ラベル 佐藤文香 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 佐藤文香 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024-12-08

「まいたけてんぷら」など 小笠原鳥類

「まいたけてんぷら」など

小笠原鳥類


佐藤文香の小詩集『メッキを剥ぐと稲妻は腐る』(走鳥堂、2024)から、いきものたちがいるところ「」
「中くらいの水槽の真鯛が顔を見せにくる。」
板を食べるチョウザメであるとは思わない恐竜だが、音を大きくする機械がなかったころのペンギンだ
「この真鯛は古代の思想を見せてくる。」
バウムクーヘンであると(テーブルの上のタラが)言いたいのに、シーラカンスやワニであると壁が言っていました
「五匹、六匹
こちとら 数えて待つしかないんだよ」
布を、建物から出てきて(出てこなくても)豆腐のように喜んで見ています。体操と健康とバリバリ食べること
「犬が出てきたな 犬は
まちがいを探している」
庭が、ハトであるような、ひろがっているテレビが、みみずくだ、みみずくであると思う。放送と、やわらかい骨のエイ
「まいたけてんぷら」
イグアナが、ふしぎだ(石を見て、箱が、言っている)。これからアコーディオンを持つんだ
「引退した馬と しずかに過ごそう
しずかに」
昆虫のように元気になりたいな、アメーバを、歌っている。時々、ボウリングが将棋のようなものだ
(それから、小笠原鳥類の新刊、評論集『現代詩が好きだ』ライトバース出版。佐藤文香小論も収録しています。2009年のアンソロジー『新撰21』からの再録)

2024-09-29

西原天気【句集を読む】土地との親和 佐藤文香『こゑは消えるのに』の一句

【句集を読む】
土地との親和
佐藤文香こゑは消えるのに』の一句

西原天気


アイダホの雲ほほゑみを返すなり  佐藤文香

アメリカ滞在中(2021年10月~2022年9月)につくられた俳句を集めた句集『こゑは消えるのに』に、地名の登場はそう多くない。アイダホは、作者が滞在したカリフォルニアから遠くもないが近くもない(日本基準でいえばじゅうぶんに遠い)。一種の旅吟といえる。その場所・その時間が、作者を受け入れる内容になっていて、読者もちょっとほっとするような一句。

季語はないが、気分は春。「Boise五句」中の一句で(ボイシはアイダホ州の州都)、そこには《春川を走る試し書きのごとく》もあるので、春の雲と思っていいのだろう。

「雲微笑む」「雲笑ふ」という季語はない。けれど、春の季語に、個人的に、一瞬だけ、加えてもいいような気がする。

《Youの単複 真白な浴室の小窓》など、海外っぽく、またポエティックな句もあれば、《にはとりのはぐれて一羽春の中》といった「和風」で俳句的な句もあり、海外詠の句集にありがちな「一定の気分」「一定の空気感」とは違って、句の趣向は幅広い。


佐藤文香句集『こゑは消えるのに』2023年12月/港の人

2024-03-03

小豆嶋勇誓【句集を読む】佐藤文香句集『菊は雪』を読む 英語の力

【句集を読む】
英語の力
佐藤文香句集『菊は雪』を読む
 
小豆嶋勇誓


今日の俳句は、定型にこだわらない自由律俳句や季語のない無季俳句に始まり、さまざまな形がとられている。さらには、日本特有の文化としての俳句だけではなく、「英語俳句」という、文字通り英語で俳句を詠む文化さえある。俳句を始める人たちの裾野を広げる活動もしばしば見受けられ、夏井いつきを筆頭に俳句の文化はさらに広がりを見せている。

俳句人口が増えていけばいくほど、その俳句にはさまざまな性格が表れる。特に俳句に使われる語彙、言葉選びにはその俳人の特徴や感性が非常に色濃く描き出される。中には俳句になかなか用いられないような独特な言葉選びをする俳人がいる。本書『菊は雪』の著者、佐藤文香もその一人であろう。

本書は、2015年から2021年までの、550句もの作品を収録している。前述の通り、本書に収録されている作品にみられる多くの語彙は非常に読者の意表を突くものも多い。自身のことを佐藤は「言葉フェチ」であると自認していることもあり、幅広いボキャブラリーによって一句が作られている。佐藤の豊かな言葉の織物にふれあうことができるのが本書の最大の魅力ではないだろうか。佐藤は、作中の語彙について本書の末に収録されている、制作ドキュメンタリー『菊雪日記』にて次のように語っている。
作中の語彙の範囲は、その作家がどこから言葉を収集しているかと密接な関わりがある。(中略)私が作中用いるのは、高校までの学校の授業で得た語彙、和歌由来のもの、季語と日常語、あとは新興俳句、J-Pop・J-Rockや現代短歌あたりから取り入れた単語である。
私は一度聞いただけの言葉も平気で作中に用いる。独り言として唱えていたりもする。
――『菊は雪』「菊雪日記」より
本書に見られる意表を突く語彙の数々は、佐藤にかかれば和歌、短歌によく用いられるようないわゆる文学的な語彙(雅詞)に限ることなく、日常語やJ-Pop・J-Rock、学校の授業から得る知識などバラエティーに富んだ語彙(俗詞)、さらには独り言さえも立派な俳句になってしまうのだ。佐藤にとって日常生活のすべてが俳句となってしまうのだろうか。

佐藤は表記の仕方にもこだわっているようだ。漢字、ひらがな、カタカナ、旧仮名から英字まで実にさまざまな表記が見受けられる。そんな豊かな語彙や表記によって築き上げられた俳句の中でも、この書評では特に英字が用いられている句に注目して、佐藤の織りなす言葉の魅力を引き出していきたい。

 一生分待つぜBERGに黒ビール

「一生分待つぜ」という豪快さが気持ちいい一句である。「BERG」(ベルク)はJR新宿駅すぐにあるカフェの店名である。店の名前なのだから英字のままで表記した、と言ってしまうとそれまでかもしれないが、「ベルク」が「BERG」と英字で表記されていることで、「一生分待つぜ」の男らしさ、潔さやクールな印象と相まって下五句の「黒ビール」に繋がっている。黒ビールは、普段のビールと比べてあっさりとしており、少し焦げたような苦味のある風味だそうだ。英語表記であるからこそ、このクールさのバランスが保たれ、最後まで破綻することなく、かっこいい一句に仕上がる。

 Call it a day クーラーながら窓開けて

非常に生活感あふれる一句ではないだろうか。この句が作られた2020年であることを加味すると、コロナ禍に在宅ワークでもしていたのだろうか。「Call it a day」は、英語ネイティブがよく使う英熟語で、「それを一日と呼ぶ」という直訳が転じて、「今日はこれでお終いにする、仕事終わりにする」といった意味で使われるようになった言葉である。在宅で座りっぱなしが続く日々。クーラーを付けながらも、グーっと立ち上がって窓を開ける。そうして、澱んだ空気に満ちる部屋に、新しい新鮮な空気が部屋中を一気に駆け巡る。「Call it a day」の言葉の流れの良さと、「クーラーながら窓開けて」とすっと流れて行くように詠めるテンポの良さによって、どこかさわやかな気持ちにさせられる。英語表記ならではの気持ちよさではないだろうか。また、「Call it a day」は、この一熟語を置くだけで、仕事終わりの人である、といった情報を読み手に伝えることができる、非常に経済的効率のいい言葉選びであるともいえるだろう。

 春は銀河へ我が Marunouchi Subway Line

これもまた大胆な一句である。「Marunouchi Subway Line」と英語表記されていることで、車内放送なのか、ホームでの自動音声なのか、音が聞こえてくるような効果がある。これが例えば「地下鉄丸ノ内線」と漢字で表記されていたら、堅苦しい印象を受ける。「銀河へ」と進んでいくかのような推進力を出すためには、漢字は重過ぎる。ひらがなでは火力不足で地球を脱出するほどの力は出ないだろう。カタカナではどこか変な方向へ向かってしまいそうだ。「銀河」へ向かっていくには、英語表記のような勢いがなくてはならない。この句の「地下鉄丸ノ内線」は「Marunouchi Subway Line」でなければならないのだ。

英語が使われている目の引く句を引用したが、この句集の英題にも注目しておきたい。もう一度『菊雪日記』を引用する。
4/29 「菊は雪」の英題を考える。Language Exchange相手のFredが提案してくれた“Chrysanthemums Like Snow”に決定。思い切って喩の側面を明るみに出した。英語には英語なりの愛おしさがある。
kiku-chan said to Yuki-chan, “I like you and I’m like you”.
 ――『菊は雪』「菊雪日記」より
「菊は雪」という日本語を見ただけでは、あえて表記するなら「菊」=「雪」「菊は雪(である)」なのか、「菊」≒「雪」「菊は雪(のようである)」なのか確定できるだけの確証は得られない。しかし、それが「Chrysanthemums Like Snow」となると、当然この「Like」は「~を好む」ではなく、「~のようである」という比喩であることがわかる(直訳すると「雪のような菊」)。佐藤は英語という言語でさえも、自身の言葉遊びの材料としてしまうのだ。この日の「菊雪日記」には英文がのせられているが、ここから佐藤が英語の面白さを伝えようとしているようにも思える。「kiku-chan said to Yuki-chan, “I like you and I’m like you”.」、直訳すると「きくちゃんはゆきちゃんに『私はあなたのことが好きで、そして私はあなたに似ています』と言った。」という文章になるが、なんとも不思議な文章ではないだろうか。「Like」は日常にあふれた言葉であり、その意味もまた至極普通のものである。しかしこうして改めて言葉にしてみると気づく面白さは、どことなく俳句の織りなす世界と重なり合うところがあるのではないだろうか。俳句は日頃あふれた日常を改めて捉えなおし、観察しなおして言葉として再現することで日常から「1㎜」でも浮いたところの面白さを感じる文芸であると聞くが、佐藤は日本語にとどまらず英語からもそういった面白味を見出しているのだ。佐藤は「英語には英語なりの愛おしさがある」という。俳句に英語を取り入れる斬新なスタイルでありつつも、その英語の特性、面白さゆえの「愛おしさ」を存分に生かした句をこの句集で披露している。

この句集で使われる語彙は一見突拍子もないように思えるかもしれない。しかし、その語彙や表記は、佐藤の織りなす一句には必要不可欠なものなのである。この書評では、英語表記を特筆すべき点として挙げたが、この句集には数えきれないほどの「異質」な語彙がちりばめられている。「異質」でありながらも、そこには確実に「佐藤ワールド」が広がっている。語彙を紐解いていくことで、佐藤の世界観に没頭できるだろう。


佐藤文香『菊は雪』 2021年7月/左右社



2023-11-26

小笠原鳥類 うれしい「青のペンキは、図鑑の翼竜の色。」

うれしい「青のペンキは、図鑑の翼竜の色。」

小笠原鳥類


佐藤文香『渡す手』(思潮社、2023)、おもしろいです。引用「」と思ったこと。

「食卓の中央まで伸ばした手の甲のなかの骨が鞠をつく音を思い出す。」
テレビは、うれしいものだ金属(いつまでも体操。魚、それから鱈)

