴いたもので、いいメロディーで、元気ではなくて、盛り上がらないような、と言っていいのかどうか、アメリカで生まれてイギリスを拠点にして活動しているB.C.キャンプライトの、去年のアルバム「The Last Rotation of Earth」が、いいです。1曲、ちょっとショッキングな題名にも思えますが「I'm Ugly」を選びます。

 

鳥類●歌詞もそうですが、深刻な音楽を、自分が何度も聴いて、そこで楽しんでしまっているとしたら、いいのかと思ってしまいますけれど、メロディー、歌声、サウンド、しっかり何かを、生きるために言おうとしている音楽だと思うのです。深刻ですが、でも、楽しさを失っていない。人間を追い詰めすぎない、ひろがるべき音楽だと思う。

憲武●この人、初めて聴きましたがいいですね。高橋幸宏のテイストもあると思いました。3分台という長さもいいです。楽しさを失わないって、大事なことだと思いますが。

鳥類●いろいろな音楽を聴き込んで、しっかり曲を作って、歌も演奏も練習している、うまい人の音楽が、楽しいのだと思うのです。ヘタにダラダラしていると、楽しくない。でも、ヘタなダラダラが悩みや苦しみを表現しているようにも聴こえることがあって、ダラダラ言葉を並べているだけの詩にもチャンスがあるのかなあ。楽しさを否定して、気持ちを厳しく追い詰めることが、真実であるということは否定しづらいですけど、それでは、つらいですので、私は、どこかに楽しさがあってほしいのです。詩も。トラヴィスも内省を、どこまでも追い詰めて、つらくなってはいなくて、そこで、盛り上がる元気ではないけれど、楽しく聴けるロックになっている。何をやっても楽しさを失わなかったビートルズという、ロックの基礎を忘れてはいけません。私がそうなんですが、元気になることが難しいとしても、どうしようもない落ち込みでもなくて、ちょうどいいところを動いていきたいです。こまどり姉妹さんの「涙のラーメン」を聴くこともあります。


(最終回まで、あと674夜)

2024-02-04

小笠原鳥類 イベント「今、日本語の詩を書くこと」記録

イベント「今、日本語の詩を書くこと」記録

小笠原鳥類


佐藤文香詩集『渡す手』/句集『こゑは消えるのに』、佐峰存詩集『雲の名前』刊行記念イベント「今、日本語の詩を書くこと」(2024年2月3日土曜日、西荻窪・今野書店)、佐藤文香・佐峰存・岡本啓のトークをZoomで聞いて、思ったことを書きます。私が間違っているところがないと、いいと思います。変なところがあったら急いでメモをしていた私が悪いです。3人は他のこともたくさん話していたので、大事なことが欠落しているのかもしれません。


アメリカにいた時期がある人たちである、という話から。他のところにいたから、日本語の詩について、わかること。
佐峰「作品と作者は切り離したい。だが作品だけではわからないことが、作者と会うとわかる」
佐藤「作品と作者を切り離さず、自分のことを書く、という流れがある。リーディングの声で、内容より、わかること」
作品と作者を切り離すような文学理論を書く人と会うと、細かい理論を組み立てる仕事の人のおもしろさがあったりします。人間ではないものの背後に、それをしっかり作っている人間がいる。

アメリカには虫の声が少ない、という話。
岡本「アメリカには、見たままを提出する詩がない。物語の意味、主張がある。日本の俳句は、そのままでいいんだ、という提出(という主張)。もっと長い日本の詩も、いろいろなものを並べて書いていて、アメリカの人から〈長い長い俳句じゃないか〉と言われる。日本の詩は俳句に支えられている。論理的な意味づけをしなくても成立する」
西脇順三郎や吉岡実も、書いたものは、すべて俳句だと思います。ジャンルをムリに分けなくていいです。でも私は575では書かない。音の数を数えるのが面倒。

