【俳苑叢刊を読む】
第20回 森川暁水『淀』
どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(前篇)
佐藤文香
第20回 森川暁水『淀』
どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(前篇)
佐藤文香
随分時間が経ってしまった。句集評ということで、軽い気持ちで引き受けたのだが、ほかの執筆者が熱のこもった評論を書くのを見ていて、絶望した。自分にはこういうのは書けないと思った。
しかしこの依頼、本来なら無料でしか記事を依頼しないはずの週刊俳句が、担当の俳苑叢刊の一冊をくださっている。書かないわけにはいかない。ちなみに私の原稿の本来の〆切は2017年7月2日だった。今日は2017年12月15日。ひどい遅延である。現在私は『〆切本』(左右社)のグッズ「〆切守」をリュックにつけているが、つける前からの遅れである。
書こうとは思っていたのだ。この俳苑叢刊というのは文庫サイズで、『淀』は87ページ。1ページ4句立てではあるが、ハンディな一冊である。空いた時間にちょっと読もうと思って、幾度も鞄に入れて持ち出した。たまにページをめくったり、一度も鞄から出さないまま何日か過ぎたりし、この書物自体は汚れ、仲良くなったが、一向に書き出さなかったのは私の不義理と言うほかない。
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火曜日、俳句文学館へ行った。今年の大きな仕事がほとんど終わったので、とうとう曉水を読もうと思った。そして、句集評が書けないのならばせめてエッセイを書こうと思い立った。私のまずい文でだめなら、この『淀』をどなたかに託し書き直してもらえばよかろう。
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森川曉水の句集は、この『淀』がはじめ出たのは第二句集としてであって、そのほかに第一句集『黴』と第三句集『澪』、第四句集『砌』があった。すべて一文字のタイトルというところに一貫性がある。また、『黴』、『澪』のあとがきによれば、この二冊の装幀その他発案は曉水自身らしい。表具店に奉公していたのはwikipediaにも書いてあるとおりで、のちに工場に勤め、自営となったようだが、もともとが職人気質なのだろうと思われる。と書いてから「俳句研究」の松崎豊「追悼 森川曉水 境涯の作家森川曉水」を読んだら同じことが書いてあった。「俳句研究」何号かは忘れてしまった。これは書くのを渋る私のために田中惣一郎がコピーをとってくれたものだ。
『黴』の高浜虚子による序文に、
彼は一茶と一脈相通じ、自己の境遇を隠さずに吟詠してをるが、併し一茶は貧を憤り権力に反抗する呪詛の傾向が多分にあつたが、曉水君にあつては常に諦めの心持で静かに自己の境遇を反省し、或は蔑みつつも之を笑つて居る、といふ相違がある。とあって、これもwikipediaに「貧のなかに哀歓を籠めた作風で、高浜虚子より「昭和の一茶」(『黴』序文)と評された。いわゆる境涯俳句に先だつ作家だった」と書かれているのでわざわざここで言う必要もないだろうが、それはそうとして私は以下のような句に惹かれた。
夜濯をひとりたのしくはじめけり
夜なべしにとんとんあがる二階かな
炭にくる鼠の立つてあるきけり
凍てめしもまたおもしろく食ひにけり
おしろいの夕ともなれば犬を相手
おしろいのはびこり咲いて無事な秋
句集評のなにが苦手かといえば、こうやって句を挙げた途端、いちいち解釈や鑑賞のようなものを付さなければならないことである。これはエッセイなので、各々味わっていただくことにしよう。っていうかふつうに面白くないですかこの人。上田信治『リボン』のなかにも味わいの似た句がある気がする。
生活を詠む人なので奉公についての句も多い。また、ちょうど新婚のころの句集であり、
自祝結婚
借りものといへどめでたし金屏風
また、
われにある妻いとほしやはこべ咲く
風邪わるき妻のひたへに手やり護る
などの句も見られる。私事ながら今年結婚したので、夫の気持ちになって読んでみると自分が可愛く思えてよかった。
と、ここまで書いてすでに疲れてしまったが、まだ『淀』に至っていない。このままだと全句集書かなければならなくなりそうな勢いなので、さきに『淀』以外の句集について書いておくと、第三句集『澪』では、
結婚記念日二句
海苔に酌めば海苔の塵浮く盃(はい)おもしろ
海苔に酌めばさらに目刺は青き魚(さかな)
結婚記念日に詠む句がこれというのがいい。下五の「盃おもしろ」「青き魚」の字余りがよく、「おもしろ」は「おもしろし」でないのが関西弁風でおもしろいし、「魚」は「うお」と読まれないようにわざわざルビを振るのがおもしろい。あとは、
葉牡丹に飼へば飼ふほど犬小さき
これなんかかわいそうで好きだった。
第四句集『砌』は、かなりの作品の量なのだが、がつんとくるものは少なく、第一句集にあったモチーフ「おしろい」で
おしろいにこころしづかに居るかなしさ
などがいいと思った。余談だが、
男女の仲あやにかなしも鴨はそら
という句があり、私の名前「あやか」と私の好きな「男女の仲」と「鴨」が入っていて気に入ったので覚えておきたいと思う。
さて、『淀』である。曉水にはすでにこのとき主宰誌「すずしろ」がある。さきに挙げた松崎豊の追悼の文章によれば、「すずしろ」創刊主宰したのは昭和13年10月、38歳のときであるらしい。っていうかもうみんな松崎さんの文章読めばよくね? いやいや、あくまで『淀』のことを書けという話なのだから松崎さんは一旦忘れるべきだ。しかし疲れたのでここまでにする。編集部からの要請は2000字以上であり、ここまでで2140字だ。しかし実はまだちゃんと『淀』を読んでいない。続きは来週。
1 comments:
関西弁やったら、「おもしろ」やなく、「おもろ」ちゃうの?知らんけど、、、
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