「すべての気持ちのための庭。」
窓があれば、昆虫とペンギンが、思い出している点。ペリカンと花

「ズッキーニという野菜の特色とその味わい、」
始祖鳥も、話しているイカのようなものだ。箱、

「ゾンビは、友達は
いいものだ、」
回転しているケーキがあれば、映画に楽器が出てくるクラリネット。思い出す踊り

「当時はかなり気に入ってまわる何かを追いかけていた。」
アコーディオンを、怪獣は魚だと思っていた。これはウニだ

「蝙蝠も来るようだ。蝙蝠もいいねえ。」
机というもの。ハト

「肝心の鷗は海に無関心で、踊りといえばタンゴしか知らない。」
石をヒヨドリが、並べていると思って鶺鴒。建物を森のようだと言っている。語る青




2022-01-16

後記+プロフィール769

後記1 ◆ 佐藤文香


今回文章を寄せてくださった大塚凱さん、渡戸舫さん、クズウジュンイチさん、高瀬みつるさんは、佐藤智子さんが参加している句会のメンバーです。山田航さんは『天の川銀河発電所』刊行後、佐藤智子さんについて「こんな作家がいるとは知らなかった」とおっしゃってくださったのが記憶に残っています。みなさん、ありがとうございました。

また、鑑賞文を寄せてくださった14人のみなさんにも大変感謝しています。メールが届くたびに嬉しかったです。
 
それぞれの方の気になるポイントの重複、それに対する読みの差異が面白く、たくさんの方に書いていただけたことは、非常によかったと思いました。

そして佐藤智子さんへ。この特集はいかがでしたでしょうか。
 
今後も何かしら書き続けてもらえると、私は嬉しいです。

それではみなさん、おいもでも食べながら、引き続き『ぜんぶ残して湖へ』をお楽しみください。読み終わった方は、一緒にお散歩しましょう。湖のあたりでお待ちしています。


後記2 ◆ 福田若之
 
表紙に佐藤文香責任編集とあるとおり、中身はすべて佐藤文香さんの企画でお届けしています。当番の僕は、bloggerに掲載するうえで外観を整えたくらいのものですが、せっかくなので、すこし。
 
正直に書くと、『ぜんぶ残して湖へ』は、一読して妙な感じがしました。なんだか、字数が足りないような、いや、数えてみると足りている。なんなら、字余りの句だってけっこうあるのに、数えないとなんだか字が足りないように錯覚してしまう。《花水木やたらさパン買って生きる》みたいな、中七下五にかけてするりと抜けるかたちの破調が多いからでしょうか。そればかりでもなさそうです。《あらかじめしけったもなか青嵐》みたいな定型にぴったり嵌っている句も、なんだか十五音くらいしかないように感じる。

あっというまに176句を読み終えて、けれどあまり身に受けとめることができた感じもなくて、どうも狐につままれたような気のしたまま、しばらくが過ぎてしまっていました。
 
で、このたび、いただいた稿をwebページに落としこみながら、ようやく気づいたのですが、どうも僕はこの句集を読むには言葉を速く走らせすぎてしまっていたようです。たとえば、《お茶を持って二階や春と春の雨》や《水鱧を食べてハートのハートのための》といった句の「春」や「ハートの」の繰りかえしは、ゆっくり読みくだしたときに、はじめて効いてくる感じがします。《新蕎麦や全部全部嘘じゃないよ南無》なんかは、詰めこんだ速さで読んでも胸に響くけれども、やはりゆっくり読んだほうが、「全部」の繰りかえしに重みが出る。
 
それが、ひょっとすると、この句集の一句目に《夜ごと春めいてリニアモーターカーの駅》という句が置かれている理由かもしれません。これは、二十字を十七字分の速さで読むという句ではなくて、本来の十七字分の幅の前に、さらに三字加えられているという句です。リニアモーターカーは速いか知れないけれど、この句は遅い。次のページの《夜の梅水辺のように腰かける》や《医薬品買って二月の辻に居る》を、この二十字と同じくらい遅く引き延ばす感覚で読むようにしたら、ようやく、僕なりに、この句集における五七五の感じようが摑めてきた気がしています。
 

それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。


no.769/2022-1-16 profile 
 
■佐藤智子 さとう・ともこ
1980年生まれ。2017年、『天の川銀河発電所』に入集。句集に『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)。
 
■大塚凱 おおつか・がい
1995年千葉生まれ。「ねじまわし」を発行。イベントユニット「真空社」社員。第7回石田波郷新人賞、第2回円錐新鋭作品賞夢前賞。
 
■山田航 やまだ・わたる
歌人。1983年生まれ。北海道札幌市出身・在住。歌集に『さよならバグ・チルドレン』『水に沈む羊』。編著に『桜前線開架宣言』。
 
■高瀬みつる たかせ・みつる
1994年東京生まれ。現在大阪在住。俳句甲子園をきっかけに俳句をはじめ直近は小部屋句会などにて活動。
 
■渡戸舫 わたと・もやい
月に1回、小部屋句会(現在、ネット開催、佐藤智子さんもメンバー)に参加。
 
■クズウジュンイチ
1969年群馬生まれ。「奎」所属。NPO法人主宰。
 
■中矢温 なかや・のどか
平成十一年生れ。「楽園」と現代俳句協会所属。
 
■青木ともじ あおき・ともじ
1994年千葉県生まれ。東京在住。俳句甲子園13,14回出場。「群青」所属。
 
■瀬名杏香 せな・きょうか
1997年北海道生まれ。「椋」会員、石田郷子に師事。
 
■杉崎幸樹 すぎざき・こうき
1967年、秋田県生まれ。2021年、俳句を始めつつある。ガノタ(ガンダムヲタク)。ピーカー(ツインピークス愛好者)。会社員。理工図書月刊『土木技術』編集委員(2017〜)。

■中村我人 なかむら・がじん
年齢2分の1の佐藤文香さんによって俳句を学び始める。理屈・説明こってりの文章を仕事としているので、真逆の俳句では大苦戦中。
 
■古川朋子 ふるかわ・ともこ
1969年生まれ。「蒼海」会員。第六回星野立子新人賞。
 
■黒岩徳将 くろいわ・とくまさ
1990年神戸市生まれ。「いつき組」所属、「街」同人。
 
■加藤右馬 かとう・ゆうま
2015年頃より作句開始。『山河』誌所属。現代俳句協会会員。最近は中村苑子にぞっこんです。
 
■南極 なんきょく
好きな食べ物は、揚げ出し豆腐、チーズケーキ。
 
■南幸佑 みなみ・こうすけ
2004年生まれ。私立海城高校に在学中。
 
■稲垣和俊 いながき・かずとし
1993年生まれ。和歌山県出身。劇作家、俳優。去年、俳句にはまり、高浜虚子の句で号泣した。
 
■依光陽子 よりみつ・ようこ
「クンツァイト」。第44回角川俳句賞。
共著『俳コレ』他。
 
■原麻理子 はら・まりこ
1987年生まれ。「小部屋句会」「スパルタ句会」などに参加。第5回円錐新鋭作品賞白桃賞受賞。
 
■佐原キオ さわら・きお
1995年生まれ。歌人。第四回笹井宏之賞染野太朗賞受賞。

■佐藤文香 さとう・あやか
1985年生まれ。句集に『海藻標本』、『君に目があり見開かれ』、『菊は雪』。2022年9月までカリフォルニア州在住。

福田若之 ふくだ・わかゆき
1991年東京生まれ。「群青」、「オルガン」に参加。第1句集、『自生地』(東京四季出版、2017年)にて第6回与謝蕪村賞新人賞受賞。第2句集、『二つ折りにされた二枚の紙と二つの留め金からなる一冊の蝶』(私家版、2017年)。共著に『俳コレ』(邑書林、2011年)。

〔今週号の表紙〕 第769号 Palace of Fine Arts が見える砂浜 佐藤文香

〔今週号の表紙〕
第769号 Palace of Fine Arts が見える砂浜
 
佐藤文香

 
1915年のパナマ太平洋国際博覧会のためにつくられた建造物のうち残ったのがPalace of Fine Artsだそうで、写真の後方真ん中ちょい右に見える城のような建物だ。現在は劇場として使われているらしいが、見たかんじは単にヨーロッパ風の遺跡のようだった。近くに池があって、鴨に白鳥、オオバンやガンがいた。知らない大きな植物が生き生きと枯れていた。オレンジ色のものはパラシュートかな、凧の可能性もある。

 
その日学校で習ったphrasal verb(句動詞)は、口語表現最頻出の動詞getに関わるものだった。一旦帰宅して待ち合わせて地下鉄に乗った私たちが、示し合わせたわけでもないのに二人ともテキストのそのページをスマホに撮って持ってきたのには笑った。そのときクラスに2人だけの生徒となっていた私たちは同程度にseriousで、ちゃんと授業自体を面白がっていたのだ。San Franciscoを走るバスの中で、getを使ったphrasal verbに関わる質問を交互に出し合い、答え合った。これは空想の話ですが、などと前置きしつつ。
 
途中のバス停で、なかなかバスが発車しないと思ったら、いきなり運転手が後方座席に歩いて行き、”Get off!! Get off!!” と言った。バスの場合の、「降りろ」だった。すごく荷物の多い若者ふたりが下車していった。運転手はほかにもいろいろ言っていたが、それは聞き取れなかった。何が起こったのかわからず怖かったが、私たちは、これがナマのphrasal verbだ、と顔を見合わせた。

冬の香水知らない強い言葉たち  佐藤智子

この週末でコロンビアに帰る彼は、すでに一度このあたりに来たことがあって、君は鳥が好きだから喜ぶと思って連れてきた、と言った。教室ではshyな日本人の年上の女の子が、鳥を見て、植物を見て、夕日を見て、はしゃぐ様子を、彼は満足そうにスマホで撮った。


Golden Gate Bridgeを背景に写真を撮ってもらっているあいだ見えていた景色が、今回の私の写真だ。


週刊俳句ではトップ写真を募集しています。詳細はこちら

2021-11-28

佐藤智子第一句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)特集 一句鑑賞の募集 佐藤文香

2022年1月16日号掲載予定・佐藤文香責任編集
佐藤智子第一句集『ぜんぶ残して湖へ』(左右社)特集
一句鑑賞の募集
 
佐藤文香
 
より多くの方にこの句集を読んでいただきたいという思いから、ウェブマガジン「週刊俳句」にて特集を企画しました。つきましては、読者の方からの一句鑑賞を募集いたします。下記をご確認の上、どなたさまもぜひ鑑賞をお寄せください。
 
 一句鑑賞 投稿方法
メールにて受け付けます。

タイトル;『ぜんぶ残して湖へ』一句鑑賞(ご自身のお名前)
本文;
①『ぜんぶ残して湖へ』より一句を決め、冒頭に書いてください。
②その句の掲載ページを書き添えてください。
③その句から感じたことを自由にお書きください。(200字〜400字程度) 
※その際、句集中の他の作品や他者の作品の引用をしていただいてもかまいませんが、『ぜんぶ残して湖へ』内の作品の場合は掲載ページを、他の方の作品の場合は出典となる書籍の当該ページ等の写真を添付してください(引用ミス防止のため)。
④筆名(またはご本名)とその読み、50文字程度のプロフィールを添えてください(「週刊俳句」既刊号の執筆者プロフィールをご参考に)。

〆切;2021年12月31日
メール送り先;haiclub.sato@gmail.com(佐藤文香) 


・お送りいただいた原稿はすべて掲載予定ですが、不適切だと思われる文章に関しては、掲載を見送る場合がございます。
・俳句の鑑賞文を書くのは初めてという方にも書いていただけるよう、佐藤文香が事前にかならず目を通し、必要な場合は修正のご提案を差し上げます。安心してお送りください。
・その他、ご質問等ございましたら、上記アドレス宛にご連絡ください。
 