アメリカで書かれている〈俳文〉の人気の話。
佐藤「アメリカでは芭蕉、蕪村、一茶が(禅とともに)読まれて、そのあとの近現代俳句は…」

佐藤「ケルアックが俳句らしい俳句を書いている。短くて、日本語の俳句と同じくらいの情報量」

佐藤「佐峰詩集の題名『雲の名前』。雲は、どこからどこまでが雲か、わかりにくいもの。この詩集も、そうである。どう名付けるか」
賢治の詩で、ひらがなで〈くも〉と書かれていて、雲でも蜘蛛でも意味が通るところがあったと思います。朗読批判で〈同じ音の単語が多いから、そこの意味がわからない〉がありえますが、そこに可能性がある。
佐藤「佐峰詩集は天国っぽい。この地平にはない。でも、見えているものは地球のもの」
最近、キジが予想していなかったスピードで飛んでいるのを近所で見て、ここはどこなのだと思いました。
佐藤「詩を読んでいて、そこに季節があると、とっかかりになる。季節がわからないと…」
岡本「現代詩と俳句の分かれ道?」
ムリに分かれなくていいです。私は俳句歳時記を少し集めているので、季節、いいなあ、と思います。でも、なぜだろう。鳥の図鑑も集めていて、鳥が季節とともにあるから?
佐峰「〈私〉の捉え方。人種や生まれた所や文化などの属性によって見られる〈可分な私〉と、1人1人が別で平等な〈不可分な私〉が、とっくみあっている」
私は自分が(現代)詩人であると言うのが、つらい時があって、他の人とは全然違う、小笠原鳥類というものでありたい。どうすれば別のものになれるか、そこで自分が書いたものを誰が読むのか。別のものになりすぎることの恐怖(の、おもしろさ)。
佐藤「佐峰詩集の〈よく燃えるよ〉の〈よ〉のような終助詞が、ほっとする。具体的で、とっかかりになった」
松山の白塩 言語神変だよ(閑吟集は現代詩集?)
佐峰「実感を伴ったものを書く。体の中で感じ取ったものを書いたら、通常の日本語とは違った感覚に」
今の学校や辞典や新聞のような〈正しい〉日本語は、これでいいのだろうか。生きることから離れてしまった、〈通常の〉言葉? 詩が新しい、生きる言葉を作る?
佐峰「意図ではなく、結果、出てくるもの」
こういうものを書くのだと最初から決めず、書いたものが、予想を超えて、大事なものになってきた。
佐峰「詩の題名の〈頬の季節〉は、4つの季節のどれか、と区分されるのではなくて、自分の中で、ほっぺたで感じる季節」
角川文庫の分冊の歳時記に新しい1冊(そして、何冊も何冊も)? 新しい季節、おもしろいです。
佐藤「自分は読書家ではなくて、勉強したというより、野原で定型詩に触れてきた」
野原、と聞こえたのですが、違っていたら、すみません。
岡本「英語からの影響。アメリカだけ読んでいていいのか。いろんな国のものが同時代的に日本に届いていない。現代詩手帖でもっと特集を」
俳句雑誌や短歌雑誌で詩の特集があったら、おもしろいだろうなあ。しっかり書きますよ。
佐峰「英語と日本語の感触の違い。英語は小石を並べて、日本語は粘土」
中間にフランス語があるのかなあと思っていました。英語よりも平坦な発音で、1つ1つの音を粘土のように繫げていくようで、でもアルファベットの乾いた形でもある。
佐藤「ファーマーズマーケットは音が10個で俳句で使いづらいので、アルファベットでFarmer’s Marketと俳句で書いて5個くらいで発音できるようにした」
音の数を数えるのが私は苦手で、俳句のおもしろさは別のところにあると思ってしまっています。音の数とは別の、言葉の出現のおもしろさ。

2024-01-14

小笠原鳥類 言葉を使って、言葉のある世界を

言葉を使って、言葉のある世界を

小笠原鳥類


生野幸吉・檜山哲彦編『ドイツ名詩選』(岩波文庫、1993)の、檜山哲彦訳、ボブロフスキー「つねに名付けること」(299ページ、301ページ)から
「つねに名付けること、
木を、飛ぶ鳥を、」
テレビが、ワニのようだ(いつでも昆布が、ペンギンを待っている)
「緑に流れる川の
赤らむ岩を、」
ケーキ(と、マヨネーズ)が、イカを思いながら、クリームになりたいものだ・布とエイ(軟骨、)
「森越しに夕闇が降りてくるとき
しろい煙につつまれる魚を。」
ドラマと電気を出すウナギ(でんきうなぎ)と、歌(楽譜が金属のように鳩と、ペリカンと、みみずく・むささび・むささび)
「記号、色、それはひとつの
賭け。ぼくは考えこんでしまう、」
学校は机だ(トカゲだ)花だ。オルガンと水槽が並んでいるアザラシだ、上が緑色になっている。
「ぴったりうまく
けりがつかないかもしれない。」
映画で見た楽器とクラリネットが、歩いているアコーディオンであるだろうエビ。機械と、砂と、いろいろな金魚、
「だれが教えてくれるだろう?
ぼくが忘れてしまったことを。石たちの
眠り、飛ぶ鳥たちの」
ヒトデ。いそぎんちゃく
「眠り、木々の
眠り、――暗闇に
それらの話し声がするのに――?」
畳をボールと透明になったような(テニスをしながら、であるような)気持ちで気持ちで、見るだろう。蛙というものカモメというもの

2023-11-26

小笠原鳥類 うれしい「青のペンキは、図鑑の翼竜の色。」

うれしい「青のペンキは、図鑑の翼竜の色。」

小笠原鳥類


佐藤文香『渡す手』(思潮社、2023)、おもしろいです。引用「」と思ったこと。

「食卓の中央まで伸ばした手の甲のなかの骨が鞠をつく音を思い出す。」
テレビは、うれしいものだ金属(いつまでも体操。魚、それから鱈)

「すべての気持ちのための庭。」
窓があれば、昆虫とペンギンが、思い出している点。ペリカンと花

「ズッキーニという野菜の特色とその味わい、」
始祖鳥も、話しているイカのようなものだ。箱、

「ゾンビは、友達は
いいものだ、」
回転しているケーキがあれば、映画に楽器が出てくるクラリネット。思い出す踊り

「当時はかなり気に入ってまわる何かを追いかけていた。」
アコーディオンを、怪獣は魚だと思っていた。これはウニだ

「蝙蝠も来るようだ。蝙蝠もいいねえ。」
机というもの。ハト

「肝心の鷗は海に無関心で、踊りといえばタンゴしか知らない。」
石をヒヨドリが、並べていると思って鶺鴒。建物を森のようだと言っている。語る青