面白い特集にしたいです! よろしくお願いします。

2018-10-21

【週俳600号に寄せて】宮嶋梓帆のこと 佐藤文香

【週俳600号に寄せて】
宮嶋梓帆のこと

佐藤文香


宮嶋梓帆と私が第2回芝不器男俳句新人賞の奨励賞を受賞したのは彼女が19歳、私が20歳のときで、と書くと私が1つ年上に見えるが私たちは同級生、宮嶋は同志社大の、私は早稲田大の2年生であった。正式名称は忘れたけれど「芝不器男賞をとりに行く会」のようなウエブ上の鍵付きの掲示板で、週に10句ずつ掲載だったか、何人かでそういうのをやっていた。そのうちの2人が坪内稔典奨励賞と対馬康子奨励賞を受賞したのはなかなかの快挙で、そのころの宮嶋と私にはちょっとした盟友感があった、などと思っているのは私だけだろうか。

 マフラーを首のかたちのままに貸す  宮嶋梓帆

 葱畑葱しかなくて笑いけり  同

宮嶋は肝が太いというか、女子大生らしからぬ安定感があり、そこが好きだった。青春18きっぷで松山に帰省する途中で京都の宮嶋の家に泊まったり、俳句甲子園のスタッフをしたあと、飲み過ぎた宮嶋を松山の私の実家に泊めたりした。

2008年2月の「週刊俳句」に、宮嶋の作品がある。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/02/blog-post_10.html

 初雪もなんまいだぶもまだ続き  宮嶋梓帆

 冬帽の大きすぎたる記憶かな  同

 葱畑悼むに飽きてきたりけり  同

私なんかは言葉をすぐに詩に昇華させたがるようなところがあったが、宮嶋は焦らない。なんというか、言葉が俳句に適量で、読み手がつきあいやすい作品。今回読み直してみて、当時以上に宮嶋の句のよさがわかった。宮嶋は、私よりだいぶ大人だったのだろう。
この1ヶ月後、宮嶋と私は大学を卒業した。宮嶋は新聞社に入社し、忙しくなって、あまり俳句を書かなくなった。私は句集を出した。仕事は続かなかった。

それから10年が経ち、宮嶋が東京勤務になったというので、今夜、焼き鳥を食べる。

いろいろ話したい。

「週刊俳句」、600号らしいよ。

2018-09-09

【山田耕司句集『不純』を読む】『不純』のあとで 佐藤文香

 特集【 山田耕司句集『不純』を読む】
『不純』のあとで

佐藤文香

山田さんが市民講座で講演するというので、駆けつけた。会場はすでに満員、私は後ろの扉の横に立っていた。山田さんはいつものようになめらかに話し、ちょっとおねぇ口調のウザいかんじで笑いをとって、ああ流石だなぁと思った。目の前に座っていた小学2年生くらいの女の子が、目を輝かせて「面白い!」と叫んだ。会場は笑いに包まれた。「面白いですか? そうですか。どうもありがとうございます」と、山田さんは続けた。 

講演が終わり、さっきの女の子は山田さんを追いかけた。「メールアドレスを教えてください!」と、ノートとペンを渡そうとする。山田さんは、ちょっと困った顔をして、控え室に帰ろうとしていた。意外だな、と思った。いつもの山田さんなら、こんなところで個人情報を出し惜しみしたりはしないだろう。 

少し経ってから、山田さんに挨拶をしようと、控え室をノックした。「ちょっと体調が悪いんです」と聞こえたので、おそるおそるドアを開けると、山田さんは床に寝ていた。しかも、2リットルペットボトルに入った冷たい麦茶をじゃばじゃばと、自分の上半身に浴びせかけている。ペットボトルは、もう何本もカラになっていた。山田さんはもちろん、そこらじゅうびしょびしょ。高熱があるのかもしれない。顔が真っ赤だ。どおりで、いつもの山田さんじゃなかったわけだ。 

これは救急車を呼んだ方がいいのではないか、と、うろうろしているところで目が覚めた。

 はつ秋のあたまの上を紙の舟  山田耕司


>> 左右社HP『不純』

2018-09-02

佐藤文香✕西原天気の音楽千夜一夜 GRAPEVINE「なしくずしの愛」

佐藤文香✕西原天気の音楽千夜一夜
GRAPEVINE「なしくずしの愛」


文香●こんばんは。今夜はお呼びいただいてありがとうございます。

天気●お越しいただいて、こちらこそありがとうございます。ラクにしてくださいね。

文香●GRAPEVINE(グレイプバイン)というバンドをご紹介いたします。大学1年生のときに知ってからずっと好きで、去年は20年記念ライブにも行きました。好きな曲は山ほどありますが、これは5年前の「なしくずしの愛」という曲です。


文香●ジャンル的にはJ-ROCKにあたると思うんですけど。

天気●エレキギターのアルペジオから始まるパターンは、このところの日本のロック・バンドに多いですね。

文香●そうなのか。でもたぶん、けっこうひねくれてて。

天気●たしかに。よくある静かに始まってサビでドカンというのとは少し違いますね。

文香●この曲が入っているアルバム「愚かな者の語ること」が出た当時のインタビュー(≫こちら)で、ボーカルの田中和将さんがこんなことを言ってます。
(前略)GRAPEVINEはデビュー当時から渋味のある曲をやってきて、ライブでも客をガンガン煽るようなバンドではないですよね。そういったスタンスを貫いているのはどういう気持ちからなのか教えていただけますか?
田中 パンクですよ。パンクに対するパンクです。
──スタイルに対する自分たちなりの反骨精神?
田中 そうです(笑)。まあ真面目な話をすると、そんなにロックのロックっぽいとこが好きじゃなかったのかもしれないなって思いますね。いわゆる若者の共同幻想的な感じと言いますか。そういうものを嫌ってやってきたような気はしますね。(後略)
たしかにライブのMCで「みんなノッてますか!? イエー!!」みたいなのが全然ないです。なんか私、こういうの好きなんですよね(笑

天気●ロックやりながらロックに照れる? この手の含羞は、ジャンルを超えてときどき見受けますね。

文香●どのジャンルにおいても、この手の含羞が好きなのかもなぁ。田中さんが関西弁なのもイイ。

天気●そこも?(笑

文香●歌とのギャップが。曲のことに戻ると、8分の6拍子に5拍子が混ざるのがかっこいい。

天気●おっ、凝ってますね。なにげなく5拍子が入ってくる。

文香●んで、後半の楽器ばっかりになるところは、トリップ感がある。

天気●2分11秒あたりからノイズっぽいブレイクがあって、それ以降、サイケ風味が増しますね。

文香●ですです。歌詞では

  なしくずしの愛の行き先は
  お医者でも草津の湯でも

ってところが好きです。

天気●草津節からの引用。これも「パンクに対するパンク」なのかもしれません。あのう、私が目を留めたところを言っていいですか?

文香●はい。

天気●ボーカルが持っているギター、ダンエレクトロ社製で、見た目がかわいいんですよ。「ロックだぜい!」というミュージシャンには似合わないデザイン。

文香●そうなんだ。ギター全然わからないけど、たしかにかわいいです。ちなみに歌詞には元ネタがあるらしく、というかGRAPEVINEの歌詞は元ネタがあるのが多くてですね、それは田中さんが読書家なのに起因してるんですが、この曲はセリーヌの『なしくずしの死』からきてるらしい(≫参照)。

天気●そうなんですね。セリーヌは読んだことがない。

文香●私も読んでないです。そういった引用みたいなとこで通底するものはあるものの、GRAPEVINEはアルバムごとに全然かんじが違うので、驚きたくて聴いてるところがありますね。

天気●なるほど。『海藻標本』と『君に目があり見開かれ』が「全然かんじが違う」ように?

文香●あー、恥ずかしいけど、言われるとそうです、自己模倣だけは避けたい、みたいな気分か。

天気●ところで、最近、歌詞を書いたんですって?

文香●はい。CRCK/LCKSというバンドの3rdEP「Double Rift」というアルバムに入っている、「O.K.」「たとえ・ばさ」という曲の歌詞を書いてます。平田俊子編『詩、ってなに?』(小学館)のお手伝いに行ったときに、生徒役だったミュージシャンの小田朋美さんと知り合って。そのあと歌詞を書いてみたいという話をして、書いて送りつけたんです。そしたら曲にしてもらえて、歌ってもらえた。

天気●Official Teaserでさわりが聴けますね。


「O.K.」はヒップホップ調、「たとえ・ばさ」はラヴソング。

文香●ライブもよいですよ。


さきに書いたのは「たとえ・ばさ」の方です。これは小田さんに宛てて書きました。

天気●宛て書き。俳句ではあまりしない感じですかね? 俳句は自分からの発話が前提っぽい。

文香●なんというか、そうでもしないと、何書いていいかわからなかったんですよね。「O.K.」の方は、CRCK/LCKSのライブを初めて見に行って、このバンドっぽい歌詞を書きたい、と思って書きました。

天気●歌詞を書く難しさってありますか? 

文香●俳句に比べて長い。これは短歌や詩でもそうですね。あと、どこか笑えるところとか、へんなところをつくるようにしたいなと思って考えました。それは俳句でも同じかな。

天気●それではこのへんで。今回はどうもありがとうございました。


(最終回まで、あと936夜) 
(次回は中嶋憲武の推薦曲)

2017-12-31

【俳苑叢刊を読む】 第20回 森川暁水『淀』 どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(後篇) 佐藤文香

【俳苑叢刊を読む】
第20回 森川暁水『淀』

どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(後篇)

佐藤文香


前回の原稿で「また来週」と書いておいて2週間経ってしまった。新宿駅の中央本線(特急)の9・10番線のホームには、何人かの鉄道オタクらしき人がカメラを構えている。我々が乗る特急スーパーあずさ11号は、12/23に運転を開始した新型車両なのだとわかった。友人の香織さんとの日帰り甲府旅行。行きの特急は隣の席がとれず、香織さんが13C、私が14Cの席に座っている。私の隣の30代男性は鉄道オタクらしく、各席についているコンセントの写真まで撮影している。スーパーあずさは時間になると前触れなく走り出し、後ろを向いた香織さんと「なんかにゅるんと走り出したね」と言い合った。私はピンクのリュックの上に『淀』を開く。
『淀』は、昭和十二年の時「八代」に始まる。田鶴の連作19句だ。

  残月のひかりつ呆(ほ)きつ田鶴のそら
  田鶴舞へりつまうしなひしひとつ鶴も
  とぶ田鶴の羽おとす見えて去ぬ日あり

恍惚としたかんじがある。そして、ぽかんとしたことをよく言う人かと思いきや、案外激しい一面もある。

  羽蟻翔つて憤怒のわれに家がなき
       吉凶譜
  優曇華の咲いて鬼畜の極暑來ぬ

こうやって今スマートフォンで書いていると、西村麒麟さんのことを思い出す。(句を写し一言添えるスタイルはスマートフォンぞ得意なりける、いや、そんなことはどうでもいい)

  梨を剝いて晝のむ酒はわびしいぞ

梨と酒はあうけれども、たしかに昼だとつらい。幸薄さがある。

また、これはほかの句集からもわかるが、砂丘に行く人らしい。

  砂丘ゆくわがまばたきに月荒き
  砂丘寒く折れば乳噴く花黄なり

スーパーあずさは砂丘ではなく立川に着く。
昭和十三年。

  風邪わるく誣言に應ふすべもなし

風邪の句からはじまる。第一句集にも「風邪わるく」の句があったが、風邪といったら大概体調が悪いものなので、重言くさいのが滑稽味になっている。

  鳥交る野を喜捨しつつ妻の里へ
  海市消えてただ烏賊そだつ海ありぬ

こう言われるとこの海では烏賊しか育たなそうである。
ここで和布が出てくる。全部で16句ある。

        焙り食ふもの
  和布とはうれひぐさなりまなうみの

この和語のつらなりはよいなぁ。

  和布焙つて目つぶれなばと思ふ日あり
  この和布われがおもひを千々にさせぬ
  焼いて食ふ和布に骨のあるを知りぬ

和布に思いを添わせすぎていてよい。
私は第一句集を『海藻標本』というタイトルにして、池田澄子に見てもらったら、少し海藻の句もあってもいいんじゃない、と言われて、あわてて二句くらい入れたのが懐かしい。父が海苔を炙る句などはそのとき追加したものだ。
なお、この文章のタイトルは「どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ」だが、作品は「若布」ではなく「和布」であった。ご海容ください。

スーパーあずさは八王子に着く。この原稿を依頼してくれた福田若之は八王子に住んでいる。ここまででも少し旅をした気分なのに。若之は新宿に来るたびに旅をしているのか。

  青梅に夏毛の鹿にそらは雨
  おしろいは日に咲きふえて喪正し
  掛稲は黒く月蝕雲のうち

青梅に、の句は好きだ。この電車は青梅駅には行かない。高尾駅を通過。
車内販売が来て、隣の男性は桔梗信玄餅アイスを購入、販売員に「少し溶かしてからお召し上がりください」と言われている。男性、執拗に信玄餅アイスの写真を撮る。

昭和十四年。「醫にかよふ」四句からはじまる。この人は体が弱いのだ。

  花暮れて葬のもどりの数珠を袂

「数珠を袂」がイカす。
隣の男性、掌で信玄餅アイスを包み溶かしてから蓋を開けるが、カチコチのようでまだ食べられない。信玄餅アイスの薄いフィルムの上にスマホを置き、その上に天然水のペットボトルを置いたりしている。ようやくフィルムを開けた。

  船降りるわれらに桔梗りんりんと

桔梗信玄餅アイスだけに。いや関係ない。信玄餅アイスは真ん中に黒蜜が入っているようだ。日差しがきついのでカーテンを閉めてほしいが、男性は外の景色も楽しんでいる様子なので我慢しよう。

昭和十五年。
  寒禽の嘴(はし)のとがりに手嚙ませつ

飛んでいない鳥の句はだいたいいいなと思ってしまう癖がある。
  海苔に酌めば海苔のちりばむ貝おもしろ
  海苔に酌めば海苔も目刺も海の魚(さかな)

見たことがあると思ったら、さきに読んだ第3句集『澪』に

   結婚記念日二句
  海苔に酌めば海苔の塵浮く盃(はい)おもしろ
  海苔に酌めばさらに目刺は青き魚(さかな)

とあって、それを前回の原稿に書いた。微妙に違う。こちらも結婚記念日の句なのだが。

  梅どつとちりくもるとき淵もくもる
  おほみゆきかしこ緑蔭むかひあふ
  けけと鳴く水の蛙に蛇のびたり

大月を通過。冬の山間部といった景色になってきた。常緑樹と落葉樹がまだらに低い山々を構成する。ここで隣の男性は信玄餅アイスを食べ終わり、『淀』もラストの「黴」抜粋の章にさしかかった。

  凍てめしもまたおもしろく食ひにけり

おもしろく食うとはどういう様子だろうか。よっしゃ飯やでー! 凍てメシやけどな! といったような「おもしろく」ではないと思う。心が凍てめしという素材をおもしろいものとして見ているようなことだろう。おもしろく食わねばやってられないようなところも少しあるのだろう。

  冷凍酒旅にしあれば妻ものむ

本来ならこの甲府日帰り旅も、行きの特急から飲み、昼は蕎麦屋で飲み、ふたつのワイナリー見学で試飲し、夜はほうとうと日本酒、の予定だったが、私がヘルペスで腿を腫らし、医者に食べ飲みすぎぬよう言われたのが昨日、酒は最小限に抑えるべきとの考えから、特急では駅で買ったぬるいほうじ茶しか飲んでいない。
妻の句はほかにもたくさんあるのだが、なかなか書き写す気分にならないのは、今日は女二人旅だからということもあるかもしれない。

  おしろいの夕の食事に犬もあり
  葉づき柿かくもとどきぬ誰ぞ來ずや

『淀』は読み終わった。トンネルを多く通る。耳が詰まる。晴れた外に出る。左は盆地である。盆地の向こう側に、八つ橋を並べたように山が連なる。隣の男性は写真を撮る。右のビニルハウスは果樹園であろうか。今は枯れている。住宅地に入り、山梨市駅を通過。もうすぐ甲府である。

2017-12-17

【俳苑叢刊を読む】 第20回 森川暁水『淀』 どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(前篇) 佐藤文香

【俳苑叢刊を読む】
第20回 森川暁水『淀』

どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(前篇)

佐藤文香


随分時間が経ってしまった。句集評ということで、軽い気持ちで引き受けたのだが、ほかの執筆者が熱のこもった評論を書くのを見ていて、絶望した。自分にはこういうのは書けないと思った。

しかしこの依頼、本来なら無料でしか記事を依頼しないはずの週刊俳句が、担当の俳苑叢刊の一冊をくださっている。書かないわけにはいかない。ちなみに私の原稿の本来の〆切は2017年7月2日だった。今日は2017年12月15日。ひどい遅延である。現在私は『〆切本』(左右社)のグッズ「〆切守」をリュックにつけているが、つける前からの遅れである。

書こうとは思っていたのだ。この俳苑叢刊というのは文庫サイズで、『淀』は87ページ。1ページ4句立てではあるが、ハンディな一冊である。空いた時間にちょっと読もうと思って、幾度も鞄に入れて持ち出した。たまにページをめくったり、一度も鞄から出さないまま何日か過ぎたりし、この書物自体は汚れ、仲良くなったが、一向に書き出さなかったのは私の不義理と言うほかない。



火曜日、俳句文学館へ行った。今年の大きな仕事がほとんど終わったので、とうとう曉水を読もうと思った。そして、句集評が書けないのならばせめてエッセイを書こうと思い立った。私のまずい文でだめなら、この『淀』をどなたかに託し書き直してもらえばよかろう。



森川曉水の句集は、この『淀』がはじめ出たのは第二句集としてであって、そのほかに第一句集『黴』と第三句集『澪』、第四句集『砌』があった。すべて一文字のタイトルというところに一貫性がある。また、『黴』、『澪』のあとがきによれば、この二冊の装幀その他発案は曉水自身らしい。表具店に奉公していたのはwikipediaにも書いてあるとおりで、のちに工場に勤め、自営となったようだが、もともとが職人気質なのだろうと思われる。と書いてから「俳句研究」の松崎豊「追悼 森川曉水 境涯の作家森川曉水」を読んだら同じことが書いてあった。「俳句研究」何号かは忘れてしまった。これは書くのを渋る私のために田中惣一郎がコピーをとってくれたものだ。

『黴』の高浜虚子による序文に、
彼は一茶と一脈相通じ、自己の境遇を隠さずに吟詠してをるが、併し一茶は貧を憤り権力に反抗する呪詛の傾向が多分にあつたが、曉水君にあつては常に諦めの心持で静かに自己の境遇を反省し、或は蔑みつつも之を笑つて居る、といふ相違がある。
とあって、これもwikipediaに「貧のなかに哀歓を籠めた作風で、高浜虚子より「昭和の一茶」(『黴』序文)と評された。いわゆる境涯俳句に先だつ作家だった」と書かれているのでわざわざここで言う必要もないだろうが、それはそうとして私は以下のような句に惹かれた。

  夜濯をひとりたのしくはじめけり
  夜なべしにとんとんあがる二階かな
  炭にくる鼠の立つてあるきけり
  凍てめしもまたおもしろく食ひにけり
  おしろいの夕ともなれば犬を相手
  おしろいのはびこり咲いて無事な秋


句集評のなにが苦手かといえば、こうやって句を挙げた途端、いちいち解釈や鑑賞のようなものを付さなければならないことである。これはエッセイなので、各々味わっていただくことにしよう。っていうかふつうに面白くないですかこの人。上田信治『リボン』のなかにも味わいの似た句がある気がする。

生活を詠む人なので奉公についての句も多い。また、ちょうど新婚のころの句集であり、

  自祝結婚
   借りものといへどめでたし金屏風


また、

  われにある妻いとほしやはこべ咲く
  風邪わるき妻のひたへに手やり護る


などの句も見られる。私事ながら今年結婚したので、夫の気持ちになって読んでみると自分が可愛く思えてよかった。

と、ここまで書いてすでに疲れてしまったが、まだ『淀』に至っていない。このままだと全句集書かなければならなくなりそうな勢いなので、さきに『淀』以外の句集について書いておくと、第三句集『澪』では、

  結婚記念日二句
  海苔に酌めば海苔の塵浮く盃
(はい)おもしろ
  海苔に酌めばさらに目刺は青き魚
(さかな)

結婚記念日に詠む句がこれというのがいい。下五の「盃おもしろ」「青き魚」の字余りがよく、「おもしろ」は「おもしろし」でないのが関西弁風でおもしろいし、「魚」は「うお」と読まれないようにわざわざルビを振るのがおもしろい。あとは、

  葉牡丹に飼へば飼ふほど犬小さき

これなんかかわいそうで好きだった。

第四句集『砌』は、かなりの作品の量なのだが、がつんとくるものは少なく、第一句集にあったモチーフ「おしろい」で

  おしろいにこころしづかに居るかなしさ

などがいいと思った。余談だが、

  男女の仲あやにかなしも鴨はそら

という句があり、私の名前「あやか」と私の好きな「男女の仲」と「鴨」が入っていて気に入ったので覚えておきたいと思う。

さて、『淀』である。曉水にはすでにこのとき主宰誌「すずしろ」がある。さきに挙げた松崎豊の追悼の文章によれば、「すずしろ」創刊主宰したのは昭和13年10月、38歳のときであるらしい。っていうかもうみんな松崎さんの文章読めばよくね? いやいや、あくまで『淀』のことを書けという話なのだから松崎さんは一旦忘れるべきだ。しかし疲れたのでここまでにする。編集部からの要請は2000字以上であり、ここまでで2140字だ。しかし実はまだちゃんと『淀』を読んでいない。続きは来週。

2017-08-26

佐藤文香が『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)を紹介する 佐藤文香

佐藤文香が天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)を紹介する

佐藤文香


俳句のアンソロジーができました。
こういう本です。

『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』佐藤文香編(左右社)


>> Amazon
>> e-hon
>> 左右社ホームページ



多様性を届けたい、という気持ちをつよく持って編集しました。一句の価値が、句が直接意味するところ以外にもある作品を尊びました。

読者のため、作者のためというよりは(それももちろんありますが)、俳句のためにつくった本です。ご覧いただければ嬉しいです。

よろしければ、これから俳句にハマりそうなあの人へのプレゼントにも、ぜひ。



「読み解き実況」アウトテイク(拾遺)


上田信治さんとの対談後

上田 特にこの人たちを【おもしろい】に入れた意図を、教えてもらえます?

佐藤 俳句に今まで興味がなかった人も、【おもしろい】【かっこいい】【かわいい】っていう分け方をすれば、読んでみたいと思いやすいのではないかっていうところから、先に項目ができたわけですよ。

依頼作家の人選は別で考え始めていたので、誰を【おもしろい】に入れて誰を【かわいい】に入れるかっていうのは、あとから考えることになった。

【かっこいい】は結構意味がわかる人が入ってるんですが、【かわいい】と【おもしろい】についてはなんでこの人が、っていうことが起こっています。

たとえば関悦史さんと外山一機さんが【かわいい】に入っていたりすることって、たぶん驚く人が多いですよね。

上田 それは、関さん外山さんに対するあなたの評価でしょ(笑)

佐藤 それもゼロではないですが(笑)、カテゴリの解釈の幅を広げたいって気持ちがありました。【おもしろい】に入れた人は、それぞれ「福田調」「高山調」みたいに文体があることを面白いというふうに捉えたつもりです。

上田 考えさせられる作家たちだよね。いちいちね。

佐藤 あとは、北大路さんを【かっこいい】に入れる手もあったと思うんですが。

上田 そうだね。でも、この対談では、彼の方法をどう評価するかっていう話になったんで、【おもしろい】でよかったかもしれない。

佐藤 俳句の外から見て面白いのっていうと、たぶん北大路翼になると思うんですよ。

上田 トオイダイスケさんとかは、みんな知的に面白いと思うだろう。阪西敦子さん、相沢文子さんは、ホトトギスの方法を、佐藤さんはおもしろいと思ってるわけだ。

【かっこいい】に入ってる髙柳克弘さんや村上鞆彦さんは、たしかに内容のほうに個性がある。

厳密に分かれてはいないんだろうけど、あなたは、書き方が面白い人を【おもしろい】と思ったわけだね。


小川軽舟さんとの対談前に


佐藤 【かっこいい】Aグループの6人の作品を見ていかがでしたか。

小川 総じて言うと静かな印象でしたね。

もちろんそれぞれの作家の生きている感情というのは背景にあるんでしょうけれど、それをストレートに熱く出すんではなくて、その出し方がとても静かな印象を受けましたね。

その中で叙情の色の濃い人と、それから理知的なつくり方の人と。そこはタイプが分かれるとは思いますけれど、とても静かだなというのが印象的でした。

佐藤 3つのカテゴリの中では、作家同士のタイプが一番似ているかもしれないな、と思います。

小川 田中裕明賞の選考委員を私やってますけれど、前回北大路翼さんが受賞されてね、対抗馬に村上鞆彦さんとか藤井あかりさんとかいました。

まあ北大路さんはある意味対極、熱い吹き出すタイプですよね。それに比べると村上さん藤井さんは、ぐっと抑えつつ、でもしっかり滲み出るものは滲み出るという、そんなかんじだったなぁ。私は好きですけどね、そういう出し方はね。

佐藤 (作家分布図を見て)ちょうど北大路翼がホットで軽い最先端に存在していて、藤井さんとか村上さんと対極の位置なので、まさにそうかなというところですね。

小川 一方のこの隅に中村草田男がいるというのもなんかよくわかるね。【かっこいい】Aグループの6人はある意味、中村草田男とはちょっと遠いタイプかな。

佐藤 この座標、福田若之さんとつくったんですが、草田男と山口誓子、高野素十あたりがこの端っこにいるかなっていう話がはじめに出て。その一方に北大路翼がいるっていうのはなかなか面白いなと。


小川軽舟さんに対談途中で聞いた、「主宰ってどうですか」


佐藤 村上さんほどではないですけど、軽舟さんも若くして主宰になられましたが、その責任の句作への影響って何かありましたか。

小川 やっぱり選が受けられなくなったときには考えますよね。藤田湘子という人は取り合わせのイメージが強いと思いますけれど、私が主宰になってからは、むしろ取り合わせじゃない句をつくろうと思いましたね。ほっとくと取り合わせばっかりになっちゃうので。

とかまあ、やっぱりみんないろんなことを考えながらやるんじゃないですか。

佐藤 私は総合誌に発表するとき、誰が読んでくれるかわからない、がんばって出そう、って緊張するんですが、雑誌が主宰誌になったときって、その結社のみんなの目に主宰の作品として触れるから、毎回ががんばりどころっていうか、下手できないみたいなかんじってないですか。

小川 意地張ることありますね。句会で誰も取らなかったやつは意地でも載せる(笑)

佐藤 なるほど(笑)

小川 でもそれで意地で出した句が結局よかったってことになったりもするんでね。

やっぱり結社ってどうしてもほっとくと予定調和になってくるんで、その予定調和のなかに主宰がいてはいけないということは考えておかないといけない。なんか変なことやってるって思われる句も入れとかないと、っていうかんじですかね。

予定調和な句だけだと誰もついてこなくなっちゃう。

佐藤 村上さんと共宰の津川絵理子さんは、今回は「かわいい」の方に入っています。

津川さんははじめ「かっこいい」に入れるかすごく迷った作家だったんですが、主宰になってからの方がはじけて天然っていうか、面白さが炸裂しはじめてるというか『はじまりの樹』のころより今の方が面白いんじゃないかなぁと。

小川 俳句が大きくなってきましたねえ。

佐藤 なので主宰になる良さ、難しさがあるなあと思いました。

村上さんはどっちかっていうと変わらない側なのかなとも思うんですけど。でも変わらない、型のなかでどこまでできるかみたいなのも大事です。全然突飛なものをつかわずに、有季定型で自然物を詠んで、どう面白く書けるかみたいなのは、やっぱり挑戦しているんじゃないかなと思って読みました。

小川 これでどこまでいくのか、変わろうとするのか、ちょっと楽しみなところがありますね。


山田耕司さんとの対談途中の話(この日は福田若之さんも来てくれてました)



佐藤 北大路翼の句がこのフォントでこう並ぶと、ああやっぱりもっとたくさん並んでていいんだなーって思うんだよね。

福田 いや、これはこれでいいと思いますよ。翼さんの句って、たしかにたくさん並べても面白く読めるくらい軽やかだけど、嚙むとまたいい味が出て来るじゃないですか。

『天使の涎』や『時の瘡蓋』のかんじでいくとなると、翼さんは今後も句が行間ほとんどなしにぎっちり詰まった句集しか出さないかもしれない。行間が狭くて句が多いとなると、軽く読むぶんにはうれしいんですが、一句一句に踏みとどまって嚙みしめるような読み進め方をするのはかなり気を張っていないと難しい。

だから、こういうかたちで読めるのはうれしいです。

山田 北大路さんは素材がものすごくあっち系なんだけど、変態ではないよね。

非常に骨が正しいっていうか、すごくスジの健やかな人で。健やかっていうのは彼に対して褒め言葉なんだか侮辱なんだかわかんないところが面白いわけですけど。

佐藤 阪西敦子もいいんですよね〜。〈自転車はざざと止まりぬ黄水仙〉。

福田 ああ〜。

山田 阪西さんは伝統派のなかにおいてかなり変態ぶりの高い人だよね。読者の目を気にしていないというツッパリかたにおいて。せっかく「かわいい」の席にお招きいただいているのに、わたしは「変態」ぶりの指摘ばっかりして申し訳ないんだけど。

福田 敦子さんは、すごい不意打ちで繰り出しくるようなところがないですか。変態ぶりを。

山田 変な話なんですけど、阪西さん、ふるちんなんですよね。覆い隠すものがない。

佐藤 あははははは。

山田 伝統のど真ん中にふるちんで仁王立ちっていうのはなかなか美しい風景だよね。

福田 (笑)。その評はたぶん出版した場合の反応が冷ややかな……。

山田 阪西さんが出てるのを楽しみに本を買った「ホトトギス」の方々にはショッキングな表現かもね(笑)。

外山一機さんなんかは、ふるちんじゃなくてフルアーマーっていうか。自分の内情が見えないようにいろいろカバー入れてくじゃないですか。

阪西さんはどちらかというと、逆。「素のあたしになんか問題あるわけ?」みたいな、自分の感性にしのごの言われる覚えはない、という風合いの開き直り方をして「ふるちん」という、ま、喩なんですけど……。

佐藤 「ふるちん」という章が必要だったか……。



天の川銀河発電所【PV】

「天の川銀河発電所」
作詞・声:佐藤文香
作曲・編曲・演奏・歌:トオイダイスケ
コーラス:平戸夏生(佐藤の妹)
曲中俳句朗読:福田若之、生駒大祐



2017-08-06

俳句読者・金原まさ子さん 佐藤文香

俳句読者・金原まさ子さん

佐藤文香


ゴマ粒ほどであるが、私は金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』に協力した。 なんのことはない、P33の〈ラフレシアの奥へ奥へと「翼さん」〉という句の下にある、北大路翼の写真を提供したというだけである。

それもあってだったか、金原さんのご自宅近くで行われた『カルナヴァル』句会に参加させてもらった。今見返すと句集の奥付が2013年2月12日、句会は23日だった。ほかの方や金原さんがどんな句を出したか、それはどこかにいってしまったが、Gmailを検索したところ、私はこんな句を出していた。

 白梅のスウプに垂らすみことのり
 孔雀は孔雀に出逢ひてそれを鏡と思ふ

一応、どちらも金原まさ子オマージュのつもりであった。
その日の写真のアルバムが出てきたのでリンクを貼っておきます(≫こちら)。

「徹子の部屋」の観覧にも参加させてもらった。これは同じ年の8月13日(火)13:30から。六本木のテレビ朝日まで師匠池田澄子を連れていくという役目で、澄子さんとふたりで同じ丸ノ内線に乗り合わせて行った。

金原さんが徹子さんと何をしゃべったのかは思い出せないのだが、あのときの金原さんの顔ははっきりと思い出せる。私はずっと金原さんの顔を見ていたようだ。

私にとって、その人が100歳以上かどうかなどは関係なく、面白い作家だと思ったのだが、なにしろ年が離れているので、どれくらいの敬意で接していいかわからなかった。加えて、私は文学少女が苦手で、それは何も読んでいない私のような人間のことをつまらない人間だと思うだろうという勝手な思い込みからなのだが、だから金原さんに好いてもらえる気があまりしなかったというのが、本当のところである。ただそれはすべて、金原さんにはバレていたような気がする。金原さんも、私を少し怖がっていたようだった。

ともあれ、「街」会員でもないのに二度のイベントに参加させてもらえて、ラッキーだった。このときのメンバーのなかでは、私が最年少だ。金原さんは当時102歳、私は27,8歳。仕事があまりなくて平日悶々と過ごしていたころ。辛い時期だったけれど、金原さんと同じ空間に存在したという事実があることは、今となっては何にも代えがたい。

 目かくしの土竜の指の花の香よ  金原まさ子『カルナヴァル』
 嚙んで吐けば檸檬の皮の黄やけわし
 わが足のああ堪えがたき美味われは蛸

それ以後も、金原さんからは創刊した「クプラス」へぽち袋をいただいたり、関悦史さんの出版記念パーティーの幹事をやって関さん宛のお手紙を預かったりと、ありがたく思っていた。私はいつの間にか、金原さんのことを、一級の俳句読者として信頼するようになっていた。金原さんの享受者としてのミーハーさは、俳句という詩のありようと、非常にマッチしていたと思う。

「金原まさ子百歳からのブログ」2017年4月7日に更新された「ブログ終了のお知らせ」に、「今後は皆さまの句集、ブログ、ツイッター等の読者として俳句を楽しんでゆきたいと思っております。」とあり、最高じゃんと思った。私は、金原さんに読んでほしい本をつくっていたからだ。若手の俳句アンソロジー『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)である。金原さんには、まずお送りしようと決めていた。いつものように、きれいな字でお手紙をいただく想像までしていた。でも、金原さんは、6月27日に亡くなってしまった。あと2ヶ月早く出来上がれば……。

私は俳句の外の世界へ『天の川銀河発電所』をアピールすることに決めているので、きっといま金原さんがいる世界へも、届いてくれるはずだ。そして、金原さんの作品やお人柄が開拓した俳句読者の皆さんにこそ、この本を読んでいただきたいなと思っている。

 ああみんなわかものなのだ天の川  金原まさ子『カルナヴァル』

2017-05-21

クプラスピッ句座談 ku+メンバーピッ句で遊ぶ 佐藤文香×福田若之×上田信治

ピッ句座談
ku+メンバーピッ句で遊ぶ

佐藤文香×福田若之×上田信治


佐藤 今日は元漫画研究会の上田信治さんと元美術部の福田若之さんに、クプラス各人のピッ句について語ってもらいます。よろしくお願いします。

上田 近世の俳画の伝統が、近代俳句以降途絶えている、ということが前提としてありますよね。現代の神経では「古池や蛙飛込むみづの音」に、なかなか、絵をつけにくい。広瀬惟然の「水鳥やむかふの岸へつういつうい」なら、つけやすいけど。



うららかや犬の視線の先に猫 杉山久子















上田 この句は余白が多い句だよね。絵をつけやすい隙がある。

福田 いわゆる写生句よりは、滑稽味のある句、言葉遊びとかいわゆる「おばか俳句」みたいなのの方が絵がつきやすいなあというかんじはありますよね。

この句は犬の視線の先の猫に、うららかやという結構とぼけた季語がついてて、その余白がこの犬と猫の連なった輪郭線のイメージとよくあってる。文字の配置もかなり面白いです、「先に」まではすーっと読みくだすでしょう、そこから、「猫」にむかってぽーんと絵をまたぐ。ここにタメがあります。

上田 このピッ句のチャームポイント、犬一匹猫一匹じゃないところ。俳句は俳句の中で言っている内容と別の、言っていないことが成立しているかどうかが勝負ということがあります。

俳句をそのまま絵や写真で絵解きしてしまうと、その肝心の「言っていないこと」の邪魔になってしまうんですけど、このピッ句は、その弊を逃れている。

むしろイラストと俳句のずれの部分に、第三項のようなものが成立している。
こういう具合にいければ面白いんだよね、俳画って。



新築やナイフに映る冬林檎 佐藤文香














上田 俳句が、家とナイフとりんごの三要素。それに対して絵は、おっきいやかんとちっちゃいラー油と栓抜き。三要素の関係という意味で、絵と句がパラレルになっている。佐藤さんはなんでこの句で書くことにしたの?

佐藤 私は具体物を描こうと思ったんですね。で、俳句も具体物を書いたものにして、どれも素材がかぶらない、というのを考えました。

福田 ひょっとして、これ、三つがそれぞれ対応してます? 新築というのは空間で、ポットは容器ですよね。どちらも中にものが入る。ナイフと栓抜きは金属でできた、どちらも台所にありそうな道具。

上田 映るっていう関係でちっちゃいもの2つが結びついてる。

福田 しかも、ラー油と冬林檎はどちらも赤。

上田 なるほど。ところで、れおなさんが言ってた、俳画は下手じゃなきゃダメっていうのはなんでだろう。その場で描くとか簡単に描くということかな、ちょこちょこっと座興として。

福田 昔のひとたち、お酒なんか飲みながら、興が乗るのにまかせて描いてそうなイメージありますよね。いや、あくまで勝手なイメージですが。

上田 昔の趣味人は、いろいろ腕に覚えがあるという人がいたんだろうね。

福田 文香さんのピッ句に話をもどすと、句が横書きなところも印象的です。さらっと横書きで書かれているかんじは、絵のかんじとあってる。

上田 美術部っぽいからじゃないですか。日本人の洋画のサインも、普通、横書きだし。



身にしむといふは春もよ昼ねざめ 高山れおな














佐藤 高山さんより、「葛飾北斎の『己痴羣夢多字画尽』(おのがばかむだじえづくし )の中の絵を写しました。この本は、北斎先生が初心者のために制作した絵手本でございます。書き順の指示まであります。その通り写したのでございます。」とのことです。

福田 この絵、側頭部の生え際の感じはすこし男性っぽいような……。どっちでしょうか。

上田 遊女じゃないのかな。男だとしたら、流連の遊び人みたいなかんじ? れおなさんが自画賛としてこの絵をつけてきた、と思うと、なんとなく伝わるものがある。。

福田 絵手本の写しというのは、意図があるように感じます。句も、自分の句を書き写す作業があるわけでしょう。だから、句も写し、絵も写し。だから、ここでは句や絵自体の独創性ではなくて、絵と句の組み合わせが問題になってるわけですよね。合わせるっていうところにピッ句のある種の本質を見出して、そこに照準したやり方。

ところで、ここで写されている北斎の絵手本は、それ自体、複数の文字の組み合わせによって絵のかき方を表現しているんですね。この絵だと、たとえば、左腕のところは「氏」という字。で、髪は「叶」。ふすまの模様とかは別にして、輪郭線は、全部そんな具合に文字で構成されているわけです。だから、いま句と絵の組み合わせといいましたけれど、このピッ句において、絵と文字との境界は、ひそやかにかきみだされているともいえる。



 (e+πi)0=1 福田若之














上田 偽オイラーの等式なんだって?。

福田 はい。本当のオイラーの等式はeiπ+1=0というものです。表記する順番がπiだったりiπだったりするのはそれぞれ理由があるのですが、割愛。とにかく、オイラーの等式は、それぞれ非常に意義深い定数が、足し算、かけ算、累乗という基本的な演算で無駄なく結び付いているんですね。それで、数学史上最も美しい式と言われたりする。で、僕の書いた偽オイラーの等式は、そのオイラーの等式に擬態したもの。こっちは、数学的にみると無駄が多いんですね、ゼロ乗すれば、括弧に何が入っていても基本的には1になるわけですから。オイラーの等式に表れているような、真正なるものの唯一的な美に対して、擬態の美や、偽物の美、無駄の美などについて考えてみたくて。それは、いわゆる数学的な美しさとはきっと異質なものなんでしょうけど。

上田 これ前書きつくの?

福田 いや、分かる人にだけ分かれば。分かったところでさしたる意味もないですよ、たぶん。けど、そんな無意味な式でも、こういうふうにかまきりを思わせる筆跡のまとまりと合わせると、それが俳句に見えてくるんじゃないか。かまきりらしきかたちにまとまった無数の線をこの数式の隣に描いておくと、その筆跡の束が俳画に見えてくるんじゃないか。要するに、俳画に擬態した何かを書こうと思ったんです。今回提示された「ピッ句」という呼称も、チープさを狙っていて、もどき感があるので、それに合わせてみました。

上田 ぐらぐらしてるもの同士いいかんじに支え合う? それが俳画の伝統かもね。
俳句をやってない人から(殊能将之という作家の小説に出てくるらしいんだけど)「E=mc2秋の暮」はどうですか、と聞かれたときに、面白いけどよくある手なんだ、とこたえました。俳句の模型としてよくできているよね、という。

福田 ちなみに、「かっこいーたすぱいあいのぜろじょうはいち」と読むと、七七五の字余りで、中七下五にかけて句またがりをした韻律に乗ります。

上田 前書きはいるは、ふりがなはいるは、だね


 灯ともせば心うつむくをみなへし 生駒大祐

上田 バンと心理的なものを出してきたよね。やー生駒くんはまじだよなー。
福田 この絵を見たときに思い出したのは、ソール・スタイバーグっていうアメリカのだまし絵的なイラストを描くイラストレーター。こんな絵を描く人です。









スタインバーグの人物が線に解体されていくのに似て、生駒さんの絵も、電球を構成する線が解体されて電球をおさえる手を構成する線になってる。ここに描かれてるのは電球とか手とかじゃなくて線なんだ、っていうのを意識させる絵ですよね。

電球は、句の「灯ともせば」という言葉のイメージと結びついているんですけれど、見方を変えるなら、この文字だって線でしかない。この線の束を「灯ともせば」と読んで灯りを想像するっていうのは、考えてみれば奇妙なことなわけですよ、少なくとも、添えられたこの線描を電球だと思うのと同じくらいには。要するに、文字と絵が線でできているという意味で等価である。どちらもあたかも絵であるように文字であるようにふるまっているが、つまるところ線なんだ、という。これは、さっきの高山さんの絵にも通じるところです。

上田 句は「をみなへし」のところで、外の世界へ開かれる。家に帰ってきて電気をつけた、あらためて孤独の中にある人が外の女郎花を思う、それが救いになっているという構造の句。でも、絵は上の12音に集中してるので、暗いよね。蛇の尻尾呑みみたいなもんでしょう。

福田 せつない……。スタインバーグの絵はユーモアとか笑いに通じている度合いが強いけれど、生駒さんの絵はそうではないわけですよね。ペーソスに通じている。

上田 まじでいいよね。



路面を知り擦り傷黒き梨をもらふ 関悦史











上田 面白いなぁ。

福田 この句、韻律は五七五ぴったりじゃないけれど、段切りがきれいに上六・中七・下六の三行に分かれてるじゃないですか。これって、よく素人くさいっていわれる表記法でしょう。梨の絵の配置なんかも、ともするとありがちなキッチュになりかねない。というか、たぶん、そこを狙っているんでしょう。だけど……そこでですよ、この目っ!

上田 これがなかったらどうよ(と言って目を指で隠す)。俳画の絵ってイラストじゃないですか。意味と支えあうことによって成立するものでしょう。福田くんの言うこの目が、意味として突出してる。杉山さんの「こんなにいっぱいいたのかよ!」というのと同じで、余計なはみ出し部分があってうまく支えてる。この目は、関さんのトレードマークのオリビアの目でもあるし。

あと、関さんの俳句って、ときどき、わざとイラスト的なつくりになってるのがあるよね。言いすぎて意味がありすぎて何かある、という。同じことを絵でもやってくれている。

福田 「知り」のとこなんですよね、目に対応しているのは。句において、梨はまさに「知る」ことの主体として語られている。絵においては、目によって、その主体が表現されているというわけです。

上田 そうなのよ! この目は署名でもあるからね。どっちかというと、もらった語り手より、梨のほうがむしろ主体。マジなのは関さんも生駒くんも依光さんも同じなんだけど、関さんのはやっぱ変なユーモアがあるんだよね。

福田 認識の主体はすなわち目であるという発想は、俳句の文脈でいえば、「写生」が支配した近代俳句のありようと深いかかわりがあるように思われます。「秋風や眼中のもの皆俳句(高濱虚子)」。この関さんのピッ句は、そうした「写生」的な文脈における目の隠喩をふまえながら、それにたいする穿ちの態度によって、非「写生」的な句と絵のほうへ突き抜けていく。まさしくその抜け穴として、この眼孔があるのかもしれません。



冬の蛾よ我は野面の石であつた 依光陽子















上田 似てるわ、句風と画風(と言ったら大げさだけど)絵と俳句の書きぶりがそれぞれ。面白い。

福田 これは句に即したものを並べてある。蛾の見切れてる感じがオシャレ。

上田 無意識の計算だと思うんだけど、光が飛んでるところと、蛾が見切れてるところね。冬の蛾こそがこの句のなかの非現実で呼びかけの対象なんだ、と見える。俳句だけ読むとそれは逆で、石は心理で冬の蛾はいるんだけど。

福田 キュンとさせられたのは、この赤い線。ここにこの赤が入ってるのが、印刷だとうまく伝わるかわからないですけど。細部の妙味です。

上田 蛾とビー玉みたいな光だけじゃ理に落ちるところを、赤の謎の筋で救ってるよね。みなさん、さすが、絵を描かせてもそう簡単に絵解きに落ちない。

福田 まず油性のクレヨンで赤い線をかいて、その上から水彩絵の具ですっと一刷毛いれているみたいですね。滲み方がそういうふうになっています。。

上田 枝とか地べた的なものだよね。現実と非現実というか具体と抽象が入れ替わるように描かれている。なかなか素晴らしいのではないでしょうか。この三連チャンはすごかったな。



自動車はシンメトリーで冬の海 上田信治

















上田 この句は自分としてはマジ。元は古谷利裕の「偽日記」というブログで見た、駐車場に車が停まってる写真から作った句だから、それを、また元にひっくりかえすのは面白いんじゃないかなと。

あと、ぼくは漫画とかアニメを生業にしているので、ここはコマ割りだろうと。

福田 今の話を聞いていて思ったのは、信治さんのなかで、この句と自動車のイメージそのものがもとから繋がっているから、繋がっているものを出すとこうなるということなんだろうなということでした。信治さんのなかでのこの句のあり方により近いものがピッ句に出ているんだろうなと。そこが興味深いです。

「自動車は」から「シンメトリーで」に移るときに、ちょっと引くかんじがオシャレですよね。余白が生きる。で、「冬の海」で「ザザッ」と。この句をパッと読んだときに浮かぶのは、一瞬を切り出した感じなんですけど、このピッ句だと動いている海とじっとしている車があるっていうのが、時間が取り返される感じがあって、それはコマ割りの力なんだろうな。と。



ラグビーの胸ラグビーの腿の下 阪西敦子














 佐藤 「大首絵にしました」と送られてきました。阪西さんはお母様が似顔絵作家なので、顔に対する思いがあるのではないでしょうか。

福田 大首絵って、浮世絵の顔のアップになってるやつのことでしょう、阪西さんはそれのバリエーションとしてこの絵を置いてるということですね。

上田 これはほんとに〈絵と言葉〉じゃなくて、〈絵〉だな、と思った。絹谷幸二だっけ。絵に文字をガリガリ書く人いるよね。字がとりこんである絵。
ラグビーの句って男性の肉体とか青春性を賛美する句が多くて、あまりいただけなかったけど、こうやってモロに体を出されると、わかりました、受け取りましたという気持ちになるね。

佐藤 阪西さんはラグビー部のマネージャーでした。

上田 このラガーの壮年ぶりはいいよね。「ラガー等のそのかちうたみじかけれ(横山白虹)」のラガーは学生ラグビーってかんじがするけど。

福田 そうですね、あとは、「ラグビーの頬傷ほてる海見ては(寺山修司)」なんか、完全にラグビー部。

上田 ラグビーの句ってエロいよねー。

福田 絵に壮年の雰囲気があるからかもしれないけど、この句はなんだかこの人の肌に彫り込まれた古傷のようなかんじがする。この俳句は、書かれてるとか記されてるっていうよりも、刻まれてるなぁってかんじがします。

上田 この絵の主人公はきっと肉体に対するフェティシズムとともに人生を送ってる。フランス語が書かれてるから、きっと海外遠征に行くような選手なんだな。絵の一部に句を彫り込むという、ピッ句のあり方ですね。



狼よ誰より借りし傘だらう 山田耕司



















上田 かっこええですなぁ。

福田 傘の部分は、写真を切り抜いてるようですね。写っているのは動物の毛なのかな。写真俳句の新しいかたちともとれる。

佐藤 狼の毛でしょうか。

上田 狼を連想させるような人の後ろ姿を見ているというような構図が浮かぶよね。狼はナルシズムを託す対象なんだな。あと「絶滅のかの狼を連れ歩く(三橋敏雄)」も念頭に置かなきゃかな。

福田 なんとなく意識の隅にありました。ああ、これは「真神」としての狼だよな、って。この句の狼は、金子兜太の狼よりは、三橋敏雄の狼を思わせますよね。切り抜きも文字も、荒凡夫的なごつごつした感じではなく、すっとしている。でも、それでいながら、芯のところに激しさがある。そのあたりが敏雄の句を思わせるんでしょうかね。

上田 ふだん傘なんか持たない人が、似合わない意外な傘を持ってるんで、その人が歩いてるのを見ながら、ああ、あの人だ、傘誰かに借りたんだ、という句。俳句には摂津さんとか三橋さんとか、いなくなっちゃった人がたくさんいるから、そういう人を思い出させるよね。

福田 字の線が、細いんだけど骨のあるかんじです。それが、傘の柄のかんじと響き合ってるなと。

上田 正中線が意識されている字なのかもしれない。字が上手い人はずるいな。

福田 ほんと、かっこいいですよね、これ。

上田 佐藤さんも字うまい。

佐藤 や、私はホワイトボードに書くのが一番いいぐらいです。

上田 ああ、そういやピッ句って、ホワイトボードに描いて消しちゃうのとかが一番いいありようかもしれないな。

福田 「文台引下ロせば則反故也(芭蕉)」みたいなことでしょうか。

上田 そうだね、座興としてこんなことしたらすごい楽しいっていう。それってずっと昔から続いてる本質だよね。だから、ここは銀漢亭にホワイトボードを設置するなどしていただいてだな。笑

佐藤 集まった俳人が描いては消す、みたいな。



上田 イラストレーターさんに描いてもらったのを見るのがすごーく楽しみになってきたね。1号目の鴇田智哉さんの「上着きてゐても木の葉のあふれ出す」とかすごくよかったじゃないですか。

自分の句で描くと、すごくナルシスティックになりがちだよね。自句自解的な内容になったり。純粋読者の側から句を読んだ人の絵が、どうついてくるかは楽しみ。関さんのやつとかも別の人が描いたら多分違う絵になってただろうから。絵をつけることによって明らかになることもあるよね。

はじめに広瀬惟然の「水鳥やむかふの岸へつういつうい」とかはつけやすいって言ったけど、今だと西村麒麟さんとかがやるといいよね。「上手くいき鶯笛で人気者」とかさ(笑) 

福田 「初めての趣味に瓢箪集めとは」に瓢箪じゃないものの絵を添えてみるのとか、いいかも。

上田 超時代的な可能性をはらんだ方法を、麒麟さんは確信犯でやってるから。
この、絵のつけやすい俳句にある空間とか隙というのはなんなんだろう。

福田 体感としては、句のしなやかさというか、しゅっとしたかんじのあるものは、そこが絵のつくための余白になってるかんじがある。必ずしも滑稽じゃなくてもいいんだな、という気がしました。例をあげるついでに少し振り返ってみると、たとえば、れおなさんのなんかは高等な滑稽ですよね。他方、山田さんのは、決して滑稽ではないんだけれど、しゅっとしていて、余白がある。

上田 すこし歌ってるかんじかもしれない。福田くんや関さんは、人間の自然な歌声を抑圧して、ごつごつしたところに重層性をつくるじゃないですか。

でも、すらっと歌ったところに気分のようなかたちでもう一個の項目が成立しているというのが、合わせやすいのかもしれないね。杉山さんも飄々としてる。あの人も面白いややこしい俳句も書くけど、人柄でぽんと立たせちゃうというのが近年は多いような気がするな。

新聞や雑誌で、活字で読むものという芸術として俳句はあって、僕らはここだけでどこまでもややこしくして見せるというつくり方で。でも、そうじゃない書き方ってあるよね。




伝書鳩3 杉山久子×佐藤文香

伝書鳩
杉山久子×佐藤文香による往復書簡
第3回





久子さま

句集『泉』をありがとうございました! おもろかったです。ふらんす堂のシリーズの綺麗系な装幀なのがもったいないくらい「おもろい」と思いました(これ、褒め言葉のつもりで言ってます)。

上手なイイ句については、もう他の方がたくさんお書きでしょうから、わたしは『泉』おもろイイ十句を挙げますね。

星涼しトナカイの肉切り分けて
  捨てられしバナナの皮と本の帯
  人悼む白シャツにかすかなフリル

「トナカイ」が肉として食べられること、ゴミ箱のなかではバナナの皮と同列な「本の帯」、礼服の「フリル」。これらは、本来はどちらかといえば「素敵」な素材なのですが、あれれっと思うタイミングについて書かれているのがおもしろい。

秋の日に静止画像のごとくゐる
  露の世にボーカロイドのうたふ愛

動画を停止させたときみたいな妙な姿勢で、今「ゐる」と、客観的に自分の姿を認識している。シンプルでありながら、現代的な句だなと思いました。現代的といえば、あの高いピーっとした切ない声、「露の世」感ハンパない。今せっかくなんで「SPiCa」ってボカロ名曲聴いてるんですけど(@荻窪のスタバ。もちろんイヤフォンで)

ため息で 落ち込んでいた午後
   想うだけ 君の名を一人つぶやくわ
   あさはかな愛じゃ 届かないよね
   会いたくて ピアノ奏でた音
   苦しくて 溢れ出す
   余韻嫋々 君に届け
        (作詞:kentax vs とくP 作・編曲:とくP)

余韻嫋嫋って・・・・・・ちょっと感動していたら、隣の人が盛大にスターバックスラテ(ホット)をぶちまけて、店員さんが拭きに来て、恥ずかしかったので、一旦パソコンを閉じました。

  いにしへのパンクロックや月見草

これは、パンクロックというものの古い時代の曲を指すのか、それとも縄文時代におけるパンクロック的なものなのか(笑)。わたしは、銛を振り回しながら毛皮の人たちが火のまわりで歌うのを想像したので、後者であってほしいです。月見草が凛としてる(笑)。

  たよりなきファンひとりゐる冷奴

もちろん久子ファンのことですよね? でも、一人じゃなくて何人か思い浮かびますよ、俳句系中年男性。ま、そうじゃなかったとしても、たよりないファンが一人しかいないような人というのは存在として哀れなわけで、おかずとしても大変心許ない冷奴みたいな奴なのでしょう。

  珈琲におぼるゝ蟻の光かな

いやいや、かわいそうやし、蟻入ったらあかんし! あぁあ、その珈琲もう飲めへんし、久子さん見とらんと、どうにかし・・・・・・「蟻の光」とかカッコイイこと言ってる場合ちゃいますやん! なぜか関西弁で突っ込み。

  入金をたしかめてゐる生身魂

いますよねー、ATM。店の人に後ろから教えてもらってるから遅いんですよね。だいたいこういうときに限って小さい店舗で、機械が二台とかしかない。列に並んでると、その人のことばっかり見てしまう。こういう人が振り込め詐欺にひっかかるんじゃないかと不安に思ったりする。季語「生身魂」が最高ですね。「入金をたしかめてゐるおぢいさん」では、ここまでの味わいが出ない。もしかしたら、ATMが次の世につながってるかもしれません。

ここまでで九句紹介しました。「フリル」の句は句またがりですけど、すべてバッチリ十七音、有季定型。それがいいんだと思います。

人を笑わすときに自分が笑ったらいけない、笑わそうという意図が少しでも感じられたらいけない、なんなら真面目に言ってるつもりの人こそが、人を爆笑させられる。

有季定型というのは、その「真面目」ぶりなわけですから、そんなちゃんとした俳句から久子さんらしさ(「伝書鳩」は久子さんが面白いと評判)が滲み出てしまったときに最も輝くのです。そして、一番笑ったのは次の句。

  セーターの毛玉を取れと神の声

「神の声」て! 友達でも親でも自分でもない「神」。この声を聞いてしまったときの久子さん、もしかすると静止画像のごとし、かも。もさもさになったセーター着てる久子さん。もうなんて言えばいいのか。久子音頭? 最高ですよ。
てなわけで、「そんなつもりじゃない!」や句集裏話など、ございましたらぜひ。

文香



文香さま

『泉』の評をありがとうございました。大笑いしながら読みました。文香ちゃんが取り上げてくれた句はほとんどが句集の中ではマイナーだけど、自分では気に入っているもので嬉しかったです。

「珈琲におぼるゝ蟻」実際は紅茶に溺れていたような気もするけれど(どうでもいい情報)、勿論眺めた後は助け出し、飲みました。蟻くらいなら大丈夫なのよ。カメムシとかオタマジャクシとかだったら飲まない。

「いにしへのパンクロック」はいまだかつて誰にも取り上げてもらってないけれど、自分では「月見草がいい仕事してるわ」と思っていたので特別嬉しいです。

最初は古い時代のパンク曲の意味で作ったのだけれど、だんだんもっと古い時代の、出始めたころは衝撃的だったのに中途半端に時間が経って居心地悪くなってしまったもののイメージも自分で重ね合わせるようになってきました。わたしの「いにしへ」はせいぜい平安時代くらいまでですね。縄文時代まで遡ったのにはびっくり、大受け。

「神の声」、私にはこれくらいの啓示をくれる神様がいいかなと思ってます。あまり恐いこと言われても困るので。

毛玉の事を考える時、よく思い出すのが皇室の方々のこと。

いや、逆でした。冬に皇室の方々をテレビで見ると、つい毛玉の事を考えてしまうのです。この人たちは毛玉を見たことあるのかな? と。あるかもしれないけれど、毛玉のついたコートとかセーターを着ることはないだろうなと。別に普通のセレブの洋服沢山持っている人でもそうかもしれないけれど。あ~、毛玉って枝毛と一緒で取れば取るほど気になりだしてキリがないんだよね。

…て、またどうでもいい話に。

でもこの書簡は基本どうでもいい話で進んでゆくのであった、と気を取り直して。

今回の句稿を送った後気づいたのですが、前回

  筍とタウンページをもてあます

という句を出していたのをすっかり忘れていて、また今回「もてあます」句を出してしまっていた。内容は違うけれど同じ発想。入れ替えを頼むのもご迷惑だろうと思い、こうなったら「もてあますシリーズ」で色々作ってしまえと思い(乱暴な!)、そのままにしました。

「クプラス2号」を読んで下さったある女性の俳人の方から「伝書鳩」への感想をいただきました。

「パソコンゲームの話題には思わずうなづいてしまいました。私の気に入りはウィンドウズ本体ではなく無料のパズルサイトで「ケーキソリティア」というものです。とても可愛く一度解けてもしばらくすると忘れてしまい又楽しめるというもので密かにお勧めです」

一度解けてもしばらくすると忘れてしまうという一文に痺れ、これはやらねば!と探してみたのですが上手くいかず、イラッと来たので、昔やっていたフリーセルでもするかとあちこちのサイトをめくってみるも、私が知る過去のフリーセルと違う。カードがめくれていないではないか。益々イラッとしたまま時間だけが過ぎてゆくのであった。こんなことしてる暇はないのに。

…というように、気づけば私がもてあましているのは、筍よりもタウンページよりもモアイよりも赤い羽根よりも何よりも、そう、この私自身なのでした。

  もてあます恋猫ぶらさがり健康器 久子

文香ちゃんは自分のことをもてあますことありませんか?私ほどではないにしても。
お願い、あるって言って(笑)。
久子












久子さま

私も自分自身のこと、超絶もてあましてます。だいたい、一人で家にいると何していいんだかわからない(勤めていないのに。これでは何もできない)。テレビも見ないしガーデニングもしないし、本は読まなきゃだけどエイッと力を入れないと読めず、気がつくとツイッターとフェイスブックとメールの画面を交互に見ているだけの時間が過ぎていることがよくあります。

料理以外の家事はわりと積極的にこなすタイプなので、というより体を動かしていないと不安で、洗濯やクイックルワイパーをしてると気持ちが落ち着く。最近は断捨離と言うんですか、いらない服や本を捨てたり売ったり、何しろ体を動かして達成感を得る、というのが好きみたい。しかしそれは置いておいて、一人で一箇所に座っているのが苦手というのは、本当に仕事が進まなくて困ります。大して多くもない仕事が、いつまで経っても完成しない。

人に見られていると思うとまだマシ。だからノマド的にスタバに行ったりしてるわけですがそれも飽きてきて。こないだ「新宿 カフェ 勉強」で調べたら(我ながらヒドい検索ワード)、「Wifi完備・電源完備・三時間千円ドリンク飲み放題」というところを発見したので行ってみました。

オシャレだし店員のお姉さんは美人だし、居心地は大変よくて(隣はイケメンだった)良かったんですが、ブログとメールを何通か書いて満足してしまい、仕事は一向に進まず。

なんなんでしょう、書き仕事向いてないのかな……。でも家にいるよりはいい気がして、これはいっそシェアオフィスとか借りるべきなのかと思って検索し始めて、いやいやそんなするほど仕事ないだろ! と思っては、週三でカフェ行くのとどっちが安いかな、でも借りたら借りたでまた仕事できなくて落ち込んだりするんだろうな、と、考えは堂々巡り。

できるだけ人前に立つ機会を減らして、書き仕事を増やしていきたいという思いとは裏腹に、自分が一人で何もできない人すぎて、家にいても焦るばかりではかどらず、室内を歩いている。もうそんなに動きたいならむしろ? ということでランニングを始めました。続くといいですけど。

あと、何かひとつのことに集中するのが大変苦手で、気が散ってないと仕事がはかどらない。友達とメッセージでやりとりしながらとか、彼氏と電話を繋いでいる状態で一番仕事ができるという、なんとも迷惑な人間です。俳句を考えるときは一人でもいいのですが、別に誰かいたっていいという有様で。この前なんか、だらだら電話で喋ったり喋らなかったりしながら仕事をやり遂げたら、通話時間が異例の六時間超え。通話料定額じゃなければ絶対ありえません。はー、一人で仕事して一人で住んでる意味がわからない。

今これは自宅の炬燵で、大音量で音楽を聴きながら、ツイッターでカピバラの写真を見ながら、子宮頸がん検診の予約を入れたりしながら、どうにか書いています。久子さんはお勤めしてらっしゃるからこんなことはないと思いますが、どうやって集中力保ってます?

はぁ。

話は変わって、わたしはこの「クプラス」の他に「里」と「鏡」という同人誌に参加していまして、その「里」の若手八人で「しばかぶれ」という作品集を作ったので、お送りします。編集長の堀下翔は筑波大学の二年生。よく一緒に俳句の話をしたり、俳句の仕事を手伝ってもらったりしています。有能。

特集は中山奈々で、彼女も「しばかぶれ」の一員です。高校時代から俳句を書いていて、現在二十九歳なのですが、若手アンソロジーに入集しなかったので、私が今までの彼女のほとんど全部の作品を見て、百句選んでみました。

 腹痛の弱ささびしさ綿虫呼ぶ  奈々
 春寒の無礼を別の人が詫びる

情けなくてバカで面白くてほっとけない、かわいいヤツです。他のメンツもなかなか面白いので、ご笑覧いただければ幸い。
文香



超絶自分持て余しの文香さま

嬉しいです。持て余し仲間がいて。カピバラは和むよね。カピバラがお湯に浸かって目を細めている画像なんか見ると「こやつはなんでこんな幸せな目に遭ってるんだ」とほこほこします。今年の冬も柚子湯に入るのかな。

そしてこの人も仲間では?と思う人が。(違ってたらごめんなさい)。中山奈々さん。

「しばかぶれ」送っていただきありがとうございました。その奈々さんが特集されている!以前からこの人の句をまとめて読んでみたいと思っていた私にもタイムリーな発行でした。

とにかく句がおもしろい。選べないくらいどの句も面白い。意表をつかれるものばかりです。

 メロディーと名付けし春の雲崩れ   奈々
 バンダナで縛るカーテンほととぎす
 後輩の快挙文化の日の暮るる
 畳むたびずれる新聞桜桃忌
 母さんが優しく健康に産んでくれたので飛蝗捕る
 やることがすべて大げさ菖蒲風呂
 保育器に差し込む腕や小鳥来る

疾走感とほんわり感が奈々さん特有のリズムで繰り出される句の数々。時々作品の下に自分の名前を書き込んでしまいたい衝動にかられる作家さんがいるのだけれど、奈々さんもそんな一人。

 帰路持たぬ精子春一番か二番
 鳥雲に帰りの電車賃残す

帰路があってもなくてもなぜか寂しい。寂しいのに可笑しい。

 春寒の無礼を別の人が詫びる

可笑しくってかわいい。文香ちゃんがほっておけないという、多分他の皆さんもほっておけないのだろうという気持ちよく解ります。

田中惣一郎さんによるグラビアもいいね。

さくっとこんな颯爽とした雑誌を作った後の七人の皆さんの句を一句づつ。

 夕照を川は流さず実むらさき 堀下翔
 嘴のぶつかつてゐるプールかな 喪字男
 秋さびしなかやまななになが三つ 小鳥遊栄樹
 トンネルが長くて虹を覚えてゐる 青本柚紀
 流れゆく元親友の挙式かな 佐藤文香
  (注:原句横書き)
 生身魂小豆洗ひに似てゐたり 青本瑞季
 手袋外すはマスク外すため 田中惣一郎

第二号からも楽しみにしています。

ところでご質問のどうやって集中力を保つか?集中力は私もないほうで。これ書きながら、ついフェイスブック見てみたり、昨日友人が読み方が判らないと言っていた字を突然思い出して調べてみたり(「ひちりき」でした)、ついその辺の雑誌を読んでみたり、そうそう、文香ちゃんも書いていた断捨離というか、掃除してからとりかかると割に何かの原稿書くときはかどる気がするんだった…。と、思い出して、掃除を始め、やり始めるとあちこち汚れが気になりだし、疲れてお茶に。

昨日行きたくて行けなかった着物イベントを思い出して、別の機会にと着物コーデを考え出したら止まらなくなり、次の二胡ボランティアで手品をしようと仲間と話していたことを思い出してネットで手品グッズを調べたり…。基本俳句より他の事しているほうが好きで、特に文章書くのは嫌いなので逃避したくなり、ついそっちへ気が行ってしまう、という。

誰か集中力ある人を探しましょう!

ランニング続いてますか?人がやっていると楽しそうでやりたくなる私。文香ちゃんはフットサルしてるから走るのは慣れてるよね。いまどきは格好がかわいいじゃないですか。私もああいう格好したさに、また山口県内にはなかなか魅力的なマラソン大会などもあって(大人気の下関海峡マラソンをはじめ、萩城下町マラソンなどなど)走ってみようとしたのだけど、じゃいつ走る?と考えると、夜はご飯食べたら動きたくないし、おばさんといえども田舎と言えども怖いし。

となると朝早く起きて?第一関門「布団から出る」というところで挫折したのでした。

挫折も得意な久子